旅日記〜諏訪・ひとり旅〜下諏訪

---御柱祭とは----
祭りの規模の雄大さ、行事の豪壮などをもって天下の大祭の第一にあげられる「おんばしら」は、七年目毎の寅と申の年に行われる諏訪大社の式年造営のことです。 今から約千二百年前の平安時代から、信濃国一国をあげてこの祭りに参加して社殿造営と御柱の曳建てに奉仕したことが古事記に残されています。
それ以来七年目毎の寅、申の年に祭事が続けられ、江戸時代以降は宝殿の造営と御柱の曳建てが行われ、現在では諏訪地方一円六市町村二十万人の氏子の人達によって盛大に行われています。
期間中は諏訪地方は祭り一色に塗りつぶされ、豪壮雄大なる祭典絵巻が二ヶ月にわたって繰り広げられます。
----(諏訪観光協会ホームページより)-----


江戸時代に宿場町として栄えた諏訪の町は、七年ごとの御柱祭りの真っ最中。諏訪出身の知人は、御柱祭を「自分の人生の区切りとして重要な行事」と言っていました。きっと諏訪の人のほとんどが、そう感じているのでしょうね。
御柱祭といえば「木落とし」が有名ですけれど、3月末御神木となるモミの木に朱塗りの神斧を入れるところから始まるのだと思います。(御柱になるモミの木は直径1m、長さ16m。重さ12t)
木落とし坂の最大傾斜度は40度。時には死者さえも出るという荒々しい行事だけれど、諏訪の男性にとって御柱に乗る役にあずかることは名誉なのだと聞いたことがあります。逆の立場からみれば、諏訪の女にとっては覚悟も必要だということになりますよね。う〜む(_"_;)

今日は下社の里引き。木落としのような荒々しくはなくて、諏訪の町中を御柱を曳いて歩く行事です。これには、女性や子ども、観光客も参加できるようです。下諏訪駅の改札を出ると、道の両脇にわたあめやヤキソバを売っていたりで、お祭り一色。おかげではじめて来た町なのに、地図がなくても道に迷わずに済みました(笑) 行きたいところがたくさんあって困ってしまったけれど、混雑しているらしい春宮を避けて秋宮へむかいます。道すがらに、氏子や商工会のそれぞれの御輿?やパフォーマンスが行なわれていました。ミニスカートをはいて女装したり、髪の毛を赤や紫や思い思いの色に染めている男性ばかりの集団もありました(笑)頭を茶坊主?のように剃った男性を何人かみかけたけれど、この祭りが終わったらどうするのかしら?(笑) 陽射しが強くて、和太鼓を叩いている男性の額が真っ赤になって腫れ上がっていました。

新緑に里曳きの声にぎやかに

諏訪森に木遣りこだます七年祭


地元の女性たち、特に街道ぞいの家の女性は、里帰りする兄弟や遠方の親せき等の 「お客」の接待に忙しく御柱祭を見る余裕もないという話を聞いたことがあります。(^^;;そして「御柱の年には嫁をもらってはいけない」と言い伝えもあるそうです。

-----<桓武天皇により御柱祭が信濃の国祭となった頃、国司は工人や資材が他国にでることを禁じ、家の新築、元服、婚儀も禁止、葬儀も仮埋葬だけと、徹底して御柱のために資力の充実を計りました。
そのなごりでしょう。近代になっても、特に御柱街道沿いでは、酒や料理をふるまいなどにお金がかかり、その経費節減の意味もあって、今でも一部で言い伝えられています。(諏訪観光協会ホームページより)>-----


下社秋宮の鳥居をくぐると、大きな木。樹齢700年の御神木、「根入りの杉」と言うそうです。さわやかな風を一瞬感じます。しめ縄も見事な社殿前には、青銅で日本一大きいという狛犬が控えていました。昭和天皇がお手植えされたという天覧の松が、品よく趣を添えています。翌日に建て御柱をするためという穴を覗き込んでいると、突然、神楽殿まえで花笠踊りの奉納が始まりました。なんかちょっと得した気分(笑)

秋宮の天覧の松に夏兆す

風薫り影を落とすや根入り杉

花笠の色とりどりに祭り笛


参拝をして、御柱守りと開運の根付けを買いました。どうか、いいことがありますように、そしてお守りください。

つづく(上諏訪編)