ROAD TO BLUES New Orleans

 

バーボンst

 バーボンストリート(以下ストリート=st)は観光客で毎晩ごった返している。葉巻の匂い、ビールの匂いで具合が悪くなる。
 気になるライブがない日は、このバーボンstあたりをぶらついて、ジャズクラブやブルースクラブを立ち見するといった具合だった。観光客向けに、メジャーなナンバーをコピーする箱バンドが多かったけど、うまいことは確かだし、お目当ての人もいた。ジャズクラブで有名なプリザベーションホールは、とてもいいし、大体多くのミュージッククラブはドアが開け放たれていて、立ち見できる。
 僕はTo Go Bar(いわゆるテイクアウト)で$1のビールを買ってはうろつくわけだが、アジア人が一人でビールを飲みながら徘徊していると、当然毎晩数人のごろつきから声がかかる。覚えている範囲では、時にCarlからはweedをやらないかと誘われ、Pete、Michelは金をたかってきた。そのうちのある一人からまんまとだまされ、遠く離れた黒人住宅街まで連れて行かれてカジノでの勝ち分の$30ばかし取られたという苦い経験もしたんだな。

 
プリザベーションホール(外から) ジェームスブラウン好きなPeteとは一悶着あったが、次の日も出会い、気まずいながらもお互いにっこり笑って再会を喜び、住所を交換し合ったりもした。そんな風にして、New Orleansの夜を過ごしていったんだ。

   

 日中はというと、レコードショップとギターショップ、雑貨屋など探しに行くといった具合だ。地球の歩き方には僕の行きたいところなんてないし、大体あまり当てにならない。地元の情報誌やイエローページを使って探し当てるといった具合だ。そんな中でも、いいギターショップを見つけたし、レコードショップは毎日通っていた店からはそのうち名刺をもらって、いいライブがないか聞いて教えてもらったりもした。僕にしてみればとても積極的な日々であったな。

ピートと 
 ハウリンウルフと言うライブハウスでアマチュアのジョイントライブを見ていたら、一人の黒人の若者が話し掛けてきた。「ティピティナス(ゲイトマウスがこないだ演ったライブハウス)に来てたよね」と。彼はストラトでカンツォーネのような音楽をやっていた。ちょっと良かった。

 ユースホステルでは、日本人とも交流があったし、ハワイに住んでいる家族ともおしゃべりをした。もちろんこっちは片言なのだが、その子供が僕に興味津々でとてもかわいかったのを覚えている。ちょっとばかりへこんだ日も、その子が僕に話し掛けてきてくれて、小さな子供にとても救われた日もあったんだな。

    

 ある日曜日、ただぶらっと疲れるまで散歩に出かけたとき、そこは黒人住宅地(南部は黒人の割合が 多いのだが、白人との住み分けというものがある)で、ふと歌が聞こえてきた。ゴスペルだったんだな。教会で、ちょっと偉い牧師さんが来ていたらしいんだ。みんな特別な服に着替えて整列して唄っていたんだ。そのメロディや表情は、それはちょっと僕の心にくるものがあった「日曜日」だったんだな。

ミシシッピ川ほとり

 ミシシッピ川は思った以上に汚い泥水(マディウォーターズ)だったけど、夕日に映える水面は金色に光っているように僕には思えた。

   ルイアームストロング公園にて

  

 

 

 

ジャクソン広場にて

 

 

 

 

 

 

 

 ザディコとケイジャンとジャズ、ブルーズ、「New Orleans」。ジャンバラヤ、ガンボスープ、レッドビーンズライス、クロウフィッシュ、キャットフィッシュ、「New Orleans」。
ルイジアナ、スワンプ、ポーボーイ、プランテーション、バイユー、「New Orleans」。
フレンチクォーター、ジャクソン広場、ブードゥー教、マルディグラ、「New Orleans」。
ドクタージョン、プロヘッサーロングヘアー、アールキング、ワイルドマグノリアス、
ミーターズ、スヌークスイーグリン、ゲイトマウス、サッチモ、「New Orleans」。
―バイバイ「New Orleans」。

 

 ミステリートレインは次の街、テネシー州Memphisへと向かう。

 

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