修二会

〜炎見上げつつ何故君は泣く 雪のように火の粉が降る〜


ファンの間で「奈良三部作」(「まほろば」「夢しだれ」)と言われる一曲です。ライブでの宅間さんのまるで「千手観音」の ような動き、まさしさんの弦も切れよとばかりの激しいギターストロークに肌が粟立つという感じでしょうか。 メンバーの気合いが伝わってきます。

この歌の舞台は奈良・東大寺二月堂。「修二会」は、東大寺に古くから伝わる行法のひとつで(起源は天平勝つ宝4年(752年)) 3月1日から2週間毎日行なわれます。潔斎(神仏をまつる前に、酒、肉などを断ち、行いを慎み、心身を清めること)をした 僧侶が二月堂にこもり、本尊の十一面観音におのれの罪、けがれを懺悔して国家安泰と豊年を祈る1200年の伝統をもつ 「十一面観音悔過[けか]の法会です。
「お水取り」はそのうちの一つの行法で、12日の深夜から13日の明け方にかけ、堂の前の良弁杉の下にある井戸・(若狭井) から水を汲み取り本堂に運ぶ儀式。この日、梵鐘を合図に籠松明がお堂の回廊をまわり、群衆は厄除けに争うように火の粉を受ける のです。深夜2時頃、連行衆が直径1mもある大きな蓮松明(はすたいまつ)に案内され、若狭井から本尊に捧げる1年間の 閼伽水(聖水)を汲み取ります。この水は遠く若狭の海から地下を通ってくるといわれており、諸厄を払う力があると信じられ 飲めばどんな病気も治るといわれています。大きな松明を使うことから「おたいまつ」とも呼ばれます。
*連行衆・・・参篭する僧侶

二月堂の下にある開山堂に秘仏良弁僧正座像が安置され、境内に有名な奈良三名椿の一つといわれる朱色に白の斑入りの見事な椿があります。また、それを象って作られる紙の椿を「糊こぼしの椿」というそうです。俳人の入江来布の句碑「一葉一葉が僧正にして良弁忌」が建てられています。
*[良弁僧正座像](平安時代の木造)
良弁さんの御影堂とされる開山堂に祀られています。手にする如意は生前愛用のものと言われています。秘仏ですが、毎年 12月16日の良弁忌に特別開扉されます。*

お松明のあと、「達陀の妙法」(走りの行法)という荒行が修せられます。「達陀の妙法」は前もって許可を取った人しか見ることが 出来ず、女人結界(女性は入れない)で男性のみが内陣に入ることができ、女性は「局」という仕切り内までしか入れません。 「韃靼」は、一般的には「達陀」と記述されており、「焼く」という梵語だそうです。 「青衣の女人」は、伝説の女性の名前ですが、僧が過去帳(ゆかりの偉人達の名が記載されたもの)を唱み上げているときに 青衣の女性の幻を見たということから、過去帳に名を残すことになったそうです。
まさしさんは、芭蕉の「水取りやこもりの僧の沓の音 」の句を引用していますが、お水取りを詠んだ名句であるだけに、 このフレーズでその場の様子をじゅうぶん窺うことができるのではないかと思います。 「走りの行法」を見た人は、僧が乱舞するように見える様を「これは日本の宗教行事だろうか?」としばし考えあぐねてしまったと 言うほどです。僧の沓の音がリズムとなり、唱名とあいまって素晴らしい音楽を奏でているのでしょう。 「五体投」は「五体投地」という、よくイスラム教で見られる身体を地面(床)に投げ出す祈りの形で、体を投げ出し五体板で膝で 打つ行です。「水よ清めよ 火を焼き払えよ」の「水」は上記に述べた若狭井の水のこと、「火」は、2月20日から月末までの 「前行(別火坊)」(別火坊というのは火を外部とは別にするというところからきている)によって、俗から離された火のこと でしょうか。お水取りという行の真意がこの一行で歌われていると思います。 ライナーノートには「“修二会”とは己の罪を告白し許しを乞い、人の幸福、平和を祈るというすざまじい行で、その中の行の ひとつが“お水取り”なのである。イスラム教、密教、拝火教、基督教、古神道、仏教と、ありとあらゆる香りがひとつに とけ合って、あたかも曼荼羅図のごとく集約され、東大寺にその光を放っている。」とまさしさんは書いています。
「南無観世音」という、およそ歌謡曲には不似合いな言葉が、ちゃんと歌になっているのはさすがですね! この曲のイントロのリズムの刻み方もすごく特徴があって、誰でも一度聴いたら忘れることはないと思います。ライナーノートを 見ると「一、二、三、五拍で、四の刻みをあえてはずしたのは、修二会の忌数だからである」と書かれてあり、これもこだわりの なせる技でしょう。
まだ私自身は「お水取り」をテレビでしか見たことがないけれど、テレビの画面を通してもその行の激しさが わかります。松明の火の粉、よく燃え移らないなぁと感心してしまいます(A^^;)  (写真は99年11月撮影した二月堂>著者撮影)

「別れるために出会った」ような恋はできればしたくないけれど、出会ったことが間違いだったとは思いたくない。 運命に抗えなくても、愛したことを嘘で終わらせてはいけない。どんなときも精一杯愛したい。 別れるために出会う・・・あなたは経験したことがありますか?
3月を陰暦では「弥生」と昔から言っていますが、俳句歳時記を見ると「草木がいよいよ生えるという意味の「いやおい」が 弥生に変化したのだろうと書かれています。お水取りが済めば、春はもうすぐ・・・。

もはやお水取 やがて始まる達陀の
 水よ清めよ 火よ焼き払えよ この罪この業