ROAD TO BLUES Los Angeles(California)
旅の前夜、悪友の送別会での二日酔いで、当日人生初の公共交通機関での嘔吐を3度も経験し、サティの袋をすっかり使い果たした僕は、何の感傷もなく、なんとか国際便に乗った…。
帰りの航空券の関係で、初めての海外にもかかわらず、いきなり乗り換え(サンノゼ経由)でL.Aに着いた。二人一緒で行けばいいものを、アビーロードを歩いてきたイギリス一人旅帰りの音楽バカな当時の彼女と、L.Aの空港で待ち合わせたんだ。
しかし、待ち合わせ場所に彼女の姿はなく、当時「旅の英会話」なるもので必死だった僕は、館内アナウンスを頼み込んだんだけど、受け付けてはくれなかった。電話なんかない。L.A空港でも、日本語など通じなかった。ありとあらゆるカウンターに出向き、黒人のママの親切を受け、2時間後、奇跡的にも会うことができた。L.A空港は、札幌千歳空港が5つぐらいある広さなんだ。それはそれは嬉しかった。
L.Aでは、とにかく遊んだ。7泊9日の旅行の人並みに遊んだ。かいつまんで話そう。
時差ぼけですっかり低いテンションだったけど、レンタカーを借りていろんなところへ行ったんだ。音楽バカな二人は、レコードショップへ当然行ったりしたし、L.Aといえば、ハリウッドなわけで、あのサインを間じかに見に行ったんだな。それに、絶叫マシンしかないというマジックマウンテンという遊園地にも行った。チャイナタウンは安くてうまいし、サンタモニカビーチ、ヴェニスビーチは最高だった。やっぱり西海岸はいいなぁ、だったな。
エピソードとしては、L.Aの南、メキシコ(今思えばメキシコに行けばよかった)近くに、サンディエゴという街があるんだけど、そこまで行ったんだ。なんたって自由旅行。この街がとても印象に残っている。
「西部」の名残りを色濃く残すその街は、言ってしまえば観光の街なんだけど、とてもよかった。メキシカンは陽気だし、オールドタウンはノスタルジックで、もう一度行ってみたい街だな。
だが、この街からの帰りでエピソードは勃発する。それは…米軍にとっ捕まったのだ。フリーウェイをまっすぐ帰ればいいのに、元来今でも寄り道が好きな僕らは、当然アメリカでも寄り道していると、いきなり検問があった。迷彩服に身を包んだ兵士に、パンツ一枚まで荷物を全部調べられた。テロの影響だな。まあそこまでは良かったんだ。テロの影響は覚悟していたし、でも本物のソルジャーにちょっとびびったけど。
それからしばらく懲りずに寄り道していると、また検問に引っかかった。そこでは、当時何を言っているのか、全くわからなかったので、その後直進したんだ。そしたら事件が待っていたんだ。「ウ
ー、ウー」とけたたましいサイレンを鳴らして猛スピードで僕の車にパトカーが近づいた。そして、「Hold on your door!!!!」と怒鳴られた。どうやら僕らは戦中の米軍の陸軍ベースキャンプに突進していたらしいんだ。パトカーの両側のドアが開くと同時に、マシンガンを持ったソルジャーが出てきた。…それはそれはびっくりしたもんだ。
その後はリゾートで有名なオーシャンサイド、ラグナビーチで、のんびりしたんだ。そのビーチでは、おじいさんが、エレキギターで、ゴッドファーザーのテーマをオリジナルな演奏で一人弾いていた。まさにアーネスト・ヘミングウェイの「老人と海」だったんだな。季節はずれのオーシャンブルーに、サーファーがビックウェーブを待ちながらパドリングしていたな。
L.Aは、日本人コミュニティがあるせいで、TVも、ちびまるこちゃんがやっていたり、ドラマもやっていたっけ。
メキシカンビールにはまったな。ライムを絞るんだ。とてもおいしかった。
それから南部に向かっていく上で、もう見慣れたけど、当時はショックだったのが、西のほうではたいていある、プールつきのバックパッカ―ズ(モーテル)で、白人の若い奴らが酒を飲みながらワイワイやっているほんの10m先で、黒人のおじさんが、夜遅くまでペットボトルをごみ箱から集めている(お金になるらしい)、光景を目にすることになった。バックパッカーなんて、貧乏旅行者なんかじゃない。僕がこの旅で学んだ人生観、世界観や、「ハングリー」という言葉、その第一歩であった。そうなんだ、僕は日本人なんだ。
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