今日は何の日 二月
■■■ こよみのページ
■■■ 橋本勝の「20世紀の366日」
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一日
1895  京都で市街電車が登場

京都で日本初の市街電車(京都電気鉄道)がこの日、開業した。東洞院塩小路-伏見油掛通間(伏見線)6.4キロ。京都に日本初の水力発電(蹴上発電所)が完成した事と道路が碁盤の目であった事など、電車を走らせやすい条件が整っていた。1912年に「市営電車」が四条線などを開業。1918年に京都市が京都電気鉄道を買収し、全線「京都市電」となった。 


 
二日
1920  日本で最初のバスガール

日本で最初のバスガールが登場(東京市街自動車会社) 


 
三日

 
四日
1604  「一里塚」の制度化

徳川幕府2代将軍、徳川秀忠が日本の中心的な道であった東海道、中仙道、北陸道の三道にこの日、「一里塚」を設置する布令を出した。旅をする人のための目印として一里(約4キロ)ごとに塚(小山)を作り、その上に榎が植えられた。一里塚のアイデアは、もともと織田信長が考案したものとされている。 


 
五日
1596  長崎二十六聖人

豊臣秀吉のキリシタン禁令(1587年)によりこの日、26人の神父、修道士、信徒が長崎・西坂の丘で処刑された。スペインの神父、ペトロ・バプチスタら外国人6人と京都出身のトマス・ダンキ、12歳のルドビコ・茨木ら日本人20人。捕らえた彼らを京都・一条に集め、耳切りの刑を受けた後、長崎に護送した。後に、この26人は教皇ピウス9世によって「聖人」となった。 


 
六日

 
七日
1754  京都で日本初の人体解剖 

日本で最初の人体医学解剖がこの日、京都の医者、山脇東洋によって行われた。京都・六角通大宮の三条新地牢屋敷(六角獄舎)で罪人の死体を使って解剖。1759年に日本初の解剖書「臓志」を発表し、日本医学の近代化に貢献した。この牢屋敷跡に山脇東洋の功績をたたえる「日本近代医学発祥の地」の碑が立てられている。 

1873  仇討ち禁止令

武士社会では「仇討ちをする事こそが武士」とされていたがこの日、明治政府がこれを禁止する「仇討ち禁止令」を布告した。3年後の1876年には帯刀の禁止(廃刀令)も出されたが、実際にはしばらく仇討ちが続き、1880年に福岡・秋月藩士、臼井六郎が両親の仇討ちをしたのが最後とされている。この後、臼井六郎は自首している。

 1184  「一の谷の合戦」(現・神戸福原)

源氏と平家の戦い。源氏の勝利。


 
八日
 

 
九日
 

 
十日
 

 
十一日
1967  国民の休日、「建国記念日」がスタート

佐藤内閣が制定。


 
十二日
1603

徳川家康が江戸幕府を開く。 


 
十三日

 
十四日

 
十五日
1897  京都鉄道が開業

京都鉄道がこの日、二条-嵯峨間で開業した。現在の山陰本線の最初の開通区間。京都鉄道は京都と舞鶴を直結する目的で、田中源太郎らが設立した民営鉄道。保津峡付近の難工事を乗り超え、1900年に京都-園部間まで開通させたが、園部以降は資金不足から断念し、国が建設を進めた。 

1897  日本で最初の映画興業

大阪・南地演舞場でこの日、シネマトグラフによる日本初の映画が2週間にわたって一般公開された。京都の染料輸入商、稲畑勝太郎がフランスのリュミエール兄弟の発明した映写機材を輸入。リュミエールが撮影した「リヨン駅に到着する列車」などが上映された。公開前に京都・四条河原町の京都電燈会社(現・関西電力)敷地内で一週間試写が行われていた。


 
十六日
935  紀貫之が土佐から京都に帰着

この間の旅を綴ったものが「土佐日記」。 


 
十七日

 
十八日
1973   日本初とされるライブハウス「拾得」が京都市上京区でオープン。 

 
十九日
 1185  「屋島の戦い」。一の谷の戦いで屋島に逃れた平家を源義経が奇襲

 
二十日
1607  出雲阿国が江戸城で舞う

出雲大社の巫女だったとされる出雲阿国(いづものおくに)がこの日、江戸城で歌舞伎踊りを披露した。この数年前から出雲阿国は京都・四条河原や北野天満宮で風変わりな服装で念仏踊りや芝居仕立ての「歌舞伎踊り」を演じて人気を呼んでいた(歌舞伎の始まり)。「歌舞伎」の語源は「傾く(かぶく)」が名詞化したもので「傾く」は「風変わりなことをする」という意味。 


 
二十一日
1723  心中物の禁止令

江戸幕府八代将軍、徳川吉宗がこの日、心中物の狂言などの興行を禁止した。当時、心中事件を題材とした狂言が人気を呼び、これに影響された男女の心中が多発した。そのため心中者は弔い禁止、生き残りは殺人罪などとした。 


 
二十二日

622  聖徳太子 推古朝の摂政  49歳 603年冠位十二階、604年憲法十七条の制定 


 
二十三日
1784  金印「漢委奴国王」の発見

福岡・志賀島でこの日、クワで用水路の手入れをしていた甚兵衛が金塊を発見。これが「埋もれた金印」として知られる「漢委奴国王」(かんのわのなのこくおう)の金印であることがわかった。この金印を領主の黒田家が家宝にする事にし、甚兵衛は白銀50枚を受け取ったとか。 

1576  織田信長が岐阜から近江・安土城へ移る。


 
二十四日
1873  明治政府がキリスト教を解禁

 
二十五日
1860  勝海舟らが咸臨丸で日本人初の太平洋を横断。サンフランシスコに入港

 
二十六日
823  嵯峨天皇の勅により、最澄の比叡山寺を「延暦寺」に改称

1936  「二・二六事件」が起こる。国家改造を目指す陸軍将校等が起こしたクーデター


 
二十七日

1945 橋本關雪 画家  61歳


 
二十八日
1862 新撰組の始まり

「新撰組」の前身、「壬生浪士組」がこの日、結成された。清河八郎の提案で、事件が頻発している京都の警護にあたるため、江戸で要員を募集、翌年京都に到着した。しかし、考え方のくい違いから清河ら209人が戻り、近藤勇、土方歳三ら24人が残留。その後8月に「新撰組」を結成した。

1591 千利休が自決

茶道千家の始祖、千利休がこの日、豊臣秀吉の怒りに触れ自害した。織田信長の茶頭だった利休は信長の死後、秀吉に仕え、1587年、京都・北野天満宮での歴史的な茶会、「北野大茶会」を推進。「天下一の茶匠」の名を不動のものにしたが、大徳寺山門の楼上に自身の木像を置いたことなどから端を発し、秀吉の命により自刃した。享年70歳。

1633 江戸幕府が最初の鎖国令を出す

1935 坪内逍遥 小説家・劇作家  75歳 代表作「当世書生気質」「京わらんべ」