今日は何の日 三月
■■■ こよみのページ
■■■ 橋本勝の「20世紀の366日」
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一日 
1932
満州国が建国宣言。執政に清朝最後の皇帝溥儀が就任する。

 
二日 
1840
遠山の金さん(遠山金四郎)が北町奉行に着任。

 
三日
1860
「桜田門外の変」。水戸浪士らが大老井伊直弼を暗殺する。 

【没】
1599 前田利家 加賀藩主  62歳 
1860 井伊直弼 彦根藩主  46歳


 
四日
1771 
杉田玄白らの人体解剖
蘭学者の杉田玄白、前野良沢、中川淳庵らがこの日、オランダの医学書、「ターヘル・アナトミア」の人体解剖図をもとに解剖を実施した。
解剖後、その本の正確さに感動し、翻訳に着手。苦労の末、1774年に日本で初めての西洋医学の和訳書、「解体新書」を出版した。 

 
五日 
1877
東京・湯島で日本初の博覧会、「第1回内国勧業博覧会」が開幕。

 
六日
1998
奈良・キトラ古墳で天体図が発見される。

【没】
1948 菊池寛 作家  61歳 代表作「無名作家の日記」「恩讐の彼方に」 


 
七日
1927
京都府北西部にマグニチュード7.3の北丹後地震。
死者2925人。 

 
八日
1935
忠犬ハチ公が死亡 
帰らぬ主人を待ち続けた「忠犬ハチ」がこの日、11歳で死亡した。農商務省の技師、上野英三郎が飼っていた秋田犬。
飼ってから1年半で主人が他界。その後7年間、亡き主人の帰りを待つため渋谷駅に通った。
駅前の銅像はハチ公が死亡する前年に建てられ、ハチ公も除幕式に出席した。 

1917
ロシア・二月革命(旧暦2月)が始まる。 


 
九日
1874
学習院の前身、「学問所」が京都御所建春門前にできる。 

1894
日本で最初の記念切手が発行される。
明治天皇、皇后の銀婚式を祝う「結婚25年祝典」の2種。 

1914
日本初のエスカレーターが東京・日本橋の三越百貨店に設置される。 

1958
世界初の海底国道 
本州(山口県・下関)と九州(福岡県・門司)を結ぶ世界初の海底国道、「関門トンネル」がこの日、開通した。
全長3461mで海底部分は780m。
2階立て構造で1階が人道、2階が車道となっている。
1939年に着工し、約20年の歳月を費やして完成。国道2号線が大阪市から北九州市まで(約513キロ)繋がった。 


 
十日
710
女帝、元明天皇が藤原京から「平城京」に遷都。
奈良時代に。 

1945
東京大空襲。
8万人以上が死亡、100万人が家を失う。 

1965
世界最大を誇る富士山頂気象観測用レーダーの運用を開始。
気象衛星の登場で役目を終え、2001年に解体。 

1985
東京博覧会が開幕 
東京・上野公園でこの日から7月末まで、第1次世界大戦後の平和を祝福する「平和記念東京博覧会」が開幕した。
1914年の「大正博」と同じ場所で行われ、文化住宅と名づけられた洋風小住宅や水上飛行機などに人気が集まったが、全体としては不評で結果、赤字イベントとなった。


 
十一日
1582
武田勝頼が織田信長との戦いに敗れ、武田氏が滅びる。 

 
十二日 
1876
日曜休日制の制定 
官庁や学校、会社などの休みが「日曜日を休日」、「土曜日を半休」とする事がこの日、制定され、翌月の4月1日から実施となった。欧米の日曜日を休日とする週休制の習慣に合わせたもの。
江戸時代までは休暇は正月と盆くらいしかなく、1868年に「一六(いちろく)制」が制定されて31日を除いて、毎月1と6のつく日が休日だった。

 
十三日
1863
京都で「新撰組」を結成。
その後、近藤勇が局長に。 

1872
京都「都をどり」が始まる。
第1回京都博覧会の開催に合せて。 

【没】
1578 上杉謙信 武将  49歳 


 
十四日
1970
日本万博が開幕 
大阪・千里でこの日、アジアで初となる日本万国博覧会の開会式が行なわれ、開幕した。
一般公開は翌日から。「人類の進歩と調和」をテーマに岡本太郎の「太陽の塔」がシンボル。参加国は79か国。
9月13日の閉幕まで延べ6421万人、1日最高83万人が訪れ、予想を大きく上回った。 

 
十五日 
1598
秀吉が京都で花見 
豊臣秀吉が醍醐寺三法院(京都市伏見区)でこの日、「花見の宴」を開いた。
北政所や淀君ら正室、側室を従えて盛大に茶や食事を楽しんだ。
この花見のための警備も物々しく、弓や槍、鉄砲を持った警固所を23箇所設けての開催だった。
秀吉はこの年8月18日に他界した。 

1895
京都・平安神宮が創建される。
御鎮座祭に関係者約2500人が参列。 

1958
京都の「赤線地帯」(府内14地帯)の遊郭が一斉廃業。
4月1日施行の売春防止法を受けて。


 
十六日 
2003
「第3回世界水フォーラム」が京都国際会館を主会場に滋賀、大阪で開幕。
地球規模の水問題の解決策を探る。

 
十七日

 
十八日
1904
東京の鉄道馬車が消える 
東京市内で1882年から22年間にわたって走り続けた「鉄道馬車」がこの日、姿を消した。
前年に市街電車が品川-新橋、新橋-上野間で開通しており、その後、上野-浅草間が開通し、全線が完成、お役目御免となった。
2頭の馬に引かれて走った鉄道馬車はレールの上を走り、乗合馬車よりも早く、多くの人を乗せて走り人気があった。 

 
十九日
667
近江大津宮遷都 
「大化の改新」の中心人物、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)がこの日、都を飛鳥宮から近江大津宮(滋賀県大津)に移した。
翌年、中大兄皇子は天智天皇に即位。弟の大海人皇子(おおあまのおうじ)と律令国家の形成に努力し、「近江令」を制定した。
671年に天智天皇が死去。その翌年に近江大津宮から飛鳥浄御原宮に遷都となった。 

1876
京都-大阪間で鉄道が全面開通。 

【没】
2004 井上八千代(四世) 京舞井上流家元  98歳 本名片山愛子 人間国宝 


 
二十日 
1882
日本初の動物園が開園 
東京・上野公園にこの日、日本初の本格的な動物園、「上野動物園」がオープンした。
東京国立博物館の付属施設として創立。当初は、熊・山羊・水牛・鳥類など約50種類の動物がいた。
1972年には日中国交正常化の記念として、2頭のパンダが中国政府から届き、大ブームとなった。

 
二十一日
1972
奈良・明日香村の高松塚古墳で壁画が見つかる。 

1942
京都飛行場開設 
京都・久御山町にこの日、「京都飛行場」が開設された。
パイロットの養成所と約300万平方メートルの飛行場が完成し、最盛期は300人を超える生徒が入所。
「赤とんぼ」の名で親しまれた訓練機の飛ぶ姿に見学者が集まった。
第二次大戦の戦局悪化に伴い1944年に廃止され、特攻部隊の基地になった。 

【没】
835 空海 真言宗開祖  62歳 


 
二十二日
2003
72年に一度の祭りが開催 
茨城県金砂郷町の西金砂神社でこの日から10日間にわたって、72年に一度(前回1931年)行われるという全国でも珍しい祭事、「第17回磯出大祭礼」が催された。
平安時代の851年に始まり、第1回から一度も中断することなく開催。
古装束に身を包んだ氏子ら500人規模の大行列が75キロを練り歩いた。
「72年に一度」の由来は諸説あるが不明。 

 
二十三日 
1913
四条大橋が完成 
京都・四条通りの鴨川を渡す「四条大橋」がこの日、完成した。
元々四条には平安時代から何度も「四条橋」が架け替えられていたが、市電の拡張事業の一環で京都市内の道路拡幅が進められ、四条橋も拡張。
鉄筋コンクリートの近代橋、「四条大橋」が誕生した。現在の橋は1942年に架け替えられた。

 
二十四日
1185
壇ノ浦の合戦 
関門海峡・下関側の壇ノ浦沖合いでこの日、源平合戦があり、平家が滅亡した。
始めのうちは平家軍が有利だったが、戦いの途中で海の潮流が変わり、平家の船が狭い海峡に追い込まれ、源氏軍の猛反撃に平家軍が敗北した。
7歳の安徳天皇をはじめ、平家一門は入水して果てた。 

 
二十五日 
1948
「東洋のマタ・ハリ」が銃殺刑 
「東洋のマタ・ハリ」と呼ばれた、川島芳子がこの日、国家反逆罪に問われ北京で銃処刑された。
清朝王族の王女として生まれたが幼くして清朝が崩壊。
父粛親王が信頼していた日本の川島浪速の養女に。
清朝の再興を夢見て日中戦争下、日本の特務機関員として活動した。
学生時代を過ごした松本市に養父と並んだ墓がある。

 
二十六日 
1205
新古今和歌集が完成 
第8勅撰和歌集、「新古今和歌集」がこの日完成し、それを祝う宴が行われた。
1201年、後鳥羽上皇の命により和歌所を設置し、その寄人のうち源通具、藤原定家ら6人が撰者とされた。
しかし、上皇の意思で5年後の1210年まで改訂作業が行われた。
全20巻、約1980首。

 
二十七日 
1689
芭蕉「奥の細道」へ旅立つ 
松尾芭蕉がこの日、「奥の細道」への旅に出た。舟で隅田川を遡り、千住から日光街道を経て平泉(岩手県)を北上し、9月に大垣(岐阜)にたどり着き、旅を終えた。
この後、5年の歳月をかけて「奥の細道」を書き上げたが、出版されるのを見ずに1694年51歳で亡くなった。 

【没】
1837 大塩平八郎 与力  45歳


 
二十八日
1868
東京遷都。
明治天皇が京都から江戸に。 

 
二十九日 
1872
明治政府が「入れ墨禁止令」を出す。

 
三十日
1867
アラスカがアメリカに 
アラスカがこの日、ロシアからアメリカに譲渡された。
アラスカは18世紀中頃からロシアの植民地で、ラッコなど毛皮の貿易が盛んに行われていたが、乱獲の末、やがて毛皮産業が下火となり運営が維持できなくなったのがその理由。
売値は720万ドルという捨て値だった。 

 
三十一日
1966
人口1億人突破 
法務省(現・総務省)がこの日、日本の人口が初めて1億人を突破したと発表した。
法務省住民登録集計で1億55万4894人。
ちなみに1900年の人口は4385万人、2000年が1億2692万人と、この100年で約3倍に増加した。
東京都の人口は、100年で約6倍の増加。