ひまだぁ――。
窓ぎわの席は日あたりがよすぎて、ねむくてしかたがない。ぼくはなんでこんなところにいるんだろう。遠くの空にはモクモクとした雲のかたまりがドデっとあって夏がちかいことを教えてくれる。青空とはいえないが、さわやかな初夏の一日だ。ポートボールに興じる低学年の生徒の乾いた掛け声が、校庭からひびいてくる。
こんなところ――というのは、学校だ。ぼくの名前は蔵ヒロシ。東京の東はずれにある川辺小学校五年二組。いまどき学校なんて時代遅れなんだけど、たまたま家から歩いて二分のところに学校があったのが運のつきだ。おとうさんは「なにごとも経験だ。いまは学校なんて行きたくても行けないんだから」といって、ぼくをかよわせている。おかあさんも反対しなかった。
というもの、いまは、子どもたちのおおくが地域の教育センターのコンピュータにアクセスして、勉強している。コンピュータの中にはいくつかバーチャル・スクールがあって、自分で好きなところを選べるんだ。もちろん「学校」が嫌いな人は入らなくてもいい。
こうした「学校」のスタイルは、一〇年ぐらい前にはじまったらしい。
身体障害者や、病気で長いこと入院している人も、みんなとおなじように勉強ができる。それに、学校が嫌いだけど勉強は好きとか、友達は嫌いだけど勉強は楽しいという人も、つらい思いをせずにすむ。学校には人間として生きていくために必要な知識を覚えるためにいくんだ。学校に行くことが目的じゃない。ましてや、いじめられたりいじめたりするためにいくんじゃない、ということで始められた。それに先生も生徒に殴られたりしなくてすむしね。
でも、ぼくのかよっているような時代遅れの学校――ではなくて、古風な教育方針の学校もいまだにある。ようするに、いろいろな形で勉強ができるようになったんだ。
そして、ぼくらのクラス担任、自称「熱血教師」のタヌキは、学校以上に時代遅れだ。算数でも国語でも体育でも最後は「ガッツだ」だもんな。ガッツでできれば、だれも苦労しないっていうの。
タヌキこと田沼昭夫先生は、ぼくたちと同じ年ごろに「宇宙飛行士になりたかった」らしい。そこで中学校では宇宙飛行士に必要な体力を鍛えるためにバスケット部に所属した。ところが頭を鍛えなかったので、高校にはいるときに宇宙飛行士の夢はブラックホールに吸い込まれてしまった。そこで、高校時代に夢を「プロ・バスケ選手」に変更したものの、青春の目覚め――女の子に夢中になったということ――を体験してしまって、肝心のバスケもおろそかになってしまった。三回目の受験でようやく入った大学の四年間は遊んで暮らして、休みがたくさんありそうだという理由だけで教師になったなんていう教師を信じられるか。しかも、そうしたことを生徒に向かっていうなんて信じられないよ、本当に。
ガッツがたりなかったとしかおもえない。自分ができないことを人に押しつけるなんて最低だよ。
「こらあぁ、ヒロシっ! なにボケーとしてるんだ。先生がこんなに一生懸命に教えているのに、つまらないのか?」
「はい」
「……。はい、ってなぁ。窓の外は俺の授業より面白いのか?」
「はい。きれいなおねーさんのスカートが風で……」
「ど、っどこだ?」
まったくやってられない。クラス全員が――ジョシまでが――窓にへばりついているすきに、ぼくは下敷きのはしっこの指紋認識ユニットに親指をあてた。
音もせずにコンピュータがめをさました。コンピュータ本体はランドセルの中だけど、蓋を開けても機会が見えるわけじゃない。ぼくのお父さんのハンドメイド・パソコンだ。指紋が一致しないとパソコンが起動しないしくみなんだ。
五秒ほどで下敷の三分の二ほどがディスプレイに変化した。続けて中指をユニットに押し当て、システムにログインする。
今日は寝坊して、おまけに、出がけに妹とけんかをしたので、電子メールをチェックできなかったのだ。
現代は学校に教科書の代わりに携帯端末をもってくる。小学校に入るときに、教科書の代わりに携帯型コンピュータと電子メールのアドレスをもらう。これをつかって学校との連絡、宿題もやり取りされるのさ。
でも今は授業中。学校のメイン・コンピュータを経由してメールを使うと、記録が残ってしまうから、ランドセルに内蔵の衛星電話をつかってのアクセスだ。もちろん、これも、学校の授業中にはやってはいけないことだけどね。
三〇ちかいメールがコンピュータに流れ込んできた。ほとんとは、サッカー愛好会とか、電子メール暗号クラブといった趣味で参加しているメール・クラブからだ。プライベートなものは――。
アリスさんから「元気ぃ?」。特に内容はない。彼女はこれまでのおつきあいから推理すると女優らしいのだが、ふとした迷子メールがきっかけでメールをやりとりするメル友になった。でも本人にあったことはまだない。メル友にはそうした人がたくさんいる。こっちが小学生だということを承知で対等におつきあいしてくれるお姉さまだ。女心に悩んだ時は最強の相談相手。
あとは……。
あ、龍野進さんからきている。学校の食堂で友達になってから、メールをやりとりするようになったおじいさんだ。久しぶりだぁ。最近メールをだしてもなしのつぶてだから、死んじまったかとおもった。なんせ歳が歳――八〇歳――だから。いつか、メールアドレスの廃止が通知されるんじゃないかとひやひやしてたけど。
「元気か? メールに返事をせんですまなかった。死んだとおもったろ?(^_-)。
あたらずともと遠からずじゃ。病院というのは退屈じゃな。なんの、心配はいらないぞ。痔の手術だ(@_@)。もう大丈夫! からいものでも酒でもオッケーじゃ」
同じ文面を同時にアリスさんなどの仲間にも発信しているから、みんなに知らせる必要はないな。まぁ、生きててよかった。
ん? こりゃなんだ?
「REQUEST to TRON from HAL」
みたこともないアドレスからのメールだ。
「from HAL」ってことはHALが名前だね。添付ファイルもなし、ファイル・サイズも2kかぁ。どっちみちいかがわしいインターネット・ビジネスのお誘いメールなんだろうけど、メールのタイトルが気になった。
Tron――ぼくのインターネット世界でのハンドル名。芸名みたいなもんだ。日本で開発されているコンピュータ・システムから拝借した――この名前を知っている人は、親兄弟を含めてもそういない。ただし半年前のある冒険にまつわる話をフリーライターのお父さんが物語にしたてて、電脳都市「MAHOROBAシティ」の本屋で売ったために、その名前が電脳空間に飛び交って、有名になったことはある。しかしあのときも、メールアドレスは公開していないはずだけどな。不用意に返事を書いたこともないし。
そのとき、下敷きがブルっと震えた。インターネットを通じた会話「チャット」のお誘いだ。相手がインターネットに接続していれば、こうして電話みたいに呼び出すことができる。
こまったなぁ――と迷っているとしつこく誘いをかけてくる。しかたなく応じると、待ってましたとばかりにディスプレイに文字が流れてきた。お誘いの相手はアリスさんだ。
Tron アリスさん。いま授業中ですよ
Alice だって遊んでるんでしょう
Tron それはそうですが
Alice なんの授業なの
Tron 国語です
Alice 熱血教師は元気かしら
Tron はい
Alice ふふふ
Tron ところで、なにか用ですか
Alice あ、そうそう。HALって子からメールが行くと思うんだけど、あなたのことを教えたのはわたし。HALって子の人物保証はわたしがする。といっても、わたしも会ったことはないんだけど
Tron アリスさんの保証なら
Alice あれ、そんなに簡単に信じていいのかな
Tron アリスさんは信じてはいけない人なんですか
Alice そういわれるとね。ま、とにかくよろしくね。メールだけは読んであげて。あとはヒロシしだい。じゃ、おべんきょうがんばれよ、小学生! チャオ
ふー。しょうがない、読みますよ。HALからのメールは、ファイルサイズどおり短い内容だった。
Tron君へ
初めてメールします。アドレスはアリスさんに教えてもらいました。わたしの名前は安岐元ハルといいます。東京の下町に暮らす小学五年生です。
Tron君の半年前の活躍は、インターネットでわたしも良く知っています。すごいなって感動しちゃった。
そこでTron君を見込んでお願いがあります。
実はわたしの通う小学校の校庭から人骨が出てきて、大騒ぎなの。
この人骨がだれのものなのか、どうしてわたしたちの学校の校庭に埋められていたのか、調べてもらいたんだけど。
引き受けてもらえるようだったら、返信ください。折り返しデータを送信します。
といわれてもなぁ。あたらしいタイプのインターネット・ビジネスじゃないのかな。返事するとこっちの情報を差し出すことになるし、データを受け取ると、マシンを壊すウィルスが入っているとか……。困ったなぁ。
「ヒロシ、なにが困ったんだ?」
やっべぇ、いつのまにかタヌキがぼくのうしろに立っていた。
「下敷きにむかってブツブツ言って、気持ち悪いやつだな。まぁ、季節の変わり目だからしょうがないか」
といいながら、タヌキはぼくの下敷きを取り上げて、「おまえを困らせるこの下敷きは放課後まであずかっておく」といった。
クラス全員が笑いころげている。ぼくは耳まで真っ赤だ。
結局、HAL――安岐元ハルさんに返信するのは放課後になってしまった。
放課後、タヌキに平身低頭してようやく下敷きを返してもらった。タヌキは下敷きをくるくるっと丸めてぼくの頭をポコンとたたいてから、なげて返した。ノートブック型のパソコンでなくてほんとうによかった。
職員室を出ると未来人と啓介が待っていてくれた。
「ヒロシ、早く帰ってゲームやろうぜ」
「そうだよ、もう少しであの島を手に入れられるんだからな」
ぼくたち三人は、この一ヵ月ほどMAHOROBAシティのゲーム・フィールドで、優勝すると、現実にある太平洋上の島をもらえるゲームに参加していた。世界じゅうからの参加者をなんとか破って、いま決勝戦をモロッコという国の砂漠地帯に住む高校生相手に戦っている。
「うん。わかった。でもその前にメールの確認だけさせてくれよ」
二人はぼくのことなどそっちのけでゲームの話に熱中している。
「未来人、問題はこっちの最終兵器をなんにするかだ」
「おれはやはり納豆だとおもうんだ、啓介」
「たしかにモロッコに納豆はないだろう」
「向こうはなにをだしてくるかな?」
「まずはそれを調べてからじゃないとな」
@
家に着いて、お父さんの仕事部屋をのぞいた。フリーライターのお父さんは自宅で仕事をしていることがおおい。今日もパソコンに向かってブツブツ言っている。モノグサなお父さんのパソコンは、すべてが音声認識だ。
「おとうさん、未来人たちとゲームやるから、しばらくネットワーク回線ふさぐよ」
「うん、わかった。おやつは電子レンジのなかだ。今日のキーワードは開けごまだ」
「はーい」
ぼくの家には子ども部屋という部屋はないので、啓介は一番広いリビング・ダイニングにコンピュータをセットしている。
。ぼくの家は、リビングダイニングを中心に各自のスペースが並んでいる。リビング・ダイニングはパティオ、家の中にある庭みたいなものだ。ついでにいえばおかあさんの趣味で、腰より背の高い家具は少ない。地震のとき倒れてくると恐いからだそうだ。でも、いつも家にいないおかあさんのスペースが一番散らかっている。お客さんがくるときはそこを隠すのに苦労するぐらいだ。もちろん地震がきたら脱出不可能!
もうひとつついでにいえば、キッチンはお父さんの趣味で、レストランの調理場みたいだ。丸洗いできるキッチンが欲しかったんだそうだ。ぼくはメールをチェックしたいから、おやつのしたくは未来人にたのんだ。
「なんで電子レンジに向かって開けごまなんていわにゃならんのだ」などとぶつくさいいながら未来人はキッチンに入っていった。
しばらくすると「開けごま」という未来人のやけくそな声がして、一呼吸おいてから電子レンジが「できたよ」と声をあげた。
香ばしい香りのおやつは「ごま団子」だ。どうやら父さんのオリジナルらしい。でも、単純な発想のネーミング。
さてと、メールだ。
新しいメールがきているが、大半はあとまわしだ。
あ――。
ハルさんからまたメールだ。なんだかんだといっても頼むほうが強いよな。これで断れば、ぼくは悪者だ。ぼくに断るちゃんとした理由があっても、頼んだほうは「見かけ倒し」とか、「けち」とか捨てぜりふで、さも自分が先に傷ついたといわんばかりだ。おまけに、たいがいは、相手も傷つけたことを自覚しない。あぁ、やだな。アリスの推薦がなければ断るのに。
しかたなくハルさんからのメールを開いた。内容は前と変わらない。要するに、引き受けろという「さいそく状」だ。
しかたなく、ハルさんには、「資料を送って ただし引き受けるかどうかの返事は保留」とだけ書き送った。短くそっけないのがせめてもの抵抗だ。小学五年生だって、面倒くさい人づきあいがあるんだ。
@
結局、ゲームは今日も引き分けに終わってしまった。
いまやっているこのヘンテコなゲームは、対戦者が互いに自分の身の回りからなにか一つ選んで相手に突きつける。それを相手が受け入れられなければ勝ちなのだ。禁じ手は個人攻撃だ。
バーチャル・ボディ・スーツを装着して戦う。これをつけていると、相手のうごきや、相手の息づかい、熱や手ざわりもリアルに再現されるのだ。
未来人のいうようにこっちは最終兵器を「納豆ビーム」という日本人が聞いたら大笑いしそうなものにした。ところが向こうは日本語に訳せば「腸詰羊血ブラックジャック」をだしてきた。羊の長に羊の血を詰めて発酵させたものをブンブンふりまわしてかかってきた。あたっても痛くはないけど、グンニャリヌメヌメとした感触と生臭い臭いが残る。これには体力自慢の啓介ものけぞった。ぼくも手出しはできないし、血が嫌いな未来人は見ただけで顔を青くした。
もっとも向こうの高校生も納豆ビームを全身に浴びて逃げたんだけど。
「くやしいな。絶対勝てるとおもったのにな」
これまでおおかたの対戦者を「納豆ビーム」で倒してきただけに、ショックだった。
「あまかった。もっとリサーチするべきだった」と、未来人も啓介もくやしそうだ。でもくじけるということをしらない啓介は「つぎはクサヤシャワーにするか」と、すでに次の手を考えている。
冷静な未来人は「いや食事系はやめたほうがいいんじゃないか」とつぶやいている。
ゲームの優勝賞品――太平洋の島。周囲三キロほどの珊瑚礁に囲まれた島。手に入れたら、浜辺に小屋を建てて三人で暮らそうと話していた。学校なんていまの時代、どこからでもアクセスできるんだ。
ぼくら三人――。啓介と未来人とは一年生のときからの友だち。家も近いので、しょっちゅういっしょに遊んでいる。
「あぁ、あの島が欲しいな」。未来人が、ごま団子をほお張りながらいう。
「でもさ、どうやってあそこまで行くんだ。飛行機はないぜ。船はいやだよおれ」。啓介は船に酔うのだ。お風呂のお湯がタプタプするだけでも酔ってしまう。
「そんなことはあとで考える。まずは島を手に入れることだ」と、未来人がきっぱりという。
いかにも未来人らしい考え方だ。一見、冷静沈着に見えるかれの口ぐせは「歩きながら考える。立ち止まらないかぎり未来は明るい」だ。とても一一歳とはおもえない。
「ともかくだヒロシ。検索しておいてくれよ」
「おい啓介、いいかげん検索ぐらい覚えろよ。おまえが自分でやっておけば、明日の朝にはデータが抱えきれないほどどっさりと集まっているよ」
「おれは読んだり考えたりするのは嫌いだ」。これは啓介らしい。かれは、直感というか思い込みの人間だ。つぼにはまると恐ろしいほどのパワーを発揮する。だからといって外れても落ち込んだりはしない。次のビビビがくるまであとからトボトボとついてくる。
「とにかくやれよ」
と、未来人にまでいわれて、啓介はしぶしぶコンピュータに向かって、思いつくままにキーワードを打ちこみはじめた。日本語でもだいじょうぶ。翻訳キーを押せば希望の言語に翻訳してくれるのだ。語学を勉強しなくてもコミュニケーションができるなんて、たいしたもんでしょう。
「モロッコ、高校生、苦手、弱点、弱み、嫌いなもの……」
啓介が打ちこむキーワードを後ろからのぞいて、太平洋の島が三センチぐらい遠のいた気がした。
@
その夜、たまっていた電子メールを読みながら、ぼくは、ハルさんからのメールがくるのを待っていた。
メール・クラブから届いたものには特にこれといったものはなかった。ティーンエイジャーが運営しているクラブがおもなので、「バーチャル・スクールの怪談」とか、「ネット上でのいじめ――メールに返事を出さないシカトもある――」のこと、「我が学校のタヌキ先生自慢」、「メールで異性の心をゲットするための講座」とか、「暗号メールの解読と作成」、「学年べつの試験対策ソフト作成サークル」、「ファッション」、すごくマニアックなところでは、「今日の給食自慢」っていうのもある。だいたい、ヒロシはリードオンリーメンバーだ。ただし、タヌキ先生自慢はヒロシが主催者だ。
一日のうちに二度もメールで催促しておいて、こっちのメールには返事もよこさないなんて、ハルさんって、きっと生意気なやつなんだろうな。うちのジョシにもいるよ。
そろそろ寝るか、と思ったときにデスクトップをランドセルが泳ぎだした。
ヒロシのコンピュータでは、メールが届くとランドセルが画面を漂う。それをクリックすると、蓋が開いて手紙が溢れ出す。これもおとうさんのつくった仕掛けだ。
ちなみにお父さんのところにきたメールはウイスキーのボトル、お母さんは青の香水瓶(ダイレクトメールがほとんどだ)。ちなみに妹のもあってそれは哺乳瓶だ。これにも保育関連産業からのメールが届く。いまのところおかあさんが代わって管理しているけど。
あぁぁ、ランドセルが沈みかけてる。相当重いファイルがきたんだな。速く開けなくちゃ。クリック――。
「Information to Tron」
うわさをすれば影。どうやらハルさんが資料を送ってきたようだ。
本文は相変わらずそっけない。
「引き受けてくれてありがとう。資料を送ります。圧縮自己解凍ファイルです」
インターネット空間にハルさんがいるかと思って探したけど、いなかった。行動もそっけないやつだ。
しかたないので、添付ファイルを開ける前に返信を送った。
「まだ引き受けたとはいってない Tron to HAL」
メールのそっけなさとは裏腹に、ハルさんの自己解凍ファイルはなかなか楽しませてくれるものだった。
ファイルをクリックすると、画面にトラックが走りこんでくる。つぎにおじさんが荷台からダンボールをおろす。トラックが走り去ると、ダンボールがガタガタと震えて、中にはいっているものがひとつひとつ飛びだし、それぞれがファイルの内容にあったアイコンに変化するのだ。
地図は地球儀、ハルさんの調査結果は連絡帖、その他は筆箱のかたちだった。
ヒロシはここまででマシンの電源を落とした。
眠い。もう一一時だ。
自己解凍ファイルのデザインなんかに凝ったりして、なかなか返事をよこさないからいけないんだ。ときどき方向ちがいの努力をするやつがいるもんだ。だから人間っておもしろいんだけどね。
結局、おかあさんとは三日も顔を合わせていない。なんだかとっても忙しいんだ。今朝も起きたときにはもう会社に出かけたあとだった。キッチンにはエプロン姿のお父さんがいる。
「おはようヒロシ」
「オハオウ。ファーア」
「顔をあらってこい。いま朝ご飯ができるから」
登校前に昨日の夜のハルさんからのメールをプリントアウトした。アナログな方法だけど歩きながら読むにはちょうどいい。妹を保育園に送っていくお父さんといっしょに家を出て、未来人の家に行く。それから啓介の家だ。二人とも学校とは逆の方向だけど、順番で迎えにいくことにしてる。いまは、登校班なんてない。ヒロシの通っているような古風な教育方針の学校は今では少なくて、電車に乗って通ってくる(通わされている?)子のほうがおおいんだから、班なんてつくっても意味がないんだ。
未来人はぼくが手にしている紙を見て「なんだそれ?」というような顔をしたが、ぼくが「ちょっとね」というと、それ以上聞いてこなかった。別に秘密にしているわけじゃない。ぼくが話したくなったら話すことを未来人は知っているだけ。次は、啓介の家。玄関からおかあさんにたたき出されるようにして出てきた啓介は、「なんだそれ」といって、ぼくの手からプリントアウトをうばいとった。
「検索結果か? 俺のキーワードはばっちりだったろう? ん? なんだこれ」
「しまった。お目当ての検索結果はプリントアウトするのを忘れた」
「こら」というなり、啓介はぼくの後ろに回ってランドセルの蓋を開けて、パソコンを立ちあげた。蓋が画面になっているんだ。「プリントアウトぐらいじぶんちでやれよ、啓介のケチ」。啓介は放っておいて、ぼくはハルさんのメールの続きを読む。
ハルさんも、ぼくとおなじように「古風な学校」に通っているらしい。学校は東京の下町といわれるエリアにあった。学校名にひいおじいちゃんが生きていた頃の元号「大正」が使われているところをみると古い学校なんだろう。
人骨が出てきたのは校庭のどまんなかだ。なんでそんなところを掘り返したのか。ハルさんのメールを要約すると――
子どもの数が少なくなったことと、学校のありかたが変化したので、ハルさんの通う学校は廃校になることになったのだ。記念に在校生が思い出の品を入れたタイム・カプセルを埋めようということになり、校庭を掘ったところ、骨が出た。大騒ぎだったようだが、校長は面倒なので「犬だ」といってそのまま埋め戻したらしい。
でもハルさんはその骨が犬じゃないことを知っているのだ。「だって、犬には五本指なんてないでしょう?」
ハルさんはジョシには珍しく生物が大好きらしい。ほかの子が「きゃー」とかいっているあいだじゅう、じっと観察していたんだそうだ(ぼくは苦手だこのタイプ)。
それで依頼のむきは、最初のメールにもあったように、だれの人骨なのか、どうして校庭に埋められているのか、それを調べて欲しい
――のだそうだ。
調べてどうするのか? 殺人事件だったら犯人を捜すのか? 小学生の仕事じゃないぜ。
「さてどうするか?」
「どうするって、簡単なことじゃないか? 警察に連絡だ。校長なんか糞くらえだ」
啓介がランドセルに向かってわめく。こいつ、さっきこの紙をうばったときに内容を読んでいたんだ。油断ならないやつめ。
「なんだなんだ、おれだけのけものか?」と未来人が割りこんできた。
「いやそうじゃないさ。啓介が盗み読みしただけだ」
ということで、学校までの残りをぼくはハルさんのことを二人に話しながら歩いた。
@
昨日のことがあるから今日は学校ではおとなしくしていた――すくなくとも授業時間のあいだは。
ハルさんからの依頼で調べることは……、いけない。すっかり引き受けるつもりになっている。これは仕事だ。ボランティアじゃない。しかも依頼してきたのは向こうだ。まずは、仕事の契約交渉といかなければ。
二時間目と三時間目のあいだの二〇分休みにメールを打った。
「報酬はなに? to Hal」
うまくいけばこれであきらめるだろう。
@
川辺小学校の給食はバイキング式だ。生徒一人一人が磁気カードを持っていて、精算する。嫌いなものを食べない自由と(もちろん偏食して病気になる自由がもれなくついてくる)、それに金銭感覚を養う教育なんだそうだ。ともかくきょうはモロッコ風スパゲティを頼む。ゲームで勝てないからせめて食ってやろうというのだ。トレイをもってうろちょろしていると、「ぼうず」と声をかけられた。振り向くと龍野進さんだ。
「わぁ、龍野進さん。お久しぶりです」
たつのしんと読む。たつのすすむなどというと振り向きもしない。名字は聞いたことないが、きっとややこしくなるんだろう。
なんで学校の食堂に龍野進さんがいるのかというと、学校は授業中の教室をのぞいて、図書室や美術室、工作室からトイレや校庭も、基本的にいつでも開放されているからだ。さすがに廊下で騒ぐと追いだされるが、歩いているぶんには文句はいわれない。
食堂も開放されている。近所の一人暮らしの老人や会社のおじさんもやってくる。いまも、クラスナンバーワンの秀才ちづるが不動産屋のおじさんをつかまえて、土地の競売への参加方法を伝授してもらっている。あのおじさんは近い将来、ちづるが商売敵になって愕然とするはずだ。ちづるはいまでも、おもちゃのデザイン会社の取締役だし、相当のおかねもちだ。中学二年になったらその次は大学に飛び級する予定だ。
「ぼうずは元気だったか」
「ええ。なんとか」
「ほっほほ。ずいぶんとおとなびた口のききかたじゃ」
「ここすわってもいいですか」
「そのつもりで声をかけたんだ。ところで心配かけてすまなかったな」
「いえ」
「まぁ、このとおり、チューンアップも完璧だ。病院でバージョンアップもしてもらった。ばあさんは迷惑そうだがな。ははは」
「よかったですね。龍野進さんは、ぼくのたいせつな外部記憶装置ですから」
「ひゃっひゃ。まいったね、しわも消えかかっているこの脳みそは性能がわるいぞ」
「もちろんです。新しいことは自分で覚えます。でも、龍野進さんはぼくの生まれる前の記憶を持っている。それはとても重要なことです。何十年もの記憶をぼくがてもとに置こうとしたら、ハードディスクが何ギガあってもたりゃしませんよ」
「ううううっ」
「どうしたんですか龍野進さん」
龍野進さんは急に下を向いてしまった。痔の具合がわるくなったのだろうか。
「今のヒロシの言葉を、うちの孫どもに聞かせたいぃー」
「なにも泣かなくても……」
「俺が入院しているときに孫は見舞いにきた。きたことはきたが、俺が財布をもっていないことがわかると、さっさと帰って二度と見舞いにこなかった。おれは小遣いマシンなんだ、あいつらにとっては」
「だって、そうしつけたのは龍野進さんでしょう」
「そりゃそうじゃが」
「ぼくはおじいちゃんもおばあちゃんも、そばにいないからですよ。だから冷静なんだ。
ところで大正小学校って聞いたことありますか? 東京の下町にあるんだけど」
「あぁ、聞いたことがある。たしか、丸みをおびた外観と、学校とはおもえない正面玄関をもった近代建築だな。完成の式典には時の総理大臣が学校にきたということだ。いわば下町の名門小学校じゃ」
「良く知ってますね。さすが、ぼくの外部記憶装置だ」
「年寄りをからかうんじゃない。それよりその学校がどうかしたのか。困ったことか?」
「そうじゃないですけど。あ、昼休み終わっちゃうから。あとでメール入れます。じぁ」
@
龍野進さんと話しこんでしまって、午後の事業開始まであんまり時間がなかったが、食器を洗ってから行くことにした。食器は自分で洗うと一〇ポイントが加算される。二〇〇ポイント溜めると現金がかえってくる。給食二回分だ。隣りには当然ちづるがいた。
「ねぇヒロシ君。あのおじいさんどなた? ずいぶん熱心に話していたじゃない」
ちづるは「儲け話」に対する嗅覚が鋭い。彼女にいわせると、儲けの素は「人が持つ興味」だという。
「あのおじいさんは、ぼくのメル友だよ。しばらく入院しててさ、久しぶりにあったんだ」
「いまね、コンピュータを組みこんだ介護ルームっていうのを企画開発しているのよ。あのおじいさんモニターになってくれないかな。ねぇ、頼んでみてよ。謝礼は友達割引でやすくしておくから、ね」
ちづるは悪気はないんだが、まともにつきあっていると疲れる、それがたまに傷だ。まぁ、きれいな顔のきれいな目で見つめられながらいわれると、まんざらではないけど。
「そのかわりぼくに仲介手数料をくれるかい?」
ちづるには予想外の返事だったようで、目を真ん丸にしている。君だけじゃないんだから「利益」を考えているのは。
@
なんとか午後の授業に、まにあった。
午後は音楽だ。作曲の授業。犬の鳴き声や工場の機械のおとなど、自分で集めてきた音を使って、パソコンで曲を作る。体力勝負のタヌキはこうした方面には才能がなくて、音楽のときは別の先生がくる。顔の青白い、ひょろりとした人だ。髪の毛はミドリで逆立てている。あだなはアスパラだ。指も細くて、およそ音楽的ではない動きをするのだが、彼の頭脳がつむぎだすメロディーは、タヌキでさえトロンとしてしまうほど美しい。
疲れていたぼくは、アスパラの弾くピアノで熟睡――。
「あぁ、良く寝たぁ」と目覚めたときに、まっさきに目にはいったのがタヌキの鼻の穴だった。どうやらぼくは机にうっぷすのではなく、いすによりかかり、天井を向いて寝ていたようだ。おまけに授業は六時間目になっていた。
「おはようヒロシ。すっきりしたところで、教科書を読んでもらおうか?」
「ははははっはい。先生」
またもやクラスじゅうの笑いものになりながら、ぼくは国語のテキストが表示された端末をもって立ち上がった。昨日といい今日といいまったくついてない。これで放課後は職員室で沈没だ。
@
職員室にはタヌキの大声が響いていた。ほかの先生も迷惑そうに顔をしかめていたが、おかまいなしだ。教頭先生がたまりかねて「もうそのくらいにしては……」と声をかけてくれたが、「いえ、教頭先生のお言葉ですが。こいつのためにならんのです」と止める気配はない。
騒音にたまりかねた先生たちは、とうとう残業をあきらめて一人また一人と帰ってしまった。
「いつまでつづくんだろう……。職員室からでたら世界は破滅していた。そしてタヌキとふたりきり……」と思ってしまうほど長い時間がたった頃、ようやく職員室からでることができた。誰もいない校舎のなかはオレンジ色の夕日がいっぱいだった。
タヌキは帰りがおそくなったので、少しは反省したのか「家まで送る」と言い張り、結局、学校の戸締まりの確認につきあわされ、靴を履き替え、そのあいだ家に着くまで叱られつづけることになった。
タヌキに送られて家につくと、お父さんが「ぜひ夕飯をごいっしょに」なんて誘うもんだから、タヌキはそのまま上がり込んで、なんだか家庭訪問みたいだった。
そういうわけで、メールなんてチェックする暇がなくて、ぼくは目覚まし時計をいつもより一時間早くセットしてベッドにもぐりこんだ。
夢のなかで、タヌキと二人きりでメリーゴーランドに乗っている夢を見た。ゲェッ!
最悪のめざめだがタヌキから逃ることができてほっとした。フルフルと頭を振ってタヌキを完全に退治してから、パソコンを立ち上げ、メールをチェックする。キッチンから朝ご飯の用意をする音が聞こえる。お父さんの作る朝食はワンパターンだから閉口するが、文句を言うと「からのお皿とコップ」がでてくるのでがまんする。
さてと、ハルさんからのメールはっと……、あったあった。
「報酬はXチップ780でいかが?」
うー。なんでぼくが今一番欲しい物がわかるんだ? 引き受けないでか! Xチップ780のためならば! このチップはパソコンのつなぐだけで処理スピードを速くする機械だ。コンピュータに組み込む必要がないので、持ち運びができて、旅先のホテルの旧式のデジタル・テレビも最新鋭のゲームマシンに変身させてしまうものだ。
「引き受けます。調査を開始します。報告書を送るために認証コードを下さい」
認証コードとは、コンピュータ時代の住所録兼身分証明書みたいなもんだ。
さてとつぎは、龍野進さんだ。昨日はとうとうメールができなかったからきっとおこっているだろうな。朝のこの時間、龍野進さんはたいがい電脳都市MAHOROBAのなかを散歩している。龍野進さんの散歩コースをたどっていく。
いたいた。杖を突いた仙人のアイコンがうろちょろしている。ぼくのアイコンはシーサーという沖縄の魔除けの飾りだ。屋根の上にのせるらしい。沖縄というところにはいったことがないけど、デパートでやっていた物産展でシーサーを初めてみた。魔除けといっても恐くなくてなんかニコニコしているように見えたところが気に入って、おかあさんにねだってミニチュアを買ってもらったんだ。ぼくのデスクトップのマシンの上に乗っている。コンピュータウイルス除けというわけさ。
Tron 龍野進さん? おはようございます。例の場所に行きませんか?
Ryu おおぉヒロシか。夜通し待ったぞ。わかった。
「Ryu」というのは、龍野進さんのハンドル名だ。二人だけの待ち合わせ場所に移動し、ほかの人からのぞかれないように「しめ縄」を張って、ぼくはキーボードから音声入力に切り替えた。
なら電話をかければいいって? だけど、もし起きていなければたたき起こすことになるし、ほかの人にも迷惑だろう。いなければ、メールに切り替えればいいだけだ。それにデータのやり取りも簡単だしね。
しめ縄を張った「部屋――結界とよんでいる」がまったく安全というわけじゃない。インターネットにいる人には見えている。でも、なかにいる人の許可がないと入れないシステムになっているだけだ。もちろん破ろうと思えばできる。悪意をもってそうしないのは、信頼というルールだ。でもなかにはそうした価値観を持たない人もいる。
ぼくもいちど、友だちと「部屋」で話していたとき、突然見知らぬ人に割り込まれて「ばかなことをいっていると、街を歩けないようにしてやる」と、いわれたことがある。そういうことをして楽しむ人がいることも事実だ。もちろんぼくはそうした「脅迫」があったことをネット上に警戒情報として流した。これで被害が防げるわけではないが、みんなに知っていてもらうことはいいとおもったのだ。もちろん、その情報に対しての悪口も流れたけど……。
ネットの世界は、新しいからといって「清潔」でない。「正義」が唯一のルールでもない。人間の社会がそうであるように、いろいろなことがあるんだ。
Tron 龍野進さん、ハルさんからねメールがきたんだ。報酬はXチップだよ!
Ryu 待ってくれヒロシ。順序だてて話してくれよ。
Tron あぁごめんさい。
Ryu 昨日のどこだかの小学校のことと関係があるのか? それに報酬とはなんなんだ。
Tron ああ、うん。ほら半年前の探偵ごっこのことを知っている子からね依頼がきたんだ。保証人はアリスなんだけどね。
Ryu ほぉアリスさんか。
Tron うん。それでね、引き受けるのが当然だみたいなメールだったからさ、ぼくもちょっと頭きて、引き受けるもなにも報酬はなにか? ってきいたわけなんだ。もしそれであきらめてくれればそれはそれでいいじゃない。
Ryu でも引き受けたんだろう。
Tron うん。
Ryu で、どんな依頼なんだ?
Tron それがね、その子、名前は安岐元ハルさんっていうんだけど、通っている小学校の庭から人骨がでたんだって。
Ryu 人骨が地面からでることは珍しくはないが、出た場所が場所だな。古いのか? その骨は。
Tron そこまではわからないみたい。校長先生が「犬だ」といって埋めちゃったみたいだから。
Ryu とんでもない校長だな。
Tron 廃校になる学校だから面倒はおこしたくないんじゃない。
Ryu わからんでもないが、好奇心にかける。好奇心がない教育者などつまらん。
Tron まぁ、それはおいといて……。どうしたらいかな。
Ryu 意外と簡単かもしれないぞ。
Tron え、どういうこと?
Ryu 何人ぐらいがその場にいたんだ?
Tron ハルさんを含めて四〇人ぐらいだったみたいだよ。
Ryu 校長があわてて埋め戻したということは、その場にいたみんながしっていると考えていいだろう。
家に帰って両親に話すやつ、塾で友だちに話すやつ、ヒロシみたいにメールをながすやつ。ということは世界じゅうが知っていてもいいようなもんだ。
人骨があるということはわかっている。それを掘りかえしてしまったということもわかっている。おまけにまぬけな校長が埋めもどしたこともわかっている。
いつのことだ?
Tron あ、それは書いてない――ぼくはハルさんからのメールをディスプレイで確認しながら話していた。
Ryu まぁ、そんなに昔じゃないんだろう。とすると、もしその人骨が新しいものだとすると、見つかった人骨が埋めもどされたことを知った犯人はどうする?
Tron うーん、別の場所に埋め戻しに行くね。
Ryu だろ。そういうことをハルさんはいっていないとすれば、そう新しいもんじゃないということだ。それにいくら校庭とはいえ、学校が建つ前に空き地だったとはおもえないから、埋められたのは学校が建ってからじゃないか?
Tron どうして?
Ryu だって、学校の場所に古い墓があれば、きちんと埋葬しなおすだろうし、建築現場で貝塚などの古代人の遺跡でも見つかればそれはそれなりに調査をするだろう。どっちにしてもそうした記録は学校に残っているはずだ。
Tron なるほどね。
Ryu 学校はいつできたんだったかな。学校の名前に日本の元号がついていたよな。明治か大正かそれとも昭和か?
Tron 二番目がビンゴ!
Ryu ふーん、なるほどね。
しかし、校庭を掘りかえして人を埋めれば地面が荒れるだろう。それに埋められた人が腐ればそこだけ地面がへこむ。そこらの空き地と違って、校庭は子どもたちが運動するんだからでこぼこには気を遣うだろう。気づかれないように埋めるには、相当深く掘って、しっかりと踏み固めないと、夕立でもくれば、ばれちまう。
て、ことはだ、人が埋められてもだれも文句をいわない状況だったってことじゃないか?
Tron どういうこと? あ、いけない。学校に行く時間だ。ぼくは何をやればいい?
Ryu そうだな、とりあえずだ。警察の行方不明人データベースにアクセスして、学校のあるまちで該当者がいないかどうか調べてみてくれ。できるだけ古いほうからあたるんだぞ。
Tron わかった。ほかには?
Ryu 行方不明者探しは万が一の保険だ。その次は地図データベースセンターにアクセスして、学校ができる前後の地図を探すんだ。。
まずは、まちがいをまちがいとして確定させないとな。ま、そんなところだ。
Tron じゃ、あとで。
Ryu そうだな。昼休みに食堂で。
@
「で、どうだった?」
「龍野進さんのいったとおり。行方不明人データベースには該当者なし。地図のほうは、ぼくにはわからないや。いちおうデータはダウンロードしてあるからみて」
龍野進さんはスパゲティを口の端から垂らしながら地図をのぞきこんでいる。なんだかいつもとようすがちがうみたいだ。遠い目をしている――って感じかな。
ぼくはそのあいだにゆっくりとぶた肉の生姜焼き定食を平らげた。生姜味の醤油が染みこんだキャベツがたまらないのだ。
ぼくの両隣には啓介と未来人がいる。この二人はいつでもカレーライスだ。それも辛口の。二人とも家では辛いものは頭に良くないからという理由で食べられないのだそうだ。ほかにも化学調味料の入ったたべものもだめ。カップラーメンなど、絶対食べさせてもらえないらしい。ぼくの家に遊びにきて、おやつにカップラーメンをだしてあげると、涙を流して喜ぶんだ。変だよね。
二人ともハルさんからの依頼については大体のことをしているので、ぼくと龍野進さんの話をきいても不思議そうな顔はしていない。もっとも、今日の二人には別のねらいもあるのだ。
ひきわけがつづいているゲームの最終兵器を龍野進さんに教えてもらおうというのだ。啓介はデータベースの検索が面倒になって、困ったときの人頼みの精神を発揮しているようだ。おでこにおおきく「他力本願」と書いてあるのがみえるようだ。
ぼくら三人が食べおわるころ、ようやく龍野進さんが地図の調査を終えた。
「ふん。学校が建っているところは、江戸時代には大名の下屋敷だったようだな。侍の屋敷なら人骨の一つや二つでたところで、とおもうかもしれねえが、侍が無礼討ちにした人間を庭先に埋めるわけはないし、屋敷内のもめごとででた死人ならなおさらのこと、隠すよりも、病気で死んだとかうそをつくろうだろうしな。
こりゃやっぱり、もっとあたらしいね。
明治になってからは、大名屋敷は商人に売り払われて、それがさらに切り売りされている。学校の場所も一時期は造船所になっているね。今はないが、当時は眼の前に運河というか掘り割りがあったようだ。
明治時代、日本が外国の国ぐにとつきあうようになって、優秀な兵隊と働きてがたくさん必要だということになって、教育が重視されるようになった。そこで、造船所が引っ越して空き地になっていたところに学校が立てられたんだな。建築が始まったのは明治時代だが、途中で代が変わって完成したのは大正の初めだ。
聞いた話じゃ、この地域では初めての小学校で、国からの援助だけでなく地元のかねもちの商人からもお金が集められてつくられたから、完成したときにはお祭り騒ぎだったようだ。建物は外国から雇った建築家につくらせたモダンなたたずまいだ。学校の名前は当時の天皇からいただいたんだが、これも、陳情やらお伺いやらですったもんだしたらしい。
ともかくそれ以後ずっといまの場所にある。大正終わりに東京を襲った大地震のときもだいじょうぶだった。その後の戦争もいきのびた」
「じゃぁ、その地震か戦争のときに死んだ人ってことはない?」
「うーん。地震ではないだろう」
「どうして」
「おいヒロシ、ちょっといいか?」
啓介が割りこんできた。昼休みが終わってしまいそうだから焦っているらしい。龍野進さんにゲームのことを話して「知恵をお授け下さい」なんていっている。龍野進さんもすっかり長老気取りであごひげなんかしごきながらふーむとかなんとかいいながら考えている。
しかたがない。ぼくはその地震と戦争のことを調べればいいと思って、データベースにアクセスした。
どちらも教科書にのっているほどの出来事だから、情報は湯水のごとくある――。
なんとなくひっかかりをおぼえたけど、昼休みも時間がないので、結果は自宅にあるメインコンピュータに転送するようにセットした。
「啓介君。食い物を兵器にするのはむずかしいぞ。人間その気になりゃなんでも食べる。イカモノ食いはどこにでいるもんじゃ。イスラム教とならブタだが、宗教的なタブーは禁じ手だからつかえんのだろう」
「龍野進さん、塩辛はどうですかね?」
と未来人が口をはさんだ。
「塩辛か? イカかタコか?」
「タコは悪魔の使いというじゃないですか?」
「それはヨーロッパのことだろう。モロッコはどうかな?」。さすが長老は博学だ。
「でもあのぬるぬるはいいかもしれないな?」と啓介が言う。
「クサヤとのあわせわざを開発してみてはどうかな?」と龍野進さんがいった。いつまでもたっても食い物から発想が離れない二人にあきれたらしい。
「塩辛とクサヤか! ヒロシ、今度の勝負もらったぜ! 未来人、兵器の名前を考えろ!」
そのとき午後の授業の準備時間開始のチャイムがなったので、ぼくらはおおあわてで教室にもどった。今日は、自分で皿を洗って一〇ポイント稼ぎそこなった。
午後の授業では啓介から手紙がまわってきて「兵器の名前は考えたか? クサイカラ手はどうだ」なんて聞いてきた。ぼくはその紙で飛行機を作って窓から飛ばした。紙飛行機は午後の軽い風に乗って校庭を横切って見えなくなった。
この校庭から人骨がでたらどうなるかな? ふとそんなことを考えたが、校庭に埋められたほうはさぞや落ち着かなかったろう。年がら年じゅうどたどた走りまわられるんだから。
埋められた人はどんな人だったのだろう。どうして埋められたのかな。自分で進んで埋められる人はそうざらにはいないだろうから、誰かに傷つけられたのかな? それとも病気で……。でも、病気だったら校庭には埋めないよな。
龍野進さんがいっていた地震でなくなった人なのだろうか。それとも戦争? 龍野進さんは地震ではないといっていたけどどうしてかな?
ふぁああ眠くなってきちゃったな、こういう時にタヌキが横にきてくれると助かるけど、今日は研修日とかで、月一の休みの日だ。だから今日一日は音楽のアスパラが数学教えたり――数学の計算もリズムが大切だ。美しくないリズムでは正解にはいたらない!、体育の先生が国語を教えたりしている――腹筋を使って音読しろ!。いまは、教頭先生の生活の時間だ。
@
両手の親指と人差し指で瞼が閉じないようにしながら、やっとの思いで午後の授業を終わらせた。家に帰るに学校のコンピュータに自分のマシンをつないで、連絡事項と今日の宿題を受け取る。小学五年になれば、こんなことでもたつくやつはクラスにはいない――はずなんだが、例によって啓介が機械に悪態をついている。
「おいヒロシ。いったいどうなってんだ、これ? 宿題をダウンロードしようとおもったら、延々と五分もかかっている。こわれてんじゃないのか?」
ディスプレイをのぞきこむと、長大なリストが書きこまれている。どうやら啓介は宿題をだいぶためているようだ。学校からの連絡も溜めたままらしい。それが限界を超えたのだろう。しんぼうづよい学校のコンピュータも今日はキレたらしい。今日という今日は啓介のマシンに全部流しこむつもりらしい。
「連絡事項のすべてに親の電子サインをもらってくること。宿題をすべて提出しないと、コンピュータは、二度と作動しなくなる」という警告がディスプレイに表示され、サーバからの流しこみは終わった。啓介は今夜は寝られないな。
「ゲームは当分お預けだな」と啓介に声をかけると、「そんなつれないこというな」だって。おまけに、哀れを誘う目つきでぼくをみるので、「宿題は手伝わないよ。自分でやりな」と突っぱねた。油断しているとたいへんなことになる。友だちでもだめなものはだめなのだ。
だって、いまの学校の宿題は、答えを写せばいいというもんじゃない。宿題は一人一人個別に出されるのだ。個人指導の塾みたいなもんだ。
まぁ、あんまり冷たくするのもかわいそうなので、啓介の両親にいっしょに謝ってあげることだけは認めてやった。大サービスだ。
それでもまだしつこく、嘘泣きまでしてみせてなんとかぼくに宿題を手伝わせせようとする啓介を振り払い家に帰った。
まずはおやつを食べながらメールのチェック。画面に泳ぐランドセルをクリックすると大量のメールが流れだし、メーるクラブからのものは、あらかじめ決められた場所に入っていく。デスクトップに残るのは初めてのメールと、まだ専用の郵便受けをつくっていないものだ。デスクトップに残ったメールをチェックし、不要と思われるもはすべて削除。
結局残ったのは、ハルさんからのメールが二通だけだった。この依頼が解決するまではハルさん専用の郵便受けを作らなければいけないな、とおもったぼくは、ハルさん専用の箱を作って、そこへメールを移動してから読み始めた。
まず一つ目は――
TRON君 その後の調査はいかがですか。報酬はあれでよいのですね。契約が成立したのだから、報告はこまめにしてください。では。
あいかわらずそっけない。実際には会いたくないな。次は――
TRON君 なんでもいいから連絡をください
せっかちなジョシだ。引き受けたのは今朝のことじゃないか。おまけにぼくはハルさんとおなじ小学生だよ。君が勉強しているときにはぼくだって勉強しているんだ。まったく。
そうはいっても、Xチップ780を手に入れるためだと、思い直して、返事だけはしておいた。ハルさんにならってそっけなく――
HALさん 調査続行中です。
@
やれやれ。
給食のときに検索をかけた結果を取りだしに、メインコンピュータのあるお父さんの部屋に行った。家のなかのマシンもネットワークされているから本当は必要ないんだけど、そうでもしないと、家にいるお父さんとも、ご飯のときにしか顔を合わさなくなってしまうだろう。こういう努力も健全な家族運営には必要なんだ。お父さんにいわせると、無用の用というものらしい。
「おとーさん。データをとりださせてね」
「おお。さっきみたらやたらとでかいもんだぞ。いったいなにを調べているんだ」
「地震と戦争だよ」
「へっ? 理科と社会の宿題か?」
「ちがうよ」
ということで、おとうさんにもハルさんからの依頼の件を話した。
「それで地震と戦争か、なるほどね。でも龍野進さんがいうように地震はないだろうな。」
「なんで」
「うーん。何年かまえに西日本で大きな地震があったのを覚えているか? あのときも学校は避難所になった。いまの学校は建築するときからそうした役目をじつは想定されてつくられるので頑丈にできている。たとえ焼けたとしても、建物自体は残るから、雨露をしのぐにはもってこいだ。校庭はもともとなにもないのだから、焼け跡の片づけの必要もないので、これまた仮住まいを立てるのには最適だ。当然人が集まってくる。そんなところにいくら非常時だからといって人を埋葬するだろうか」
ほらね。こういうのを無用の用の効用というんだ。雑談がいつも雑談で終わるとは限らない。
「そうか」
「龍野進さんもそのぐらいのことはすぐにわかるだろうにな。あぁ、おまえにきた依頼だからおまえが自分で答えにたどりつくようにしてくれたんだろう。だからおとうさんもこれ以上はいわないよ」
「うん。わかった」
「でも、念のため地震のほうもチェックはしろよ、ヒロシ。龍野進さんがいうように真実に迫るには、不要なデータも必要なんだ。
それから今日の夕飯は外に食べにいこう。七時に玄関に集合だ」
「了解!」
コンピュータからMOディスクに移したデータを部屋でチェックする。
まずは地震のデータをチェック。
検索のときに絞りこんではいるが、再度「東京」「一九〇〇年以降」「マグニチュード七以上」などの言葉でふるいにかける。
それでも一〇〇件ちかいものが残った。つぎはリストを表示させて、地震のメカニズムなどの地球物理学や地震学関連の情報は除外し、被害にだけ絞りこむ。最後に残ったのが一四件で「大正時代の東京の地震の被害状況絵図」とか「地震直後の流言蜚語の研究」「一九二三年の地震による火災発生状況」などだった。
夕食の集合時間までそうしたデータをチェックしてすごした。
@
「ヒロシ、行くぞぉ!」
「ちょっとまってよ。今行くから」
「ヒロシ早くしろぉ」
生意気な妹、ふうこだ。楓の子と書く。保育園の年長組だ。一丁前の口をきくが、まだまだおかあさんが恋しい年ごろだ。ままごとをしながら、赤ちゃん人形に向かって「ママは今日お仕事なのごめんね」なんて話し掛けながら、涙目になっていたりする。
ヒロシの家は最寄りの鉄道の駅から歩いて一〇分ぐらいのところにある。お父さんに聞いたら、二〇年ほどまえに駅ができるまでは、田んぼや畑が残っていたようなところだったそうだ。ヒロシが生まれたころには田んぼなどはなくて、マンションがぎっちりと立ち並ぶ住宅街になっていた。
それでもマンションに囲まれるようにして、広い庭をもった家がたっていたりして、かつての農家が賃貸業になったことがうかがわれた。
「なにをたべる?」
「ロージィでスパゲティがいいな。ケーキも食べていい?」
「あぁかまわないよ。今日はちょっと忙しくて買い物に行くひまがなくて、食事が作れないからごめんな」
ロージィは駅裏の住宅のなかにある喫茶店だ。マスターはお父さんのお友だち。いつもニコニコしているやさしいおじさんだ。
ファミレスでもよかったけど、がさがさしてうるさいから、今日はロージィのほうがいいいとおもったんだ。
マスターのニコニコ顔に迎えられて店にはいった。住宅地のなかだから夕食の時間帯はそんなに混んではいない。
ぼくはタラコスパゲティにアイスミルクティー、お父さんはビールとカレーライスを注文した。妹はミートソースにメロンケーキだ。
「で、どうだった?」
「うん、やっぱり地震のほうは、はずれみたい」
「そうか」
「帰ったら、戦争のほうを調べてみる」
「宿題は?」
「いっけねぇ」
「しっかりしなきゃおにいちゃん」
生意気な妹の顔にストローで息を吹きかけてやった。
ぼくは啓介が今日の帰りがけにみまわれた災難のことを話した。「啓介らしいや」と、お父さんはげらげら笑った。今ごろ啓介のやつくしゃみしているかもね。
マスターが料理を運んでくると三人でモクモクと食べた。家でも口のなかに食べ物を入れてしゃべるとすごく怒られる。しゃべってばかりでも叱られる。食事は楽しむことも大切だが、命をいただくのだから真剣に食べなくてはいけない。「ライオンが不真面目に獲物を食べているか?」というのがお父さんの口癖だけど、ライオンなんて見たことないから知らないや。
ともかく、三人とも一所懸命に食事をすませると、ぼくはお父さんにきいてみた。
「おとうさんは戦争はしらないよね」
「あぁ体験してない」
「おじいちゃんは?」
「生まれていたなぁ。兵隊さんにはなってないけどな。学校の代わりに軍需工場――といっても戦争の前には普通の工場だったところだけど――に行って、爆弾を作っていたって聞いたことがある」
「え、爆弾。すごいな!」
「いや、それが、良く聞くと、竹と紙でつくったものらしい」
「へ?」
「この国は資源がないからな。そんなことしたんだろう」
「おばあちゃんはどうだったの」
「うん、町なかに住んでいたから、あぶないっていうんで疎開したらしい」
「疎開って?」
「大都市に住む子どもたちが親元からはなれて地方都市に集団で移住したんだ」
「ふーん」
「爆弾はおちてこなかったけど、食い物は少ないし、疎開先の地元の子どもとの折り合いがうまくいかないこともあって、けっこうたいへんだったらしい」
「じっちゃとばっちゃはどうだったのかな」
ぼくのうちでは、おかあさんのほうのおじいちゃんとおばあちゃんのことをじっちゃばっちゃと呼んで区別する。
「うーん詳しくは聞いたことがないけど、じっちゃは飛行機に機銃掃射を浴びせられたことがあるといってたな。ばっちゃもやはり物がなくて苦労したみたいだ」
「機銃でうたれて逃げるなんて、ゲームみたいだ」
「ばか。相手は命を奪おうとして撃ってくるんだ。おとうさんにも想像できないくらい恐かったと思う。それに素手と戦闘機では差がありすぎる。いたぶるようにして撃ってきたそうだ。しかもあいては子どもだ」
「ひどいね」
「あぁ」
帰り道、ぼくは、ゲームのシューティングゲームはできるだけやるのは止めよう、とちょっと思った。
宿題をやって、お風呂にはいって、冷たいカルピスをつくり、パジャマ姿でディスプレイに向かった。メールのチェックをするのと、龍野進さんに地震のほうの結果報告だ。
ボタンをクリックして送信が完了したことを確認して、ネットワークからはずれようと思ったが、電脳都市MAHOROBAシティの駄菓子屋をのぞいてみることにした。
駄菓子屋といってもお菓子をうっているわけじゃなくて、ネットワーク上の公園みたいなもんだ。みんなふらりときて、のぞいているだけの人もいれば、友だちを見つけてチャットを楽しむ人もいる。
駄菓子屋には先客がいた。アリスさんと猛さんだ。猛さんはぼくのコンピュータの師匠だ。アリスさんは根元に洞をもつ大きな木のアイコン、師匠のアイコンはサファリ帽子だ。師匠の本職は人類学者。サファリ帽子とどうつながるかしらないけど……。
Tron こんばんは。
Alice ヒロシくん。
Takesi こんばんはヒロシ。
Tron 師匠ご無沙汰です。
Takesi 師匠はやめてくれ。落語家にでもなった気分だ。
Tron ぜひ一席おきかせください、久しぶりに。
Takesi かなわないぁ。
Tron アリスさん、ちょうど良かった。
ぼくはアリスさんにハルさんのことを報告した。
Alice フフフ。だいたいのことはきいているわ。ごめんねめんどうかけて。
Takesi おいおい。ふたりしてヒミツの話かい? 仲間はずれにしないでくれよ。
ということで、結局、三人で別室に移ってチャットすることになった。
師匠とアリスにあらましを話した。師匠はさすがにお父さんと同じぐらいの年齢だから、戦争の話も良く知っていた。
Takesi わたしの父も君のお父さんと同じような体験をしたみたいだ。それにな、ぼくの友人に、ご両親が長崎出身の人がいて、一山越えたところで原爆が炸裂したんだそうだ。
Tron 原爆って一発で十数万人もの人の命を奪った?
Takesi そうだ。もし、その山が原爆を遮ってくれなければ、友人が目の前にいないのか、と子ども心におもったよ。
命を奪われないまでも、傷を負えばそれを見るたびに一生思い出すだろう。いやな思い出に記憶の一部が占領されるなんて、不幸なことだと思う。楽しい思い出を記憶する可能性があったのに、それを奪われたんだから。
Alice わたしのお友だちのおかあさんにも師匠とおなじようなことをいう人がいるわ。その人はおかあさんのおなかのなかで原爆にあったのね。その人を生んで、しばらくしてからなくなったそうよ。
それで、その人が言うには、わたしはできるだけ電気を使わないようにしているんです、って。「どうして?」って聞いたら、電気の一部は原爆と同じ原理を応用した原子力発電でしょう、おかあさんの命だけじゃなくて、生きているはずだったいとこや、生まれていたかもしれない友だちの命を奪ったものとおなじようなものを好きにはなれないって。
Tron ふーん。
Takesi そうだな、ヒロシはふーんとしかいいようがないよな。
Tron ごめんなさい。
Takesi あやまることはないさ。
Tron でも戦争はいやだな。
Takesi どうして?
Tron まだいっぱいやりたいことあるし。
Takesi そう、そうなんだ。戦争や人殺し、人を傷付けることの最大の罪はそこなんだ。
君はやりたいことがいっぱいある。おなじようにあいてにもあるんだ。可能性の抹殺――これが戦争などの人殺しの最大の罪だ。
おやおや、結局一席ぶってしまったな、お恥ずかしい。
Ryu 師匠、なかなかでしたぞ。
さっきからぼくら以外の人の気配をかんじていたけど、龍野進さんだった。龍野進さんや何人かのメル友は、お互いになかにいる人の許可がなくてもしめ縄のなかに入ってこられるようになっている。
Ryu ヒロシ、だいぶ調査は進んだみたいじゃな。
Tron ええ。
Ryu メールは読んだ。戦争のほうは、戦争の末期だけでよいだろう。あとの情報はすててよい。
Tron どうしてですか?
Ryu 国内で兵隊以外の人がたくさん亡くなるのは、戦争も終わるころじゃ。さっき師匠がいっていた原爆もその一つ。
Tron わかりました。
ところで、龍野進さんは戦争のときはどうしていたんですか?
Ryu うーむ。答えなければならんのだろうな。逃げるわけじゃないが、話し始めると長くなるから、今度にしてくれないか?
Tron えぇ、別にかまいませんけど。
Ryu おまえの外部記憶装置としての責任は必ず果たすから……。
Tron わかりました。
Alice なぁにその外部記憶装置って?
Takesi 龍野進さん、わたしもお話を伺っていいですか?
Ryu もちろんです。アリスさんもよかったらどうぞ。声をかけますから。
Alice わかりましたわ。師匠とわたしは外部記憶装置のバックアップファイルってところかしらね? ふふ
@
ということで、この夜は解散になったが、結局、ぼくは寝ることができなかった。
なぜかというと、集めた戦争関係のファイルを読んでいるうちに寝るどころではなくなってしまったのだ。
「戦争」という紛争の解決方法を認めるもの、賛美するもの、否定するもの……。今回の調査に関係するファイルだけを斜めに読んでいっても、星のかずほどあるのだ。
途中でおかあさんが帰ってきてぼくのスペースをのぞいた。三年生ぐらいまでは早く寝ろとかいわれたけど、最近ではいわれなくなった。そのかわり自分で起きないとこっぴどく叱られる。
「なにしているの?」
おかあさんに会うのは四日ぶりかな。
「うん、調べ物」
「まぁ、おませな口きいて」
「そんなことないよ」
「一人で夕飯食べるのいやだから起きてるんなら、お茶でもつきあってよ、ヒロシ」
「うん。わかった」
一時間ほどおかあさんの夜食につきあった。妹のことを話したり、学校のことを話したり……。ぼくはおかあさんにも戦争のことをききたかったけど、おなかがいっぱいになったおかあさんは眠そうなので、やめにした。お休みの日にでもきくことにしよう。
ひとつひとつ読んでいたらきりがない――と気がついたので、ぼくはとりあえずハルさんにメールをだして寝ることにした。
調査終了まであともうすこし。Tron
「おはよう、おとうさん」
「おはよう」
お父さんは朝ご飯を済ませたのか、コーヒーを飲みながら新聞を見ていた。
「おかあさんはもう会社?」
「さっき出ていったよ」
そこへ縫いぐるみの猫を抱いた妹も起きてきた。
「おにいちゃん、昨日の夜、うるさかった」
「うそだろ」
「ばたバタどすどす。ヤダーとかわめいちゃって」
「なんだヒロシ、夢でもみたのか」
「覚えてない」
寝るのも遅かったし、楓子のいうようにうなされたせいなのか、すこしからだがだるかった。もそもそとご飯を食べて、歯を磨いているところへ未来人たちが迎えにきた。
「なんかねむそうだなヒロシ」
「うんちょっとね」
「おれはねむそうじゃなくて、ねむい!」
どうやら啓介は一晩中起きていたらしい。
「で、終わったの?」
「なんとかな。俺だってやればできるんだ! 宿題なんかやらなくても死にはしないっ」
「いばるなよ」
「おふくろとおやじも徹夜だ。二人で手分けして、連絡事項の確認をしていた。ふたりしておれの頭を鉛筆でこつこつたたきやがった。おかげでこぶができたぜ」
「だっておまえが悪いんじゃないか」と、未来人がいうのをさらりと聞き流した啓介は「ま、これで、こころおきなく新兵器の開発に集中できる。今日の放課後は作戦会議だ」と胸をドンとたたいた。
まったくこりないやつだ。
「クサイカラ手の開発は進んでいるのか?」と未来人が聞いた。
「まかせておけ。いま技のバリエーションを考えているところだ。ヒロシおまえもなんか考えろ。じゃないと、島を手に入れたあともつかわせてやらないぞ」
「それはないんじゃないか。ひどいよ」
「じゃぁ考えろ」
「昨日ぼくに泣きついてきたのはだれだ! もういっしょにあやまってなんかやらないぞ!」
「まぁまぁ、ふたりともやめとけよ。寝不足で気がたっているんだろう。啓介、おれひとつ技を考えたんだ。クサイカラ手の指先からしょっつるシャワーをあびせるんだ。しょっつるというのは、ハタハタやイワシという魚を生のまま塩づけにして長く置いたものから自然としみだしてきた上澄みの汁なんだ。日本人はたいしたことないけど、納豆とおなじように相当くせのあるものだ……」
未来人の仲裁にすくわれて、ぼくと啓介の険悪な雰囲気は消えて、学校までのあいだ、三人で技を考えた。
でも放課後の作戦会議はお流れになった。啓介がタヌキに呼ばれてみっちりと叱られなければならなかったからだ。学校のコンピュータが許しても、タヌキは許してくれなかったのだ。
@
ぼくは啓介を見捨てて一目散に家に帰り、戦争のファイルを読み進めた。手当たりしだいに読んでもきりがないことは昨日の夜にわかったので、まずは、検索して絞りこんで読むことにした。
ハルさんの依頼は人骨だから、戦争の被害者なんだろう。だから戦争の被害で絞りこみをかけた。ハルさんの学校がある地域が被害を受けたのは戦争も終わりになる頃――といっても、当時の人はそんなこと知らなかっただろうと思うとせつない気がする――の春先だ。爆弾の攻撃を受けて、下町地域が一面の焼け野原になったらしい。
地図をあけるとディスプレイが真っ赤に染まった。赤いところが焼けたところだ。焼け残ったところなどないようだが、ところどころ、本当に針の先ほどの場所が焼けずに残っている。懸命の消火活動のせいなのか、奇跡なのか。その奇跡がせめて幸いのある奇跡であって欲しいとぼくは思った。
別のファイルには焼け跡の画像がはいっていた。写真の説明には焼け死んだ親子とだけある。母親? がうつ伏せに路上で黒焦げになっている。少し離れて子どもが――。きっと背負って逃げていたんだろう、母親の背中だけが焼けていない。ぼくなんか、ちょっと熱いココアを飲んだだけで大騒ぎしちゃうのに。自分のからだが焼けていく、などとは考えたくもなかった。
道端には真っ黒にこげた人が並べられている。遺体を埋葬する人もいなくなってしまうほどひどい被害だったようだ。遺体の背景は、コンクリート製の建物以外はみな炭になっている。いまでは東京では見ることなどできなくなった地平線がそこにある。
「ボタン雪のような火の粉が降った」。「立ったまま死んでいる人がいた」。「掘り割りは火の手から逃れようとした人で埋まっていた」。
爆弾によって燃え広がった火は川も走り抜けたようだ。おまけに下町の掘り割りには材木が浮かんでいてそれが燃えた。だから水があるかといって川も安全ではなかった。雪が降ってもおかしくない季節だが、翌日は川の水が風呂のように熱かったという記録もある。材木は上側だけが燃えてまるでくり貫き船のようになっていたらしい。
だれがこんなことをしたのか――。同じ人間だ。敵味方に分かれていた人間だ。
このときの被害は空襲というものらしい。爆弾を積んだ飛行機がやってきて雨のように爆弾を降らせたという。記録では、当時の最新鋭の爆撃機B29が三〇〇機以上も飛んできた。そして降らせた爆弾は二〇〇〇トン――ぼくの体重が四〇キロぐらいだから、えーと、五万か。ぼくが五万人空から降ってくる。想像もつかないや。
使われた爆弾は、爆発よりも家を燃やすことを目的とした焼夷弾というものらしい。それも空中で爆発してなかに入っている小型の爆弾が七〇ちかくもバラバラと地上に降り注ぐタイプだったようだ。まさに火の粉の集中豪雨だ。
木と紙とわずかばかりの土や石でできた日本家屋はひとたまりもない。東京湾を千葉方面から進入してきた爆撃機は、風下の地域から爆弾を落とし始めたらしい。逆じゃないかとおもうのだが、これは風上から火災が発生して煙あがると、あとからくる爆撃機が目標を確認できないからだという。冷徹な計画だ。
攻撃は夜中に始まった。空襲にたいする警戒警報は二時間半ほどで解除されたが、火災は、燃えるものが――人間も――なくなるまで続いた。死んだ人は一〇万人にのぼるといわれいる。ハルさんの学校がある地区では一夜にして二万人ちかい人がなくなっている。
ぼくは自分が住んでいるこの東京という町が今までと違った街に見えてきた。一〇万もの人の命を飲み込んだ――いやむりやり飲まされた大地。その上に立つオフィスビルやマンションが彼らの墓に見えてきた。
@
なんでこんなことを? 戦争だから? でもどうして人がたくさん住んでいる場所をねらたの?
攻撃した側の言い分のファイルがどっかにあったなぁ――。あぁこれだ。
日本は大きな工場などで武器を作っているのではなくて、町中の一軒の家がミサイルのボルトを作り、隣りの家ではナットを作り……要するに町全体が兵器工場なのだから、焼き払えということらしい。勝てばなんでもいえる。勝ちさえすれば――。
目を覆いたくなるような画像ファイルはできるだけさけて、テキストだけを読んでいった。ハルさんの学校のあった地域の記録に行き当たった。
被害はここもひどかった。最初に爆弾が落とされ火災が発生した。風下は海しかないから火に追い立てられるように風上に逃げていく人々。しかし、あとからきた爆撃機が風上の地域に落とした爆弾が発生させた火災にはさみうちにされて――。
夜が明けて、生きていることを確認できた人のほうが少なかったんじゃないだろうか。ともかくそこかしこが焼け死んだ人だったろう。
焼け死んだ人の家族が生き残った人はまだいい。一家が死んでしまった場合、そうした引き取り手のない遺体は、公園や学校の校庭に集められて、そのまま埋葬されたらしい。場所によっては一〇〇〇人単位で埋葬されたらしい。
そうして埋葬された遺体は、戦争が終わって数年たってから掘り起こされて、正式に埋葬しなおされたとある。
でも、小規模に埋められた場合などはどうだろう。戦争が終わって忘れられてしまったりしないだろうか。
ファイルのなかには、ハルさんの学校の名前はない。でも可能性はある。確定はできないけど、これがいちおうの答えかなとぼくは思った。
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さてと――。ハルさんにはどういった調査報告書を書くかな。龍野進さんに相談してからにしよう。人骨のこともあるしな。
とりあえず、ハルさんへの報告書に添付したほうがよさそうなファイルをひとまとめにして寝ることにした。
翌朝、珍しくおかあさんがいた。
「おはようおかあさん」
「あらひさしぶり」
「おとといの夜あったでしょ」
親子の会話とはおもえない。
「おとうさん、この街には空襲なんてあったの?」
「いきなりどうした?」
「うんちょっとね」
「例の調べ物か。空襲か? ここいらへんは田んぼや畑だったからな、そう多くはなかったんじゃないか。でも、小さい工場が密集していたところや、おじいちゃんが働かされていた工場の周辺はたまに落とされたらしい。それに、別の場所を空襲した帰りがけにあまった爆弾をおとしていくということもあったらしい」
「ふーん。おじいちゃん死ななくて良かったね」
「そうだね」
「だって、おじいちゃんが死んでいたらぼくもいなかったわけでしょう? おかあさんやお父さんにもあえなかった。そんなのいやだ――」
いきなりおかあさんに抱きしめられてしまった。それまできょとんとしていた妹はわけもわからず異様な雰囲気で泣きだしてしまうし、おとうさんは羊のプリントされたエプロンで目頭を押さえて向こうを向いてしまった。
「おかあさん、くすぐったいや」
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学校までの道々、啓介と未来人に昨日読んだファイルのことを話した。二人とも「ひでぇ」、とか、「げっ」とかいっていたけど、いつもより口数は少なかった。
その日の昼休み、龍野進さんと食堂であった。
「どうだった」
「わかったとおもう」
「そうか」
ぼくは龍野進さんに、調べたことを話した。龍野進さんは黙って聞いていた。
「良く調べたな。勉強するには辛い内容だったかもしれないな。下のジンジロゲが生えてきたばかりのぼうずには」
「ばか。まだはえてないよ」
「そうなのかぁ」といって龍野進さんはニヤニヤしている。
「そんなことより、ハルさんにはそのままを報告するにしても、骨はどうしたらいいの」
「うーん、どうしたもんかねぇ」
今日の龍野進さんはなんだかいつもとちょっと違う。具合でも悪いのかな。目の前のとんかつ定食も減っていない。
「龍野進さん、痔の具合がわるいの」
「ははぁ。ちがうちがう。なんだか思い出してしまってな」
「なにを」
「なにをって、昨日、駄菓子屋でヒロシに聞かれたことさ」
「えー、あぁ、龍野進さんが戦争のときどうしてたかってこと」
「そうだよ」
「なんかいけないこと聞いたのかな、ぼく」
「そんなことはない。まっ、そのことはおいといて、骨はどうしたもんかねぇ。警察に届けることがいいのかどうか」
「良いも悪いも骨だよ骨。戦争でなくなった人にせよ、ちゃんと埋葬して供養してあげないといけないんじゃない」
「ふふ、ずいぶんと信心ぶかいんじゃな。ちゃんと埋葬といっても、いまでは親戚など探すのもむずかしいだろう。そうすると、どこかの無縁墓地に埋葬されておしまいじゃ。いまの状態がちゃんとした埋葬じゃないなんてことはない。当時としては精一杯だったんだろう。埋葬した人もことによったら、戦争が終わるまでのあいだになくなってしまったかもしれない。忘れたわけじゃないと思う。忘れられるわけがないじゃないか。今でも夢を見るよ」
「え?」
「わしもいたんじゃ、あの夜。あの町にな」
「じゃぁ、もっと早く教えてくれればよかったじゃない」
「そう責めんでくれ。軽口のように話すことができるような体験じゃないことぐらい、いまのヒロシならわかってくれるだろう」
「ごめんなさい」
「いや。怒っているわけじゃないんだよ。ヒロシから、今回の調査のことを聞いてから、わしの心の中はあの日のことばかりが思い出されてくる。次から次へと……。次々と上がる火の手。折からの北風にあおられて天を焦がし地をなめ、路地をつむじ風となって走りぬける炎。髪のこげるにおい、人の焼けるにおい。炎の中で人がきりきりと舞い、ばたばたと倒れていく。助けになどいけるものか。逃げる。どこへ? 右も左も炎の森だ。逃げ場を失って地面をかきむしり逃げ込もうとする人の背中に火の粉が降り注ぎ、燃え出す。橋から川にばらばらと飛び込む人。――どうやったら冷静にあの日のことをヒロシに伝えることができるかと考えていたんだ」
「知らなかった。知っていてもどうしようもなかっただろうけど……。龍野進さん、骨のことは自分でもう少し考えてみるね」
「あぁ、そうしてくれるかい。役に立てなくてごめんな」
「ううん。そんなことないよ。辛いことを思い出せてしまってごめんなさい」
「気にしなくていいよ」
そういって龍野進さんは、すっかりさめてしまったとんかつを口に運んだ。ぼくは、どうしたらいいかわからなくなってしまって「じゃぁ」と声をかけて、教室に戻ることにした。
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その日もタヌキは頭にくるほど元気はつらつだった。「ガッツだガッツ」を句読点の代わりにしゃべりまくって授業を展開していた。
そしてついにぼくは頭にきてしまった。
急にタヌキに指されて算数の問題を解くようにいわれたので「わかりません」とぶすっというと、「ガッツだガッツ」というので、「ばかじゃないの」といってやった。権威を傷つけられたタヌキが真っ赤になりながらぼくのそばに走りよって「なんだと!」というので、「わからないものはわからない。いやなものはいやなんだ」とわめくと、ぼくのようすが変だと気がついたのか、タヌキは「あとで職員室にこい!」とだけいって、授業に戻っていった。
放課後もタヌキの説教など聞く気にはならなかったので、タヌキの命令なんか無視して家に帰った。教師は子どもに無視されることになれていないだろうから、タヌキは怒って家にまで押しかけてくるだろうが、かまうもんか! なにもぼくはタヌキの「ガッツだガッツ」を聞きに学校に行っているわけじゃないんだ。だいたいタヌキは、教師という職業がどれだけ子どもの人生に影響を与えるものなのかということにあまりにも無責任だ。自覚がない。
もし、家まで押しかけてきたら、ぼくは転校する。学校を自分で選ぶ権利があるんだ。
ぼくは相当怒っていたらしい。気がつくと後ろに啓介と未来人がいた。振り向いたぼくの顔を見て「大丈夫か? ひろし」と声をかけてきた。二人の後ろにはどういうわけかちずるもいて、彼女の場合は気味悪そうな顔つきでぼくを見ていた。
三人を見て、頭のなかにギチギチにつまっていた、なんといっていいかわからないモヤモヤがすぅーっと抜けていくようにかんじたけど、声をだすとまたわめきだしてしまいそうだったから、ぷいと三人を無視するように歩きだした。
もちろん三人が少し離れて、ぼくのあとを追ってくるのはわかった。嬉しかった。
玄関についたときくるっと振り向くと、三人はぎょっとして立ち止まった。一番後ろを歩いてきたちずるは、目の前にいた啓介にぶつかって、トットットトトトとぼくの目の前まできてしまった。
「おやつたべていきなよ」と、三人にいってぼくは家に駆けこんだ。
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はじめてぼくの家にきたちづるは、あちこちのぞいて、しきりと感心している。おとうさんにまで話し掛けて、おとうさんがやっている仕事を根掘り葉掘り聞いている。おとうさんも「天才ビジネスパーソン」ちづるのことは知っていたので、興味ぶかげに話につきあっている。
ぼくはあいかわらずぶすっとしたままココア――それもちょっと甘目の――を作った。啓介と未来人は、ゲームをやるわけにもいかない――おまえのことが心配だからきたんだという顔つきだ――ので、手持ちぶさたで椅子に並んで腰掛けている。
二人をみているうちに、なんだかぼくはすっかりおかしくなってしまった。
「どうしたんだよふたりとも。元気ないじゃないか。なにか悩みごとかい?」
啓介は「なにぉ」って言う顔をしてぼくをにらんだ。未来人が笑いながら「いやなんでもないんだ」という。ちづるはココアのカップを両方の掌で抱えながら「変なの」という顔してみんなを見ている。なんだかすっかり小学五年生のジョシの顔だ。けっこうかわいいじゃん。
あんまり演技しているとそのうち未来人までも怒らせることになるだろうから、いいかげんこのへんでやめることにした。
「心配かけちゃったみたいだね。ごめん」
「あたりまえだ。タヌキには食ってかかるし」と啓介が、待ってましたとばかりにいいだした。
「クラスのみんなは拍手喝采よ」。ちづるはニコニコしながらいう。
でも啓介はまだおさまらない。
「それに心配して職寝室の外で待っていてやろうとおもっておまえのあとをつけていたら、職員室なんか素通りして、帰ってしまうじゃないか。いったいどうしたんだ?」
「うん。タヌキの説教なんかより大切なことがあったからだよ。タヌキの説教は明日も明後日も、ことによったら一〇〇年後も同じだよ。それだけ」
「それだけってなぁ――」
「啓介、もういいいじゃないか。それともおまえタヌキの味方になったのか?」
「ちがう!」
未来人が助け船をだしてくれたので、啓介もようやく納得してくれた。
「ところでちづるさんは、どうしてきたの?」
「あら、めいわくだった? ヒロシ君」
「いやそういうわけじゃないけど。ちょっと意外だったから」
「ははん。わたしの頭の中にはお金のことしかないとおもっているんでしょう? まぁ、それもあたっているけど、お金以外のことを考える余地も少しは残っているのよ、少しはねっ、フフフ。それに、昼の食堂であのおじいいさんと深刻そうに話していたじゃない。なんだか気になって。ほら、あのおじいさんにたのみたいこともあるし。なんといってもわたしの未来のビジネスパートナーのヒロシ君には元気でいてもらわないとね」
ぼくと啓介と未来人はちづるの最後の一言でお互いにココアを噴きかけ合うことになってしまった。
ちづるは「やっだぁー、この服、高かったんだからぁ。クリーニング代だしてよね」とかいいながら怒っている。
「ビジネスパートナーって……」。ぼくがおそるそるたずねるとちづるは「あぁ、だって、わたしに向かって正当な報酬を請求したなんてあなただけなのよ。そういう感性はうまれつきのものなの。だからいまからわたしのもとでみっちり修行を積めば――」
啓介と未来人は腹を抱えて笑っている。ぼくはすっかり混乱してしまって、つい間抜けなことを口走ってしまった。
「おかさんに相談してからでもいい?」
啓介と未来人は声もでなくなったらしい。ソファからずり落ちて床をのたうちちまわっている。みれば、おとうさんもかたを小刻みに震わせている。
「もちろんよ」とちづるはすましている。とどめは「おとうさまの許可はもらってあるからね」。
なんでも自分の利益に結びつけていく前向きな姿勢には完全にお手上げだ。
結局このあとは、小学五年生にもどって、ワイワイがやがや――。啓介が例のゲームにちづるを入れようと口を滑らせたために、ぼくらの島は、一大リゾートに変身することが決定した。もちろん社長はちづる。ぼくが副社長で、啓介と未来人は取締役だ。啓介は多いに不満だったようだが、ちづるのほうが何枚も上手だった。
ぼくたちが島の設計図をつくっているとき、タヌキがやってきた。ぼくを見つけて――玄関からリビングダイニングが丸見えだ――ほっぺたを交互に釣り上げたが、お父さんが応対に出てなにか話しかけると、急に全身から力を抜いて、お父さんのスペースにはいっていって、しばらくするとしきりとお父さんに頭を下げながら帰っていった。手には、きたときにはなかった書類挟みみたいなものを持っていた。
啓介たち三人はそのままぼくのうちでご飯を食べてかえることになった。お父さんがみんなのお家に電話をしてくれた。しばらくすると保育園から楓子も帰ってきた。楓子はちづるが気に入ったみたいで、じゃれついている。ちづるもまんざらではないみたいだが、しきりと保育園ではやっているものとか、困っていることとかをリサーチしている。おそるべしちづる!
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こういう日に限っておかあさんが早く帰ってきた。ちづるはつむじ風のような早業でぼくの未来にかんする許可をおかあさんから取りつけてしまった。
おかあさんは「ヒロシさん。いい人みつけたじゃない」といいながら、ウインクまでしてくれた。ぼくの頭のなかに、重いかばんを持ってちづる社長のあとを小走りについていく自分の未来の姿が浮かんで消えた。とほほ……。
この日のメニューは中華だった。みんな大喜びで、とりわけちづるは誉めちぎり、いつのまにかおとうさんはリゾートアイランドの料理部長になることになっていた。こういうのを獲らぬタヌキの皮算用というのだ――と思った。それで思い出した。
「ねぇ、おとうさん。さっきタヌキがきたでしょう」
「タヌキ? あぁ、田沼先生か?」
「うん。なにかいってた?」
「話は聞いたよ」
「ごめんなさい」
「うんまぁ、五年生でも虫の居所がわることはあるさ」
「でも、なんだか帰りにはニコニコしてたね。それに封筒なんかもってたけど……。まさか、ワイロ?」
「ばかいってんじゃない。お父さんを侮辱する気か! なんてね。わいろじゃないけど、もっと強力なもんだ。啓介流にいえば最終兵器だな」
「わぁ、いったいなんですかおじさん」
「わたしも聞きたい」
「まぁ、仲人といえば親も同然ってことさ」
「へ?」
「まぁ、のりさんたらこないだのお話、田辺先生にしたの」
おかあさんはおとうさんのことを「のりさん」という。本名は典弘だ。ちなみにおとうさんはおかあさんのことを「みさおさん」とよぶ。
どうやら、おかあさんが会社の人に押しつけられたお見合いの話を、お父さんがタヌキに持ち掛けたらしい。
このあとは、見合いがうまく行くかどうか賭けが始まってしまった。賭けを取りまとめる胴元はもちろん――ちづる。おかあさんは「失礼よ、そんなことしちゃ」とかいいながら「だめなほう」にかけていた。
お父さんの運転でみんなを送って帰ってくることにはすっかり、落ち込みは回復していた。
無責任だけど、人にはその人にしか背負ううことのできないものがあるものだ。他人にはそれを背負うことはできない。できるのは、その人がそれを背負っていることを、時としてその重みに疲れてひざをつく、そのときにそれを見届けてあげるだけだ。そして一番大事なことは、その人がなにを背負うていたのかを知ることだ。
そしてぼくは今夜はそれをしなくていけない。
マシンを立ちあげる。指紋認識ユニットでネットワークにはいる。儀式のように黙々と手順を進めながら、ちょっと緊張しているのかな、と思った。
龍野進さんはきっと駄菓子屋にいると思った。でも駄菓子屋にいく前に、ぼくはハルさんにメールを送った。珍しくすぐにリプライがきた。さて、これで準備はできた。
駄菓子屋にはいっていくと、杖を突いた仙人がいた。大きな木もノソノソ歩いている。サファリ帽子もUFOみたいに漂っている。ぼくがはいっていったのはみんなにもわかったはずだ。
Ryu おうヒロシきたか
Alice おそかったわね
Tron おまたせしました。師匠もこんばんは
Takesi こんばんは、ヒロシ君
Ryu ヒロシ、今日は学校ですまなかった
Tron いえ。こちらこそ
Takesi そのへんのことは、ヒロシがくるまえにきいたよ
Alice ヒロシ君はナイーブだからショックだったんじゃない? 龍野進さんが心配してたわよ
Tron ええ正直言ってちょっと。でも大丈夫です。龍野進さんがぼくの過去の外部記憶装置なら、ぼくは龍野進さんの未来の外部記憶装置なんですから
Alice なにそれ?
Ryu そうか、ヒロシ君ありがとう。
じゃぁ、毎日毎日みんなに夜ふかしさせても悪いから、話すことにしよう。あの日になにがあったのか。
Tron ちょっとまってください。今日はもう一人ゲストを入れたいんです。いいですか?
Alice だれなの?
Tron HALです。彼女にも聞いてもらったほうがいいと思って――。龍野進さんいいですか?
Ryu あぁ、かまわないよ。
駄菓子屋の店先でうろちょろしていたHAL――アイコンは真空管というものだった――が入ってきた。
Hal はじめまして。くわえていただいてありがとう。
Ryu じゃ、しばらく時間をいただくよ。
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龍野進さんは話し始めた。あらかじめテキストを用意していたのだろう、ぼくら四人が読みやすい程度の速さで、ディスプレイに文字が送られてくる。
それはぼくが調査の過程で集めたファイルにあったものとほぼ同じものだった。龍野進さんもあの地獄のなかにいたんだ。
龍野進さんのお父さんは当時、兵隊として戦争に行っていていなかった。おかあさんと妹と弟の四人で暮らしていた。あの日は夜中におかあさんにおこされた。外に出ると空が真っ赤だった。そしてすごく熱くて、喉がひりひりするほどの煙が渦巻いていた。おかあさんの手をしっかりと握り、片方の手で妹の手を握っていた。弟はおかあさんが背負っていた。
おかあさんの言うままに火の手から逃れようととにかく必死で逃げた。町じゅうの人が少しでも火の勢いが少ないほうへと殺到したため、道は人でいっぱいだった。それが火のきまぐれな動きに合わせて右へいったり左へいったりするのだからたまらない。気がつくと、右手で握っていたはずの妹の手がなかった。
おかあさんに言う暇もなかった。なんとか火の手から逃れたころには、夜明けがちかくなっていた。
おかあさんはそのときになって妹がいないことに気がついたが、龍野進さんをせめてもしかないことはわかっていて、何も言わなかった。
日が昇ってからは三人で焼け野原を探してまわった。昨日逃げてきた道順を思いだそうにも町が焼けてしまっていて、たどれない。
結局、妹は見つからなかった。龍野進さんは自分を責めた。どうして手を放したんだろう。
三日も四日も探したが妹は見つからなかった。町は木の焦げるにおいと人の焼けるにおいが混じっていた。道端には埋葬を待つ遺体が並べられ、覆う布もなく、焼け爛れたトタンがかけられていた。遺体からは血や体液が流れ出て、乾いた道路に黒い模様を作っていたそうだ。
焼け跡に戻ってきた近所の人にも聞いたがだれもが首を振るばかりだった。
おかあさんは龍野進さんに「もういいよ」といって、家の焼け跡から見つかった妹の茶碗を埋めてお墓の代わりにした。
それでも、龍野進さんは一人で妹さんを探し回った。そうでもしないと狂ってしまいそうだった。疲れて橋の上で休んでいると、川で死んだ人を引き上げていた。なかには子どもがいて、そのたびに龍野進さんの心臓はぎゅっとした。川はいくら死んだ人を引き上げてもしたからしたから遺体が浮かび上がってきた。でもとうとう妹さんはみつからなかった。
@
Ryu あれからもう七〇年もたってしまった。でも忘れたことはないよ。
Takesi そうですか、そういう体験をされたんですか。
Ryu わしだけじゃない。あの日にかぎっても一〇万人ちかい人が死んだんだ。その人たちの数だけ、家族や友人や恋人が同じ思いをしたのだろう。なかには、親もとを離れて遠くに疎開していた子どもなどは、東京で空襲があったことも満足に知らずにいた場合もあったろう。戦争が終わって帰ってきたら、誰もいない。そういうことが戦争ではそこかしこであったんだ。なにも特別なことじゃない。
いまでも孫の手を引いて歩いていると、孫がいやがることがある。強く握りすぎるといってな。
Tron 龍野進さんぼくはちゃんと記憶したよ。
Alice わたしもです。
Ryu ありがとう。ということで、わしの記憶のバックアップ作業は終了じゃ。ヒロシ、どうする。
ぼくは龍野進さんの話を受けて、遺体を公園や校庭に埋めたこと、正式に埋葬し直されたのは戦争が終わってから三年もあとになってからだったこと。そのときに埋葬しなおすのをわすれたのがハルさんの校庭の人骨とおもわれること――を報告した。
Hal どうしたらいいのかしら。
Tron たぶん君の学校の校庭には、君が見た以外にも何人かの人が埋葬されているんだろうとおもう。ぼくはそのままにしておいたほうがいいと思う。でもできれば、そばに君たちが埋めたのとは別のカプセルを埋めてあげたらどうかと思う。
Hal べつのカプセル? なにを入れるの?
Tron ぼくの報告書。それに龍野進さんの体験談。
Hal でも――。
Tron かれらが粗末に埋葬されたわけじゃない。忘れてしまうことのほうが失礼なんだ。
それにちゃんと埋葬された人々の慰霊碑は別の場所に立派なものが立っている。でもそうしたものは、いつ壊されたりするかわからない。君の学校に眠る人はそうしたときのためのバックアップさ。
Takesi ちゃんと残されたものだけが記憶――歴史ではないということだよ、ハルさん。
アフリカのある社会には、その国の王さまの記憶を代々受け継ぐ職人がいる。語りべという言う人たちだ。でもかれらのかたる歴史は王のものだ。その王の時代に暮らしていた人々のことを語り継ぐわけじゃない。だからといって、間違いだというわけではないよ。それも歴史の一つだということだよ。
今の時代を知っているのは今の時代に生きている人たちだけだ。未来の人は知らない。未来の人たちに知らせたくないと思えばそうすることもできる。でも、知らせたいとおもったことはいろいろな方法で、いろんな形で残しておく必要がある。
というのは、未来の人がぼくたちとおなじではないからだよ。ぼくたちが大事にしていることは未来の人にとってはそうでないかもしれない。逆もある。だから、本や音楽、語りべ、記念碑などいろんな形でのこしておくことがいいと思う。
Alice でもそうしたら、数が多いほうが正しいということになりはしない?
Takesi うーん、アリスさんの言うことも否定はできない。でも、たとえばぼくの書いた本が五〇〇万部出版されたとする。未来にその本がおおくが残っていたとしても、それが、ぼくの家だけに残っていたとしたら、未来の人はどう考えるかな?
Alice そうねぇ、たくさんあるけど、たくさんの人に読まれたわけじゃない、ということかしら。
Takesi 未来の人たちはぼくたちと違った価値観をもってはいるだろうが、考えることや推理する力を失うわけではないと思う――確信はないけど、ぼくらがそういう力を持っているんだから大丈夫だと思う。
かれらが推理する手だてを残しておく――ぼくらが残したいと思うことについてはとくにね。そうすれば、かれらはかれらなりに正しいと思うことを考えてくれると思う。そう信じないとね。語りべや手書きの本しか、記録手段がなかった時代とは今は違うんだ。いろんな形で残すことができるんだから。
Hal ありがとうみなさん。あの人骨がどういう由来のものなのかはわかりました。わたしもTron君――もうヒロシとよんでもいいわよね――の言うように、掘り返さずにおくのがいいとはおもうけど、あのとき一緒にいたみんなにも聞いてみる。
Takesi そうだねそれがいい。
Hal もしカプセルを埋めるとしたら、皆さんとの今日の会話や、校長先生のこともみんな書いていれます。Tron君の報酬がXチップ780だということもね。
Tron えー。
Ryu ヒロシ、それが記録というものだ。
Tron うーそれは消して欲しい……。
Alice 未来の人に「シャイロック・ヒロシ」と呼ばれたりしてね?
Tron アリスさんシャイロックではなくて、シャーロックでしょう?
Alice あら、走れメロスをよんだことないの?
ということで、ハルさんから依頼のあった調査は終了した。翌日、約束通りハルさんからチップが送られてきた。うーんどうしよう。受け取ってもいいんだろうか? ぼくはチップを睨み付けた。
そのチップを肩越しに伸びてきた手がひょいと取り上げて、「これでおれたちのマシンも性能がアップするな」と啓介がいった。そうか今日は土曜日だ。
「きょうこそ決着つけようぜ。島をゲットしておれは取締役だ! 大金持ちだ!」
啓介もちづるにすっかり洗脳されたらしい。そのちづるも未来人もやってきてゲームが始まった。
「チップがあるということは、ハルさんからの依頼は決着したのか?」と未来人が聞いてきたので、昨夜のあらましをみんなに話した。
啓介は「なんだかわかんねや。でもチップは手にはったし、それになによりおれはヒロシ、俺はおまえを信じる」と、いっただけ。わけわかんないのはこっちだよ、啓介。
未来人は「記録か――。ぼくたちがこうしていることも記録しておかないと消えてしまうんだね」となんだかしみじみしていた。変なの。
そしてちづるは「記憶は商売になるはね。きっと」だって。かなわないや。
ゲームは始まった。ぼくらが繰り出した最終兵器は「くさい空手withしょっつるシャワー」だった。勝てると思った。ぼくらの島が玄関をノックするかと思った瞬間、対戦相手のモロッコの高校生が繰り出したのが、「らくだのゲップand唾シャワー」だった。ぼくら四人は新鮮な空気を求めて鼻をつまんで逃げまわった。いまどきのコンピュータは即座に臭いなど分析して、相手のマシンから送り出すこともできるのだ。四人で家中の窓をあけ、ぼくらは、首を突きだしてゼェーゼェーとあえいだ。
立ち直ったぼくたちはディスプレイの前にもどった。負けを覚悟したが、相手の高校生は「くさい空手withしょっつるシャワー」を全身に浴びて、気絶していた。またもや引き分けだ。
気を取り戻した高校生を相手に再戦だ。
ぼくらの兵器は、ほかの三人には「負ける気か?」といわれたものだった。でもぼくは勝つ自信があった。
その兵器の名前は「朝シャン&水だしっぱなし歯磨きバブル砲」だ。ぼくらのマシンは、水を使い放題の映像を相手にこれでもでもかこれでもかと見せつけた。高校生はだんだん青ざめてきた。もう少しだ。
それでも、高校生は負けじと「サソリ」を放った。攻勢に油断していたぼくらは一瞬ひるんだ――。それもつかのまちづるがバーチャル・スリッパでぺちゃんとつぶしてしまった。
あっけない勝負の結末だった。ちづるはなんでこんなハサミムシみたいなものが恐いのあんたたち、といった顔でみている。さすが社長だ。ちづるといっしょなら世界征服も夢ではないかもしれない。
とにかく島はぼくらの手に入った。
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社長を囲んで勝利の宴の真っ最中――。料理長のおとうさんが腕を振るい、ちづる社長はリゾート開発計画を目を輝かせて話している。啓介は「とりしまりやく」と書いた紙を胸にはってニタニタしている。未来人は冷静に喜んでいる。かれは、目のまえにあるものしか信じないタイプだからな。楓子はみんなにつられてきゃっきゃとはしゃいでいる。
おかあさんが帰ってきてふたたび乾杯。「ちづるとヒロシの未来に」なんておかあさんが言うもんだから、ぼくは訳もなく真っ赤になってしまった。ちづるはけろっとして「任せてくださいおかあさん」なんていっている。あわっわわ……。
さて、その夜、ぼくらの勝利を知った世界じゅうのゲーム参加者から、お祝いのメールが殺到した。なんのことはない、みんながみんな「ぼくにも、わたしにも使わせろ! ――ただで」という内容だった。ちょっと前なら気前良くそうしただろうが、ちづる社長がなんというか……。期待を持たせてもいけないので、正直に返信をした。
アリスさんや猛さん、龍野進さん、それといまどこにいるかわからないメル友のベウラにも勝利の報告をした。それからハルさんにもね。
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翌日、テレビのニュースで、ハルさんの学校の校庭から人骨が出たということが報道された。
さらに、数日後、ハルさんからメールがきた。
結局、人骨は掘り返して、再度埋葬することになったそうだ。校庭を掘ったら、六人の遺骨がでてきたそうだ。
犬の骨だといって、埋め戻してしまった校長は警察に怒られたらしい。遺骨は校庭の片隅に埋葬され、あの日から七〇年後のいきさつを記録したチップがいっしょに埋葬された。現代人が普通にもつ端末を向けるとその情報が閲覧できる。
ぼくはあらためて考えてこれで良かったのだと思った。だって、結果としてたくさんの人が知ることとなり、記憶のバックアップが複数化できたことはよかった、と気づいたからだ。
それから、龍野進さんの妹が見つかった。残念ながら、あの日になくなっていたけど、幸い洋服が焼けずにいたため、埋葬時に名前だけは確認されていたのだそうだ。引き取りてのなかった被害者を埋葬した施設から、連絡があった。
龍野進さんは知らせを聞いて泣きだしてしまった。考えてみれば、死亡者のデータベースを探れば簡単にわかったかもしれないことなのだ。龍野進さんがそれをしなかったのは、死んだとはわかっていても「確認」などしたくなかったのかもしれない。
遺骨と対面した龍野進さんは、小さい骨壷の中から手の骨を出して握り締めた。
いま妹さんはおかあさんといっしょのお墓にはいっている。でも手の骨だけは龍野進さんがもっている。ぼくらの島に埋めてやりたいという。生きていれば、泳ぐことができたかもしれない珊瑚礁の海を見せてやるんだそうだ。そして、死んだら自分もそこに眠る――二度と手を放さずに。(完)