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明治二十八年(1895)平安奠都一千百年を記念し、桓武天皇と孝明天皇を祭神として創建された旧官幣大社で、京都市民の氏神として崇敬されている。

その社殿は平安京大内裏の正庁である朝堂院の形式を、凡そ三分の二近くに縮小して模造されているところが他の神社建築と異なるところであって、平安京創建当時をしのぶに足る結構である。

応天門(楼門)の楼上に宮小路康文が古様をもって揮毫した「応天門」としるした額を掲げる。

応天門を入ると、ひろびろとした白砂の広場があり、上下二段に仕切られ、上段を竜尾壇といい、二百八十尺の朱塗りの欄を設け、左右に石階をつけている。

大極殿(拝殿)はこの竜尾壇の北にあって、入母屋造り、屋根は碧瓦葺とし、棟の両端にさんぜんたる金色の鵄尾をのせ、中央身舎の四周には廂間を備える。
大内裏八省殿の正殿大極殿を模造したものといわれ、五十二本の朱塗りの柱が、整然として列立するさまは、実に見事である。

また、その東西に延びる歩廊の端には楼閣があって、東を蒼竜楼、西を白虎楼といい、いずれも碧瓦丹塗とし、棟の両端には金色の鵄尾を置いている。

本殿は内拝殿をへだててその奥にある。
東西に並ぶ二棟の社殿からなり、右に桓武天皇、左に孝明天皇を祀る。
昭和五十一年(1896)に一月に焼失したのを、同五十四年四月に再建したものである。

【神苑】
本殿の後方およびその東西に亘って約三万平方メートルの地を占め、東・中・西・南の四苑からなっている。
このうちで西神苑は白虎池、中神苑は蒼竜池を中心とし、神宮創始の際につくられた。
東神苑はそれよりおそく、大正年間に栖鳳池を中心としてつくられたもので、いずれも当時の造園家小川治兵衛の作庭になる池泉廻遊式の庭園である。

とくに東神苑は平安時代の庭園を採り入れて池泉舟遊式とし、東山の翠巒を借景にしたひろびろとした池畔には、橋殿を架し、西岸には寝殿造りの釣殿風の貴賓館がある。

また苑内には至る所に懸泉や茶亭があり、多くの樹木草花を植えて、幽邃閑雅な風趣をただよわせている。
なかでも白虎楼西の庭内にある紅枝垂桜や、西神苑の花菖蒲はとくに有名。

【時代祭】

当社の例祭は四月十五日であるが、十月二十二日に行われる私祭は、俗に時代祭りと称し、八坂神社の祇園祭・賀茂神社の葵祭とともに京都三大祭の一に数えられる。

時代祭は明治二十八年(1895)平安奠都一千百年記念祭を執行するにあたり、平安時代から明治のはじめに至る各時代の文物の変遷、服飾の沿革を行列にしくみ、それを神幸の神輿に供奉せしめたのが起こりで、十月二十二日がえらばれたのは、この日が桓武天皇が平安京に入られた日にあたるからである。

【西天王塚】

平安神宮蒼竜楼の東北背後にある。
方墳で、墳上に松樹を植える。

この地はもと鳥羽天皇中宮美福門院御願の歓喜光院の旧地といわれ、この塚は寺の鎮守社として素戔鳴命を祀った四天王社(須賀神社)の址ともいわれる。
岡崎界隈に残る古墳の一で、現在陵墓参考地となっている。


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