-除夜の鐘- 

「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり・・・」。 
『平家物語』にも登場する梵鐘の役割は本来、時を知らせることだ。 
朝夕に撞かれ、法要の始まりを知らせてきた。 
「梵」はサンスクリット語の「ブラフマン」の音に由来しており、神聖、清浄を意味する。 
仏教伝来とともに日本に伝えられたといわれる。 

漢字学者・白川静(故人)さんの著作「字通」によると、「除夜」の「除」には、「はらう」とか「きよめる」「旧を去り、新を迎える」などの意味があり、「除夜」は、大晦日や節分前夜のことをいう。 
日本に根付いた風習を紹介した「年中行事の話」(香月乗光著)には、江戸時代の文献を引用し、大晦日の意義について「此の夜祖先白神を祭り家人集まりて飲食を共にし、以って一年を無事に送りえたことを歓びあひ、追儺を修する風のあったことを知る」とある。 

旧暦の大晦日は、冬から春へと季節が変わる日でもあった。 
陰から陽へと移り変わる際に煩悩を除くという考え方が生まれたのかもしれない。 

除夜の鐘の起源は、詳しく分かっていない。 
仏教大学文学部の安達俊英教授によると、中国の宋に起源があり、鎌倉時代に禅寺に伝わったといわれる。 
葬式や地蔵盆など、現在のような仏教行事が一般化したのは、室町時代からで「推測だが、室町時代に村の自治意識が高まり、宗教行事も自分たちで行おうとした。除夜の鐘も、そんな意識から室町時代に広がり始め、江戸時代に一般寺院でも行うようになったのであろう」という。 

心地よい重低音を響かせる梵鐘だが、現代は「受難の時代」でもあるようだ。 
右京区で梵鐘を鋳造している「岩澤の梵鐘」の岩澤一廣社長によると、最近の傾向として「寺院の周辺が宅地開発され、高い音だと苦情が出やすく、低い音にしてくれという注文が多い」と話す。 
「最近は鐘の受難の時代。大晦日には、百八回といわず、二百回、三百回と撞くお寺がある。四国霊場八十八ヵ所では、一日に千回というところもありますよ」と説明する。 

除夜の鐘で最もよく知られた寺院の一つが知恩院。 
東大寺(奈良市)、方広寺(東山区)と並び、日本三大梵鐘の大鐘(重文)がある。 
大晦日には「エーイ、ヒトーツ、ソーレ」の掛け声で、大綱、小綱を十七人の僧侶が上体を反らせ、最大限んの力を振り絞って、一分間に一回打ち鳴らす光景は有名だ。 

大鐘は1636(寛永十三)年の鋳造で、高さ三・三メートル、口径二・七メートル、厚さ〇・三メートルの国内最大級の鐘だ。 
戦時中の梵鐘の供出を免れたのも、大きすぎて持ち出せなかったという逸話が残る。 
除夜の鐘を撞く希望者が毎年三十人ぐらいいて、十二月二十七日の試し撞きで選抜される。 
鐘を打つタイミングや実際に鳴らした音、撞木に振り回されないかがポイントだそうだ。 

しかし、意外にその歴史は新しい。 
知恩院で除夜の鐘が始まったのは1930(昭和5)年から。 
NHKのラジオ中継の要請に答える形で始めたという。 
それまでは、宗祖・法然の命日に行う「御忌法会」が始まる前に鳴らすだけだった。 

知恩院の大鐘には有名なエピソードがある。 
相対性理論で知られるアインシュタイン博士が1922(大正11)年に知恩院に立ち寄った。 
大鐘の直下に立った後、鐘を打たせた。 
鐘の真下では、音波が相殺して無音の場所ができることを証明したのだという。 

国内で特に知られる梵鐘のうち、最古の梵鐘は妙心寺にある。 
また、日本三大梵鐘(東大寺・知恩院・方広寺)の二つが京都にあり、日本三名鐘(神護寺・平等院・三井寺)はすべて京都、滋賀に集中している。 

妙心寺の鐘は国宝で、現在は宝物館に展示している。 
複製品があり、塔頭住職らが31日午後11時から90回、1日午前5時から18回撞く。 
参拝者は見学だけで自分では撞けない。 

知恩院では、午後10時40分から僧侶が撞き始める。 
一般の参拝者は見学のみで、入場は同11時40分までに規制される。 

方広寺では108回まで参拝者も撞ける。 

「銘の神護寺」では鐘を鳴らしていない。 
「姿の平等院」は、約30年前に複製品を造り、当日は午後11時半に南門から入る。 
1打につき5,6人。 
本物の梵鐘(国宝)は宝物館に保管している。 
「音の三井寺」は、慶長年間鋳造の鐘を打つことができる。 
午前0時前から打ち始める。 
冥加料は二千円で、人数制限はない。 

108の煩悩に4つの説 

「煩悩」とは、仏教では心身を乱し、悩ませ、正しい判断を妨げる心の動きを言う。 
除夜の鐘で打ち消す百八つの煩悩とは、どんなものだろう。 
四つの説を紹介すると。 

T
人の体や動きを意味する六根(眼、耳、鼻、舌、身、意)と、三種(好、悪、平)を掛ける、 
心をけがす六塵(色、声、香、味、触、法)と三受(苦、楽、捨)を掛ける。 
掛けたものを足すと計三十六。 
さらに三世(過去、現在、未来)を掛けると百八になる。 


人生の苦悩の根本原因の四苦(生、老、病、死)と八苦(愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五陰盛苦、四苦)の語呂合わせで、四苦(4×9)と八苦(8×9)を足すと百八つになる。 

V
一年の気候を合計。 
十二カ月、立春や大寒などの二十四節気、旧暦で五日間を一候として一年を分けた七十二候を足すと百八つになる。 

C
倶舎宗では、煩悩を「見惑」(四つの真理をみることですぐに断たれる煩悩)と、「修惑」(修行によって断たれる煩悩)に分ける。 
見惑は十の根本煩悩に分けられ、それぞれ俗界、色界、無色界の三つの境遇があり、その三つの境遇には、苦諦、集諦、減諦、道諦、の四種類がある。 
すべてを掛け合わせると百二十だが、そのうちに除かれるものがあり、さらに修惑の三つの界を足すと九十八。 
それに心を縛って修繕を妨げる十纏を加えて百八つとなる。 

Uは数字のこじつけのようにも聞こえるが、あとの三つはそれぞれに根拠がありそうだ。 

「教義に合わぬ」 東西本願寺は鳴らさず 

妙心寺、延暦寺など、仏教教団でも「除夜の鐘」は鳴らされるが、不思議と東西両本願寺は鳴らさない。 
「教義に合わない」というのが理由らしい。 

東本願寺(真宗大谷派本山)にも立派な梵鐘がある。 
阿弥陀堂の前に、1604(慶長9)年に鋳造された梵鐘があり、毎朝、日の出の頃に鳴らされたり、儀式や法要、時刻を知らせている。 

同派教学研究所員の竹橋太さんによると、そもそも、同派では108つの煩悩を除くという考え方をしないという。 
「煩悩があると分かることが親鸞さんの教えで、煩悩を打ち消すということはありえない。だから108の煩悩を払うという思想がない。煩悩をなくすことがいいことだという答えを求めるが、答えを求める自分が煩悩なんだと。自分は煩悩以外の何者でもない。だから煩悩を絶つことはないのです」。 
西本願寺(浄土真宗本願寺派)でも同様に、除夜の鐘を鳴らしていない。