無 縁 坂

・・・ため息つけば それですむ 後だけは見ちゃだめと・・・


収録アルバム:コミュニケーション
発売日:1975年7月25日
シングル:無縁坂/雲にらくがき
発売日:1975年7月25日
最寄り駅:JR山手線上野駅


上野駅・不忍(しのばず)口を出て、上野公園を通りぬけ不忍池の対岸に『無縁坂』はあります。 気をつけていないと見過ごしてしまいそうな、ほんとに小さな坂です。 「無縁坂」という名前の由来は、坂の上の称仰院というお寺が、無縁寺と呼ばれていたことか ら来ていると言われています。


坂の途中にある地名表示の掲示板には、森鴎外の「雁」で主人公の岡田青年の散歩道として有名に なった、と記されています。
同じグレープ時代の「追伸」という歌に「あなたに借りた鴎外も 読み終えていないのに」という フレーズがありますが、まさしさんは、森鴎外の「雁」を読んでのち、この坂に何かひきつけられるものがあったのかも しれませんね。


(「雁」のあらすじ・・・明治13年「僕」がまだ医学部学生だった頃、下宿の隣人だった 一学年下の「岡田」という若者と、
無縁坂に住む高利貸の妾「お玉」という女性の間に芽生えた、恋とも言えないほどの淡い思慕を 記すという形式の小説になっています。)



母がまだ若い頃 僕の手をひいて
この坂を登るたび いつもため息をついた
ため息つけば それで済む
後だけは見ちゃだめと

母子の家は、坂を登った向こうにあるのでしょうか。こんななだらかな勾配も少ない坂で、 なぜ母はため息をついてしまうのでしょう。 「母」は、無縁坂を通ることに憂いを感じていたのかもしれません。 坂の向こうを思うとき、たまらずため息が出てしまうのかも。
この歌の人物設定を推測してみたのですけれど、この美しい曲が台無しになってしまいそうなので ここに書くのはやめておきます。 「真実は作者の胸中にこそあり」ですね。

運がいいとか悪いとか
人は時々口にするけど
そうゆうことって確かにあると
あなたを見ててそう思う



『運』というものは都合の良いものです。自然に流れる「力 」の別名です。 ある時は味方になり、ある時はどうしようもない仇にもなってしまいます。 僕は別に運命論者でないつもりですが、そういうものって本当にあると思うことがあります。 が、物ごとはすべてそうでしょうけれども、楽観すれば、いくらでも楽になり苦しめばいくらでも 苦しめるもののような気がするのですね」(「無縁坂」ライナーノートより)

実際に何かを成そうとするとき、私達は多大な努力を払おうとするわけですが、そのとき運が味方 してくれたらなと思うことがあります。そしてその願いが叶わなかったとき「あの人は運がいい」 「自分はなんて運が悪いんだろう」と、自分と他人を比較して嘆いてしまいます。 しかし「運が悪かった」で片付けられるうちは、まだ救われているのかもしれません。
「悪いことは、自分が引き寄せているのだ」と言われて、はっとしたことがあります。 確かに一理あるけれど、すべては自分のふがいなさ、力不足のせいなのだよとにべもなく言われて しまったようで、もう逃げ場さえ失ったように感じてしまいました。
どんなに最善を尽くしても、努力だけではどうにもならない逆流はあるのです。 そしてその逆に、思いがけなく良い流れに乗ってしまうこともあるのです。 「流れ」が自分の思う方向に行くか行かないか、その行く末は喜びか哀しみか。 どちらに転んでも『運』は実に都合がいい言葉なんですね。



その後、岡田とお玉はどうなったのでしょうか・・・お玉にとっては、「結局、運がなかった」 という結果になりました。翌日岡田がドイツに旅立つという晩、その淡い恋は別れの言葉を 交わすこともなく、あっさりと 幕が降りたのです。
***一本の釘から大事件が生ずるように、青魚の煮肴が上条の夕食の饌ぜんに上がった ために、岡田とお玉とは永遠に相見ることを得ずにしまった。
そればかりではない。しかしそれ以上のことは雁という物語の範囲外にある。 ―「雁」森 鴎外―***

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