今日は何の日 一月
■■■ こよみのページ
■■■ 橋本勝の「20世紀の366日」
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一日
1924 京都に植物園がオープン
京都市北部の平坦地にこの日、京都府立植物園が開園した。
1917年に着工し、約7年を費やして完成。
戦後、1946年から12年間は連合軍に接収されたが、1961年4月に「憩いの場」、「教養の場」として一新し、再公開となった。
規模、内容の面からも日本の代表的な植物園に。 

 
二日
1954 皇居一般参賀で将棋倒し
皇居の一般参賀でこの日、将棋倒しの事故が起こった。
38万人もの参賀者が集まったため、皇居・二重橋の入り口に網を張って流れを止めようとしたが、参賀者の老婦人の1人が倒れたのをきっかけとして将棋倒しとなり、16人が窒息死、63人が重軽傷を負う惨事となった。 

1969
皇居一般参賀で天皇に向かって男がパチンコ玉を撃ち逮捕。翌年からガラス越になる。 


 
三日
1868 「鳥羽伏見の戦い」
京都・伏見の小枝橋で明治新政府と旧幕府が武力衝突。
戊辰戦争へ。 

1851 ジョン万次郎が帰国
土佐の漁師だったジョン(中浜)万次郎がこの日、アメリカから琉球(沖縄)に帰国した。
15歳の時、出漁中に遭難。
アメリカの捕鯨船に救助されて渡米し、約10年間の滞在中にアメリカの教育を受けた。
帰国後、通訳や英語教師として活躍した。日本人で初めてネクタイをした人とされている。 

1922 ツタンカーメン王の墓発見
イギリスの考古学者ハワード・カーターらによってこの日、エジプト第18王朝ツタンカーメン王の墓が発見された。
黄金製の棺に黄金のマスクなど金銀無数の副葬品が眠っていた。
発掘に関わった人々が次々と変死したことから「ツタンカーメン・ファラオの呪い」と噂された。 


 
四日
1922 国際電話が開通
日本-アメリカ間で国際電話が開通。 

 
五日
1874 馬車道が誕生
東京・新橋-京橋間でこの日、馬車道が完成した。
それまで道路が狭く馬車が通るには不便で、通行人の安全上、馬車や人力車の営業を禁止する事が度々あった。
翌月の2月2日には東京政令によって車道と歩道の区別が定められ、ここに日本で最初の「歩道」が設けられた。 

 
六日
1976 平安神宮が炎上
京都・岡崎の平安神宮でこの日、火災が発生した。
消防車39台、消防士ら183人が出動したが火の回りが早く、本殿など主要な建物が焼失。
火災から5年後に過激派による放火と判明、容疑者が逮捕された。
平安神宮は1895年の創建と比較的新しく、文化財指定を受けていなかったため国の補助金が見込めず、大半は全国から寄せられた募金によって3年後に再建された。 

 
七日
1989 昭和天皇崩御

 
八日
1932 「桜田門事件」
桜田門外で昭和天皇の馬車に手榴弾で暗殺未遂。
犯人の李奉昌を同年処刑。 

1989 平成がスタート
新しい元号、「平成」が政令によりこの日、施行された。
前日の昭和天皇の崩御を受け、午後の臨時閣議で次の年号を「平成」と決定。
故・小渕恵三首相(当時官房長官)が「平成」の2文字が書かれた紙を提示し、発表した。
日本の最初の元号、「大化」以来、「平成」は247番目で初めて政令により新元号が定められた。 

1950 初の1000円札発行 
戦後初の高額紙幣である1000円札がこの日、発行された。
戦前にも使われていた聖徳太子が紙幣の肖像となったが、連合軍司令部(GHQ)が日本側の案に難色を示し、肖像人物の変更を要求。
しかし、度重なる説得によりGHQが折れ、聖徳太子の1000円札が実現した。 


 
九日
1867 明治天皇即位

1933 三原山の自殺
伊豆大島の三原山でこの日、東京の女子学生が投身自殺、翌月にもその同級生が自殺するという事件が起こった。
さらに、この2件とも同じ下級生が立ち会っていた事が判明し、「三原山に死を誘う女」と騒がれ、この下級生も郷里で自殺するという事件が起こった。
一連の事件で三原山が自殺の名所となり、この年944人が自殺した。 


 
十日
1831 京都で「高島屋」が創業
京都・烏丸松原でこの日、古着商「たかしまや」(現・高島屋百貨店)が開業した。
京都の呉服屋に奉公していた中野鐵次郎が近江・高島出身の米穀商、飯田儀兵の長女、秀の婿養子(初代飯田新七)になったが家業を継がずに妻と2人で古着商を始めた。呉服商では白木屋、大丸などが台頭する中、後発だったが並べる古着にも事欠き、妻の着物も並べたほど繁盛したという。 

 
十一日
1569 「敵に塩を送る」
塩がとれない山国、甲斐・信濃の武田信玄勢力を弱めようと今川氏真と北条氏康が共謀、この町に塩を送るのを中止させた。
それを知った上杉謙信は、信玄とは敵対していたが、「卑劣な振る舞い」と怒り、代わりに塩を送った。
この日、その塩が届いた。このエピソードから敵を助けることを「敵に塩を送る」というようになった。 

1615 鉄砲の生産
幕府の命により、近江の国(現・滋賀県)国友村で鉄砲の生産を始める。 


 
十二日
1874 「愛国公党」を結成
板垣退助らにより日本初の政党、「愛国公党」を結成。

 
十三日
1946 「ピース」が発売
紙巻たばこの第1号、「ピース」が発売される。10本入り7円。 

 
十四日

 
十五日
1947 初のストリップショー
東京・新宿の帝都座五階劇場でこの日、日本で初めてのストリップショーが行われた。
ダンサーは甲斐美和。
「額縁ショー」などと呼ばれ、上半身をあらわにして額縁をかたどった中で立っているというもの。
ショーは4,5秒程度の短いものだったが、場内固唾を飲んで見物したとか。 

1862 「坂下門外の変」
江戸城坂下門外で老中安藤信正が水戸浪士に襲われる。 


 
十六日
754 鑑真が来日
日本律宗の開祖、鑑真が失明を乗り越え来日 

 
十七日
1995 阪神・淡路大震災 
兵庫県・神戸、淡路島を中心にこの日の午前5時46分、淡路島北端を震源地とするマグニチュード7.2の直下型地震、「阪神・淡路大震災」が発生した。
死者6000人以上、倒壊家屋は40万棟にものぼり、約23万人が避難した。
また、ライフライン、交通網は壊滅的な大被害となった。 

 
十八日
1467 応仁の乱の始まり
京都・上京の上御霊社でこの日、畠山義就と畠山政長が継嗣問題による合戦(上御霊の戦い)を始めた事に端を発し、東西両軍の戦い、「応仁の乱」が始まった。
1477年まで11年にわたって争われた大乱。
京都は焼け野原と化し、幕府の権威が失墜、戦国時代の契機となった。 

1657 「明暦の大火」
江戸が猛火に包まれ10万人が死亡。 


 
十九日
1606 三十三間堂の通し矢
京都・東山区の三十三間堂でこの日、「通し矢」の競技が初めて行われた。
堂の端から端までの長さは118メートルあり、その間を一定時間で何本の矢を射通すかを競うもの。
尾張清州藩の家臣、浅岡重政が51本を射通して優勝した。以後、弓の天下一を目指して通し矢が盛んになった。 

 
二十日
1869 関所廃止令
陸路・水路の要所に設置した検問所、「関所」がこの日、「関所廃止令」の発令により消滅した。
大化の改新後から軍事目的として「古代の関所」が整備されたが、室町時代には主に通行税を取る目的に変遷。
織田信長と豊臣秀吉が一旦、関所を廃止したが1630年に徳川家光が交通政策の一環として復活させ、以後、約270年にわたり続いた。 

1979 太安万侶の墓発見
奈良市東部の茶畑から「古事記」の編者、太安万侶(おおのやすまろ)の墓が発見される。 


 
二十一日
1866 薩長同盟成立
京都・薩摩藩邸(上京区)で西郷隆盛らが会談。
薩長同盟が成立する。

 
二十二日
1887 日本で初の電灯
東京・鹿鳴館でこの日、日本で初めての白熱灯がともった。
移動式発電機を使って点火。
このお披露目以降、民営の東京電灯会社が営業を開始した。
ちなみにこの8年前の1879年にエジソンが電球(白熱灯)を発明。
この電球のフィラメントは京都・八幡で取れた竹が使われた。 

1981 滋賀で「五六豪雪」
滋賀県余呉町中河内でこの日、滋賀県では最大の積雪6.5m を記録する豪雪(五六豪雪)[昭和56年]が襲った。
死者5人、負傷者91人、建物の損壊4300棟、被害総額60億円。前年の12月中旬から降り続き、余呉の4地区が孤立、自衛隊ヘリが救援物資を運んだ。
この年のびわこ国体、銃剣道会場予定の体育センターも倒壊、大会に間に合わせるため再建された。 


 
二十三日
1866 坂本竜馬襲撃事件
京都・伏見の船宿、寺田屋でこの日、土佐藩士の坂本竜馬が幕府の捕り手に狙われた。
坂本竜馬が定宿としていた寺田屋の2階で竜馬と長州藩士の三吉慎蔵が酒を交わしている時に、1階で風呂に入っていた寺田屋の女将の養女、お竜が外の気配を感じて裸のまま2階の竜馬に知らせた。
竜馬らは裏階段から脱出、難を逃れた。後にお竜は竜馬の妻となった。 

1902 八甲田山遭難事件
青森歩兵第5連隊第2大隊の210人がこの日、耐寒訓練のため青森市八甲田山系の雪道の踏破をめざして出発した。
翌24日に暴雪のため遭難。凍傷、過労などで次々と倒れ、199人が死亡するという大惨事となった。
軍はこの事件を秘密扱いとしたため、長く旧陸軍のミステリーとなっていた。 

1983 全国都道府県対抗女子駅伝
第1回全国都道府県対抗女子駅伝が京都で開催される。 


 
二十四日
1865 「大浦天主堂」完成
長崎にカトリック聖堂、「大浦天主堂」が完成。 

 
二十五日
901 菅原道真が左遷
平安前期の漢詩人で右大臣まで上り詰めた菅原道真がこの日、太宰府に配流に近い形で左遷された。
醍醐天皇を廃して自分の娘婿を立てようとしたとの嫌疑をかけられたことと、55歳で右大臣という異例の昇進で周辺からねたみをかっていた。
903年2月25日、京に戻ることなく大宰府で死去。
後に学問の神様として祀られた。 

 
二十六日
1949 法隆寺金堂から出火
奈良・法隆寺金堂から出火、内陣47坪が全焼する。 

 
二十七日

 
二十八日
712 「古事記」の完成 
日本最古の史書とされる「古事記」の上・中・下3巻がこの日完成し、第43代元明天皇に献上された。
元々第40代天武天皇が稗田阿礼(ひえだのあれ)に命じたが、天武天皇の崩御により中断。
元明天皇が引き継ぎ、太安万侶が編纂した。上巻が「神の時代」、中巻が「神と人の時代」、下巻が「人の時代」に分けられ、神話や天皇家にまつわる物語などが描かれている。

1912 白瀬中尉が日本人で初めて南極に到達。


 
二十九日
1872 人口調査を実施
日本で本格的な人口調査がこの日、実施された。この時の日本の総人口は3310万9826人。
以前にも度々実施されていたが正確性に欠けるものだった。
近年の人口調査は1920年から「国勢調査」の形となり、1950年からは5年ごとの固定期間で実施されるようになった。 

 
三十日
1786 京都大火災発生
鴨川東岸から出火し、京都市中全域に広がる。 

 
三十一日