季節の栖〜Twenty Five Reasons〜

2000.4.29(土)横須賀芸術劇場

1.唐八景
2.風の篝火
3.案山子
4.木根川橋
5.道化師のソネット
6.無縁坂
7.檸檬
8.主人公
9.北の国から
10.夜間飛行
11.ふるさと(唱歌)
12.秋桜
13.佐世保
14.遠い海
15.驛舎
16.桜散る
17.飛梅
18.修二会
19.ひき潮
EC1.聖夜
    防人の詩
EC2.夢の夢
PIANO:倉田信雄  PERCUSSION:川瀬 正人  GUITAR:石川鷹彦
MARIMBA:宅間久善   BASS:岡沢 章

開場17:30 開演18:00(本ベル 18:05)

横須賀芸術劇場は、ちょっと変わったデザインの緞帳です。幾何学模様?抽象画なのかな?楽器をデザインしたようにも見えますね。オペラハウスを真似たバルコニー式のホールです。駅前再開発の、それほど広くない敷地のせいか、深いすり鉢の底にあるステージという感じです。

「唐八景」
「風の篝火」
「案山子」

こんばんは!さだまさしでございます。(3階席を見渡して)ここは特徴のあるホールですねぇ。高松・名古屋にも同じようなタイプのホールがあります。一所懸命上を向いて歌います。谷村さんも僕も前を向いて歌っていても、上を向いて歌っているように見えちゃうんですよね(笑)
今日は、バラードが中心です。もう古くからのファンにはコタエラレナイ。英語で言うとツーといえば、カーというぐらい(笑) 英語じゃないですが(笑) よりによって今日初めて、さだまさしのコンサートに来た方もいらっしゃるでしょう。バラードが中心ということは、結論から言うと<静か!> 確実に二回は寝られる(笑)


最初の挨拶のとき、手を振っている最前列の人に手を振り返しながら(このときの様子がとても可愛かったですよ)「いちいち手をふらないように」(笑)とおっしゃってました。

僕は、中学1年生のときに長崎から出てきて、下宿生活をしていました。優秀な子供でした(笑) バイオリンの先生に呼ばれてね。(バイオリンは)モノにはならなかったけど。東京よりも上海に近い、そんな町から出てきたんですよ。自分の親ながら「エライ」と思いますね。そうやって、出てきた子供もエライ!(笑)
(〜九州男児の話〜)九州男児って言っても長崎は九州男児って感じじゃないね。崎より、熊とか鹿とか付いているほうが、毛深そうでいいじゃん。ほんとは薄い方が、男らしいんだけどね。わかってもらえない(笑)
(〜急行「雲仙」号で長崎へ〜)遠いふるさとでよかった。急行「雲仙」号で23時間57分かけて、長崎に帰っていたんです。23時間57分・・・まる一日を過ごすわけです。隣に座った人は、(到着する頃には)親類になったような(笑) 今は(交通機関が発達して)日本中どこでも短時間で行けるから、「通りすがりの人」。警戒心を持ってしまうんですよね。
(〜友人は財産〜)「人にはついていた」というのが、俺の自慢です。長崎時代の友達は、同窓会をやろうと声をかけると、15人中9人は集まりますよ。中学では、僕は一学年下にも人気があったから、その同期会にも呼ばれるのね。高校の時の同級生とはね、恥ずかしいけれど今でも2週間に1回は会ってますよ。いい人にめぐりあってきたんだなぁ。人は俺の財産です。


「木根側橋」
「道化師のソネット」

「道化師のソネット」という曲は、20年前に僕が主演した映画の主題歌だったんですよ。あれから、20年経った。ぼくらこうして旅の中で生活をしているんですが、1年間に日本を8の字を書くように2周するんです。明日から20日ぐらい休みになるんですが、休みになるとメンバーの誰かが身体を壊すんですよ。 家にいるのが辛いんでしょうね(笑) 特に、宅間!(笑) 家庭では、話題作りに努めるように(笑)、ね、(メンバーの方を向いて)一生旅してましょうねっ!(爆)
最近、国内のみならず海外でも歌う機会がありまして、(拍手)いやー、そんなに気を使わないでください。拍手の大きい小さいを気にするような男じゃありませんから(笑) 毎年シドニーでコンサートをやっていたんですが、今年はオリンピックイヤーで、ホテル代が高いのでやめました(笑)
(〜ロスで運転免許を取った〜)去年、ロサンゼルスでコンサートをやって来ました。ロサンゼルスは、僕にとって青春の町、なんていうとカッコよすぎますが(笑)、はじめて行った海外だったんです。車の免許も、ロサンゼルスで取りました。僕は、皆さんのおかげで若い頃に売れちゃったでしょう(笑) あの頃は、女達がウルサクって(笑) (長髪を懐かしむように)今は指先しか覚えてないけど(笑) 倉田君なんか乳首が隠れるぐらいあったんだから(笑) 
もー忙しくってね、免許を取るヒマがなかったの。レコーディングの合間を縫って、筆記試験はすぐに合格したんだけど。運転は、1日だけ先生についてもらって。何しろ、運転したことがないってことになってるから(笑) 真夜中に、市川港で砂まいてスピンターンの練習したなんてこと、誰も知らないし(笑)
アメリカって国は、免許取ったばかりの奴に車貸すのよ。あの国は、O型とB型しかいないよ(笑) O、Bも使い様があるけどね(笑)


「若い頃に売れちゃったでしょう(笑)」と言いながら、かつて肩まであった髪を手で払う仕草、何度見ても可笑しいです(笑)

免許を取って、一番最初に行ったのがディズニーランド。助手席に乗った勇気のある人類は、このコンサートの音を全部しきっているエンジニアの和田一正です。デビューしてからずっと、僕のコンサートを手伝ってくれました。僕がピッチャーだとすれば、和田がキャッチャー。お互いの恋愛も全部知っているし、一緒に死んでもいいかと思っていたのかも知れない(笑)
男同士でディズニーランド、気持ち悪いでしょ(笑) 男同士なんて行くもんじゃないね。惚れた女でなくてもいい。女の声がほしいのよ。「きゃーっ」っていうのが(笑) ジェットコースター「うーわー」ガタンガタンシューッ(コースターが止まる音)「次、行くか」(つまらなそうに)潜水艦みたいなにも乗ったなぁ。丸い窓、二人で覗いて(笑)「まさし、あれなんだ?」「魚だろ」「ふーん。本物かナァ」「ばーか。下に紐が出てんだろう」しまいには殺伐としてきますよ(笑) 絶対に乗りたくないのが、観覧車(笑) なんで、男と二人で20分間も(笑)
ディズニーランドは、子供の頃からの憧れだった。2週間にいっぺん、三菱ダイヤモンドアワーていう番組があって、それでしかディズニーの映画を見ることができなかった。今みたいに、ディズニーのビデオなんてなかったからね。もう食い入るように見たね。だからね、集中力が養われた世代だったね。


まさしさん、ありがとう!私も幼稚園ぐらいのとき、テレビで「101匹ワンちゃん」とかのディズニーの映画を見た記憶があったんです。でも、なんていう番組だったのか、果たしてほんとにそんな番組があったのか、ずっと気になっていたんです。そうかー。三菱ゴールデンアワーっていう番組だったんですね(^^)

(〜ロサンゼルスで事故った〜)ディズニーランドの帰り、ちょっとした渋滞に巻きこまれて。サイドに入れて、和田と話込んでいたんです。「このあとどこ行く?」ちょうどエンジェルスでノーラン・ダイアンっていう投手が大活躍していて・・・こないだ、新聞を見ていたら、心臓のバイパス手術をしたと書いてありました。そのノーラン・ダイアンの話をしていて・・・話に夢中になっていたんですね。ブレーキが甘い車だったのか、脚力の弱い男だったのか(A^^;)
ロサンゼルスから帰ってきて、レンタカーを借りて乗った。そしたら、事務所がね。「やめてくれ」って、毎日違う色の車に乗るのは(笑) それでね、ベンツを買ってくれたのよ。SLC405・・・中国行く前だったから、お金があったのね。中国行かなきゃ、ベンツ何十台も買えた(笑)
もう嬉しくってねー。友達全部に見せびらかしてまわった(笑) 長崎にも2回帰ったし、用もないのに青森まで行き(笑) 俺に車見せびらかされてないのは、友達じゃない(笑) 「あー、もう見せびらかす奴いなくなっちゃったなぁ」と思っていたら、高校時代の恩師、安本衛に見せていないってことに気づいた。あのときは。嬉しかったなぁ。クッキーに入っているプチプチを潰していて、あーもう潰すのがなくなっちゃったなぁってときに「あ、まだあったぞー」って、見つけた喜びに似てる(笑)

(〜新青梅街道で追突された〜)大学生がばらばらっと4人降りてきて、「どうもすみません」「どうもすみません」「どうもすみません」「どうもすみません」(爆笑)
俺はどうしたかっていうと、ダッシュボードをちゃっと開けて(客席爆笑)話の筋が見えたお客さんが多いようで(笑)、ダッシュボードをちゃっと開けて、レイバンのサングラスをすっとかけ(笑)・・・そいつらのほうを見てか見ずか、ゴムでコーティングしてないバンパーを触って・・・「OK!」(くるっと回るまさしさん)いや、ほんとには回らないよ。イメージ映像よ(笑) 「だけど、お前ら気をつけろよ」バタン!(ドアを閉める音)「うー(A^^;)」信号赤だったー。カッコわるーい(A^^;) ちょっと走ったらまた信号が赤、そいつらこっちがしに来て(深々とお辞儀をする様子)、また次の信号も赤、今度はそいつら、こっちに来て(深々とお辞儀をする様子)もーカッコ悪い(A^^;) 意味無いじゃん。俺は早くいなくなりたいの。カッコイイんだから。恥ずかしくってね、次の信号で左に隠れたよ。なんで、被害者の俺がそこまでしなきゃならんのか(笑)
安本衛のところでへ行って、帰りに車を見たらバンパーめり込んでるの。あいつらがあんなに謝ったわけが、やっとわかったよ。よく笑えるね(笑) 人の不幸を(笑) バンパー取り寄せるのに1ヶ月半かかった。なんで俺、気がつかなかったんだろう。そうか、サングラスしていたせいだ(爆笑)馴れないことはしないようにしようね(笑)

関西人は、信号を守らないって話になって、「関西人は、黄色は進め。赤は気を付けて進め。いつ停まるんだって訊いたら、気が向いたときだって」という話に客席は、大ウケでした(笑)

交通事故防止の話をするつもりじゃなかったんだけど、去年ロサンゼルスでやったコンサートの話をする つもりだったのになぁ(笑) 今日(のコンサート)は終わらないよ(拍手)(GWの始まりの)今日ここにいるってことは、明日どこにも行かないんだろう?(笑)

「今日は帰れないよ」という言葉に、まさしさんのノリがでているようで嬉しかったですね。実際は、ちゃんと時間通りに終わりましたが(A^^;)

「無縁坂」
「檸檬」
「主人公」

個人的には、5,6年ぶりの旅だったんだけど。僕が知っているロサンゼルスとは、変わってしまって、寂しかった。犯罪都市になっていた。あの伸びやかで平和なロサンゼルスは、どこに行ってしまったんだろう。どうしてこうなってしまったんだろう。ロサンゼルスだけでなく、この国だって、東京や大阪もそうだ。 いい方向に向かっているように見えない。大人が本気になって、21世紀の子供たちに残していかなければいけない。


<メンバー紹介>
ベースの岡沢さんのことを「ここにいるのは、湾岸署の署長ではありません」と紹介していました。そういえば、似てるかも???(A^^;)<「踊る大捜査線」

「北の国から」
「21世紀の君たちへ」


わー!「北の国から」の間奏に、まさしさんのバイオリンが入りました!!いいですねぇ!
「21世紀の君たちへ」は、前日の川口のコンサートからお披露目だったのでしょうか?(26日発売)紅白で聴いたときよりも、CDよりも、ずっとずっとカッコイイ歌い方でした。すっかり、まさしさんの曲になってました。

「21世紀の君たちへ」は、紅白歌合戦で出場歌手全員で歌った曲なんです。スティビーワンダーが作った曲に、僕が歌詩をつけたんですが。これがね、驚きました。NHKの知り合いのプロデューサーが「まさし、紅白出るだろ?」「出てもいいの?」「いいよ!」「だったら出る!」(笑)「まだ発表してないけど、スティビーに曲を依頼してあるんだ。まさし、それに詩をつけてくれないか」「俺でいいの?」「うん。おまえでいいんだ」って。普賢岳救済ということで、以前にも紅白の全員合唱曲で「SMAIL AGAIN」って歌を作ったことがあるんですが、それをNHKが気に入って、実績があったから、僕を指名してくれたんだろうと思う。
「いつまでに作ればいいの?」って聞いたら、「15日までに作ってくれたらいいよ」 ところが、スティービーから曲が来ないんだな。曲づくりに時間のかかる奴はダメだ(笑) スティビーの曲が送られてきたんだけど、MDに3つのバージョンが入っていて、1はスティビーが歌っている、2はハーモニカの演奏、3はカラオケ・・・僕の手元に着いたのが13日の夕方、15日まで正味2日しかない(A^^;) 
13日は弟の誕生日だったのよ。まあ、弟の誕生日はどうでもいいんだけど(笑) その日は3ヶ月も前から約束した食事会があってね。小林幸子、都はるみと食事会で。小林幸子、普通の恰好で来たよ(笑) 食事会、早く切り上げて、帰って作ればいいじゃない。だけどね(笑) 都はるみが、まあよく飲むんだ。「帰らない」って言っちゃって(笑)「さだくん、もう一軒行こう!」って(A^^;) で、行ったのよ。もう、気持ち悪いほど飲んだ。もうその日はだめよ、仕事なんかできない(笑)
じゃあ14日に作ればいいじゃない(A^^;) 14日は「討ち入り」(笑) 討ち入り関係ないけど、その日は半年前から約束していたのよ。高校時代の友人と、ゴルフで、誰が一番か決める、クラスチャンピオン戦、クラチャン戦で。敵に背中見せるわけに行かないじゃない。楽しかったよー。スティビーの曲なんか、思い出しもしない(笑)
2日寝てない状態でね。帰ってから5時から曲をかけっぱなしで、食事をするときも、もうー出前よ、トイレも風呂の中でもずっと聴いてた。でも、聞いてるだけじゃダメよ。聞きながら譜面におこして、夜中の2時ぐらいになってやっと自分が作った曲のように思えてきた。詩はね、ジグゾーパズルをあてはめるように3,4時間できた。全員合唱だから、入れ替わるタイミングを考えた譜割りにしなくちゃいけないし、スティビー独特の節回し、フェイクするところをカットして、何度もチェックして、出来あがったのが朝の6時(A^^;)
それから寝ればいいじゃん。15日、はなまるマーケット生出演。おめざ食べに行かなくちゃいけない。よりによって、いわしの煮たの(A^^;) そのあとすぐ飛んで、北海道へ行って、札幌のディナーショーよ(A^^;)作るのには、苦労して・・・えへへ、苦労してないとわかるでしょう(笑) 
年があけて、NHKに問い合わせがたくさんあったそうです。反響が大きかったんで、紅白の出場歌手をまた集めるのは大変だし、時間もお金も、それでNHKから「さだ、おまえCD出せ!」って(A^^;)
不思議なもんですね。人と人のつながりって言うのは。スティビーの曲に自分が詩をつけるなんて、想像もしてなかった。

「21世紀の君たちへ」の作詩秘話も、だんだん話がしあがってきましたね。次のツアーでは、もっとスケールアップしてるかも!?(笑)

今年は、とくにそうに思うことがあった。1月の終わりに、毛利さんに「打ち上げ」にお呼ばれして、見てきましたよ。シャトルは飛ばなかったんだけどね(笑) 2/3和歌山のコンサートがあったんで、4日間フロリダに行ってきましたよ。行くもんだねー(笑) シカゴから2時間半。オーランドから東へ行ったところにココアビーチがある。打ち上げの前の晩に、宇宙飛行士の家族のための見学会があって。毛利さんの奥さんがね、僕と弟を招待してくださったのね。500メールの距離からスペースシャトルを見られるのよ。ライトアップされて、美しい大きな白い蝶がオレンジ色の電信柱にとまっているって感じだった。
毛利さんとのお付き合いはね、7年前、この観音崎でレコーディングしているときに、疲れて部屋に戻って、たまたまつけたテレビに毛利さんが出ていて・・・そのときの毛利さんの笑顔があんまり素敵だったんで感動して、一晩で毛利さんに捧げる曲を作った。捧げるのは勝手なんだけど(笑) 毛利さんがそれを気に入ってくれて、それから親しくさせてもらっている。
僕ら、手塚治虫世代、鉄腕アトム世代だからね、男は皆、宇宙飛行士に憧れたのよ。「宇宙飛行士は、虫歯があったらなれません」小2で俺の夢は消えた。Cの4、抜けよ!(笑)
毛利さんが、宇宙飛行士になったのは37歳。俺は33歳だった。北海道大学で核融合の研究をしていた科学者が、それを全部捨てて宇宙飛行士になった。毛利さんは、子供の頃からの夢を守り続けたんだね。俺は どうして、宇宙飛行士にならなかったんだろう。あのころ、借金の真っ只中で「宇宙まで逃げる気か」って言われるって思ったからかな(笑)

「宇宙まで逃げる気か!って(A^^;)

俺は、最近よく「強い夢は叶う」って言ったり書いたりしているんだけど。叶わなかった夢が弱い夢だったというわけじゃなくて、死ぬまで持ちつづければ叶うような気がする。向井千秋さんに会って、お話してみてわかった。向井さんも毛利さんと同じような、やわらかな素敵な笑顔だった。夢を守り続けたら、あんな素敵な笑顔になれるかしら。持ちつづけている強い夢はありますか?

「夜間飛行」

宇宙飛行士はみんな、宇宙から地球を見て「どうしてこんな美しい星で、争いがあるんだろう」って思うんだって。沖縄サミットも近いけどさ、首脳会議は、スペースシャトルに乗せて、宇宙でやりゃあいいんだ。そしたら、反省するよ(A^^;) 

(ロサンゼルスの老人ホームで〜)ロサンゼルスのコンサートの2日目のお昼に、ギター1本持って歌いに行ったのね。向こうで暮らすってことの大変さ、好むと好まざるとに関わらず、背中に日本を背負わされているんです。南カリフォルニア長崎県人会っていうのがあってね、アメリカまで来て「県」もないだろうと思ったけど(笑) 彼らが僕のために一所懸命やってくれて、「まさしが歌いにきてくれる」って言うんで、チケットを手売りしてくれて、「まさし、ぼくらなりの打ち上げをするから、一杯だけでもいいから飲みに来ない?」って誘ってくれて。「一杯だけですかぁ?」「うん、一杯でいいから」って、いっぱい飲んできた(笑)
2日目のコンサートの前に、老人ホームに歌いに行った。おじいちゃん、おばあちゃんあ200人ぐらい来てくれた。おばあちゃんの方が多かった。女っていうのは、長持ちするねぇ(笑) 「精霊流し」「無縁坂」もうヒット曲のオンパレードよ。さだの歌を聴いて泣いてくれた男のスタッフ(老人ホームのボランティア)もいた。じいちゃん、ばあちゃんも嬉しそうな振りをしてくれるんだよ。年寄りっていうのは優しいからね。なんか違うと思った。じいちゃん、ばあちゃんの心に届かないのよ。ずっとライブをやってきたからわかる。たくさんの人にじゃなくてもいい。ひとりでもその人の心に届けばライブの意味があるんだ。なんとかじいちゃん、ばあちゃんの心に届きたい。負けん気が強いな、俺って思ったね。今日聴いて、感動してもらえる歌を俺はまだ作っていないってことなんだ。これから書くよ!
届かないもどかしさ、ふと唱歌ならと思って「ふるさと」を歌った。その場の雰囲気が変わった。じいちゃん、ばあちゃんが嬉しそうに歌い出したんだ。それを見ていて、涙がでた。俺は水戸黄門で泣く男だから、そういうのを見るとね、ダメだな。
どんなときに、この歌を歌ったんだろう。自分が生まれた国と、自分が暮らしている国が戦争をしてきた。日本に恥をかかせない様に、一所懸命生きてきた。こんなに遠くで、日本を思ってくれる人がいる。ロサンゼルスの日本人の墓はね、墓石が日本を見つめながら立っているんです。日本を見ながら、土に返っていくんです。こんなにこの国を愛している人がいる。日本に住んでいる人たちは、日本を愛しているんだろうか。俺は恥ずかしかった。自分の怠惰な生活。この国が選ぼうとしている価値観。いろんなことを考えてしまった。

「ふるさと」
「秋桜」

自分のイメージの日本と、実際の日本と違うことに気がついた。
さっき、サンパウロに暮らしている人から手紙が届いた。90歳のおばあちゃまが僕の歌のファンで、「ブラジルにも歌いに来てください」って、僕に手紙を出そうと思ったけれどどこに送ればいいのかわからない。そうしているうちに、そのおばあちゃまは亡くなってしまったという手紙だったんだけど。早くブラジルに行けばよかった。

6月にロンドンに行くのよ。ただのロンドンじゃないのよ。楽しいロンドンでも、愉快なロンドンでもないの(笑) ロイヤルアルバートホールという、120年以上経っている風格のある建物です。(スクリーンにアルバートホールの写真が映りました)ティボー、ヒルマン、カザルス、上げればきりがないぐらい。有名な演奏家達がこのホールに立って来た。ドビュッシーもここで演奏したんじゃないかなと思う。そんなところに、私が立つなんて!恥ずかしい演奏だけはしないように頑張ろうと思う。
特別に、中を見せてあげる(笑) この真ん中にあるのは、パイプオルガン。ひいていいよって言われたけど、引くほど軽くないと思うよ(笑) 可動式の椅子があって、ロイヤルボックスももちろんあります。天井桟敷も入れると、約8000人入れるそうです。いや、8000人は(集めるのは)ムリよ(A^^;) ロンドンに暮らしている日本人が2万人と言われているけれど、あとは日本から何人連れていくかだな。今決めなくてもいいから、5月中に決心してくれればいいから(笑)

ツアーが関東に戻ってきてから、ロイヤルアルバートホールの写真を出すようになったのかな。パイプオルガンを引く(弾く)のダジャレが面白かったです。

ロンドンに行くことを、僕のバイオリンも喜んでいるんじゃないかと思う。このバイオリンは、イギリス製なんですよ。こいつがオレのところにきたのは、中学校の時。1894年にグラスゴーという町で、クリフォードって人が作った。106歳なんです。きんさん、ぎんさんと同じ(笑) グラスゴーに行ってみようかと思ってる。ロンドンからどれぐらいかかるかなぁ。遠いだろうけど。クリフォードさんは、バイオリン作りとしては上手くはなかったみたいで、このバイオリンはね、くびれがない。板が厚くて胴が太い。これはTBCに行ってもなおらない(笑) 音が重いんです。板が厚いということは、水分が抜けにくい、乾きにくいということなんです。楽器は、上手に水分が抜けていくことによって、鳴り出すといわれています。ストラデイバリが150年経って、今鳴り出しているんです。ストラディバリのバイオリンが素晴らしいのは、上に塗ってあるニスの調合が違うそうです。こいつが鳴り出すのは、あと60年後。僕の子供の世代になって、やっと鳴り始めるんです。イギリスからどんな風にして、僕のところに来たんだろうか。いろんな人の手を渡ってきたんだろうなぁ。バイオリン1代にもいろんなドラマがある。
今度、横須賀のコンサートでは、ロンドンでこんな旅をしてきたよと、たくさんお話したいと思います。

「佐世保」
「遠い海」
「驛舎」
「桜散る」

八重桜も終わり、花ミズキが咲いて・・・この国は美しい国だと思う。八重桜は可哀想だな。桜、ソメイヨシノのときは、皆でドンチャン騒ぎするけれど、八重桜の下で酒盛りしている人いないね。昔から「六日のあやめ十日の菊」っていうけれど、5月5日を過ぎたらしょうぶの花なんて誰も見向きもしない。十日の菊っていうのは、9月9日は陽の数字9が重なっていることから、9月9日を重陽の節句というんです。
花には咲く時期がある。八重桜は、自分の季節は自分が知っている。
こんなに長くおひきとめしてしまいました。しゃべるから長くなるんだなぁ。初めて、さだまさしコンサートにいらっしゃった方、お疲れになったでしょう。でも、あと3,4回来たら、やみつきになるから(笑) 気合を入れて、3発続けてお送りしてお別れします。

〆のトーク、いつもの元気と勇気の話につながるんですけど、断片的なメモになってしまいました。八重桜の話は、MasaSing Townの「日本が聞こえる」(5月2日)を参考にしていただければ、まさしさんがどんな話をなさったのか推測できるのではないかと思います。

「飛梅」
「修二会」
「ひき潮」
EC1
「聖夜」
「防人の詩」
EC2
「夢の夢」

<うちわ振りかざし隊&お見送りし隊(笑)報告>

横須賀芸術劇場は、京浜急行線汐入駅のすぐそばにあります。駅前再開発事業の一環として、米海軍下士官集会所の跡地に建てられた「ベイスクエアよこすか」の中にあります。もとの米海軍下士官集会所(通称EMクラブ)は、戦後日本のジャズ発祥の地のひとつといわれ、世界的なジャズプレイヤーや、日本の草分け的ジャズプレイヤーの演奏が連夜繰り広げられていたそうです。

入り待ちのために(笑)楽屋口を探していましたら、無事にMさんと会うことができました。「さださん、まだよ」という言葉にひと安心(笑) 入り待ちは、他の人も入れて7人ほどでした。たまたま、石川さんにサインをもらう人がいたので、ちゃっかり私も便乗してしまいました。石川さんは、たくさんのプレゼント(私は何も差し上げなかった(A^^;))で手がいっぱいの状態だったのですが、快くしてくださいました。お花の絵が可愛らしかったです(笑) 
しばらくして、まさしさんもいらっしゃいました。うちわに気づいて笑っていらっしゃいました。Mさんの呼びかけに、まさしさんが私達の方に向かってこられたのでちょっとビックリ。さっき石川さんにサインをもらった人が、まさしさんにサインをお願いしたら、これまた珍しくその場でサインをしてくださいました。私はといえば、例の如く、まさしさんの前では緊張しているだけでした(A^^;) (あとで、楽屋に伺って直接サインしていただきました。)

お見送りは、またまた結構な人数でしたよ。30人近くいたんじゃないかな。遠巻きに見ている人もいましたから。駐車場の通路をはさんだ向こうから、小学生の男の子が(お父さん、お母さんに連れられてきたらしい)「宅間さ〜ん」と呼んだのに応えて、宅間さんは嬉しそうに手を振り返していました。男の子もとっても嬉しそうでした。
まさしさんも、一番最後にニコニコ笑いながら出ていらっしゃいました。みんなでうちわを振ったので、すぐに気がつかれたご様子で、笑いながら手を振ってくださいました。お疲れのはずなのに、出てくるときから笑顔なんて、とってもご機嫌がよかったんですね。何かいいことがあったのかなぁ??
BACK