背景/Bfoxさん

鳥辺山心中

〜どれ程きれいにつこうと嘘は嘘 あなたがついたか 私がつかせたか〜


まさしさんの歌の特徴のひとつに、以前に歌ったテーマ、気に入った特定の場所を再び取り上げて歌を創るということがありますね。 まさしさんは、京都の東山にある鳥辺山(鳥辺野)をよほど気に入っておられるのでしょう。この曲は1981年にリリースされた 「うつろひ」の中に収められている「鳥辺野」の続編ということができると思います。 「鳥辺野」を心にとめながら歌詞を読み直してみます。
まさしさんは、「うつろひ」のライナーノーツで「今熊野(いまぐまの)の剣神社から、御寺泉涌寺(みてらせんにゅうじ)迄の 山道を歩いてごらん」と勧められたのが、鳥辺野に魅せられるきっかけとなったいうことを書いておられます。 泉涌寺は古くから皇室の菩提所として崇敬されてきたところで、四条天皇崩御のときこの寺の後に陵(天皇・皇后の墓)を 築き、以後歴代の天皇以下皇子皇女が葬られました。もともとは、空海が宝輪寺を建てたところでしたが、度重なる火災に遭い 承元年間(1207〜1210)月輪大師によって再建され、落成のときに清泉が湧き出したことから泉湧寺と改められたと伝えられて います。

心中ものといえば近松門左衛門というほどに、その戯曲作品はつとに有名ですが、この詩の一部分は、近松の 「曽根崎心中」を模したものですね。まさしさん自身もライナーノーツに 「一足ずつに消えてゆく夢の夢こそ あはれなれ」は、ご存知、近松の「曽根崎心中」である」と 書いておられます。この「夢の夢こそあはれなれ」と言う部分は、「曽根崎心中」のなかの九段「お初・徳兵衛 道行」にあります。
「この世のなごり、夜もなごり、死にに行く身をたとふれば、あだしが原の道の霜、一足づつに消えて行く、 夢の夢こそ あはれなれ。」(この世の別れ、夜も別れと、死にに行く身をたとえると、あだしが原の道の霜が一足踏むごとに 消えていく、ちょうどそのような夢の中の夢のように、はかなく哀れなものである。)

嘘をつくのは悪いこと、誰でもそう知りながらも嘘をつく。恋愛の最中において相手に対して嘘をつくのは、思いやりか身勝手か。 「恋を断ち切る一瞬は、思い出同士の心中に他ならない」(「うつろひ」ライナーノーツ)・・・その通りだと思う。 ともに命を絶つことでしか恋を成就する方法がなかった「心中」の二人のように・・・。 耳を塞いでも聞こえる風の音は、寂しい心のなかに吹いてる。ちっぽけな石ころになってしまったようにさえ感じる自分の存在、 いっそ消えてしまいたい。「私」の姿を嘲うような「誰か」は、心の中のもう一人の自分かも。
「鳥辺野」と比較してみると、円熟した大人の恋の味わいを感じるのが二番の歌詞。特に「あなたのくれた傷の痛みさえ愛おしい  私の髪をすべるあなたの指先の名残こそ 哀れなれ」の部分です。やはりここでも「曽根崎心中」をはずずことはできません。 「鳥辺野」から14年、まさしさん43歳の「鳥辺山心中」には色気すら感じられます。

あなたのいくつかの 嘘を道連れに   私の心だけ 今 死んでゆく