| 今年の干支、龍について少々、、、。
竜
- 建仁寺 法堂の天井画「双龍図」 -
禅宗の法堂の天井には必ずといってよいほどの竜が描かれている。
竜は仏法を守護する空想上の瑞獣といわれ、有名な画家の筆になるものが多い。
なかでも妙心寺法堂の雲竜図(重文)は、渦巻く黒雲の中に竜が出現するさまを描いたもので、狩野探幽の傑作中の一つであり、天井画竜の規範とされている。
『都林泉名勝図会』巻四に、
眼晴を点ずるの日(竜の目を入れるとき)、俄かに風雨しきりにして空の気色ただならず、人皆これを霊異とす云々。
としるしている。
また、相国寺の法堂の蟠竜図は狩野光信(永徳の子)の筆といわれ、雄渾な筆致は晩年の作品にふさわしい威容をみせている。
堂内中央で手をたたくと、天井に反響してカラカラという音が返ってくるので、一に鳴き竜とよばれる。
(相国寺法堂・開山堂は、平成24年1月11日(水)からの公開となります)
とりわけ堂本印象が描いた東福寺仏殿の竜図は最も優れている。
東西二十二メートル、南北十一メートルの天井板に体長五十四メートル、胴まわり六・二メートルにおよぶ巨大な竜を描き、顔の長さだけでも約三・六メートル、角の長さ約四・二メートル、眼球の直径は約六十センチもある。
この竜を描くのに用いた画筆は今も什宝として堂内に安置されている。
東山の高台寺霊屋から東の開山堂に通じる狭くて細長い石廊下を臥竜廊という。
まるで竜が臥しているようにみえるので、この名がある。
竜はその長を竜王・竜神などと称する。
この竜王中でもっとも有名なのは神泉苑の善女竜王であろう。
弘法大師が天長元年(828)、天下日照りの折に天竺の阿耨達池(あのくたつち)が勧請し、雨を祈って大きな効験があったことが『元亨釈書』巻一や『古事談』巻三などにみえる。
それより神泉苑は善女竜王の棲家とし、また祈雨修法の道場となたと伝える。
小倉山二尊院に竜女池という小さな池があり、池の中島に竜女を祀った弁財天社がある。
『都名所図会』巻四によれば、本堂に掲げる『二尊院』としるした額は後奈良天皇の宸筆であるが、はじめの額は小野道風が書いたものといわれ、もとは四脚門に掲げてあった。
ところが、門前の池より夜な夜な霊蛇があらわれて額の文字をなめるので、寺ではこれを防ぐために額のそばに不動明王像を描かせたが、いっこうに効果がなかった。
そこで正信上人が蛇の執念を救おうと、自ら円頓戒の血脈を書いて池に沈めたところ、まもなく池の中に千重(ちえ)の白蓮の花が一本生じた。これは竜女が成仏したしるしだとして、この花をとって什宝にしたという。この古事にもとづき、本堂前庭は低い生垣をめぐらして蛇腹をあらわし、竜神遊行をかたどっている。
地主神社は清水寺本堂の背後上段の地にある。
自主権現ともいい、もとは清水寺の鎮守社であった。
ここの拝殿(重文)は前が崖になっているので、背面に軒唐破風をつけ、その天井には狩野元信筆と伝える見事な竜図が描かれている。
この竜は毎夜音羽ノ滝の水を飲みに抜け出すので、竜の目に釘を打ちつけたところ、以後出なくなったと伝える。
境内には桜の木が多く、世に地主桜として名高い。
平安神宮の神苑は本殿を囲んで東・中・西・南の四苑からなっている。
このうち中神苑は蒼竜池を中心とした池泉回遊式の庭園で、池の中央に十四個の丸い飛び石を配している。それがまるで竜の寝ている姿に似ているので、臥竜橋という。
明治二十八年(1895)の平安神宮造営の際、三条大橋の橋脚を移してつくったといわれる。
作庭者は造園家の小川治兵衛である。
洛東の永観堂は山地に諸堂が建ちならび、廊下によってつながれている。なかでも御影堂から開山堂に至る長い廊下は、土地の高低に合わせて曲線形の特殊なつくりとなっていて、まるで竜が臥したようにみえるので、一に臥竜廊とよばれる。建築学的にもすぐれた老化となっている。
泉涌寺・雲龍院 平成24年1月7日(土)〜3月18日(日)公開
応安5年(1372)、後光厳天皇によって創建された泉涌寺派別格本山。皇室と密接な関わりを持つ寺院で、皇室の位牌を祀る荘厳な霊明殿や、後土御門天皇の「御黒戸御殿」であった雅な趣の本堂「龍華殿」(重文)が建つ。本尊・薬師三尊像を祀る堂内では、平成22年10月に奉納された水墨画家・堂野夢酔筆の迫力ある襖絵「双龍風雷図」を特別公開。また、「星供」の九曜星本尊九体、「後小松天皇肖像画」などの寺宝も特別展示する。
東福寺・龍吟庵 平成24年1月14日(土)〜2月29日(水)の公開公開
東福寺の塔頭寺院で、東福寺第三世住持・大明国師(無関普門)の住居跡。方丈(国宝)は、室町初期に建てられた現存最古の貴重な禅宗方丈建築で、書院造と寝殿造の名残をとどめた優美な建物である。方丈を囲む枯山水庭園は、昭和の名作庭家・重森三玲が手がけており、中でも寺名にちなんだ西庭「龍の庭」は、龍が海中から黒雲に包まれ昇天する姿を石組で表現。また庫裡(重文)、表門(重文)など重厚感ある桃山時代の建築が残る。
天龍寺の雲龍図 公開日等の案内は こちら
天井画の雲龍図は明治時代、鈴木松年によって描かれたが、傷みがひどかったため、1997年(平成9年)加山又造により八方にらみの龍の雲龍図が描かれた。
龍安寺
方丈の間の襖絵。
東側が昇り龍、西側が下り龍が描かれている。
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