■■■ 宮中行事

◎印は「群書類従」の<公事部>によって、平安時代の主要公事(宮中の行事)を抄出したものである。
中には、一般の行事と重なるものもある。
武家・民間行事も適宜あげた。
*印は五節会、▼印は五節供を示す。

一月】【二月】【三月】【四月】【五月】【六月】【七月】【八月】【九月】【十月】【十一月】【十二月

■ 一月

四方拝 (元日)◎
寅の刻(午前四時)に清涼殿の東庭で、天皇が天地四方の神々と先祖代々のみたまを遥拝され、年災を祓い、国家の幸いを祈られる儀式。
嵯峨天皇の時代から行われていたという

朝賀 (元日)◎
辰の刻に天皇が大極殿で群臣からの賀を受けられる儀式。
「朝拝」に同じ。

元日節会 (元日)◎
午後より元日を祝い天皇が豊楽院(後には紫宸殿)におでましになり、群臣に宴を賜う儀式。
(天皇が群臣に賜う宴を節会という)

歯固 (元日から三日まで) ◎
天皇の長寿を願い、鏡餅・大根・瓜・押鮎・猪肉・鹿肉などを献上。

朝覲行幸 (二日または三・四日) ◎
天皇が年の始めに太上天皇(上皇)・皇太后の宮(母后の宮)に威儀を整えて行幸し、年始のあいさつをされる儀式。
承和元年(834)正月二日、仁明天皇の年頭の行幸から始まったといわれている。

叙位 (五日または六日) ◎
天皇自らが、五位以上の位階を授ける儀式。
「加階」ともいう。

白馬節会 (七日) *◎
宮中にひかせて来た青駒を天皇が御覧になり、後に宴を賜る。
中国から渡来した風習で、淳仁天皇天平宝字二年(758)大伴家持の歌(万葉集4492)にみえる。
青は春の色で、これを見ると年中の邪気祓いになるといわれる。
平安時代から白馬に代えたがやはり「あおうま」と読む。
豊楽院または紫宸殿の前庭で行う。

七草 (七日) ▼◎
七草の節供ともいう。
春の七草を入れて粥をたく。
これを食べると万病を除き、邪気を払うといわれている。
なお、この七日を人日(じんじつ)といい、五節供の一つとしている。

女叙位 女王禄 (八日) ◎
女官に位を賜る。
女叙位は中務省が取り扱い、隔年ごとに行われた。
女王禄は、紫宸殿で女王に絹・綿などの禄を賜う儀式。

県召除目 (十一日から十三日まで) ◎
「下官の除目」ともいう。
地方官(下官)である国司(受領)の任命が行われる儀式。
また、秋に行われる司召除目に対して、県召除目を「春の除目」ともいう。
除目とは前官を除き新官を目する義で、官吏の任官式のことである。

踏歌節会 (十四日または十五日を男踏歌・十六日を女踏歌) *◎
万歳楽・延喜楽・催馬楽などの祝歌を歌いながら、足で地を踏み拍子をとり三周して退出する舞の儀式。
紫宸殿で天皇が御覧の後、宴を賜る。

射礼 (十七日) ◎
建礼門の前で、親王以下五位以上の者ならびに六衛府の官人が弓を射るのを天皇が豊楽院に出て御覧になる儀式。

賭弓 (十八日) ◎
弓場殿で左右近衛府・兵衛府の舎人が弓の技を競うのを、天皇が御覧になる儀式。

内宴 (二十日、または二十一、二、三日の子の日) ◎
仁寿殿に天皇がおでましになり、文人を招き、大臣奏上の題によって文人に詩文をつくらせ、御前で読みあげさせる。
平城天皇大同四年(809)が始まりかという。

子日宴 (上の子の日) ◎
正月に丘に登り四方を望むと、陰陽の生気を得て煩悩を除くという思想によって行われた行事。
民間で行われていた若菜摘みの慣習がこれに取り入れられた。

卯杖 卯槌 (上の卯の日)
卯杖は、卯の日に大学寮のちに六衛府から朝廷に献上する杖。
桃・梅・柳・椿などの木を五色の糸で巻いた杖で、邪気を祓うまじないである。
また、卯槌は、卯の日に糸所から朝廷にさしあげた槌。
これも邪気を祓うまじないである。

小朝拝 ◎・恵方諸社詣(元日)・鏡餅・御薬◎(元日から三日)・二宮大饗◎・武家諸事始・初荷(二日)・臨時客◎(二日から五日)・望粥節供◎・御薪◎・左義長(十五日)・薮入(十六日)・節分(不定)


 
■ 二月

祈年祭 (四日) ◎
神祗官や国司の庁で行われた、その年の五穀豊穣を祈る祭。
文武天皇慶雲三年(707)から始まったが、後に中絶、明治二年(1869)再興。

二月堂修二会(一日から十四日)・涅槃会(十五日)・積奠(上の丁の日)◎・春日祭(上の申の日)・初午(上の午の日)・彼岸会(春分の日)◎

■ 三月

司召除目 (三日または三日以前、あるいは秋・冬) ◎
京官除目とも書く。
在京諸官の官吏を任命する儀式。
司召除目は、はじめ三月に行われていたが、平安時代中期から秋に行われるようになったので、「秋の除目」ともいう。

曲水宴 上巳(雛祭) (三日) ▼◎
清涼殿の東庭に文人を招して詩を作らせ、御前で読みあげさせる儀式。
曲水とは水の辺りの意で庭の御溝水に酒を入れた杯が自分の前を流れすぎぬうちに歌を詠んだ。
また、この日を「上巳の節供」ともいい、雛人形・調度・草餅などを供えて祭った。
これは周の幽王が曲水の宴を催した時、廟に草餅をそなえたところから天下が治まった故事が平安朝に伝えられたとも、辰の月ゆえ、辰と巳が重なるのを忌み、最初の巳の日(上巳)に禊祓を行い、人形を川に流した行事が起源であるともいわれている。

奉公人出代(五日)・嵯峨大念仏(六日から十五日まで)・石清水八幡臨時祭(中の午の日)

■ 四月

更衣 (一日)
この日から、冬の装束を夏の装束に改める。
几帳その他の調度もすべて夏向きにかえる。

孟夏旬 (一日) ◎
夏と冬の季節のはじめに、朝臣を召されて、宴を賜る。
夏は孟夏の旬といい、冬は孟冬の旬(十月一日)という。
二孟旬とはその総称である。

灌仏 (仏生会) (八日) ◎
釈迦誕生日の法会である。
清涼殿の昼の御座をとりのぞき、そのあとに灌仏台を立て、釈迦像に五色の水を三度注ぐ。
釈迦が誕生された時、天から龍があらわれて甘露をそそいだといういわれにちなむ。
浴仏ともいう。
推古天皇十四年(606)から始まるという。

賀茂祭 (中の酉の日)
山城国の賀茂神社の祭。
祭といえば、この祭を指す。
当日、冠や牛車・桟敷の簾などを賀茂葵で飾ったところから葵祭ともよぶようになった。
石清水八幡宮の放生会を「南祭」というのに対して「北祭」ともいう。
欽明天皇の御代から毎年中の酉の日に行われ、天智天皇六年(666)官祭となった。
天皇は紫宸殿におでましになり、勅使の一行を御覧になった。
明治十七年(1884)以降は陽暦五月十五日に行っている。

擬階奏(七日)◎・安居(十五日から七月十五日)◎・駒牽(二十八日)◎・斎院御禊(中の午の日)◎

■ 五月

端午節会 ▼◎ 薬玉◎ 騎射◎ 賀茂競馬(五日)
端は初、午は五に通じ、五月上の午の日、五日の意。
古来五月は悪月と呼び、午の日は特に忌んで邪気を祓い、延命を願った。
武徳殿に天皇がおでましになり、群臣に宴を賜うた。
式に参列する者は邪気除けの菖蒲を冠にかけ(あやめのかづら)、典薬寮からも菖蒲を献上した。
また、群臣には邪気祓い延命のため薬玉を賜うた。
宴が終わると近衛の騎射・競馬が行われた。
この競馬の風習が、神社に伝わったのが、上賀茂神社の「賀茂競馬」(陽暦六月五日)である。
端午の起源は古く中国にあるが、飛鳥時代には我が国にも伝わり、この節会は奈良朝にすでに行われていた。

菖蒲献上(三日)◎・賑給(吉日)◎

■ 六月

御贖物 (一日から八日まで) ◎
天皇の朝餉(御朝食)の際、御天勝(小さな人形)をお供えして、天皇御自身のけがれを祓う儀式。
十一月にも行われる。

月次祭 (十一日) ◎
神祗官が全国の天神地祗三百四座を祭り、天皇の寿福と国家の安泰を祈る祭儀。

大祓 (節折・水無月祓・名越祓) (三十日) ◎
半年の終わりとして、罪やけがれを祓う儀式。
宮中では「節折」といって、天皇・皇后・東宮の背丈を竹の枝を折って測り、けがれを祓い安穏を祈る儀式が行われた。

忌火御飯(一日)◎・祗園会(七日から十四日、今は陽暦七月十日から二十九日)・施米(吉日)

一月】【二月】【三月】【四月】【五月】【六月】【七月】【八月】【九月】【十月】【十一月】【十二月】

■ 七月

乞巧奠 (七夕) (七日) ▼◎
七月七日の夜、牽牛・織女の二星を祭り、染色・裁縫・詩歌・音楽などの技芸が巧になるように祈る儀式。
清涼殿の東庭で、四つの机に供え物を置き、夜通し香をたいて二星に手向け、詩歌の宴が行われた。
中国から伝来した行事であるが、我が国では『日本書紀』持統天皇五年(670)の条に初出する。
民間では「七夕」として早くから行われていた。

盂蘭盆 ◎ 中元 (十五日)
清涼殿で御供物を供え、天皇が参拝される。
死者の霊を慰め、諸仏を供養する行事である。
もと盂蘭盆は梵語で、中国では救倒懸と訳されていた。
釈尊の弟子目蓮の亡母が、餓鬼道に落ち、さかさまにつるされて(倒懸)、責め苦にあっていたのを、目蓮が仏から成仏して救われたという故事にちなむ。
中元は元来道教に基づく行事だが、のち盂蘭盆と習合した。

相撲節 (二十六日か、二十八日。小月は二十五日) ◎
近衛府が全国に「相撲の使ひ」を出して力士を集め、二十六日に仁寿殿で内取り、二十八日に紫宸殿で召し合わせがあり天皇が御覧になる行事。
この節会は奈良朝から藤原時代まで盛大に行われた。

草市(十二日)・迎火(十三日)・送火(十六日)・薮入(十六日)・地蔵盆(二十四日)

■ 八月

岩清水放生会 (十五日)
石清水八幡宮の例祭。
「南祭」ともいう。
山上に鳥を、社前に鯉を放って殺生を禁じた。

仲秋観月 (十五夜) ◎
仲秋名月・三五夜の月とも呼ばれる満月を観賞する。
宮中では、宇多天皇寛平九年(897)、清涼殿の東庭で月見の宴が催され、御歌が詠じられたのが始まりという。

八朔(一日)・奉公人出代(二日)・釈奠(上の丁の日)◎・定考(十一日)◎・駒牽(十六日)◎・彼岸会(秋分の日)

■ 九月

重陽 (九日) ▼◎
九日の節供・菊の節供ともいう。
宮中では群臣を召されて、紫宸殿で菊見の宴が催される。
天武天皇十四年(686)から始まったという。
中国の菊花の宴をならったものである。
九月九日は陽数の九が重なるゆえ重陽という。
十月五日には残菊の宴がある。

十三夜月見(十三日)・皇大神宮神嘗祭(十七日)◎・司召除目(不定)◎

■ 十月

更衣 (一日)
装束や調度類を冬物にかえる。

玄猪 (上の亥の日)
万病を除くためとして、上の亥の日の亥の刻に内蔵寮から「亥の子餅」を奉る。

残菊の宴 ◎・射場始 ◎・十夜念仏(五日)・恵比須講・誓文払(二十日)・大歌所始(二十一日)◎

■ 十一月

五節 (中の丑の日・寅の日・卯の日・辰の日) ◎
新嘗祭(中の卯の日)・豊明節会(中の辰の日)に五節の舞が行われるので、中の丑の日に帳台試・寅の日に御前試・卯の日に童女御覧(舞姫の侍女を清涼殿に召して御覧になる)が行われた。
舞姫には、国司・公卿らの少女が、例年は四名、大嘗祭の時は五名選ばれた。

新嘗祭 (中の卯の日) ◎
新米や穀物を神に供える儀式。
天皇自ら神嘉殿で御祭をされる。

豊明節会 (中の辰の日) *◎
新嘗祭の翌日、天皇が豊楽殿で新穀をお召しあがりになり、皇太子以下群臣に宴を賜る。
この時五節の舞などが行われる。

御贖物(一日から八日)・七五三宮参り(十五日)・報恩講(二十八日)・酉の市(酉の日)女王禄(中の巳の日)

■ 十二月

御仏名 (十九日から二十一日まで) ◎
清涼殿で行われた仏の御名をとなえ、罪やけがれを祓う行事。

荷前の使 (不定) ◎
年末の吉日に、十陵八墓に諸国からの貢物の初穂を奉られる宮中の行事。
この時の勅使を荷前の使という。
平安朝のはじめから行われている。

大祓 追儺 (大晦日) ◎
一年の最後の日、宮中では一年の罪のけがれを祓って、新年を迎えるため、種々の行事が行われる。
大祓・節折・御贖物(以上六月参照)などの行事のほかに、一年の邪気を弓矢でもって追い祓う儀式として「追儺」が行われる。
大舎人寮の舎人を鬼に仕立てて、これを方相子(鬼を追う役)と二十人の童子が、桃の弓で葦の矢を放って追いはらう。
「おにやらい」ともいわれている。
室町期以降、弓矢のかわりに豆をまいて鬼を追う形にかわり、さらに、江戸期以降、節分(立春の前日)にとり行われるようになって現代に至っている。

正月事始(八日)・煤払(十三日)・御髪上(下の午の日)・内侍所御神楽(吉日)◎・年越・除夜の鐘(大晦日)


 
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