● 体
肌の色は金色で、体からは光が出ている。
光の長さは各一丈(約三メートル)で四方に向かって放射している。
● 皮膚
細やかで滑らかであって、清浄で汚れがない。
悪いにおいもないし、垢もついていない。
毛穴からは妙なる香りを出す。
塵や埃がつかない。
黒子や疣もなければ瘤もない。
● 体毛
全部上にたなびいて、右旋している。
色は紺青。
● 頭
頂上は肉ケイ相で、我々人間よりも智恵袋が余分にある。
● 髪の毛
長くて紺青である。右旋。
● 額
広くて、円満であって平らである。
● 白毫相
白い毛が一本有りいつも光を放っている。
如来の慈悲の光だといっています。
● 眉毛
初月(三日月)の如し。
紺瑠璃色であること。
● 目玉
金色。
目は非常に大きくて、青い蓮華の葉のようである。
睫毛が非常に長く、牛の睫毛のように長い。
● 鼻
きわめて高く、真直ぐで、その穴は現れず。
*鼻の穴は時代によって表し方が違う*
● 唇
非常に赤くて、丹色である。(頻婆果(赤い色の果物)と同じような果物)
歯は四十本。
● 声
高低が自由自在であって、遠くの人にもよく聞え、近くの人にも鮮明に聞える。
● 舌
広くて、長くて、やわらかくて、薄い。
伸ばすと顔を隠して、頭髪の生え際まである。
● 両頬
ふくれたようにもりあがり、獅子の頬のようである。
*釈迦さんの頬の表現が仏像では難しい*
● 耳
厚くて、幅広で大きい。そして長い。
耳たぶは垂れ下がっている。耳朶環といわれるものです。
● 顔全体
長くもなければ短くもない。
円満であって、端厳である。
● 肩
両肩の肉は豊か。
● 背筋
真直ぐで、獅子の王のような威厳がある。
● 体全体
一丈六尺(約五メートル)
● 手足
柔らかで光沢がある。
手足の指は全部丸みがあって長くて柔らかい。
手は非常に長くて、膝頭をすぎている。
これは、衆生を救う為に手を差し伸べているうちにどんどん手が伸びたということです。
● 縵網相
水かき。
お釈迦さんは水も漏らさずに衆生を救い上げるという、そのための水かきだという。
● 指
細長い
● 爪
幅が細くて長い。
● 指紋
深くて長い。
京都の嵯峨にある清涼寺の中国作という三国伝来の釈迦像ですが、運命線がかっちりと出ている。
それ以外の多くの釈迦像では、横の知能線と生命線はだしていますが、運命線はありません。
もともとお釈迦さんにとって、運命なんて関係ありませんから。
● 掌
吉祥喜旋という徳の相がある。
円満で、へこんでいない。
手を上げるとわれわれでは脇の下がへこみますが、そこがぷっくとふくれている。
三、四歳ぐらいの子供はへこみませんが、そういう脇の下である。
両掌、両足の下、両肩、頭の頂、そういうところは平らで、豊満で、端正である。
つまり七ヶ所がふくらんでいる。
● へそ
穴が深くて、へその緒の結んだ跡が右回りである。
● 陰部
馬陰蔵といって馬のように中に入ってしまっている。
奈良の伝香寺の裸地蔵などは、線彫りになっている。
絵画ですと、その位置に渦を描く。
● 股
鹿の王のような足であること。
太股、膝、ふくらはぎ、足首のように凸凹していない。すとーんとした足である。
赤ん坊の足を思い浮かべてください。
奈良・聖観音がこれに近い。
● 足の甲
甲高であるが、骨ばっていない。
土踏まずがない。
(生後数ヶ月の赤ちゃんに土踏まずが出来るのは踏ん張るためである。この世の不浄の場所をどこも踏まないお釈迦さんに必要ないということになる)
● 足の裏
中央に千輻輪相という指紋があった。
その他に瑞祥七相があり、梵王頂相・金剛杵相・双魚相・宝瓶相・月王相・卍花文相などがある。
身長から割り出すと足の大きさは、約七十センチ。
お釈迦さんは歩くときに地面を踏まないといいます。
足をおろすと、地上四センチ程の所で止まってしまいます。
仏像では、蓮華の上に立っている像でも、蓮華に力を入れて立つのではなく、ふわぁっと乗っているように表現するのです。
仏像は重量感を出してはいけないといわれるのも、蓮華がふわふわとのびて生長していく、その上に仏さんが乗っているのだという、そういう考え方によ る。
足の裏にある瑞祥七相が地面に映ると、その下にいる虫たちは安楽になるといいます。
ところが、安楽さは一週間しか続かない。
我々人間も同じで、お釈迦様を慕いその教えを望むために多くの人々がそのもとに参集する。
立ち止まって説法するとなると、大衆は何千何万とふくれあがっているのですから、丈六もあるお釈迦さんでも石の上に乗って説法する。
するとその石に、瑞祥七相が線彫りになって残ります。
これが仏足石です。
清水寺にもありますので一度見ておいてください。
● 如来とは
慈悲の”慈”を表現している。菩薩とちがった厳しい表現。
優しく見えますが、本心は何度でも南無阿弥陀仏を唱えろと。
● 目の焦点があわないのは
中心を少し外にずらす。
これを三昧にはいっている状態という。
座禅を組むとき、姿勢を正して畳一畳半ぐらいの位置に目を向け、さらに両眼で自分の項(えり首)を見るようにしますが、これが三昧に入った目の形にな るのです。
● 如来のモデルは
悟りを開いた釈尊の姿
● 衣は
衲衣といいますが、別名糞掃衣(フンゾウエ)ともいい、便所掃除をするときの粗末な衣のこと。
修行の厳しさから慈悲心の表現になっている。
● 装飾品を身につけていないのは
二十九歳で城を出て行くときに、一切の飾り物をはずしました。
耳たぶには穴がありますが、今で言うピアスのあとです。これを耳朶環(ジダカン)といいます。
● 菩薩と如来の髪型がちがうのは
体から装飾品を外したとき、釈尊は髷に結っていた髻の紐を切り離しました。
すると実はちぢれ毛だったのです。
ひっぱれば伸びるけれど、放すと縮れ渦を巻いてしまいます。これを螺髪といいます。
● 額にある白毫
”慈”の光を表現しています
● 頭のコブは
肉髻(ニッケイ)といいます。
智恵の光を表現。
● ひげが描いてありますが
顔の表現の上でのトリック。
口元だけを見ていると厳しい感じがするのですが、口角がひげとつながっている見えるときは、笑ったように見えます。
● 口を突き出したように見えますが
赤ん坊がお乳を吸うときの口を表現しています。
それと、アナパーナサチという呼吸法の、息をはき出しているところを表現。
● 如来の座り方
結跏趺坐といいますが、右足外の結跏趺坐と左足外の結跏趺坐があります。
仏像にとってこれは非常に重大な意味があって、右足外を降魔坐、左足外を吉祥坐といいます。
インド人は人間の体を左右に分け、右は清浄であり、左は不浄であるとします。
つまり、右は仏で、左は我であるということです。
仏と我を合わすところに合掌があるわけでですが、「私」(左)を「仏」(右)でおさえるのが降魔で、「仏」の上に「私」が乗るというのが吉祥です。
降魔は「私」の煩悩を消していくことであり、吉祥は悟っていない人の為に拝むことなのです。
● 印相というのは
仏の法力を手指の形で示したのが印相です。
阿弥陀と釈迦と薬師の三体は印相だけが異なっています。
阿弥陀如来 − 九品の世界を指で表現します
釈迦如来 − 五指を伸ばして、中指を少し前に出します。
薬師如来 − 五指を伸ばして、薬指を少し前に出します。 作成時代によって薬壺を持っているものと持っていないものがあります。
● 大日如来の印相
大日如来には、胎蔵界と金剛界という二つの世界があります。
胎蔵界の大日如来は、釈尊と同じ法界定印をしています。
金剛界の大日如来は、智拳の印をしています。
● 仏像が蓮台に乗っているわけは
諸説ありますが
人間誕生の原点にその秘密があるのではないかと。
それは子宮内の赤ん坊の状態、つまり赤ん坊と胎盤との関係が、仏像と蓮台の形に似ている。
絨毛がはりめぐらされた胎盤は、ちょうど蓮の葉の葉脈に似ているし、蓮の地下茎が泥の中に広がっている状態を思わせる。
子宮内の状態を逆さまにすると、蓮台の上に乗っている仏像と同じ姿を思い浮かべませんか。
● 天部は蓮台に乗れないのですか
天部は一般的に岩坐ですが、岩の上に邪鬼がいて、天部に踏んでもらっている形の者も多いです。
天部の中でも、梵天、帝釈天、大黒天、弁才天、吉祥天などは、蓮の葉の上に乗っています。
これを荷葉坐(カショウザ)といい、これは岩坐の上に蓮の葉を置いた形です。
● なぜ荷葉坐に乗っている天部がいるのか
天部は蓮台に乗る資格はないのです。
特に強い法力を持つものに対し、せめて蓮の葉に乗せる事で他の天部と区別したのでしょう。
● 不動明王の中には、かわった岩坐に乗っているものがありますが
瑟々坐というものがあります。
おそらく須弥山を表したものでしょう。
これは、不動明王を中心とする五大明王が群像としてまつられる場合、その中尊の不動明王だけに使われることが多いのです。
● 菩薩とは
”菩”は香草、”薩”は救済を意味している。
菩薩は如来の変身でして、救済を専らにする仏をさしています。
つまり、”悲”を表現しています。
そこで菩薩を拝むときには、「大悲」といいます。
「南無大悲地蔵菩薩」とか、「南無大悲観世音菩薩」と拝みます。
また、菩薩をまつっているお堂を大悲殿といいます。
● 菩薩像は華美な姿ですが
菩薩像のモデルは釈尊の王子の頃の姿です。
● 胸飾りや腕輪も装飾品ですか
胸につける飾りを瓔珞といい、腕につけるものを腕臂釧といい単なる飾りではない。
瓔珞は宝石でつづられているので、単なる飾りではない。暑い国では体温を冷やす役目にもなっている。
腕釧は手首に、臂釧は肘から上につけますが、臂釧の位置はちょうど我々が手を怪我したときに、動脈を止血する場所にあたり腕釧は脈をとる静脈の位 置にあります。
● 右足の親指を上げてる像がありますが
観音がこれから衆生を救いに行くんだというので一歩踏み出す、そういう非常に微妙な一瞬の表現を親指で示しています。
● 菩薩の上半身は女性かと錯覚するのですが
アナパーナサチという釈尊の呼吸法を表しています。
この呼吸法は、瞬間的に空気を吸い、時間をかけて少しずつ全部の空気をはき出すのです。
吸い込むときには、鎖骨の上のくぼみが膨らみ、はき出す時には、横隔膜が下腹部をおさえておなかがしまった感じになります。
豊かな肉付きの仏像は、アナパーナサチの呼気と吸気を同時に表現しているのです。
● 明王とは
明王と名のつくものはすべて大日如来の化身です。
明王のあの恐ろしい瞳は、必死の形相なのです。
● 明王のモデルは
やはり釈尊です。
釈尊は王子の頃武勇に優れていたといいます。
● 愛染明王の怖い顔は
文字通り愛で染めるということですから、家庭円満の仏です。
それだけ家庭を守るということは大変な事なのです。
● 不動明王
強烈な法力を持つ仏です。
それは、切迫した事態で発揮されます。たとえば、子供が溺れているときとか。
● 姿について
弁髪にしています。
子供が溺れているときに、余分な物を身につけていては邪魔になります。
ですから、腰に巻く紐もかた結びにし、さらに右手に剣、左手に索(大なわ)を持ち、火焔を背負う姿です。
● 眼が独特の表現ですが
天地眼といいます。(平安末期から鎌倉、江戸時代にかけて流行する)
右眼は天を見、左眼は地を見ます。
天地眼の表現は、前方だけでなく、天地間の一切の衆生を救おうとしている事を意味しています。
● 不動明王はいつも矜羯羅、制叱迦童子を連れていますが
不動明王の手足となっています。
矜羯羅童子が温厚な性格で、制叱迦童子は誠実でたくましいとされています。
● 五大明王とは
明王と名のつくものはすべて大日如来の化身です。
中央の大日如来は不動明王に
東の阿シュク如来は降三世明王に
南の宝生如来は軍荼利明王に
西の阿弥陀如来は大威徳明王に
北の不空成就如来は金剛夜叉明王に変身します。
変身してどのような力を発揮するのかというと、
降三世明王は貧瞋癡(貧とは貪欲、瞋とは怒り、癡とは愚痴のこと)を降伏し
軍荼利明王は一切の悪魔、悪鬼神を降伏し
大威徳明王は毒蛇や悪竜を降伏し
金剛夜叉明王は仏教を信じない衆生を教化する。
● 五大明王の怖い顔はなぜ
五智如来は衆生をいつも教化してくれている。
しかし中にはいくら説いても聞き分けのない強情で頑固な衆生もいます。
日頃優しい母親が子供を守るために怖い顔をしますがその時の形相に近いのです。
子供から見れば怖い顔でも、母親からすれば必死の形相になります。
また、魔障から私達を守るために、五大明王は憤怒の相をしているのです。
● 天部とは
如来、菩薩、明王たちの邪魔をする仏敵に対して、兜、鎧を身に着けて、武器を持っていつでも戦えるような姿で待機しています。
つまり、仏の守護神になっています。
四天王や仁王、十二神将などが天部にあたる。
● 天部のモデルは
釈尊の王子時代、その身辺にあって釈尊を守っていた家来達がモデル。
● 仁王の阿形と吽形は
陰陽の表現です。
一般には阿は口を開いて発する最初であり、吽は口を閉じて発する声の最後なんだといわれています。
仁王門に向かって右側が阿で、左側が吽ですが、東大寺南大門の場合は逆です。
仁王はただ前方を睨んでいるだけではありません。
仁王門を入る人が、両側の仁王から睨まれる位置があります。
作者はそういう位置をまず設定して、像の高さ、距離を測り、目の位置、角度、体の捻り具合を計算する。
そして、その位置から風を送り、同時に仁王の方から風を受けるついうような状況を想定して像を作るのです。
風の吹き方を、天衣とか腰に巻いた裳の襞によって表現している。
● 風の意味
境内に鳴り響く仏法の声と、仏法を求めに行く人との間に生じる気合の象徴。
また、境内に入ろうとする魔物を防御する仁王の気焔を表している。
● 四天王や十二神将の着ている鎧に獣の顔が見えるものがあるが
江戸時代の鎧は鉄製ですが、天部の鎧は革製品ですから、それは獣の首です。
● 天部には男性、女性の区別
釈尊の家来ですから、当然男も女もいます。
吉祥天、弁才天、伎芸天などは女性です。
● 四天王の役目
須弥山の四天王宮に住んでいる守護神で、須弥山を仏敵から防衛する天部。
須弥山を取り巻く塩水の海に浮かぶ四つの島、これを須弥四州といいますが、
東の島を東勝身州
南を南瞻部州
西を西牛貨州
北を北狗(倶)盧州といい、人間や動物は南の島に住んでいます。
仏界の東方を守っているのは持国天、南方は増長天、西方は広目天、北方は多聞天が守ります。
持国天の役割は国家安泰、増長天は五穀豊穣、広目天は衆生を説得・降伏させ、多聞天は仏が説法する道場を悪魔から守ります。
● 四天王に踏みつぶされている邪鬼
仏教をなかなか理解しない、ひねくれて仏教信者にならないそんな衆生が邪気なのです。
ところが須弥山には、一番下に二匹の竜が絡み合い、その上三段を夜叉宮といい、そこに夜叉宮がいて、須弥山の根本を守護しています。
四段目が四天王で、その上に三十三天の梵天、帝釈天がいます。
実は、如来、菩薩、明王までは蓮台に乗れますが、天部は岩坐にしか乗れません(天部の最高位的な大黒天、弁才天、吉祥天を除く)。
天部たちは仏界の守護神ですから本当は蓮台に乗って欲しい、けれども固い岩の上に立っているというので、改心した邪鬼が夜叉神となり、自分が下 敷きになることで、せめて暖かい、柔らかい座を差上げたいと、四天王の岩座がわりになっているのです。
このように形の上では踏まれているように見えますが、実はこの形が須弥山の中腹にいる夜叉神たちを表現している。
飛鳥時代には夜叉とか夜叉神ともよばれましたが、自分から大喜びで背中に乗せ、四天王の剣を抜いた鞘まで小姓のように持つ健気な邪鬼もいます。
ところが鎌倉時代になると、本当の悪魔にしたてて苦しませているのですが、本来「鬼」とか「悪」は、強いとか守るといった意味を含んでいるのです。
● 仏様の持ち物
法力の特徴を表現するためです。
例えば、薬師如来は薬壺、毘沙門天(四天王として北方を守護する時は多聞天と名を変える)は多宝塔を、広目天は右手に筆、左手に経巻を、弁財天 は琵琶を持っています。
● 十一面観音が左手に持っている水瓶には水が入っているのか
それをふりかけると一切の穢れが消えるという八功徳水が入っています。
多くの場合、この水瓶には蓮華がさしてあります。
十一面観音はこの八功徳水と蓮華をいつでも人々に授けようとしています。
長谷寺系の十一面観音は、水瓶のほかに、右手に錫杖と数珠を持っています。
これは観音さんと地蔵さんが合体した姿といえるでしょう。
● 仏舎利
お釈迦さまを荼毘に付して、骨を粉末にして八つの国で分けました。
それも俵いっぱいずつ分けたと伝えられています。
しかし、一般には仏舎利が果たして本物かどうかということが疑問になるでしょう。
簡単に言いますと、殆どは、瑪瑙とか玉のような大粒のものが多いのです。
● お地蔵さんは、なぜ坊主頭
お釈迦さんの十大弟子などは、皆頭をまるめています。
煩悩の元となる頭髪を裁ち切ることが、苦行への第一歩なのです。
しかし、図像には有髪のものもありますが、彫刻はみな丸坊主です。
● 阿弥陀さんと大日さんはどちらが偉いのでしょう
この話しは少々長くなりますので結論のみ。
どちらもが偉い。
全体と部分で考えると分りやすいかも。
● 仏像の色の違い
中国の四神の色別(東=青竜<青>、南=朱雀<赤>、西=白虎<白>、北=玄武<黒>)にもつながりますし、そういうきまりが儀軌として密教では 大事にされますが、色彩は感覚的なものですから、時代によって多少の表現の違いは有ります。
● 数珠はなぜもむのでしょう
数珠には百八つの珠があります。
その一つ一つに仏の名前がついています。
数珠は、仏をつないだ一連の曼荼羅なのです。
これを密教的に言うと、一番大きいのが大日如来で、浄土教だと阿弥陀如来です。
この数珠をもむ事は、言い換えれば仏どうしが体をすりあっているのです。
すりあうことで、仏たちはお互いの法力に火花を散らします。
仏の名を唱えながら、数珠を繰って煩悩を消すのです。
しかし、一般には一つ一つの仏の名を覚えられません。
だから南無阿弥陀仏でいいのです。
唱えながら数珠を繰っていくと、次第に大きな珠、つまり大日如来に近づき、ついに大日如来になります。
これが仏像の坐りかたの降魔です。
次ぎに私は大日如来を通過してはいけないのです。
ここから反転して数珠を繰り、次ぎに迷っている人のために拝み、その人を大日如来にしてあげるのです。
この時の行為が吉祥なのです。
● 干支別守り本尊
先ず、地獄の話からしなければいけません。
死後どこに行くのか、誰も行って帰ってことがないのでわからないのですが、浄土教の教えでは地獄や極楽があるといわれています。
死ぬとまず閻魔のところへ行かなければいけない。
そこでこの世での罪状を十王に調べられ、それによって罪が決まります。
自分は悪い事をしていないからすぐ極楽へ行けると自身を持った人でも、蚊をたたいたろう、蝿を殺したろうと言われたら、確かに殺生したことになる。
同じ宇宙の中で生あるものを殺しているわけですから、そこで罪が与えられます。
で、遺族の方は、あの人には悪気があったのではないと申し開きをするために弁護団を送ります。
その弁護士は十三人、行く時日も決まっています。
最初の初七日に行くのが不動明王。
ニ七日に釈迦如来
三七日文殊菩薩
四七日普賢菩薩
五七日地蔵菩薩
六七日弥勒菩薩
七七日薬師如来
百ケ日に観音菩薩
一周忌に勢至菩薩
三回忌に阿弥陀如来
七回忌に阿シュク如来
十三回忌に大日如来
三十三回忌に虚空蔵菩薩がそれぞれ弁護に行ってくれます。
ところが遺族がなかったり、親不孝者だったりすると、拝んでくれる人がいない。
それを心配して、生きている間に八十八カ所めぐりなどをして集印帳に判をついて証拠とし、棺桶に入れてもらったりしています。
また赤ん坊の場合、まだなにも悪いことをしていないうちに死んだのですが、罪がないようでも実は親を泣かせた大変な罪があるのです。
で、賽の河原で父母、兄弟のために石を積んでから、地蔵さんが極楽へ連れて行ってくれます。
今では宮参りをしますが、江戸時代には、親は子がすくすく育つように最初の一年目は不動さんへ、ニ年目はお釈迦さんに参って、十三歳で虚空蔵に参りました。
これを一般に十三まいりといって、これをすることで十三仏に見守ってもらうためでした。
その生まれた年の守り本尊は、この十三仏から選ばれています。
- 完 -
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