「許す」ことの難しさ

例えば事故なんかで車にはねられて骨折させられた。
例えば相方に浮気されて心を暗い闇に突き落とされた。
など他者に傷を負わされる可能性は誰にだってある。
日常においてもちょっとイヤなことを言われたり
ささいに傷つけられること はしょっちゅうあると思う。

そんな時傷つけた相手を「許す」とゆう行為をするかと 思うのですが
ささいであればそれは簡単だ。
でも本当に傷つけられた場合は許すことなんてとても難しいことだと思う。
もし私の家族の命が落ち度なく誰かに奪われたりなんかしたら?
一生許せないかもしれない。

私が「許す」ことを考える時頭に浮かぶ本があります。
それは三浦綾子氏の『氷点』(『続氷点』も含む)。
彼女は他の本でも結構この題材をひっぱってきていることも ありますが
私が読んだ中では『氷点』がNO1かと。
長くなるし、大抵の人は読んだかと思うので本のあらすじは 省きますが
私が印象に残っているのは

主人公の一人である啓造が自分の大切にしている万年筆を 妻に落とされてペン先がダメにされた時に妻を怒ってしまうが もし自分が落としたなら自分をそうたいして怒ったりせずに 「まぁいいか」と許すだろうな と考えるシーン。

あと彼が養女である陽子に聖書をあげた際しおりをはさんだ箇所 である
ヨハネによる福音書8章1節から11節。

〜姦通した女が当時の法律で死刑(石を打ちつけられる)をうける ところを
イエスがどう裁くかと人々に迫られるのですが
(おきてどおり殺せと言えばイエスが日頃説いている愛に矛盾 するし、殺すなと
言えばユダヤの律法に背くことになるとゆう まぁイジワルな質問)
イエスの答えは
「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」
であった。
人々は一人去り、二人去りと去っていき最後にはイエスと女二人だけになった 〜

自分がしてしまったことはすぐに許せるくせに、人がしたことは許せない。
残念ながら私もそうです。心が狭いんだよね。
他者を故意にじゃなくて傷つけてしまう可能性は これまた誰にだってあると思う。
そんな時アナタは許しを得たいと思うだろう。

誰にだって許すことは必要だし、許されることも必要だ。

私も頭では分かっている。
それでもやっぱり許すことは難しいことだと思いませんか?
アナタは人に石を投げつけることができますか?



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2003.6.............