** 恩師を偲んで **


私の恩師 長洲一二先生(元横浜国立大学経済学部教授・前神奈川県知事)が、 1999年5月4日に死去された。
先生は、私のゼミ教官というだけではなく
私たち夫婦の媒酌人であり、また二人の息子の名付け親でもあり、 最も尊敬する人であった。
私にとって日が沈んだいま、ここに先生を偲んだページを世に送る。


出 会 い
長洲先生とボクの出会いは、学生新聞の原稿依頼だった。
先生は教養学部長の宮嶋肇哲学教授とともに学生新聞を最も支援して下さる教官だった。
対談
1956年10月 : 宮嶋・長洲 両先生の対談
校閲
1956年10月 : 先生のご自宅で原稿の校閲




ゼミナール
3年からのゼミ選択で、ボクは躊躇なく長洲ゼミを希望した。
「理論経済学」という学問を学びたかったわけではない。先生のお人柄での選択だった。
先生は常々、同期のゼミナリステンは一生の付き合いができる仲間でなければならない、 と説いていた。
だから、天気の良い日には皆で先生をお誘いしてピクニックなどもした。
渓佳さんのご好意により 「長洲ゼミ賛歌」をBGM風に編曲していただいたので、歌詞とともに 次ページを設けた。ぜひ一度聞いていただきたい!

ピクニック
1957年10月2日のことである。
鎌倉での講義を終えた先生をお誘いして瑞泉寺に向かう
座禅
瑞泉寺の裏の洞穴で座禅を組む一同
(実は、茶室だった)
ゴロッ
「天園」では、先生「お疲れさん!」
一服
またまた、ちょっと一服




媒 酌 人
ボクは結婚相手がいないうちから、お仲人は先生ご夫妻と決めていた。
だから結婚しようと決めると、まず先生に相性鑑定(?)をお願いした。
最初の人は「No」、そして今の妻のときは、先生の鑑定は即座の「OK」だった。
指輪交換
1961年10月 : 指輪交換を見守る先生ご夫妻
署名
婚姻届に署名する妻を見守る




長 洲 会
先生が、革新統一候補として神奈川県知事選挙に当選された1975年から、
長洲ゼミ1期生から26期生までが集う長洲会≠ヘ、2年に一度開かれることなった。
長洲会では、まず先生の講義(講演?)が1時間半ほどあり、そのあとパーティーとなる。
そして締めは、先生を含む全員が輪となって腕を組んで「長洲ゼミ賛歌」の合唱である。
登場
1991年12月1日の長洲会
先生(知事?)のご登場
講演1
金屏風を背に講義≠する先生
講演2
熱弁が続き、いつも予定時間超過!
乾杯
「乾杯!」 図々しくもボクは先生の隣りにいる
一服
ちょっと一服・・・
談笑
テーブルをまわって談笑する先生




日 落 つ !
1999年5月5日の朝、今年の長洲会の幹事からの電話で、昨夜先生が脳梗塞で 亡くなられたことを 知らされた。
まずは同期のゼミ仲間に連絡。
一段落つくと、人生の支えを失った悲しさと虚脱感におそわれる。 ボクにとっての一つの時代の終焉であった。
死亡記事

1999年6月17日 朝日新聞(夕刊)
惜別記事



かながわ県民葬
通夜・葬儀については、先生の強いご遺志で近親者だけの密葬を済ませたが、
5期20年にわたる県知事としての功績から、現知事を委員長とする県民葬実行委員会がつくられ、
1999年6月14日、先生在任中に建設された神奈川県民ホール≠ノおいて、
「故 長洲一二 前神奈川県知事県民葬」が執り行われた。




県警音楽隊の葬送曲の中、機動隊の手でご遺骨の入場

壇上に飾られる先生のご遺骨。(僕の胸は慟哭し、涙をこらえられなかった)


追悼の辞を述べる、先輩 神代和欣横浜国立大学名誉教授

神奈川フィルハーモニーの献奏の中、献花が開始される


献花する奥様と長男の等志氏

われわれ招待客の献花(今献花しているのはゼミの先輩たち)


ゼ ミ 賛 歌 (曲入り)

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