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■ 基礎知識

■ なぜ仏像が作られるようになったか

八十歳になって病に倒れ、インドのクラナーラで多くの弟子たちに見守られながら息をひきとったが、その別れのときに師の最後の言葉として語られたのが、「これから後は、自らを灯明とし、法を灯明とせよ。私の亡き後はこの私の教えが私だと思って、お互いが精進努力しなさい」という、遺言であった。

弟子たちは師の遺骸をねんごろにとむらい、火葬にしてその遺骨を八分し、インド国内の各地方に仏舎利塔をたてて葬ったといわれる。
しばらくの間は、「菩提樹」「法輪」「仏足跡」などを師の代替物としてあがめていた。

しかし、釈迦の滅後四、五百年もたった紀元一世紀ごろになると、釈迦の謦咳に接することができなかった弟子たちの間から礼拝の対象として釈迦の像を望む機運が出てきた。

ついに、ガンダーラ・マトゥーラ・アマラーバティーで釈迦像がつくられはじめた。

イスラム教徒の侵入による仏教弾圧によって十三世紀以後急速に衰えるようになる。

南下した仏教は上座部仏教といわれ、釈迦の教えを改変することなく忠実に守ろうとする人々によって伝えられた。
北上した仏教は大乗仏教といい、かたちにとらわれることなく教えを自由に解釈しようとする人々によって伝えられた。
今日、わが国に伝わる多種多様の仏像は、大乗仏教を母体とした産物である。

■ 多くの仏像が生まれた理由

釈迦は周囲の人々から「神様になられたのですか」とたずねられたとき、「私は目覚めた者である」と答えられた。
インドの言葉で「目覚めた者」という普通名詞を「ブッダ」という。

後世の弟子たちは、「釈迦はこの世に一人で出現したのではなく、その師をこの世に送り出した過去の因縁があるに違いない」と考えるようになり、「釈迦」の前世に過去七仏をたてたり、未来にも再来するに違いないとするところから弥勒仏の出現を期待する信仰も生まれた。

このように「仏陀」を歴史的人物である釈迦だけに限定せず、過去・未来という時間的にその仏陀観を拡大・発展させたが、それだけにとどまらず、人物と しての釈迦を超えて、その徳性を空間的に一般に拡大・はってんさせる宗教も生まれるようになってきた。
すなわち、歴史的人物としての釈迦は師表ではあってもすでに過去の仏であり、すでに姿なく、それに代わるものとして人々の苦しみを救う現実の仏を希求するようになったのでる。

こうした人々の願いに呼応する形で生まれたのが多くの大乗仏教の仏であり、その経典や仏像である。

■ 仏像を拝むのは偶像崇拝か

仏教がわが国にはじめてもたらされたのは、宣化天皇三年(538年)に隣の朝鮮半島南端にあった百済の聖明王がわが国の朝廷に仏像・経巻を献上して以来のことである。

当時の日本人は、まばゆいばかりに金色に輝く仏像に僧侶たちがひれふし礼拝する姿を垣間見て、そこに異様さと神秘さを感じ取ったに違いない。
わが国には神像を作って拝むという習慣がなく、はじめて仏像に接してある種の戸惑いと同時に、いったいこれは何を意味しているものかと、異常な関心を持ったであろうことは容易に想像できる。
ところが、それから約二世紀たった天平勝宝四年(752)、聖武天皇の勅願によって東大寺が建立され大仏像が開眼されて、その偉容と慈悲深いまなざしに圧倒され、これこそはわれわれ人間のすべての悩みを救いとってくれるものだと信じるようになった。

それからは国内で大小さまざまな仏像が作られ、この世が醜く、人々の悩みが深ければ深いほど、こぞって仏像の前にひれふし、その清浄で美しい世界にひたり、一心に救いを求めた。

中国の古典『臨済録』に禅の逸話が伝えられている。
天然禅師は師匠に「私たちは毎日仏像に向かって礼拝していますが、仏は本当にあの中に宿っているのでしょうか」とたずねたところ、師匠は「たたきわってみたらどうか」というので、壊してみたら何もなかったという。

臨済禅師も弟子に「お前たちのいう仏はいない。もしどこかにあると仏を求めるならば、それはお前自身の中にある」とたしなめている。
浄土真宗の蓮如上人は「佗流には名号よりは絵像、絵像よりは木像というなり。当流には木像よりは絵像、絵像よりは名号というなり」と いって、仏の名を称えて信仰することのほうが仏像を拝むことよりも大切であることを説いているぐらいである。

問題はそれに対して自分がいかなる態度を取れるかである。

■ 拝みかた、観賞のしかた

東南アジアでみられる「五体投地」、わが国に見られる「接足作礼」「上品礼」「中品礼」「下品礼」などがある。
こうした礼拝のしかたはただ形だけをととのえて仏に対して合唱し、敬礼するだけでは充分でなく、私と仏というタテの関係から、私以外の人々に対しても合唱、敬礼するヨコの関係までいかなければ本当の礼拝とはいえない。

大乗仏教では、人間はだれしも仏になる性質(仏性)をもっているから、それに対して合掌、敬礼すべきであるという。

また「四恩」といって、われわれが生きていくには父母の恩、衆生の恩、国王の恩、師や仏の恩などを受けているから、周囲の人々の恩に感謝して合掌、敬礼することが大切である。

お互いが拝み合いの気持ちになり、それが態度にも表れたときに、はじめて信仰の世界が開けていくであろう。

■ 秘仏

仏教の教えには顕教と密教があり、前者は仏の教えの真理をすべてあからさまに人々に示し、けっしてかくしだてをしない。
一方後者では、そんなに親切にしてあげても、人々に示されるようなものは真理ではないという。
むしろ、示したくても示されないようなものこそが真理だとされている。
こうした真理の実体よりも、その効用に重きを置く密教から秘仏主義が生まれてきたといえよう。


 
 
 如来部像 − 本家生まれの元締役の仏様 
 
 理想的人間としての 釈迦如来

 ■ 釈迦如来の戸籍

 
本籍 大般涅槃経、法華経、その他
現住所 この世界
続柄 この世界の教主
愛称 お釈迦さま
別称 釈尊
旧姓 シッダールタ
原名 ゴータマ・ブッタ
特技・専門 総元締めで、人類の大恩人
西暦紀元前428年12月8日のこの日、インドの一修行者ゴータマ・シッダルダが悟りをひらき、「釈迦牟尼」となられた。
  
「釈迦」とは「釈迦牟尼」を省略したもので、紀元前463年(異説あり)にネパールのルンビニー園で生まれたシッダールタ・ゴータマがシャカ族の小王国カピラパッツ(現在のネパール国のチロリコート付近で、千葉県ぐらいの国土)の執行官の小として生まれた王子であり、出家をして修行の後にブッダガヤで悟りをひらきブッダとなられたので、その尊称である「ムニ」をつけ、「シャカムニ」とよんだ。

母マーヤ夫人がお産のため実家に行く途中ルンビニの花園で産気づかれました。
このとき天から甘露の雨が降り、産湯の代わりをしたという故事から、花祭り(4月8日)は花御堂をつくって誕生仏に甘茶を注ぐ行事をするのです。
生母マーヤ夫人は七日目になくなり、それからは叔母のマハープラッジャパティー夫人に育てられましたが、成長するにつれて人生の深い思索へと向かう大きな要因となっている。

従妹ヤショーダラーと結婚し、ラーフラをもうけたのですが、二十九歳の時、人生の真実を求めて出家し、山の中に入りました。
六年間修行をしたのですが、「目的を得るための瞑想や、自分の欲望をかなえるための苦行は無意味である」と悟りこの苦行をやめまし    た。

ピッパラ(菩提)樹の下で瞑想する七日目の十二月八日の未明、豁然として悟りを開かれた。
すべては移り行くものである(諸行無常)。
固定的な実体があるのではなく、すべて因(原院)と縁(条件)によってあるのである(諸法無我)ということを悟られたのです。

西暦紀元前383年2月15日、沙羅の樹林の下で亡くなられました。
八十歳。

■ さまざまな姿の釈迦如来

誕生仏

母のマーヤー妃から生まれたとき、釈迦は誰の助けも受けずに自ら七歩歩んで、右手を上に左手を下にして「天上天下、唯我独尊」と宣言したといわれ、それにちなんで誕生仏がつくられた。
これは『過去現在因果経』や『普曜経』などに説かれている姿をかたどったものである。

出山の釈迦如来

釈迦が出家の後、悟りを求めて六年の間苦行を続けたが、それだけが悟りの道でないことに気づき、山中の苦行から里に出る。
その姿をかたちどったもので、禅宗ではこの姿を水墨画で描くことが多い。

禅定の釈迦如来

菩提樹下で座禅を組み、悟りの境地に達した姿をあらわす。

説法の釈迦如来

悟りをひらいた釈迦如来は、梵天の要請によってその内容を他の人に説くことを決意し、サルナートにおもむいて最初の説法を行った。
そのときの姿を表したものである。

涅槃の釈迦如来(寝釈迦)

約四十五年間の伝道生活の後、八十歳になった釈迦も年には勝てず、クシナーラで最期の時を迎え、沙羅双樹の下でついに涅槃(最高の悟りの境地)に至り、入滅した。
そのときの釈迦が横たわった姿をかたどったもの。

二仏並座の釈迦如来

釈迦が霊鷲山で大衆に説法しているとき宝塔があらわれ、そのなかの多宝如来を招き入れたということで『法華経』を重んじる日蓮宗では題目の左右に二仏をまつる。

釈迦如来とその脇侍

後の大乗仏教で、釈迦を超越的・普遍的な仏としてあがめるようになってから、その仏国土でいつも説法しているという考え方が生まれたため、釈迦を守護し、賛美する菩薩や諸天を従えさせるようになったものである。


 

 慈悲と知恵の象徴 阿弥陀如来

 ■ 阿弥陀如来の戸籍

 
本籍 無量寿経・観無量寿経・阿弥陀経
現住所 極楽浄土
続柄 極楽浄土の教主
愛称 あみださま
別称 無量寿如来・無量光如来
旧姓 法蔵菩薩
原名 アミターバ
特技・専門 念仏往生・万民救済


釈迦自らがその弟子サーリブッタ(舎利弗)_対して、阿弥陀如来について「舎利弗よ、かの仏の光明は無量にして、十万の国を照らすに妨げるところなし。このゆえに号して阿弥陀となす。また、舎利弗よ、かの仏の寿命および人民(の寿命)も無量無辺にして阿僧祇劫(無限)なるがゆえに阿弥陀と名づく」と説いている。

■ さまざまな姿の阿弥陀如来

定印の阿弥陀如来

結迦趺座して、両手を上に向けて、それぞれの親指と人差し指を捻じて臍下で組み合わせた座禅姿の阿弥陀如来である。
これは釈迦が修行中に禅定に入ったときの姿で、如来像に共通した姿である。

転法輪印の阿弥陀如来

両手を胸前に上げて、親指と人差し指をつまみ合わせているもので、別名を説法印ともいう。
この印はわが国の古い阿弥陀如来像によく見られ、人々の一切の妄想や苦悩を取り除く阿弥陀如来の慈悲の姿をあらわしている。

九品仏と九体の阿弥陀如来

阿弥陀如来は極楽に往生したいと願っている人々を救いとる仏であるが、その願いを聞き届けて極楽から迎えにくる方法に九通りあるといい、上品、中品、下品にそれぞれ上生、中生、下生があって合計九種類の往生のしかたに分けられるという。
そのうち、良い行いの人には上品上生といって、阿弥陀如来は多くの脇侍を引きつれて迎えに来るが、罪深い人には金の蓮華が現れ、その後暫らくたってから救われるという。
こうしたことから九体の阿弥陀如来像がつくられた。 

来迎の阿弥陀如来

人の死に際して極楽から阿弥陀如来が迎えに来るときの姿で、来迎印といって親指と人差し指をねじって、右手を上げ左手を垂れている。
立像と坐像のいずれもあり、ふつうその両脇に慈悲をあらわす観音菩薩と知恵をあらわす勢至菩薩とを従えている。
立像は十二世紀以降の作品に多い。


 

 宇宙にみなぎる 毘盧舎那如来

 ■ 毘盧舎那如来の戸籍

 
本籍 華厳経、梵網経
現住所 蓮華蔵世界
続柄 蓮華蔵世界の教主
愛称 大佛さま
別称 盧舎那仏
旧姓 太陽の子
原名 ヴァイローチャナ
特技・専門 この世界を支配


毘盧舎那如来とはサンスクリット語で「ヴァイローチャナ」といわれるところからその発音を音写して「ビルシャナ」といい、略して「毘盧舎那」と呼ぶ。
和訳すると「光明があまねく照らす」という意味で、仏の教えは宇宙全体にいきわたり、その救おうとする心は太陽の光のように輝くということである。
「華厳経」によれば、この宇宙には大千世界があり、その一つ一つの世界には人間の住むような小世界が十億集まっているという。
この小世界には須弥山という山がそびえ、この小世界が一千集まって中世界を構成し、中世界が一千集まって大世界を構成し、大世界が一千で大千世界になるという。
これが宇宙全体を指し、ここに一千の釈迦がおられてすべてを見渡しているといい、このなかで人間は芥子粒のような存在でありながら、それぞれの人生を送っている。


 
 
 いのちの原点  大日如来

 ■ 大日如来の戸籍

 
本籍 大日経、金剛頂経、理趣経
現住所 金剛法界宮
続柄 真言密教の教主
愛称 _
別称 摩訶毘盧遮那仏、大日遍照
旧姓 _
原名 マハー・ヴァイローチャナ
特技・専門 密教の総元締め


大日如来はサンスクリット語で「マハー・ヴァイチャローチャナ」といい、天地のすべてにくまなく流れている宇宙の命そのものを言う。
ふつうわれわれはその存在を感じ取れないかもしれないが、ちょうど空気のように、希薄な高地に登ったときはじめてその存在がわかるように、いつでもどこにでも遍満する。
  
インドの詩聖タゴール(1861〜1941)が「ひと足ごとに無限なるものをまたぎ、瞬間ごとに永遠なるものに出会う」というように、それを知ったときになつかしさを感じ取れるものである。
 この大日如来はすべての生物を生成する働きがあり、われわれはこの仏から生まれ、この仏に帰るとされて、毘盧舎那如来とは同身異名の密教の仏である。

われわれも生きている間に、このいのちに触れると仏になるといわれ、そのために修行をして「即身成仏」することをすすめている。
これは自然と一体になることを願う日本人の心とも合致する。
平安時代に空海が「究竟最極法身の自境を以って秘蔵となす」と述べているように、大日如来の悟りの境地と、われわれが一体となることを理想としている。

大日如来は他の如来像と異なり、頭には髻を結い、宝冠、首飾りをきらびやかにつけた菩薩型をしている。
『金剛頂経』や『大日経』によると、この如来には二種類あり、一つは両手を胸の前に上げ、左手の人差し指を右の拳で握る「智拳印」を結んだ金剛界の大日如来であり、あと一つは膝の上に両手を重ねる法界定印を結んだ胎蔵界の大日如来とがある。

宇宙全体は大日如来のあらわれであり、それを構成するするものはこわれることのない知恵(金剛界)と、一切を抱擁する慈悲(胎蔵界)の世界であるという。

大日如来の分身・五智如来とは、大日如来の五つの属性である法界体性智、大円鏡智、平等性智、妙観察智、成所作智をあらわしたもので、金剛  界では大日、阿しゅく、宝生、阿弥陀、不空成就を、退蔵界では大日、宝憧、開敷、華王、無量寿、天鼓雷音の五智来をさす。

これは大日如来の本質と機能を表す。


 

 苦悩を癒す  薬師如来

 ■ 薬師如来の戸籍

 
本籍 薬師瑠璃光如来本願功徳経、その他
現住所 東方浄瑠璃世界
続柄 浄瑠璃世界の教主
愛称 お薬師さん
別称 _
旧姓 _
原名 バーイシアジャグルヴァーイズルヤ
特技・専門 除病延寿、眼病平癒


薬師如来は別名、瑠璃光如来とも大医王如来とも呼ばれ、七宝からなる浄瑠璃浄土に住む仏である。
奈良時代盛んに信仰され、元興寺、興福寺、唐招提寺などではこぞってこの仏をまつり、薬師寺も天武天皇の皇后(後の持統天皇)の病気平癒の祈願に建てたほどだ。
平安時代に入って、比叡山延暦寺で薬師如来を本尊仏としてからは、今日まで多くの天台宗寺院や山間の温泉場などで医療の仏様として薬師堂にまつってある。

薬師如来は、はじめ釈迦如来と同じような形をしていたが、平安時代以後は右手に宝珠あるいは薬壺を持ち、薬指を前に出している。
この仏像の光背には七つの化仏(小さな仏)が配され、左右には日光・月光の両菩薩と十二神将を従えている。

日光・月光の両菩薩は、ともに宝冠をかぶり、日光は手に日輪を、月光は月輪を持っているから容易に区別される。
やや腰をひねっているが、このポーズはインドに発し、中国を経てわが国で流麗な姿態に仕上げられた。
日光とは真理がいつもあらわになっていること、月光とはそれが人々に隠される場合のあることを意味している。

まれには薬王菩薩や薬上菩薩を従えることもあるが、わが国にはその例はない。
また、薬師如来には浄土や信仰を守る十二神将が付属している。
この仏の真言は「オンコロコロシャンダリマトゥギーソワカー」といい、「マータンギ族のシャンダリーの娘の呪術によって禍を除きたまえ」という意味で、このことからこの仏はインドではなく北方の遊牧民族の間で信仰されていたものが仏教に取り入れられたのではないかとも言われている。
曼荼羅にはこの仏が見当たらず、東方に配された阿シュク如来と同体だと説く人もいる。


 

 未来の救世主  弥勒如来(弥勒菩薩)

 ■ 弥勒菩薩の戸籍

 
本籍 観弥勒菩薩上住兜率天経
現住所 兜率天
続柄 未来の仏
愛称 _
別称 一生補処の菩薩
旧姓 _
原名 マイトレヤ
特技・専門 衆生の救済


ドイツの哲学者ヤスパース(1883〜1969)は広隆寺を訪れ、弥勒菩薩を見て、この像こそ世界で最も清らかで最も美しい像である、と賞賛。
  
この菩薩はサンスクリット語で「マイトレヤ」すなわち「慈しみ」という意味をもち、ここからマイトリー(友情)やミトラ(友人)が派生した。
仏教には「不請の友」という表現があるが、こちらから頼まなくても困ったときに駆けつけてくれる友を指す。
ふつう「順境は友をつくり、逆境は友を試みる」というが、逆境の時に来て、ともに悩み、ともに悲しんでくれる友こそ本当の親友ではなかろうか。
弥勒とはちょうどこの親友のように、五十六億七千万年の未来にこの世に再来して、釈迦に救われなかった人々を救う仏であるといわれている。

キリスト教では、イエス・キリストが人々の罪を背負って十字架にかかって死んだが、三日目に復活し、いつか地上に再臨して不信者を裁き、神の国を実現するという。
弥勒にはこうした人を裁く厳しさはないが、人々に、必ず救いとるという安心感を与えた。
だから藤原道長は吉野の金峯山に経筒を埋め、出羽三山の行者たちは生存中から自分の体をミイラ化して、弥勒の再来にそなえたのである。

その容姿は、菩薩では腰掛けて片足を曲げ、頭を傾けて右手の指が頬に触れている半跏思惟のかたちをし、将来どんな方法で人々を救ったらよいか思索している姿になっている。
このほか蓮華を持ち、その花の上に舎利塔を持ったものもあるが、これは弥勒が釈迦に代わってその後の世界で教化する意志表示として、先師の象徴である塔を持ったのであろう。
  
この菩薩が釈迦の死後五十六億七千万年たつと完全な仏となってわれわれの住む世界に降り、釈迦に代わって人々を教化するといわれ、如来に昇格する。
したがってその容姿は今までの菩薩形から如来形の像になる。
すなわち、頭に宝冠をかぶらず、端正な姿で与願印の印相をしている。
鎌倉時代には過去、現在、未来の仏として、釈迦・阿弥陀・弥勒の三世仏がよくつくられた。

こうした古代人のけなげな永世への信仰は、阿弥陀仏の極楽浄土へ往生する来世信仰とともに動乱の時期に起こり、人々はこぞって弥勒菩薩に祈ったのである。
この新しい時代の到来を待ち望む信仰は、天理教や大本教などの弥勒の世直しの思想に受け継がれていく。


 

 誘惑に打ち勝つ  阿シュク如来  

 ■ 阿シュク如来の戸籍

 
本籍 阿しゅく仏国経、法華経、悲華経、金光明最勝王経
現住所 東方妙喜世界
続柄 _
愛称 _
別称 _
旧姓 _
原名 アクショーブフヤ
特技・専門 怨みを除く


「阿しゅく」とは、「無瞋恚」と同じ意味で、すべての誘惑に打ち勝ち、永遠に怨みや怒りを抱かないと誓って、東方世界に妙喜浄土をたてた仏として知られる。
薬師如来が東方に浄土をたてたところからその別名ではないかという説もある。
この仏は密教では金剛界の五仏のうちの一尊で、大日如来の東方に配され、鏡のように正しくものを映しとるという。
容姿は左手に袈裟のすみを持ち、右手は五指をのばして与願印か施無畏印を結ぶ。

わが国では天平時代にその名が知られていたが、その後はあまり造像されていない。


 

 永遠の釈迦  多宝如来

  ■ 多宝如来の戸籍

 
本籍 法華経
現住所 東方宝浄世界
続柄 東方宝浄世界の教主
愛称
別称 _
旧姓 _
原名 プラブータ・ラトナシャ
特技・専門 法華経を讃嘆


この仏像は釈迦如来とともに多宝塔のなかにまつられ、その容姿は釈迦如来と同じ姿で合掌している。

これは仏の教えを象徴した法身仏で、釈迦が『法華経』を説いているところにあらわれた仏といわれる。
一つの坐に多宝如来と釈迦如来の両像がわかちあっているのはもともとは同一のものであり、そのはたらきと内実の両側面をあらわしている。
すなわち、釈迦がこの世に現れた歴史的人物であるのに対して、多宝如来は永遠の釈迦のはたらきを象徴しているといってよい。

『法華経』(第四見宝塔品)によると、釈迦が法華経を説かれているところに宝塔があらわれて、そのなかにいる多宝如来が「その教えは真実である」と証明すると説かれている。
  
日蓮宗ではその本尊として、中央に「南無妙法蓮華経」の題目を安置し、その左右に合掌した姿の多宝如来と釈迦如来の両像をまつっている。


 

  菩薩部像 − 分家生まれの介添役の仏様

  ■ 聖観世音菩薩 或いは 観自在菩薩

 
本籍 「法華経」 「無量寿」
現住所 補陀落浄土 或いは 阿弥陀浄土
続柄 観音の総本家、阿弥陀仏の脇士
愛称 観音さま
別称 施無畏者 南海大士_
旧姓 _
原名 _
特技・専門 苦難を除く


観音さまは女性でも男性でもありません。
観音さまは仏さまの慈愛のこころを象徴したほとけさまです。

観音さまのことを説いているお経は『妙法蓮華経観世音菩薩普門品』、一般には『観音経』といわれるお経が有名です。

観音さまはほんとうは仏になるべき資格を備えた方なのですが、われわれ凡夫を救うために仏さまにはならず、いつも私たちの身近なところにいて、教えをひろめ、つたえることを誓われました。

「観世音」は「世の音を観る」とも読めます。
「観」という字は「鳥がくちばしをそろえてさえずるさまをよく見きわめる」という意味の字で、そこから「ものごとをよくみきわける」の意味になったといわれます。
ですから観音さまとは「世の人々の声をはっきりとみきわめる方」ということになります。
観音さまはその人にふさわしい三十三の姿に身を変えて現れると説かれています。
三十三身というのは、あらゆる姿になってという意味ですから、あるいはあなたの友人、兄弟、同僚、喧嘩相手や隣のワンパク坊やも、観音さまの変化の姿なのかも知れません。

インドではすでに二世紀ごろから信仰されていたようですが、日本でも初めはこの観音さまが信仰されていました。
 
その後、すべての悪をのぞいて、願い事をかなえて下さるという十一面観音が現れ、奈良、平安時代を通じて聖観音さまとともに信仰され、多くの仏像がつくられた。

さらに、六世紀後半になると、十一面観音さまよりつよい力をもつ「不空羂索観音」があらわれましたが、平安時代以降はあまりさかんになりませんでした。

人の欲望はきりがないもので、すべての願いに応じられるようにと千手千眼観音が現れて、平安時代以降もさかんで、観音信仰の主流を しめるほどになりました。

七世紀の初め頃准胝観音さまがさまざまな障害を取り除く観音さまとしてあらわれ、七世紀の終わり頃には如意輪観音さまが出現してきます。

そのほか異色の観音さまとして、怒れる姿の馬頭観音さまなどがあらわれてくるのですが、これらの観音さまは六観音、七観音とよばれて、観音さまの代表格になっています。

天台宗では聖観音、十一面観音、馬頭観音、如意輪観音、不空羂索観音を六観音といいます。
真言宗では不空羂索観音のかわりに准胝観音をくわえて六観音といっています。
七観音のときは天台宗は准胝観音をくわえ、真言宗では不空羂索観音を入れて総称しています。

観音さまは、また、阿弥陀さまのお付きの菩薩として、勢至菩薩とともに、人が死んだとき西方浄土から迎えに来て下さるという浄土経典の教えから、現世ばかりでなく後世をお願いするほとけさまとしても、人々から敬われるようになりました。

夕顔観音、汐干観音、雪除け観音、子安観音、身代観音、魚籃観音、楊枝観音、白衣観音、マリア観音、等々。
はては遊女観音まであらわれていますが、宝冠に化仏をつけているのが観音さまの特徴です。


 

  ■ 白衣観音
 
本籍 「高王白衣観音経」「観音三昧経」
現住所 補陀落山
続柄 三十三観音の一
愛称 _
別称 大息災観音
旧姓 _
原名 _
特技・専門 兵乱天変の防止


白衣はインドのバーンダラヴァージィニィの訳で、ほかに白処、白住処とも訳されて、「白処尊菩薩」とか、「服白衣観音」「大白衣観音」「白衣観音在母」ともいわれています。

白とは、ほとけさまの道を求める心、菩薩心ということを象徴していて、菩薩の心にいつもいる菩薩という意味で白衣、「白在処菩薩」ともいわれています。

この白衣観音は、すべての災難をなくし、もし不吉なものがあればすべて吉祥なものへ変わるようにと、息災延命を祈る観音さまとして古くから信仰されてきました。


 

  ■ 千手千眼観音
 
本籍 「千手千眼観世音菩薩広大円満無礎大悲心陀羅尼経」
現住所 _
続柄 七観音の一、正法明如来の願生
愛称 _
別称 蓮華王
旧姓 _
原名 _
特技・専門 諸願成就、延命、減罪、除病


観音さまのお像でも、ことにこの千手千眼観音さまは文字通り千本の手を持っていらっしゃいます。
その一つ一つには眼が画かれ、そして羂索や、ほとけさま、弓、宝剣などいろいろな道具を持っています。

それで千手観音さまを「千手千眼観自在」とか「千手千臂観世音」、「千手千眼観世音」ともいっていますが、さらには「千手千首千足千舌千臂観自在」ともよぶときがあります。

千手観音さまは観音さまの変化身で、一切の人々の悩みを救い、願い事はすべてかなえてあげようという観音さまの大悲心を、具体的に示したのが、このお像です。
ですから、人々からは人気のまとで、千手観音の像は大変に多く、いろいろのお姿につくられていますが、お顔が一面、十一面または二十七面のものと、手は文字通り千本あるものと、それを四十二本であらわしているものとがあります。

千手観音でことに有名なのは、奈良唐招提寺金堂の本尊盧舎那仏の脇士として安置されている大きな千手観音像ですが、このお像は十一面千手千眼 観音像で、文字通り千本の手が具わっておられます。

大きな臂は四十二臂で、それぞれに持物をもっており、あとの九百五十八本の小さな臂には一つ一つ眼が彫られています。

この千手観音信仰は、だいたい七世紀頃に成立してきたのですが、この千手観音そのものの原型をインドの神々の内からは明確にはできません。
しかし、たとえばインドの神話のなかに出てくるインドラ、シヴァ、ヴィシュヌ神などは千眼を持っていると信じられていますし、シヴァ、アルジュナは千臂と称されることもありますから、千手千眼観音の考え方はたどれるわけです。
西域地方にもお像が見出され盛んに信奉されていたことがうかがえますし、中国本土ではもちろんのこと、わが国でも天平時代からこの千手観音の信仰がおこなわれています。
ことに密教の流行とともに盛んに造立されて、聖観音、十一面観音についで多く伝えられています。

『千手経』によれば、おしどりの尾から羽を抜きとり、雌の羽の裏に妻の名、雄の羽の裏に夫の名を書いて、字の書いてある方をあわせて百八遍加持祈 祷して、それを身につければ、仲の悪い夫婦もたちどころに和合するとあります。


 

  ■ 馬頭観音
 
本籍 「陀羅尼集経」
現住所 _
続柄 七観音の一
愛称 馬頭さん
別称 馬頭金剛明王
旧姓 _
原名 _
特技・専門 畜生道救済・苦悩の除去


この馬頭観音は、別名を「馬頭金剛明王」とも「大力持明王」ともいわれ、八大明王の一人にもかぞえられるように、おそろしい忿怒の相をしています。

お姿のつくり方は一様ではないのですが、だいたい身体は日の出のあかね色に彩色されて、顔が三つあり、それぞれの顔に目が三つ(一つは眉間のところに縦についている)、口には牙がつきだし、頭の髪はライオンのたてがみのように逆立ち、頭の上には白馬の頭がついています。

手には、一つは白蓮華を持ち、馬頭印という二頭指をまげて二大指の下においた虚心合掌をしていて、そのほかに鍼斧、数珠、索、瓶、宝輪、剣、金剛杵などを持って、赤蓮華あるいは水牛の上に座っています。
三面八臂、三面ニ臂が主ですが、一面ニ臂、三面四臂、四面ニ臂、四面八臂などの像があります。

また、「師子無畏観音」ともよばれていますが、馬頭観音さまが武器をもちおそろしい顔をしているのは、根性の悪い者や、仏法を誹謗し、殺人、強盗などの五逆罪を犯した者などひとすじ縄ではいうことをきかない者は、とても柔和な慈顔や姿では教化できないので、明王のように忿怒の相を示して威力でもってそれらの魔障を打ちくだき、導いてやろうという大慈悲心のあらわれなのです。

馬のうえに白馬頭をのせているのは、馬が大口をあいて食物や水を呑むように六道にまよっている衆生の苦悩をタン食し、また、飢えている馬がわき目をふらずに草を食べるように衆生を救うことに専念し、さらに世界統一する力をもっていると信じられている転輪聖王の宝馬が、ひとときも休まず迅速に四方にかけめぐっては邪魔するものを蹴散らすように、衆生の邪悪な心をうちくだいてすみやかにさとりを得させるようにという、タン食、専念、迅速(精進)という三つの菩薩の徳を”馬頭”で象徴しているのです。

起源をたどると、インドの古典聖典『リグ・ベーダ』にでてくるベードゥ王の神話に関係があるといわれています。


 
*** 今後の予定 ***

【十一面観音】【如意輪観音】【不空羂索観音】【准胝観音】【大勢至菩薩】【文殊菩薩】【普賢菩薩】【地蔵菩薩】【弥勒菩薩】【虚空菩薩】


 
明王部像 − 敵を撃破するガード役の仏様

 
天部像 − お客として招かれた補助役の仏様

 
垂迹部像 − 帰化した補助役の仏様

 
祖師像 − 各国生まれの仏様

 

 
 
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