ROAD TO BLUES Epilogue

 

 よく晴れた朝だった。僕は、前の日にまとめた荷物をしょって、ブルーラインに乗り込んだ。新しいギターケースを右手に担いで。終点はシカゴ、オヘア空港。11:45発のアメリカン航空153便に乗り込んだ。いろんなトラブルがこれまでにあったせいで、かえって不安になるほどにチェックインはすんなり済んだ。眼下に広がる大地、「アメリカ」だ。何の感傷もなかった。何の後悔もなかった。現時点の僕においては。この旅の目的を果たしたという満足感はあった。行きたいと思ったら行った、という自負もあった。不思議なほどに感傷はなかったな。
 一ついえるのは、海外は、滞在期間じゃないってことだ。これは、「旅行」という視点においての僕なりの自論だ。どうってことないのだ。行ってきたからって、どうってことないのだ。そう、「旅行」なのだ。また行く、それだけなのだ。

 僕の中で、ロバートジョンソンが死んだ年に、彼の故郷に行きたかった。オーティスレディングが死んだ年に、・・・それだけのこと。要はちょいと比べたり(ちょいとね)、単純に見たかったのさ。子供の頃のように、好奇心と実行をイコールで結びたかったのさ。

 成田空港から、一番安い切符で上野までとろとろ電車に揺られていた。数ヶ月ぶりの日本の風景、僕はふと思った、その思ったことを単純に言葉にすると、わかりやすく言うと、「あーアジアだ」だ。これはとても不思議な感覚だった。だって、みんなアジアンなんだもの。「え?もしかしたらチャイニーズ?」かも知れないし、コリアンかもしれないし。上野から約30分後くらいにやっと座れたときに、思った。ものすごく覚えている。前には学生帽をかぶってシャツにサスペンダーをした小学生、右には携帯電話をいじっているOL、左には野球帽をかぶったちょっと変な中年男。15時間前までシカゴにいた僕、狭い車内。独特のエネルギー。

 

新宿の高島屋、アメリカではすれ違うとき、主に身をよじってすれ違うとき、たいてい「Excuse me」と言う。僕はニホンジン相手に言ってしまった。

 とあるレコードショップ、アメリカでは、そこの店員とあったら、というより、店に入ると、たいてい「Hi!」なり会釈なり交わす。これは今でも抜けない。今でも、「あれ?いつもどうしていたっけ?」と思ってしまう。とりあえず、店の主人と目を合わせようとしてしまう。

 とあるギターショップ、アメリカでは弾きたい放題。チューニングは常にあっている。池袋のとある楽器屋で、勝手にギターを弾き出すと、途中から店員がきて、弾き終わるまで聞いてくれて、買わないとわかるとすぐ、「一言声をかけてください」と言われた。「あれーそうだったっけ」・・・だ。

 

 フェリーで室蘭に着いて、暖かい友人が二人迎えにきてくれたんだけど、その時くらいかな、ものすごく久しぶりに雪を見て、ほんの一瞬、「ああ、帰ってきたんだなあ」と思ったな。

 たぶん、また行くだろうな。きっと一人で。冒頭に記したけど、社会的立場や経済力や、思いや目的や、人数や時期や年齢よって、旅は大きく変わる。今のところ、一人でしか行ったことないけど、だんぜんそれが良かったから、音楽、というところでの旅行は、だんぜん一人で行きたいな。

 

 じゃあ、読んでくれてありがとう。

 

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