そうだ!京都へ行こう〜!?2000.11.26

龍安寺の紅葉
17年ぶりに京都に行ってきました。京都は、若い頃は帰省の度によく途中下車していたんですけど、結婚してからはまったく行くチャンスがなくて。やっと、まるまな旅が出来ました。
前日大阪で「翔べイカロスの翼」上映会があり、その日は会場のある京橋駅近くのビジネスホテルに泊まりました。朝7時にはチェックアウトするつもりだったんですけど、ちょっと怖いことが・・・。このホテルは、京橋駅から歩いて5分ほどでしたが、歓楽街のドン詰まりにありました。朝5時ぐらいから、外で酔っ払いが大声で叫んでいる声がずっと聞こえてきて(姿は見えなかったけど)さすがに怖かったです。歓楽街だけに、早朝に歩いている人もほとんどいないし、酔っ払いの声が聞こえなくなるまで待っていたら、8時頃になっていました。この1時間のロスが、あとあとひびくことになるとは(T_T)
京橋駅前のマクドナルドで「朝マック」してから(笑)、環状線に乗って大阪駅へ行きJRで京都まで。京橋駅から京阪電車で京都市内に入ることもできるのですが、帰りのことを考えて京都駅のコインロッカーに荷物を預けたかったので・・・。1時間ぐらいで京都駅に着きました。この日の京都は、上着を着ていては汗ばむぐらいの陽気でした。観光案内所で100円の地図を買い、近鉄京都線に乗って、まずは東寺(京都駅から一つ目)と羅城門へ。東寺は、学生時代に国文科の研修旅行で行ったことがありました。
<東寺>五重塔(国宝)が有名。弘仁14年(823)空海が嵯峨天皇より賜った。南大門・金堂・講堂・食堂と一直線に並ぶ伽藍配置は、奈良時代の様式を残しているが、そのほとんどは戦乱で焼失した為江戸期に再建されたもの。曼荼羅を立体にした仏像がある。宝物館は春と秋に公開。空海の命日21日には「弘法さん」と呼ばれる市が立ち、境内は露店で賑わう。
境内自由 拝観料500円(大人)開門時間9時〜16時30分。JR京都駅八条口→市バス四条大宮行き・東寺西門行き6分、バス停東寺東門前・南門前下車。駐車場20台(有料)
〜旅が好きになった理由〜
いつも列車から駅のそばの五重塔を見てたんで、そこへ行ってみました。そしたらこれが「東寺」だったんです。
「東寺」がここにあるのなら、じゃあ「西寺」もあるはずだ、どっちの方だろうかと聞いたんです。そしたら、いまはもう、「西寺」というところは残っておりませんよ、跡なら残っていますっていわれて、トコトコと、その跡を見に行ったんです。「ああ、ここが西寺跡か」と思ってね、セコイとこだった。次に頭に浮かんだことは、「西寺と東寺の真ん中に、朱雀大路ってのがあったはずだ」ということで、よし、それを探そう。で、それを探した。
「羅城門跡」って書いた小さな石柱があったんです。その「羅城門跡」っていう字を見たときにねえ、身体中がゾォーッと総毛立ったんです。「おおッ、羅城門というのは、昔ここにあったのねッ」(笑)。その一瞬で病みつきになったんです、旅が。(「ある日旅に出たら」噺歌集2より)
東寺は、京都駅から歩いても行ける距離だと思います。近鉄東寺駅からは7,8分と思いました。10時を過ぎたところだったので、人出はまだ少なかったです。境内に、たぶん山法師と思ったが?ピンクの花が咲いている木がありました。朝の陽射しの中で、地面に散りしだくピンクの花びらと鳩のいる静かな風景は、「んー、これこそ、さだまさしの世界」と勝手に感じ入ってしまいました。
西寺跡は立ち寄りませんでしたが、「羅城門跡」は見て来ましたよ。東寺から西へさらに5分ほど歩いたところにあります。まさしさんが書かれているように、今は標石だけ(明治28年)が小さな児童公園の中にありました。学生の頃読んだ芥川龍之介の「羅生門」のおどろおどろしいイメージとは、あまりにも違いすぎるあっけないほどの小さな名残りにショックさえ受けました。羅城門は、平安京の時代、都の入り口であり、都の中央を南北に縦断する朱雀(すじゃく)大路の南の端にあったそうです。幅が84mもあったという朱雀大路ですが、今は民家の間の細い道に変化していました。標石だけしか残らなかった羅城門に、大路が消えるまでの時の流れや、人の営みの力強さを感じて圧倒されてしまいました。
次は、京都に行ったらぜひ行きたいと思っていたところの一つ「鳥辺野」に行きました。一旦京都駅に戻るつもりでいたのを変更して、羅城門前から市バスに乗ることにしました。バス利用は、まったく思いつきの行動です(A^^;) 観光シーズンの京都をバスや車で移動するのは、渋滞にはまって泣くことになるのがオチなんですが、まだ午前中だったし、このあたりは観光客も少ないだろうと思って・・・さすが「どうにでもなる」と考えるO型でしょう!?(笑) 思った通り、バスはスムーズに運行していましたよ。「今熊野」で下車して、いよいよ念願の鳥辺野散策です。
今熊野の剣神社から、御寺泉涌寺迄の山道を歩いてごらん、と言われたのが4年ほど前。僕は早速出掛けて行って、すっかり魅きつけられ、以来、事あるごとに鳥辺野歩きをして来ました。(中略)詳しい事はよく知りませんが、かつて鴨川より東側は人の住む場所≠ナはなかったらしい。そこで人々は戦乱等亡くなった人の骸を、河の向う側へ運んだものだと聞きました。鳥辺野という呼び名で呼ばれる場所は明確に此処から此処迄、と線の引けるものではない様で、京都の人ですら、その存在を知る人が少ないのです。従って人通りも極めて少なく、寂し過ぎるほどの閑かさを保っています。(中略)
秋口には、夏をせきたてるように竹林を風が吹き抜けて葉を揺らし、冬は古く色の変わった石の道標や、ぽつりぽつりと立つ墓標が悲しく静まりかえっています。徒歩で三十分足らずで抜けられるこの山道は自分が存在する現在、という時間を超越して時折、おどかす様に精一杯鎮まりかえっているのです。
(「うつろい」ライナーノーツより)
まずは「剣神社」を探さないと始まらないなと思って、商店街から山に向かって歩いていくと左手に「剣神社」がありました。ちょうど山道を下りてきたハイキング中?の壮年の男女の集団と出くわしました。
ここは、平安時代に都の護りとして巽の方角に宝剣を埋めたといわれています。子どもの守り神として知られており、毎年11月3日には、疳(かん)の虫などに効くとされる焼きミカンを授ける「三疳(みかん)封じ火焚(たき)祭」が営まれているそうです。三疳とミカンをひっかけているんですねぇ(笑) 焼きミカンは疳の虫と夜泣き、引きつけの三疳だけでなく、ぜんそくも治り、食べた冬は風邪をひかないとか。
私もいちおう母親をやらせてもらっているので、せめて子供達のために参拝だけはしてきました(A^^;)
剣神社の真向かいに小さな橋がかかっており、この橋のたもとに桜の木があったようでした。春もまた良いかもしれません。橋を渡ると階段があり、民家の間の細道をさらに進んでいくと「鳥辺野陵参道」と書かれた石の道標がありました。まさしさんが言っていた「冬は古く色の変わった石の道標」は、これかな? 一人きりで山道を行くのはちょっと不安でしたが、思いきって上がってみました。ゴツゴツとした石を積み上げた階段を上りきると、そこには「枕の草子」に出てくる藤原道隆の娘・中宮定子の陵(お墓)がありました。すぐ近くに民家があるとはいえ、人気のない静かさ。今でこそ階段が整備されているけれど、むかしむかしはけもの道のような細い道だったかも知れません。
♪どれ程きれいにつこうと嘘は嘘
あなたがついたか 私がつかせたか
茨道 袖を裂く けもの道
陵墓づたいに 枯れた竹林 (「鳥辺山心中」)
さっきの石の墓標まで戻ると、向こうから数人のおばさま達がやってきました。剣神社で出会った集団といい、ここは寺社巡りをしながらのハイキングコースになっているんでしょうね。
ちょっと道幅が広くなり、うっそうした木々の上に京都タワーが見える場所がありましたが、なんとも寂しい山道でした。30分足らずで抜けられるとまさしさんは書かれていますが、観光シーズンでなければ、一人ではちょっと怖いかもしれません。
このへんは杉が多いようで、なかなか竹林がありません。やっと竹林と墓標(泉涌寺霊園)を見つけて、小さな道を折れて行くと、目的の泉涌寺ではなく観音寺(今熊野観音寺)というお寺の裏に着きました(A^^;) 西国霊場三十三ケ所十五番札所というだけに、さっきの寂しい山道が嘘のように境内に大勢の人がいました。紅葉も綺麗でした。観音寺を通りぬけ、さきほどの山道につながっているはずの道を東南に向かって歩いて行くと、すぐに泉涌寺がありました。
泉涌寺の写真を見て気づかれたでしょうか? 大門(山門)を入ったところで撮ったのですが、仏殿、舎利殿が山門より低い場所にあります。こういう形は珍しく、日本に数カ所しかないそうです。山門から下っていく行き先は、極楽浄土を表しているとか。
<泉涌寺>弘法大師が9世紀に法輪寺を建てたのが起こり。仁治3年(1242)に四条天皇が月輪陵に葬られて以来、歴代天皇の御陵が境内にあり皇室の菩提所となっている。「みてら」と呼ばれる由縁である。天皇陛下、皇太子殿下をはじめ、皇族が京都にお越しになられた折りには、必ず歴代天皇陵にご参拝され泉涌寺に立ち寄られるという。 観音堂では、唐の玄宗皇帝が刻ませたと言われる楊貴妃観音像が拝観できる。毎年1月15日の京都泉涌寺七福神巡りとして多くの人々が訪れる。
拝観料300円。御殿庭園の特別拝観料300円 開門時間9時〜16時30分 JR京都駅→市バス泉涌寺下車、徒歩10分 駐車場30台(無料)
泉涌寺は、山麓の緑多く静かな寺で、皇室の菩提寺らしい趣が感じられました。その名のとおり、寺の一角に清水が涌くところがありましたよ。境内の脇に、さらに山に向かっている砂利道を見つけました。車道からそのまま入って来られるようですが、その時は車止めがしてありました。5分ほど上って行くと後堀川天皇陵、孝明天皇陵がありました。さすがにこんなところまで来る人は少ないかもね(A^^;) 寺の内にあった月輪陵(四条天皇陵)に比べると寂れた感がありましたが、下界の猥雑さを忘れるほどの静けさと、なんとも表現しがたい気高さを感じながら、人目に触れることの少ない紅葉を愛でてきました。(泉涌寺オフィシャルページ http://www.mitera.org/ )
泉涌寺をあとに、東福寺へ向かいました。泉涌寺から東福寺へ抜ける近道がわからなくて、しかたなくバスが通る大きな道路に出ました。東福寺は、まさしさんゆかりの場所ではないけれど、紅葉の美しさはテレビCM等で有名ですね。ここはほんとうにすごい人出でしたよ〜。東大路通りと九条通りが交差するあたりには、貸し切りバスが何台も停まっていました。
<東福寺>臨済宗東福寺派大本山で京都五山のひとつ。壮大な伽藍と国宝の山門があり、京都で最大規模の寺院。3月14〜16日に兆殿司(ちょうでんす)作の涅槃図が一般公開される。方丈庭園など見どころが多いが、なかでも通天橋から臨む紅葉が素晴らしい。
境内自由 拝観料400円 開門時間9時〜16時 JR・京阪東福寺駅下車、徒歩10分 駐車場30台。
通りから東福寺まで人の波ができていて、なかなか前に進めません。三ノ橋川にかかる臥雲橋の上は、まるで牛歩のよう(A^^;) 観光シーズンは、ここは朝一番に来たほうがいいかも知れませんね。なんとか向かい側の通天橋を写真に撮りました。
通天橋は、境内から開山堂へ、三ノ橋川に架かる橋です。現在はコンクリートの橋げたになっていますが、かっては木造の橋で、人が渡れば床板のきしみがウグイスの鳴き声に聞こえることから鶯張りと言われていたそうです。また、夕焼けに紅葉がいっそう映え、通天橋が金色に輝くように見えるとか。紅葉の名所は、できればオフピークタイムを見計らって訪ねるのがいいでしょうね。
通天橋を渡りたい人の行列に怖気づき、腕時計を見たら午後1時すぎ。拝観はあきらめて、京都駅に戻ることにしました。地下街のファーストフードで簡単に腹ごしらえをして、次の目的地「等持院」へ。
等持院に行くには、何度か電車を乗り継がなければなりませんでした。京都駅からバス(所要時間40分)という方法がありますが、今回の私のように時間がない場合には、時間に正確な電車がおすすめかも知れません。まあ、私が電車好きというのもあるんですけど(A^^;)
京都駅から地下鉄で「四条」へ行き、阪急線に乗り換えて「大宮」駅下車。道路の向かい側にある京福嵐山線に乗り、「帷子の辻」駅で北野線に乗り換えです。
京福電車は、2両(あるいは1両)のワンマン電車です。無人駅が多く、乗車して整理券を取り、下りるときに乗車賃を払う・・・そう、ワンマンバスと同じですね。
心字池の畔に、泰然として立つ侘助が立派です。(中略)ひと昔前は、訪れる人も少なく、僕は、雨の日などは、ここでたったひとりで、3〜4時間もぼうとしていたものです。だが近年、観光客も急激に増え、又、隣接して立命館大学の校舎の建った子ともあり、随分趣も違って来て、すっかり開かれたお寺となってしまいました。(「時のほとりで」より)
<等持院>歴応2年(1341)足利尊氏が夢窓国師を開山として創建した寺。水上勉の小説「雁の寺」の舞台ともなった。足利歴代将軍の木像が安置されている霊光殿と茶室青蓮亭は有名。方丈(本堂)西側の庭は衣笠山を借景とした近年の名庭園。心字池を中心とした室町時代の様式を残す東庭も見ておきたい。
拝観料400円 開門時間8時〜16時30分 京福電車「等持院」駅から徒歩6分。市バス50番→立命館大学前下車、徒歩10分 駐車場10台
♪衣笠の古寺の侘助椿の たおやかに散りぬるも陽に映えて
その人の前髪僅かにかすめながら 水面と身を投げる (「春告鳥」)
写真は、書院から眺めた西庭です。見づらいですが、真ん中よりちょっと左の石組の上に樹齢400年の侘助椿が写っています。この時期には当たり前ですが、咲いているところが見られなくて残念でした(A^^;)
まさしさんがこのお寺を度々訪れた頃は、まだ訪れる人も少なかったと書かれていましたが、最近は観光タクシーのコースになっているそうで、たくさんの人が訪れていました。
ここの庭園は夢窓国師作として伝えられる三大名園(天龍寺、西芳寺、等持院)のひとつで、初春の椿、桜、夏はサツキ、秋は芙蓉と四季折々の花が楽しめるそうです。雪が積もったところも趣があるでしょうねぇ。
お薄(抹茶)を入れていただけます(400円)ので、お庭を眺めながら、まさしさんのように何時間もぼうとして過ごしてみるのもいいでしょう。備え付けのサンダルをはいて、ぐるりと庭を巡りました。東庭の紅葉がとてもきれいでした。
そういえば、墓地の片隅に銅像が立っていて「だあれ?」なんて思っていたのですが、1921(大正10)〜1933(昭和8)年まで境内に撮影所があったんですって。後に日本映画の父といわれるマキノ省三が、牧野教育映画製作所を開いたのが始まりだそうです。映画撮影で使用した為に、当時は等持院内部も傷みが激しかったようですが、 坂東妻三郎を育てた撮影所であったそうです。
等持院に長い時間かけてしまったので、このあとはすぐ近くの龍安寺を急ぎ足で回りました。ここも混んでいました(A^^;) 等持院と違ったところは、外国人や学生の観光客が多かった。
<龍安寺>世界文化遺産17社寺・城の一つ。細川勝元が宝徳2(1450)年に徳大寺家の別荘を譲り受けて建立した。方丈南側の枯山水庭園(特別名勝)が石庭として名高い。わずかの杉苔を除くと一木一草もない石庭。三方を油土塀で囲まれ、東西30メートル、南北10メートル余の長方形の白砂の庭に、15個の石を5・2・3・2・3に配している。白砂は海原、石は島山、苔は海辺の松林を表しているという。
拝観料400円 開門時間8時〜17時 (12月〜2月は8時30分〜16時30分)市バス50番→立命館大学前下車、徒歩7分 駐車場100台(無料)
龍安寺の山門を入ってすぐ右手に見える紅葉(トップの写真)が、とても鮮やかでした。たぶん、この日見たなかでは一番クリアな赤でした。記念撮影をする人も多かったです。
参道を進んで行くと、石段の上に禅寺らしい趣のある「庫裏」があり、そこを入って左手に進むと重要文化財指定の「方丈」です。そこに、写真やCMであまりにも有名な石庭があります。ぱっと見て100人近い人が、座り込んで庭を眺めている様は圧巻でしたよ〜。白砂に15の石が並ぶ様子が、虎が子を連れ歩くようなので”虎の児渡し”の名で知られています。 どの位置から眺めても、全ての石が一度には見えない作りになっており、「1、2個欠けても足るを知る」という禅の教えに基づいているのだとか。石庭の写真を撮りたかったのですが、あまりにも人が多く、しかも、全景がカメラに入りきらずに諦めました(A^^;)
石庭の反対側、方丈の北側の軒下に石造(銭形)の「つくばい」(手水鉢)が置かれています。徳川光圀(水戸黄門)の寄進といわれていますが、これは原寸大のコピーで、本物は非公開の茶室「蔵六庵」にあるそうです。真ん中の四角い部分を漢字の「口」の字として、それをそれぞれ漢字の一部に取り込み、「吾、唯足るを知る」ということを表現しているそうです。「吾唯足知」(ワレタダタルヲシル)は、禅の格言なのですね。方丈の東庭には、秀吉が賞賛したと伝えられている日本最古の「佗助椿」の木がありました。
心静かに石庭を眺め「吾唯足知」の悟りにいたるには、人が多すぎて落ち着かず、そのうえに時間もなさすぎました(T_T) 帰路は、苔むす杉木立を抜け鏡容池のほとりを歩きましたが、ここはなかなか風情がありましたよ。かつては、おしどりが群れ遊んだということから「おしどり池」と呼ばれています。着物を着て歩きたい感じですね。京都といえば西陣や友禅だけど、紬の着物も似合うかも。
♪夕焼け空が真赤か〜(笑)、このまま京都駅に戻って新幹線に飛び乗れば、夕飯に間に合うかなと思いながら、乗った電車の終点に懐かしい「嵯峨野」の文字。これは、やっぱり行くしかありません(笑)
嵯峨野に着いたのが午後5時ちょうど。すでに日が落ちて、誰そ彼その黄昏時(A^^;) しかし、人出は原宿・竹下通り並みでしたよ。いつの間に、嵯峨野もこんなにたくさん飲食店ができて・・・「時の流れって、そういうものですかねぇ」・・・必ずしも古いものが良いとは言わないけれど、嵯峨野は奥まった印象を残していてほしかったなぁ。まあ、これは勝手な旅人の感傷だけれど。
人の波に流されるままに、渡月橋へ。こんなに人が多くちゃ、急ぎたくても急げない、ひき返すにひき返せない、渡月橋を渡っているのかさえわからない状態でした(A^^;)
渡月橋を一往復したあと、野宮神社へ。こんな時間に駅と逆方向に行くのは、私ぐらいかな(A^^;) すでにとっぷりと日は暮れて野宮神社に向かう竹林の道は、向かうから来る人の姿さえ見えません。それでもまだ、行き交う人がいただけ心強かったです。
<野宮神社>斎宮に選ばれた内親王が、伊勢神宮に向かう前に潔斎するために籠った所。源氏物語のなかでも六条御息所が斎宮となる娘とともに野宮に籠るという場面があり、また謡曲の「野宮」にも謡われている。竹林の中、黒木の鳥居が構えている小さな境内には美しい苔庭がある。縁結びの神様。
境内自由 JR京都駅→市バス・嵐山方面行き41分、野宮下車、徒歩4分。
♪化野の古宮の嵯峨竹の
ふりしきる葉洩れ陽にきらめいて
その人のこぼした言葉にならない言葉が
音もなく谺する (「春告鳥」)
野宮神社で写真を撮りましたが、夜のせいかちょっと妖しげになってしまいました(A^^;) やっぱり、大阪のホテルでの1時間のロスが悔やまれます。
野宮神社は、「源氏物語」にも登場してくる古い神社ですが、実際に「化野」と呼ばれる地域はもっと奥なので「化野の古宮」と聞いた当時は、どこの古宮だろう?と思ったものでした(A^^;) まさしさん自身「「化野の野宮」と言うとまずいけれど、歌詞の上で特定している訳ではないから問題ないだろう」(「まさしんぐWORLD」(VOL.128))と書いておられますね。風景描写には「化野」という言葉のほうが好都合だったということかしら。
嵯峨野には、私の好きな場所がいくつかありました。天竜寺の人影の少ない奥庭や大沢の池、落柿舎、そして常寂光寺の山門の若葉こぼれる初夏の風情もいいですよ。この次また京都を旅するなら、嵯峨野には日暮れまえまでには行きたいな(A^^;)
帰りは、JR「嵯峨嵐山」駅から京都駅まで行き、ひかりで新横浜へ帰りました。いつも急ぎ足だけれど、それなりに得るものがあるから、やはり旅はやめられませんね。とくに、まさしさんの足跡を辿る「まるま」旅は、これからもできる限り続けていきたいな。次は「祇園会」「桜月夜」「紫野」に行くぞ〜(笑)