すすきのに「火の車」という小さい、本当に小さい居酒屋があった。
     母娘2代続いた、かぁちゃんの居酒屋だ。

     僕は2代目しか知らないけど、
     2代目のママは、50代半ばで、半分めくらだった。

     そのかぁちゃんには本当に影響をうけたな。
     ビリーホリディやパティペイジもそのかぁちゃんから
     教えてもらった。

     大好きだった。かわいくて、おっかなくて、
     なにより優しかった。ちゃぁんと愛のある優しさだった。
      引っ込み思案な僕をいつも叱った。

     その店が、数年前閉店するとき、僕はいた。
     かぁちゃんは泣かなくて、僕らが泣いた。

     そして、引越しのとき、たくさんのレコードと一緒に、
     地球儀をもらった。

     かぁちゃんはその後、店をしめる理由の「一つ」であった、
     ネパールへと旅立っちまった。ヒマラヤを眺める高原で住むのが
     夢だったんだ。そして、あとから届いた手紙で、ちゃんと、火の車名物、
     桜海老の入ったお好み焼きを、現地の人にご馳走したって綴ってあった。
      あのホットプレートで焼く、全くもってマズそうなあの最高のお好み焼きを。
     60歳のかあちゃんだ。

     それから僕は、アメリカがどうだ、行った奴がどうだ、してきたことがどうだ、
     そんなことがとてもくだらなく思えた。僕だって行けばいいのに。
     日本は、我慢すりゃ金稼げる国なんだ。金たまる国なんだ。
     けっこう自分のスタイルでやっていけるんだもの。
     もちろん日本だって歪んでるから、「貧乏」を売りにする輩は否定しないけど。
     なにより僕も「日本人」だから。

     そんでもって行ってみた。かぁちゃんのおかげだ。
     でも僕はかあちゃんのように桜海老入りのお好み焼きは
     アメリカにご馳走できなかった。かぁちゃんはやっぱりすげえや。

     そうだ、今夜はパティペイジが唄うテネシーワルツを聴こう。
     テネシーに行ってきたぜ、かぁちゃん。
     そんでもらった地球儀をクルクル回すんだ。

     かあちゃん元気かい?ってな。

 

 

     かつてすすきのにあった「火の車」、
 ひねくれもんのかあちゃんのその店の看板の文字は、
"黒字"で書かれていたんだよ。