赤穂義士ゆかりの社寺

討ち入り前の京の日々は!


 
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大石良雄

万治ニ〜元禄十六(1659〜1703)江戸前期の赤穂藩浅野氏の国家老。 
通称内蔵助。いわゆる赤穂四十七士の首領。 
元禄十四年四月、脇坂安照らに赤穂城を明け渡し、六月に山科へ移る。 
住居は岩屋寺のあたりと伝え、大石神社がたつ。 
八月、亡主浅野長矩の碑を瑞光院に建碑。 
伏見の撞木町、京の島原や祇園の廓にしばし遊んだ。 
諸方の同志と連絡をとりつつ、浅野家再興の工作、再興ならずば吉良義央への復讐と二者択一に時を送る。 
翌十五年二月十五日に山科、七月二十六日に京の円山、重阿弥の別荘に同士を集め、吉良への復讐を決定。 
山科から四条道場金蓮寺内の梅林を借りて移り、十月七日江戸へ出発、十二月十五日未明、吉良を討った。 
翌十六年二月四日、江戸の細川邸で切腹、高輪の泉岳寺に葬る。 
 
瑞光院

■ 情報や密議を交わす 

浅野内匠頭長矩の夫人阿久里と縁故があったところから長矩公の切腹の後、供養塔が立てられ、浅野家断絶後大石良雄が山科に移るや、長矩の墓を立てて、 
毎月14日に同士が参拝、復讐についての密議をしたといわれる。 

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山科区安朱堂ノ後町にある臨済宗大徳寺派の寺。 
紫雲山と号す。 
もと上京区堀川頭今宮御旅所下る瑞光院町にあった。 
江戸初期、浅野長政の別荘を山崎家盛が寺院に改め、のち赤穂藩主浅野内匠頭長矩が夫人瑤泉院の縁故で檀家となった。 
松の廊下の事件で長矩が切腹すると供養塔をつくって弔い、元禄十五年(1702)討ち入り後は四十七士の遺髪を得て塚に埋葬、墓をつくり供養した。 
昭和三十七年現在地へ移転。 
 
花山稲荷神社

■ 大石良雄ゆかりの血判石 

大石良雄が山科に隠棲していたとき、崇敬することあつく、ゆかりの鳥居、断食石、血判石などが残されている。 

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山科区西野山欠ノ上町にある神社。 
祭神は倉稲魂神・神大市比売大神・大土之御祖大神。 
延喜三年(903)醍醐天皇の創建という。 
三条小鍛冶宗近が稲荷の神徳によって名刀小狐丸を鍛えたと伝え、金物の神として諸国の金物師に信仰された。 
山科隠棲中の大石良雄も崇敬して鳥居を寄進したという伝承があり、大石稲荷とも呼ばれ、境内には良雄の血判石・断食石と伝える石がある。 
十一月第二日曜日に行うお火焚きは火焚串を鞴の形に組むため、ふいご祭りの称がある。 
 
大石神社

■ 赤穂義士の偲ぶ処 

祭神が大石良雄。 
神社の界隈が隠棲の地であり、手紙、掛軸、安政二年に描かれた四十七士の屏風、隠棲宅の欄間など多数の品々が残されており、宝物殿で観賞できる。 

宝物殿拝観料 ¥200− 

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山科区西野山桜馬場町にある神社。 
赤穂浪士の大石良雄を祀る。 
良雄は赤穂城を明渡しの後、妹の夫である西野山出身の進藤源四郎の縁故で当地に隠棲。 
昭和十年浪曲家吉田大和之丞らが創建した。 
例祭は四月十四日と十二月十四日。 
末社に天野屋利兵衛を祀る義人社がある。 
 
岩屋寺

■ 大石良雄の遺髪塚 

本尊の不動明王は大石良雄の念持仏といわれ、赤穂開城後ここで討ち入りの謀をめぐらし、四十七士の木像、位牌を祀り、義士の遺品も保存されています。 
境内には大石良雄の遺髪を埋めた「遺髪塚」がある。 

遺品拝観料 ¥300− 

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山科区西野山桜ノ馬場町にある曹洞宗の寺。 
神遊山と号す。 
赤穂浪士大石良雄の隠棲地として知られ、本尊の不動明王は良雄の念持仏という。 
創建年代は不明。 
長い間荒廃していたが、嘉永年間(1848〜54)京都町奉行浅野長祚が復興。 
浅野内匠頭長矩のほか、四十七士の像を祀り、境内には遺髪塚や北垣国道筆の碑がある。 
十二月十四日の義士忌には良雄らの羽織など遺品を公開する。 
 
極楽寺

大石神社、岩屋寺とも近く、大石良雄が同寺の施主となり、義士の遺品も保存。 
たのめば見せてもらえます。 
 
西方寺

■ 小野寺十内の墓 

小野寺一族の墓がある。 
小野寺十内、小野寺幸右衛門、岡野金右衛門、大高源五の墓は十内の妻、丹女が立てたもの。 
12月14日には予約して見せてもらえます。 

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左京区東大路二条下がる北門前町にある浄土宗の寺。 
願海山法性覚院と号す。 
文治五年(1189)大炊御門経宗の没後、一条町尻の大炊御門の別館を寺に改めたといい、法性覚院はその法号。 
宝永五年(1708)の大火後、現在地に移転。 
丈六の本尊阿弥陀如来坐像(重要文化財)のほか、疫病除け・安産守護の信仰がある衣通姫地蔵尊を祀る。 
大炊御門家・綾小路家・五辻家などの公家の墓や大高源吾・小野寺十内など赤穂浪士四名の招魂碑、紫野栗山の塚がある。 
 
本妙寺

■ 吉田忠左衛門の墓など 

浅野藩の御用商人錦屋善右衛門が建立。 
吉田忠左衛門、貝賀弥左衛門などの墓があります。 
芝居で有名な天野屋利兵衛は、この錦屋善右衛門をモデルにしたものともいわれています。 
錦屋が交わしたという義士との書状、器物など貴重な資料が多く保存されています。 

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左京区仁王門通東大路東入北門前町にある日蓮宗の寺。 
本尊題目釈迦多宝仏。 
天正二年(1574)日典が京極新烏丸丸太町付近に創建。 
宝永五年(1708)の大火に類焼し現在地へ移った。 
境内に赤穂浪士の吉田忠左衛門・沢右衛門および貝賀弥左衛門夫妻を合わした墓がある。 
これは天野屋利兵衛のモデルとされる錦屋善右衛門が建てたもので、善右衛門が浪士らと交わしたという文書などが当寺にのこる。 
 
安養寺

元禄十五年七月二十六日の円山会議の場所。
寺内の塔頭のうち左阿弥だけが料亭として現存している。 
 
来迎院

■ 大石良雄遺愛の茶釜 

大石良雄は外戚の来迎院長老早山品韶興宗師に頼み、寺請証文を受けたので、山科に浪宅を構えることが出来ました。 
茶席含翠軒を寄進、遺愛の茶釜、および肖像画などがあります。 

拝観料 ¥300− 遺品の拝観料は別に ¥300−必要 
 
法住寺

■ 同士との連絡の場所 

大石良雄が仇討ちを祈願した見代わり不動尊像があり、四十七士の小像が安置されています。 
12月14日には義士まつりが行われます。 

拝観料 ¥300− 
 
上善寺

■ 「おかる」の墓 

本堂裏の墓地にはニ文字屋次郎左衛門の娘「おかる」(本名おかじ)の墓があります。 
刻まれている法名は「清誉貞林法尼」 
 
椿寺

■ 天野屋利兵衛の木像 

天野屋利兵衛の墓があり、木像も安置されています。 
遺品の算盤が保存されており、12月14日には見学できます。 
 
義士会法要

12月14日 

法要、献茶式の後、舞妓のお手前により、お茶会が行われ、参拝者に討ち入りそばの接待があります。 
後白河法皇の御陵寺院とされ、平安末期の法住寺殿跡です。 
当日は無料。 
 
義士まつり

山科は大石良雄が親類の世話で隠棲したところ。 
人目につきにくく、かつ交通に便利よく、事件の前後策を講じるのに何かと便利であった。 

討ち入り当時を再現する四十七士に扮する義士列が、大石良雄ゆかりの瑞光院を出発、岩屋寺、大石神社と練り歩きます。 
行列には清水一学などもおり、総勢300人。 
義士一色のこの日は全国より参拝者で賑わいます。 

問い合わせ 山科義士まつり実行委員会(小野方) п@591−7585 
 


 

赤穂四十七士一覧

氏名 行年 浅野家役職 扶持高 討入部署 お預け先
大石内蔵助良雄 45歳 家老 千五百石 表門 細川
吉田忠左衛門兼亮 64歳 足軽頭兼郡奉行 二百五十石 裏門 細川
原惣右衛門元辰 56歳 足軽頭 三百石 表門 細川
片岡源五右衛門高房 37歳 内証用人兼児小姓頭 三百五十石 表門 細川
間瀬久太夫正明 63歳 大目付 二百石 表門 細川
小野寺十内秀和 61歳 京都藩邸留守居 百五十石+役料七十石 裏門 細川
大石主税良金 16歳 部屋住   裏門 松平
磯貝十郎左衛門正久 25歳 物頭・側用人 百五十石 裏門 細川
堀部弥兵衛金丸 77歳 隠居(元江戸留守居) 隠居料五十石 表門 細川
近松勘六行重 34歳 馬廻役 二百五十石 表門 細川
富森助右衛門正因 34歳 馬廻役・使番 二百石 表門 細川
潮田又之丞高教 35歳 郡奉行・絵図奉行 二百石 裏門 細川
堀部安兵衛武庸 34歳 馬廻役兼祐筆役 二百石 裏門 松平
赤埴源蔵重賢 35歳 馬廻役 二百石 裏門 細川
奥田孫太夫重盛 57歳 馬廻役兼武具奉行 百五十石 表門 細川
矢田五郎右衛門助武 29歳 馬廻役 百五十石 表門 細川
大石瀬左衛門信清 27歳 馬廻役 百五十石 裏門 細川
早水藤左衛門満堯 40歳 馬廻役 百五十石 表門 細川
間喜兵衛光延 69歳 勝手方吟味役 百石 裏門 細川
中村勘助正辰 48歳 書物役 百石 裏門 松平
菅谷半之丞政利 44歳 馬廻役 百石 裏門 松平
不破数右衛門正種 34歳 (馬廻役)永の暇 (百石) 裏門 松平
千馬三郎兵衛光忠 51歳 馬廻役・宗門改 三十石(元百石) 裏門 松平
木村岡右衛門貞行 46歳 馬廻役・絵図奉行 百五十石 裏門 松平
岡野金右衛門包秀 24歳 部屋住 (亡父二百石) 表門 松平
吉田沢右衛門兼定 29歳 部屋住   表門 毛利
貝賀弥左衛門友信 54歳 中小姓・蔵奉行 十両三人扶持 表門 松平
大高源五忠雄 32歳 中小姓近習・膳番 二十石五人扶持 表門 松平
岡嶋八十右衛門常樹 38歳 勘定方・札座奉行 二十石五人扶持 表門 毛利
武林唯七隆重 32歳 中小姓 十五両三人扶持 表門 毛利
倉橋伝助武幸 34歳 扶持奉行・中小姓 二十石五人扶持 裏門 毛利
村松喜兵衛秀直 62歳 扶持奉行・中小姓 二十石五人扶持 表門 毛利
杉野十平次次房 28歳 札座横目 八両三人扶持 裏門 毛利
勝田新左衛門武堯 24歳 札座横目 十五石三人扶持 表門 毛利
前原伊助宗房 40歳 金奉行・中小姓 十石三人扶持 裏門 毛利
間瀬孫九郎正辰 23歳 部屋住   裏門 水野
小野寺幸右衛門秀富 28歳 部屋住   表門 毛利
間十次郎光興 26歳 部屋住   表門 水野
奥田貞右衛門行高 26歳 加東郡勘定方 九石三人扶持 裏門 水野
矢頭右衛門七教兼 18歳 部屋住   表門 水野
村松三太夫高直 27歳 部屋住   裏門 水野
神崎与五郎則休 38歳 徒目付・郡目付 五両三人扶持 表門 水野
茅野和助常成 37歳 横目付 五両三人扶持 裏門 水野
横川勘助平宗利 37歳 横目付 五両三人扶持 表門 水野
間新六郎光風 23歳 部屋住   裏門 毛利
三村次郎左衛門包常 37歳 台所役・酒奉行 七石二人扶持 裏門 水野
寺坂吉右衛門信行 83歳 足軽? 討入りに不参加? 三両二分二人扶持 裏門  
           
平均年齢 39.6歳