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幕末の志士、坂本竜馬を暗殺した刺客について四十年にわたり研究を続けている西尾さん(76)が総集編を自費出版
まだ状況証拠ではあるが、犯人は薩摩藩士の中山半次郎に違いないと持論を展開
一部千円(送料込み)
問合せ先は п@075-801-6538
・ 彦根藩邸跡
中京区西木屋町六角 − 藩主井伊直弼は、安政一年四月に京都警備を命じられる・ 春日潜庵墓(宝蔵寺)
右京区鳴滝泉谷町 − 安政の大獄で捕らえられたが、後年は奈良県知事を勤める・ 柳川星巌邸跡
左京区川端丸太町上る − 「鴨沂小隠」と称する住居を構える・ 柳川星巌墓(霊山護国神社)
東山区清閑寺霊山町 − 大獄の直前に死亡。死(詩)に上手と称される・ 間部詮勝宿舎跡
中京区寺町押小路上る − 反幕派を押さえるため老中間部は入洛・ 尊攘堂(京大構内)
左京区吉田本町 − 品川弥二郎が吉田松陰の遺志に基づいて建設・ 大覚寺
右京区嵯峨大沢町 − 子守り娘に百人一首を教えていた少女(村岡)が、近衛家の者の目にとまる・ 直指庵
右京区嵯峨北の段町 − 寂れていた同庵を村岡局が再興した・ 村岡局像
右京区嵯峨亀ノ尾町 − 亀山公園内・ 村岡局墓
直指庵・ 成就院(清水寺塔頭)
東山区清水一丁目 − 月照縁の院・ 月照・信海・西郷詩碑(清水寺)
本堂と成就院の間にあります・ 近藤正慎碑(清水寺)
月照と共に蔵海上人に弟子入り・ 近藤正慎碑(青龍寺)
東山区八坂上町 − 還俗して寺務に携わっていた正慎も捕らえられる・ 春光院
東山区下河原町 − 寺を出た月照は同院などに隠れ住み、西郷らと密議を重ねる・ 忠僕茶屋(清水寺)
帰洛後月照の墓守をした重助は、寺に許され境内で茶店を営んだ・ 舌切茶屋(清水寺)
正慎は獄中で舌を噛み切って自害、寺は残された妻子のために茶店を営ませた・ 郭公亭跡(清閑寺)
東山区清閑寺山ノ内町 − 鐘楼山手にあった茶室郭公亭も月照らの遺跡・ 九条家跡
上京区京都御苑内 ー 反幕攘夷派だった関白九条尚忠は、大老井伊に切り崩され変心した・ 神光院茶所
北区西賀茂神光院町 − 明治初期の女流歌人太田垣蓮月の晩年の隠棲地・ 下村家住宅
伏見区醍醐落保町 − 知恩院・岡崎と転々とした蓮月尼は、一時醍醐寺の南にも住まいした・ 蓮月尼墓
北区西賀茂鎮守庵町 − 蓮月尼から贈られた歌に心打たれた西郷は、無血開城に努めたという・ 梅田雲浜像
三条京阪東南角・ 梅田雲浜邸跡
中京区烏丸御池上がる東側 − 京都所司代で元藩主酒井忠義の命で捕らえられ、江戸へ送られた・ 葉山観音堂
左京区一乗寺葉山町 − 「拾う木の葉の積もる間」も無き生活苦であった・ 梅田雲浜旧跡(葉山観音堂)
仲睦まじい雲浜夫妻であった・ 梅田雲浜墓(安祥院)
東山区五条東大路東入 − 雲浜元服時の前髪と、先妻信子との合葬墓・ 葵忠社(車折神社)
右京区嵯峨朝日町 − 嵯峨の総年寄りで長州藩に尽くした福田理兵衛を祀る・ 青蓮院
東山区粟田口三条坊町 − 青蓮院宮(中川宮)尊融親王は「8・18政変」では主役を演じる・ 藤井右門邸跡
上京区烏丸上立売上る − 江戸中期の勤王家藤井右門は、明和事件で獄門となった・ 山紫水明処
上京区三本木通丸太町上る − 三樹三郎の父頼山陽の書斎跡・ 頼三樹三郎住居跡
中京区河原町三条上る東入・ 頼三樹三郎墓(長楽寺)
東山区円山公園 − 三樹三郎は、父山陽や柳川星巌から尊攘思想を受け継いだ・ 梨木神社
上京区寺町広小路上る − 三条実万・実美の業績を称えて、その旧宅地跡に創建された・ 忠成公隠棲碑
左京区一乗寺堀ノ内町 − 三条実万終焉の地で、「忠成」は明治天皇による追諡・ 橋本佐内寓居跡(京都国際ホテル)
中京区堀川二条下がる − 慶喜擁立に働いた佐内も、大獄で犠牲に・ 維新の道
東山区下河原町 − 坂道を上ると、幕末・維新の志士達を祀る京都霊山護国神社がある・ 翠紅館跡(料亭京大和)
東山区桝屋町 − 西本願寺東山別院跡で、尊攘派志士達の会合場所であった・ 龍馬坂(料亭京大和南裏)
二年坂を東へ折れ、正法寺へと続く坂道・ 垂加社(下御霊神社)
中京区寺町丸太町下る − 闇斎が生前自らの霊を祀った生祠・ 明保野亭跡(料亭京都坂口南側)
東山区清水三丁目 − 「池田屋事件」後、新撰組などが踏み込んだ・ 柴司墓(金戒光明寺)
左京区黒谷町 − 会津藩墓地に、「明保野亭事件」で責任を取り切腹をした柴を葬る・ 浅見絅斎邸跡(京都大丸北)
中京区錦小路高倉西入る − 絅斎は、門弟6000名という崎門派の三傑の一人・ 八坂神社
東山区祇園町北側 − 江戸出発に先立ち和宮は同社に参詣、京都に別れを告げる・ 胎範石
上京区京都御苑内 − 和宮の遺徳を偲んで建立された記念碑・ 薩摩藩二本松邸跡(現在の同志社大学)
上京区今出川烏丸東入 − 西郷と桂が薩長同盟を結んだ・ 薩摩藩京屋敷跡
中京区東洞院錦小路下る − 島津久光は、伏見屋敷から西魚屋町の京屋敷へと入った・ 薩摩藩伏見屋敷
伏見区東堺町 − 鳥羽・伏見の戦いで会津勢の手で焼かれた・ 寺田屋
伏見区南浜町 − 「寺田屋事件」や慶応二年一月の坂本龍馬襲撃事件で有名・ 薩摩藩九烈士遺跡(寺田屋旧地)
伏見区南浜町 − 久光の「上意」による同士討ちで寺田屋は、修羅場となる・ 薩摩藩九烈士墓(大黒寺)
伏見区鷹匠町 − 「寺田屋事件」で倒れた九名は、薩摩寺とも称される同寺に葬られた・ 寺田屋お登勢墓
伏見区鷹匠町 − 六代目女将登勢は、龍馬の願いでお龍を引き受けた・ 長州藩伏見屋敷跡
伏見区・寺田屋の南方 − 「禁門の変」では、福原越後率いる一隊が分営・ 荒神橋
左京区 − 「禁門の変」の後、非常の際に天皇の鳳輦を鴨東へ移すため、西本願寺が五万両を費やして築いた橋で、「勤王橋」とも称される・ 京都守護屋敷跡
上京区下立売新町西入る − 御用屋敷、南には添屋敷・ 金戒光明寺
左京区黒谷町 − 会津藩松平容保は、ここを本陣とした・ 会津小鉄墓
金戒光明寺塔頭・西雲院 − 会津小鉄は幕末・明治の侠客。会津藩の下で働く・ 旧京都守護屋敷門
左京区岡崎西天王町 − 武徳殿の南に移築・ 善導寺
中京区二条木屋町 − 薩摩の田中新兵衛らに襲われた島田左近は、この寺付近で斬られた・ 四条大橋
北付近 − 島田左近の首は、川岸に青竹に突き刺して晒された・ 村山たか潜伏
下京区島原 − 長野主膳の下、安政の大獄で活躍したたかも襲われた・ 円光寺
左京区一乗寺小谷町 − 生き晒しにされていたたかは、宝鏡寺の尼僧に救われ、円光寺で得度した・ 金福寺
左京区一乗寺才形町 − 妙寿尼となった村山たかは、円光寺から移り住み、晩年を過ごした・ 円光寺
左京区一乗寺小谷町 − 境内山手の墓地に、明治九年に没したたかの墓がある・ 村山たか建立の弁天堂(金福寺)
左京区一乗寺才形町 − 井伊直弼や長野主膳らの冥福を祈りながら、波瀾の生涯を閉じる・ 粟田口碑
東山粟田口 − 三条大橋に誘き出された帯刀は捕らえられ、ここ粟田口で斬られた・ 三条大橋
三条川端 − 尊攘派志士の「天誅」を受けた者の多くが、この橋の付近に晒された・ 本間精一郎遭難の地
中京区木屋町四条上る − 尊嬢派同志によって「天誅」される・ 檀王法林寺付近
東山区川端三条上る − 「猿の文吉」と渾名された目明し文吉は、三条河原に晒される・ 方向寺門前
東山区正面大和大路 − 元治一年五月、会津藩士松田鼎の首が晒された・ 京都東町奉行所跡
中京区押小路神泉苑西入・ 京都所司代跡
上京区丸太町猪熊西入 − 所司代は二条城を管理し、朝廷に関する一切を取り仕切った・ 京都西町奉行所跡
中京区千本押小路上る − 守護職・所司代とともに王政復古で廃された・ 東本願寺
下京区烏丸七条上る − 同寺を宿所としていた慶喜のもとに、賀川肇の首が送りつけられる・ 水戸藩邸跡
上京区下長者町烏丸西入 − 安政五年八月の密勅は、留守居役鵜飼吉左衛門が受け取る・ 土佐藩邸跡
中京区蛸薬師木屋町西入る − 百万遍と伏見南浜にも藩邸あり・ 吉村寅太郎・武市瑞山寓居跡
中京区木屋町三条上る − 武市の宿丹虎の娘と吉村は恋仲だったという・ 土佐稲荷・岬神社
中京区蛸薬師河原町東入 − 土佐藩邸の鎮守社で、龍馬の小像が立っている・ 佐久間象山・大村益次郎遭難の地案内碑
中京区三条小橋北東畔・ 佐久間象山寓居跡
中京区木屋町御池下がる − 開国論を説く象山は攘夷派に狙われた。三度目の寓居跡・ 大村益次郎寓居跡
中京区木屋町押小路下がる − 不平士族・旧長州藩騎兵隊士ら八名に襲われる・ 佐久間象山墓所
右京区花園大薮町 − 妙心寺塔頭大法院にあり・ 若狭酒井屋敷跡
中京区御池神泉苑町 − 慶喜は、二条城南の酒井邸に引っ越した・ 等持院霊光殿
北区等持院北町 − 上洛する将軍を足利氏に擬えたのが「足利三代将軍木像梟首事件」・ 新門辰五郎寄進の狛犬(出世稲荷神社)
上京区千本竹屋町下る − 辰五郎の娘芳は、慶喜の側室であった・ 新門辰五郎寄進の常夜燈(北野天満宮)
上京区馬飼町 − 配下二百名を率いた辰五郎は、慶喜の警固にあたる・ 山国隊寄進の常夜燈(北野天満宮)
丹波山国郷の郷士が、西園寺公望の要請で結成したのが山国隊・ 福井藩邸跡(京都国祭ホテル)
東堀川二条下がる − 幕末の藩主松平慶永は横井小楠を招き、藩政改革を行った・ 横井小楠遭難の地
中京区寺町丸太町下る − 岩倉具視の頼みで、小楠は新政府参与となった・ 横井小楠寓居跡
中京区高倉竹屋町上る − 横井小楠は新政府に招かれて上京・ 横井小楠墓所(南禅寺塔頭天授庵)
左京区南禅寺福地町 − 正月参賀の帰路、小楠は刺客によって斬殺された・ 上賀茂神社
北区上賀茂本山町 − ここ細殿で天皇は、将軍に親しく盃を下された・ 下鴨神社
左京区下鴨泉川町 − 行幸列の華麗さの裏に、公武・尊攘双方の抗争を孕んでいた・ 石清水八幡宮
八幡市八幡高坊 − 天皇からの「攘夷の節刀」授与を避けるため、幕府は巧みにこれをスッポカした・ 姉小路公知墓所(清浄華院)
上京区寺町広小路上る − 公家諸家や、幕末の国学者玉松操の墓などがあり・ 猿ケ辻
京都御所北東角 − 姉小路卿襲撃犯として調べられた薩摩の田中新兵衛は、喉を突いて自害した・ 妙法院
東山区妙法院前側町 − 「8・18政変」で追われた七卿達は、雨のなか長州へと落ちて行った・ 古高俊太郎住居跡
中京区木屋町四条上る − 古高は割木商を隠蓑に、尊攘派志士達と交わった・ 古高俊太郎墓(京都霊山護国神社)
「禁門の変」の大火で、六角獄舎で新撰組に殺された・ 池田屋跡
中京区河原町東入 − 尊攘派志士のうち七名が斬られ、二十三名が逮捕、後日に七名が死亡した・ 三縁寺旧地付近
東山区縄手三条下がる − 「池田屋事件」の犠牲者を葬ったところ・ 三縁寺墓地
左京区岩倉花園町 − 「池田屋事件」犠牲者の墓がある・ 吉田稔麿らの碑(三縁寺墓地)
左京区岩倉花園町 − 松下村塾の四天王と称され、久坂玄瑞を助けて活躍した・ 宮部鼎蔵・松田重助墓(三縁寺墓地)
左京区岩倉花園町 − 宮部は討ち死に、松田は後日会津兵に殺された・ 新徳寺
中京区坊城通綾小路下がる − 清河八郎は同寺に浪士組全員を集め「尊攘が大義」と大演説した・ 壬生寺
中京区坊城通綾小路下る − 新選組の屯所跡ではないが、隊士達が訓練場とした・ 壬生塚(壬生寺)
中京区坊城通綾小路下る − 近藤勇の胸像や遺髪塔、芹沢鴨や河合耆三郎の墓などがある・ 近藤勇像(壬生寺)
中京区坊城通綾小路下る − 天然理心流の使い手で、愛刀「虎徹」・ 芹沢鴨・平山五郎墓(壬生寺)
中京区坊城通綾小路下る − 二人は土方歳三・沖田総司らによって屯所の八木邸で斬殺された・ 八木邸(京都鶴屋)
中京区坊城通綾小路下る − 新選組屯所の一つ・ 旧前川家邸
中京区坊城通綾小路下る − 屯所跡。山南敬介切腹の場所・ 光縁寺
下京区綾小路大宮西入る − 沖田総司の恋人か、という「沖田氏縁者」の墓もある・ 山南敬介墓(光縁寺墓地)
下京区綾小路大宮西入る − 近藤と不仲になった前副長山南は組を脱走、沖田に捕らえられた・ 角屋
下京区西新屋敷揚屋町 − 旧島原遊郭の揚屋・ 久坂玄瑞密議の角屋碑(角屋前)
下京区西新屋敷揚屋町 − 久坂の愛人桔梗屋お辰(辰路)は、島原の芸妓であった・ 輪違屋
下京区島原中之町 − 旧島原遊郭の置屋。芸妓糸里は芹沢暗殺の巻き添えとなった・ 島原西門
下京区島原下之町 − 「大門」のみが出入り口であったが、幕末には西門が造られた・ 上七軒
上京区真盛町他 − 村山たかの息子多田帯刀の愛人照香は、この遊郭の芸妓であった・ 先斗町
中京区 − 新選組や志士達も闊歩・ 不動堂屯所跡付近
下京区油小路塩小路下る − 新選組の京都市中最後の屯所が設けられた・ 西本願寺
下京区堀川花屋町下る − 長州と縁が深い同寺は幕府方に睨まれ、一時新選組が屯所として占拠した・ 油小路七条
下京区油小路七条 − この辻に放置された伊藤の亡骸を引き取りにきた藤堂平助らも斬殺された・ 本光寺
下京区油小路木津屋橋上がる − 大石鍬次郎らに襲われた伊東甲子太郎は同寺門前で絶命した・ 御陵衛士屯所跡(月真院)
東山区下河原町 − 新選組を離脱した伊東らは御陵衛士を拝命した・ 伊東甲子太郎墓(泉涌寺塔頭戒光寺)
東山区泉涌寺山内町 − 運命を共にした藤堂・伊東・毛内有之助の墓・ 宝積寺
大山崎町銭原 − 長州兵や浪士隊を率いる参謀真木和泉は、同寺を本陣とし、京を望んだ・ 十七烈士の墓
大山崎町天王山 − 敗北した真木ら忠勇隊は山中に陣するが力尽き、火中に自刃した・ 天王山
大山崎町 − 近藤勇は会津兵・新選組・見廻組などを指揮し、天王山の真木らを攻めた・ 天竜寺
右京区天竜寺坊ノ馬場町 − 長州勢が退却した後、追撃してきた薩摩勢の兵火で、天竜寺の大部分は焼亡した・ 蛤御門
京都御苑内 − 新在家門といい閉門されていたが天明の大火で門を開き、蛤御門と称された・ 柳馬場二条上る
中京区 − 益田・久坂らの山崎隊は、堺町御門目指してここを北上した・ 長藩士戦亡霊塔(相国寺)
上京区相国寺門前町 − 「禁門の変」で倒れた長州藩士を葬る・ 長州藩士首塚標(上善寺)
上京区上善寺門前町 − 交戦した越前藩が、入江九一ら八名を葬った・ 久坂玄瑞らの墓
京都霊山護国神社 − 久坂は流れ弾に当たり、自決した・ 薩藩戦死者墓
上京区上立売寺町西入る − 「禁門の変」から戊辰戦争に至る七十二名の戦没者碑・ 六角獄舎跡
中京区六角通神泉苑西入 − 平野国臣ら志士三十三名が斬殺された。三条新地牢屋敷が正称・ 平野国臣らの墓(竹林寺)
上京区下立売通御前西入る − 処刑された遺骸を埋葬しなおしたもの・ 平野国臣墓
京都霊山護国神社 − 文久三年十月生野挙兵に失敗、六角獄舎に送られた・ 桂小五郎・幾松寓居跡
中京区木屋町二条下がる − 幾松は、潜伏する桂の行動を献身的に支えた・ 桂小五郎像
中京区河原町御池上がる − 桂(後の木戸孝允)は、なかなか薩長同盟の席につかなかった・ 三本木遊郭跡
上京区東三本木通丸太町上る − 幾松(後の松子)は、若狭小浜の出身で、三本木の芸妓であった・ 木戸孝允邸跡碑(旅館石長)
中京区末丸町 − 木戸孝允別邸の西に二基建立・ 木戸孝允別邸跡
中京区末丸町 − もと近衛家下屋敷。木戸は明治十年ここで没した・ 木戸孝允墓
京都霊山護国神社 − 境内山頂に夫人松子と共に眠る・ 坂本龍馬寓居跡(酢屋)
中京区河原町三条下がる東入る − 龍馬はここを海援隊屯所とした・ 龍馬通(酢屋前)
− 河原町通から木屋町通に至る「酢屋」前の通り・ 龍馬通り
伏見区寺田屋の東 − 蓬莱橋から北へ延びる約130メートルの商店街の愛称・ 坂本龍馬・中岡慎太郎遭難の地
中京区河原町通蛸薬師下る − 近江屋の面影を留めるものは何もない・ 中岡慎太郎寓居跡
中京区河原町通四条上る − 石碑は鉄扉の奥・ 見廻組渡辺篤墓所(教善寺)
上京区下立売七本松西入る − 渡辺は、佐々木只三郎らと共に龍馬・慎太郎を暗殺・ 坂本龍馬・中岡慎太郎像
京都霊山護国神社 − 墓前に建立・ 坂本龍馬・中岡慎太郎像
東山区 − 円山公園内・ 坂本龍馬・中岡慎太郎墓
京都霊山護国神社 −・ 霊山歴史館
東山区清閑寺霊山町 − 幕末・維新の資料館として昭和45年に開館・ 中井庄五郎殉難の地
下京区油小路花屋町下る − 中井は、龍馬暗殺の報復劇「天満屋事件」での犠牲者・ 孝明天皇後月輪東山陵
東山区泉涌寺南東 − 容態の急変による天皇の死は、毒殺説が流布するなど波紋を投げかけた・ 平安神宮
左京区岡崎 − 平安遷都の桓武天皇と京都最後の孝明天皇を祭神とする・ 祐ノ井
京都御苑 − 祐宮(明治天皇の幼名)誕生の中山忠能邸跡。生母慶子は忠能の娘・ 明治天皇伏見桃山陵
伏見区桃山町 − 東に昭憲皇太后陵が、北西には桓武天皇陵が鎮まる・ 原市之進墓(長楽寺)
慶喜の腹心として兵庫開港に努めたが、慶応三年暗殺された・ 岩倉具視幽棲旧邸・鄰雲軒
左京区岩倉上蔵町 − 文久二年蟄居を命じられた岩倉の住居跡・ 対岳文庫
幽棲旧邸 − 「赤坂喰違事件」の衣服など岩倉の遺品や、維新資料などを展示・ 具視遺髪塚
幽棲旧邸 − 五年間の追放中にも岩倉は、討幕・王政復古を画策していた・ 霊源寺
北区西賀茂北今原町 − 岩倉家出身の一絲文守が開山。岩倉具視は縁の同寺で落飾した・ 二条城
中京区堀川押小路上る西側 − 慶応三年十一月十三日、将軍慶喜は諸藩重臣を二条城に集め、大政奉還を諮問した・ 小枝橋
伏見区・南区 − 鳥羽街道を北上してきた旧幕軍に、小枝橋から竹田一帯を占めた薩摩軍の砲が火を吹き、戊辰戦争が始まった・ 戊辰東軍戦死者碑(法伝寺)
伏見区下鳥羽三町 − 小枝橋から南へ約1.5キロの地・ 鳥羽伏見戦跡碑
小枝橋東方 − 薩軍4門の砲火と小銃の弾の雨の中、見回り組み500名は自刃を翳して突撃・ 安楽寿院
伏見区竹田内畑町 − 鳥羽上皇縁の同寺も、薩軍前線の本営とされた・ 城南宮
伏見区中島宮ノ後町 − 竹田街道から小枝橋西畔まで、薩軍は横一線の防禦陣を敷いた・ 鳥羽伏見戦跡碑(鳥羽離宮跡公園)
伏見区御所ノ内町 − 壮麗を極めた鳥羽離宮のことも記してある・ 伏見の戦跡碑(御香宮神社)
伏見区御香宮門前町 − 薩軍を主力とする西軍は、同社を拠点とした・ 龍雲寺
伏見区桃山毛利長門東町 − 高台にある同寺に据えた西軍の砲が奉行所を狙い撃った・ 京料理魚三楼(弾痕を残す表格子)
伏見区京町三丁目 − 同家は西軍の料理方を務めた・ 伏見奉行所跡
伏見区西奉行町 − 会津兵・新選組の死闘も空しく、本宮の奉行所は焼け落ちた・ 戊辰の役東軍戦死者碑(悟真寺)
伏見区榎町 − 子爵榎本武揚題字の碑・ 悟真寺
伏見区榎町 − 東軍司令西郷常次郎ら六十四名の戦死者が葬られている・ 砲弾が飛び込んだ本堂(妙教寺)
伏見区納所北城掘 − 後退する東軍の砲弾が壁を破った・ 戊辰の役東軍戦死者碑(妙教寺)
伏見区納所北城掘 − ここ納所で大敗した東軍は、更に南の淀へと退いた・ 戊辰の役東軍戦死者埋骨碑
伏見区納所外島 − 妙教寺西の千本通を北へ約1キロの地・ 東軍西軍激戦の碑(京都競馬場北東)
伏見区納所下野 − 最後の激戦地・淀を語る碑・ 淀城跡
伏見区淀本町 − 現職老中稲葉正邦の淀藩は東軍に門を閉ざし、官軍についた・ 東寺
南区九条町 − 一月四日錦旗を戴いた仁和寺宮が東寺本宮に入り、薩長主力の西軍は「官軍」となった・ 東福寺
東山区本町十五丁目 − 伏見街道防衛を命じられた長州藩は、東福寺を本営とした・ 防長藩士墓所への案内碑
東福寺 − 南門の東方、仲恭天皇陵とその西の長州藩墓地を示す・ 退耕庵
東福寺塔頭 − 同庵は長州藩の屯所とされ、その戦没者の菩提所となっている・ 防長忠魂碑
東福寺 − 石川厚狭介以下四十八名の戦死者名を記す。国宝山門の東側・ 長州藩墓地
東福寺 − 壮烈な戦死を遂げた司令石川厚狭介以下四十八名の墓碑が並ぶ・ 鹿児島藩招魂碑案内碑
東福寺 − 塔頭即宗院裏山の招魂碑(東征戦亡碑)を示す石柱・ 崇忠の碑(長州藩墓地)
東福寺 − 戊辰戦争での長州藩戦没者の功を刻んである- back -