桐の花
〜ひとことでかまわない 返事をください〜
北原白秋に、同名の「桐の花」という歌集がある。北原白秋は、「すなやま」「待ちぼうけ」「からたちの花」
「ちゃっきり節」など童謡作家、民謡作家、また「落葉松」や「思ひ出」などの詩人でもあり、歌人としても
活躍した人であった。
「国民的詩人」と言われた白秋だが、実生活ではある人妻との不倫によって獄中に身を置いたことも
あった。「姦通罪」というものがあった時代の話である。「君帰す 朝の敷石サクサクと 雪よ林檎の香のごとく降れ」という短歌を
始めて知ったとき、なんともまあ繊細かつ大胆で素敵な歌だろうと胸がキュンとした。
結局苦しく切ない恋も、この人妻が離婚し、晴れて一緒になったのに半年ほどで別れてしまっているのであるが。
以前にまさしさんは、白秋のこの恋の結末について「そういう事実を知れば知るほど、人の心について考えるよな。」と
コメントしておられたことがある。白秋はカステラが好物だったとか。まさしさんは、タイトルだけでなく
歌詩の中にも白秋の存在を匂わせたのだろうか。
偶然だが、白秋とまさしさんの意外な接点を発見した。白秋は、別の相手と結婚後、千菓県東葛飾郡真間
(現市川市真間)、そして江戸川の対岸の小岩村三谷(現・江戸川区北小岩)に住んでいたことがある。
この辺りには白秋の歌碑が多くあり、まさしさんも一度は目にしたことがあるかも知れない。
白秋は、福岡県柳川で代々海産物問屋と酒造業を営む家の長男として生まれた。16歳の時、大火で酒蔵をふくめ生家がすべて
焼亡してしまい、思いがけない貧乏を経験したという。また、エネルギッシュな行動家だったらしく、旅と引っ越しで人生を
費やしたとのちの語り草になっているほどである。日本中のほとんど旅し、その土地についての歌を詠み、請われるままに詞を作り、
その足跡は歌碑としてたくさん残っている。
そして、その歌碑は長崎にもあった。白秋は、明治四十年夏に長崎三菱造船所の所歌のため訪れ、造船所、諏訪公園、唐八景、
伊王島、浦上天主堂などを訪れていた記録が残っている。白秋は「帰去来」という詩も残していた。
桐の花、最近はあまり見かけられない。昔は、女の子が産まれたら桐の木を植えたsぴである。その桐を切って、嫁入り道具の
何かを作ったりしたのだろうか。「桐の花」の歌詩を辿ってみると、やはり苦しい恋の姿が見えるように思う。おそらく手紙には、
あたりさわりないことしか書かれていないだろう。手紙にさえも本当の思いが書けない、書くことが許されない、そんな道ならぬ
恋なのだろう。本音を書くことで、相手の重荷になるんじゃないかと思うと絶対に書けないように思う。少なくとも、私が
そうだったら書けないだろう。だから「書けない言葉を読んでください」と願ってしまう。
書きかけた手紙の筆を休めて、ふと窓の外の桐の花を見たとき胸に去来したのは、きっと軽い絶望と淋しさと恥ずかしさ。
少し待つのに疲れたのかな。一言が欲しい。ほんとは、今すぐ逢って抱きしめてほしいけれど・・・。
私も二千年でも待ってしまいそうです。(2001.5.8)
待てというなら 二千年でも待ちましょう
去れというなら 夕暮れ迄に消えましょう
ひとことで かまわない 返事を ください
「ADVANTAGE」のライナーノートで、まさしさんは「桐の花」と題する短編小説を書かれていますが、
これは、「さだまさしの青春ラジオ小説『カフェテラスのふたり』という番組で、若干、設定を変えて『長崎BREEZE』として
発表されています。