![]() 収録アルバム:私花集(アンソロジー) 発売日:1978年10月25日 シングル:檸檬/加速度 発売日:1978年8月10日 場所:東京都文京区湯島一丁目「湯島聖堂」 最寄り駅:JR中央線「お茶の水」駅 営団地下鉄「お茶の水」駅 タイトルは、梶井基次郎の同名の短編小説「檸檬」の引用だと思いますが、その字面の 難しさや古めかしさが、いっそう文学的な詩の世界を匂わせていると思います。 「湯島聖堂」は、お茶の水駅「聖橋口」を出て、聖橋を渡るとすぐ右手に あります。(写真右前方、木々の中の青銅色の屋根) この歌が発売されてから、何度この場所を訪れたでしょうか。 初めて湯島聖堂を訪れたとき、静けさの中に潜む一種異様な雰囲気にのまれそうに感じました。 参考資料 あの日湯島聖堂の白い 石の階段に腰かけて 君は日溜りの中へ盗んだ 檸檬細い手でかざす それを暫く見つめた後で きれいねと云った後で齧る 指のすきまから蒼い空に 金糸雀色の風が舞う まさしさんの歌の特徴のひとつに「色使い」があると思うのですが、この曲でも「快速電車の赤い色 」と「各駅停車の檸檬色」(2番)、「蒼い空」と「金糸雀色の風」が使われています。 「盗んだ檸檬」は、それが実際に盗んだものであるかどうかは別として、齧る=壊すことのように 思いました。 ![]() 快速電車の赤い色がそれとすれ違う 川面に波紋の拡がり数えたあと 小さな溜息まじりに振り返り 捨て去る時には こうして出来るだけ 遠くへ投げ上げるものよ 終わった恋は思いっきりよく捨てる、それこそが最後の誠意、そういうふうに読み取れます。 当時、私はこのフレーズが一番好きでした。こんなことを言える大人の女性になりたいと思っ たことも。でも、別れる相手に向かってこんなことを言えるかしら? 「君」は恋愛関係ではない異性の友人なのかしら? 聖橋をはさんで、聖堂のある湯島側とお茶の水側では正反対の街。 湯島聖堂とスクランブル交差点、静かな場所と賑やかな場所。 たくさんの人が行き交う場所は,出会いと別れ、喜びと悲しみ、愛と憎しみまでもが行き交う。 大事に育んできた愛さえも捨て去ることができる、それも青春なのかもしれませんね。 「捨てる」よりも「棄てる」と表記した言葉へのこだわりを感じます。 「青春というのは、もしかすると人生の中で最も多くの愛と憎しみを 産む時のことを言うのかも知れない。」(「私花集」ライナーノーツより) それらの捨てられた愛や夢、悲しみや憎しみが、「時の流れ」によっていつしか浄化されていく。 それを「鳩がついばむ」と比喩したところは、さすがと唸ってしまいました。 1番で放られた「喰べかけの檸檬」の対として、2番は「喰べかけの夢」が放られるわけですが、 「各駅停車がそれをかみくだく」のは、「夢が砕かれて散る」ことの比喩表現でしょうね。 実際に線路まで檸檬を投げられるのは、かなり強腕じゃないと・・・と、冷静に考えると思う わけですが、 それでもそうした行動をとらなければならなかった「君」の心情を思うと切ないです。 二人の波紋の拡がり数えたあと 小さな溜息混じりに振り返り 消え去る時には こうして出来るだけ 静かに堕ちてゆくものよ |