「紫陽花の詩」探訪

蛍茶屋電停
蛍茶屋から鳴滝までは
中川越えてく 川端柳
他人(ひと)の心をごまかすように
七つおたくさ あじさい花は
おらんださんの置き忘れ


長崎駅前から「螢茶屋」方面行きの電車に乗り、終点「蛍茶屋」へ。途中、右手に 「伊良林小学校」が見えました。
現在は「螢茶屋」という名前だけが残っているだけなのですが、昔ここに峠の茶屋があったそう です。

「長崎県の歴史散歩」という本によると、「溺れ谷の深くきりこんだ湾内にある長崎市は、まわりを 高い山にかこまれている。長崎から陸路そとにでるには、このけわしい山をこえなければならない。 いくつかの通路のうち、古くからもっとも往来がさかんな街道が、長崎の東につらなる日見嶺をこえ、 諫早に通じる長崎街道だ。街道の起点となったところが市電の東終点、螢茶屋。古くはホタルの 名称地で、茶屋がひらかれていたのでこの名がある。」と書かれています。 今は川底がコンクリートで固められていて、ホタルの姿も見られなくなってしまったそうですが。
同じように長崎を歌った「女郎花」の歌詞に、♪お諏訪の森の風は、日見の峠を越えてくる、と あります。 早朝まだ暗いうちに螢茶屋界隈の宿を出立した旅人が、ちょうどこの峠で日の出を見ていたこと から「日見峠」というようになったそうです。昔はこの峠まで、旅立つ人を見送ったの でしょうか。

中川を越えて(橋を渡って)しばらく上流に向かって歩いて行くと、 『鳴滝』という名前の由来になったと 思しき場所がありました。 ほんとに滝のような轟音が響いていました。
シーボルト像 鳴滝から左に折れて(右手に学校の校庭が見えました) 少し歩くとシーボルト宅跡。 ここでまさし少年は、よくキャッチボールをしていていたそうです。 ときどき、シーボルト像によじ登ってたりして(笑)
とても小さな公園でしたが、子供にはちょうどいい遊び場だったんでしょう。 タイムスリップできたら、あの日のまさし少年に会いたいな。
シーボルトは蘭学医としての業績もたくさんありますが、中国から出島に伝わったアジサイを、 愛妻お滝(彼女は丸山の遊女であった)の名前にちなんで「ヒドランゲ=オタクサ」と命名した のを、「お滝さん花」と長崎の人が呼ぶようになったそうです。シーボルトは、海外持ち出しを 禁止されていた地図を持ち出そうとしたとして、お滝と愛娘・お稲(のちの「オランダお稲」)を 残して国外追放になったのですが(シーボルト事件)、きっと紫陽花の頃は、シーボルト像を 囲むようにオタクサが咲くのでしょう。

眼鏡橋
思案橋から眼鏡橋
今日は寺町 回ってゆこうか
それとも中通りを抜けてゆこうか
雨が降るから久しぶり
賑橋からのぞいてみようか


レポート:1999.8月
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