「地球温暖化」について
 ―― 根本順吉『超異常気象』をよむ ――


目次

その1地球温暖化ということ
その2気温上昇と CO2 濃度上昇
その3気温上昇の原因
その4ヤマセのこと、など



2008年後半になって、アメリカ発の金融大恐慌が世界を駆け回り、圧倒している。そのなかで、なんだか、「地球温暖化」の叫び声が小さくなっているような気がする。地球の気温の心配より今日の飯とねぐらの心配の方が先だ、ということだろうか。

わたしは、CO2の「温室効果」が温暖化の原因であって、CO2排出規制によって温暖化を防ぐべきだ、というIPCCや京都議定書の論法はうさんくさいと思っていたが、まともに考えたことがなかった。ただ、CO2排出規制のために有利だというので原子力発電所を建造する計画が全世界で進められていることに、とんでもない誤りを直感していた。
つまり、わたしの考えによればつぎのふたつは、ともに間違いであるということだ。
  • 人間の排出するCO2が地球温暖化の原因であるということ
  • 原子力発電は、CO2排出規制に有利であるということ
そういう問題意識で(公立)図書館の蔵書を検索したり、ネット上の情報を読んだりしていて、2007、8年頃から、日本でもIPCCや京都議定書にたいする反論が出てきていることを知った(ブッシュ政権下で、アメリカにはIPCCに反対する学説があることを知っていた)。それで、わたしは、遅ればせながら勉強をはじめた次第。

まず最初に、“気象台の先生”として名前をよく知っていた根本順吉の『超異常気象』(中公新書1994)を取り上げてみる。ただし、この本はいくつもの「超-異常気象」を扱っているので、小論ではのちの「地球温暖化」論争に影響を与えたところをつまみ食い的に扱う(なお、“超異常気象”という語の定義については、《その4》のはじめで扱った)。


―― 《その1》 地球温暖化ということ ――

根本順吉『超異常現象』を読む前に、「地球温暖化」ということそのものに関して、確認できることを確認しておきたい。

まず、気温の測定が世界各地ではじまったのは19世紀半ばからという。たとえば、日本の気象庁(気象台)での観測のはじまりは1875年(明治8年)6月からで、イギリスから機器を輸入し、イギリス人技師の指導によるものだった。

気象庁のサイトによると、「世界の平均気温」を出すのには、緯度・経度を5×5度の格子(メッシュ)に分け、各格子の中の観測点の気温の平均値を求める。さらにその平均値の平均を出す、というやりかたである。詳しくはここをみて欲しい。
陸上と海上で事情が異なったり、観測点ごとの精度の違い・信頼度のちがいなどがあると思われる。特に、観測点のある場所の都市化によるヒートアイランド現象をどう評価するかが問題となるが、気象庁の上記サイトでは、理由を示さず「都市化による昇温が世界の平均気温に与える影響は、ほとんど無視できると考えられています」と書いている。わたしは、そんなに簡単に「無視できる」とは思っていない。

気温測定の難しさについて、分かりやすく雄弁に述べているのは、近藤純正の日本のバックグラウンド温暖化量と都市昇温で、お勧め(近藤氏は東北大学名誉教授)。このサイトは膨大なものだが、そのなかの「身近な気象」は、どれも面白い。
上の「日本のバックグラウンド温暖化量と都市昇温」の中から、百葉箱などが設置してある観測露場の重要性がなおざりにされていることを述べているところを、引用しておく。
最近、多くの測候所は無人化されて、呼び名も「特別地域気象観測所」となった。この数年内には、全測候所は廃止・無人化される。

建前上は、無人化しても観測所は十分な管理が行われるはずだが、実際に現地に行ってみると、それまで養生されてきた、きれいな芝生の露場には雑草が生い茂り、あるいは生垣など樹木が成長し観測値に影響が出ているところもある。

さらに、気象庁の判断による”不要な敷地”は財務省に返却され、安い値段で売りに出されているところもある。気候変動の観測に適したあちこちの田舎にある測候所の敷地を売っても、わずか数億円にしかならない。

大都市内に設置されている気象台はやむを得ないとしても、田舎にある測候所でも観測環境は年々悪化している。もともと、測候所が創設された明治時代〜昭和初期には、観測露場は「周りが開けたところに600平方メートルの広さを持ち、その周辺には背丈の高い樹木や住宅など無いこと」が基準とされてきた。これは、気象観測はできるだけ広範囲を代表する気象を観測することが目的であるからである。

最近では露場のごく近くの環境が大きく変化し、ごくローカルな、10〜100m程度の水平スケールの微気象を測る観測所も増えてきている。昔の気象観測は使命感をもって行われ、日本は外国に劣らない品質の高いデータを得てきたのだが、最近は全部ではないが、何の目的で気象観測をしているのか不明の観測所もあり、近くにある樹木の成長・繁茂状態を監視しているような所もある。筆者がそれを指摘してはじめて気づき、すぐに改善される観測所もあるが、まだ放置のままの観測所もある。これは担当者しだいである。
「この数年内には、全測候所は廃止・無人化される」ということだが(この論文は2008年6月完成)、富士山頂の気象観測の無人化などという愚行も、同様な“合理化”なり“機構改革”で行われたことなのだろう。実に惜しまれる。(2004年10月以降、無人化され、自動測定となった。気温・湿度・気圧のみ。人の目があってはじめて可能な「天気」の判断や、機器の不具合・故障の際のメンテナンスがなくなった。2007年5月におそらく落雷で3系統のケーブルのうち、1系統のみ生き残り、湿度計は故障。観測の信頼度ということもあるが、1923年から人手により継続観測が行われてきたことの価値をないがしろにする、気象庁の“合理化”思考が間違っている、と思う。
観測値の精度や質の問題もあるが、その場所に張り付いている専門家の経験知が重要だと思う。気象観測には人間的要素が重要であるという伝統が継承されるはずだから。

この“合理化”思考は、気象庁を中心とした今の多数派の、気候シミュレーション計算(コンピュータ)に頼る「温暖化予測」などの姿勢に現れている。そういうことは、後に論じることになる。

さて、色々と難しい事情があるが、19世紀後半から世界の各地で温度計による気温の測定(地表気温)が行われるようになっているので、それをもとにした「世界平均気温」が算出されている。次に示すのは、1880年から現在(2006)までの、毎年の平均気温の〈平均からの偏差〉(基準は1951〜80年の平均気温)。NASAから取ったが、原論文は同じくNASAに置いてあるJ.ハンセンの「Global temperature change」(2006)。

“meteorological station”は気象台、“黒線”は年平均気温、“赤線”は5年間平均気温、“緑”は平均算出の際の誤差分布。


すぐ気づくのが、1970年代から現在まで、かなり急激に気温が上昇していること、である。これが、普通いわれている地球温暖化の現象であって、観測地点の都市化の影響などについて議論はあるが、この気温の上昇の事実を否定するひとは、まずない。つまり、20世紀後半から21世紀初頭にかけて0.7℃程度の地球表面の平均気温に上昇があった、ということは事実としてよい(ただ、21世紀に入ってから、“寒冷化”がはじまったと主張する意見はあるようである)。

もうひとつ気づくのは、20世紀全体を見渡すと、気温は一本乗子で上昇してきたとはいいがたく、1940年ごろのピークに向けて上昇したが、1940〜70年辺りは、停滞ないし下降気味であったといわざるを得ないことである。
当時、地球全体が氷河期に向かいつつあるのではないか、という議論が盛んになされていたのである。わが根本順吉は1973年に『氷河期に向う地球』(風濤社)という本を書いている。そのことをふり返って、『超異常気象』の第2章のはじめで、次のように述べている。
私が『氷河期に向う地球』を書いた頃は、世界的に古気象学が発展し、たとえば氷河期における大気の大循環が一体どうなっているのかについて、イギリスの有名な気象学者ラムの発表があった(図省略)。

それは1963年1月に、きわめて安定した形の循環としてあらわれた、三波数型式と言われる気圧配置と同じである。60年代のはじめは、世界の気温は40年代以後のなお下降期にあり、その頃すでに炭酸ガス(CO2)の温室効果による昇温過程があることは知られていたものの、75年以降にみられる著しい昇温は、世界の誰1人として予想した人はなかったのである。

そのような時期に、氷河時代の気圧配置が、きわめて安定した形として1ヵ月もつづいてしまったのだから、現場で天気図を取り扱っている人が、このままいけばたいへんなことになると懸念するのは当然であろう。シベリア各地の気温低下は著しく、ノヴァヤ・ゼムリア付近を中心とした年平均気温の低下は5度以上、北氷洋の水温も低下、フランツ・ヨシフ諸島では1920年代以来、7度以上も気温が低下した。(p39)
次に示すのは、先と同じ世界の平均気温だが、北半球(赤)と南半球(青)に分けて表してある。北半球は陸地の面積が多く、南半球に比べて気温変化が激しく現れている、とも言えるし、工業国がおおく“温暖化ガスの影響が大きいんじゃないか”とも言えよう。いずれにせよ、北半球では、先の地球全体の温暖化の傾向よりも激しく気温の上昇が見られる、としてよいだろう。



上引で根本順吉は1970年代の「氷河期」論争のときには、すでに、「CO2による昇温過程」は知られていた、と述べているが、これは、有名なC.D.キーリングのハワイにおけるCO2濃度測定(1958)を意識したものである。

そもそも、大気中にCO2は0.04%程度しか含まれていない(乾燥空気では、窒素:78.08、酸素:20.95の2種で、すでに約99%を占める。次に多いのはアルゴン:0.93だが、これは不活性ガスで目下の議論に無関係。ここまでで99.96%)。水蒸気は乾燥−湿潤状態でずいぶん違うが、3%程度が平均で、通常はCO2より2桁程度多いと考えておいてよい。もう一点、水蒸気と炭酸ガス(CO2)の違いで心得ておくべきことは、空気の平均分子量が29にたいして、水蒸気18,炭酸ガス44であり、水蒸気を含む空気は軽くなり、炭酸ガスは逆だということである。

キーリングは、ハワイと南極で、CO2濃度の精密測定を継続的に行った。CO2のような濃度の薄いガスで、生態系や火山を別にすると工場や都市などの人間活動が発生源となり、それらの風下に入れば濃度の急変があるようなものの信頼性のある濃度測定は、非常に困難であるという。次図は、ウィキペディアから、ハワイのマウナロア山のキーリングの観測データで、キーリング曲線と称されている(濃度の単位ppmvは、体積比率百万分の1、の意)。
それが、「地球温暖化論争」の火付け役となったのである。



灰色のジグザグの線は、CO2の濃度には季節変化があり、北半球では、初夏に極大となり植物の同化作用が盛んな夏に減少して秋に極小を記録することを表している。図中には1年分の拡大図が示してある。赤線は年平均である。多少の緩急はあるが、CO2濃度が一貫して増加しつつあることは一目瞭然である。

キーリングの長期にわたるCO2の測定のためには、観測資金の調達が重要なのだが、S.R.ワート『温暖化の〈発見〉とは何か』(みすず書房2005)は、1950〜60年代の米ソ対立を背景に置いた資金の出所などを書いていて、興味深い。1963年には資金の底がつき、オリジナルなキーリング曲線はそこに観測値の切れ目があるそうである(同書p51)。スプートニク打ち上げショックでアメリカ政府が基礎研究に予算をつけるようになり、マウナロア山での測定が継続されることになった。
マウナロア山のデータが蓄積するにつれて、その記録はますます強い印象を与えていった。CO2濃度は年々いちじるしく上昇していたのだ。キーリングにとって一時的な仕事としてはじまった研究は、生涯の仕事に変わりつつあった――気候変化に生涯を捧げることになる多くの科学者のさきがけだ。それから数年以内に、キーリングの厳然たるCO2の上昇を示す曲線は科学的なレビューパネル(検討委員会)や科学ジャーナリストによって大いに引用された。温室効果の中心的な象徴となったのだ。(ワートp52)
しかし、すでに示した19世紀以来の気温の変動を示すグラフと比較しようとしても、変動の激しい気温とノッペリとした増加曲線である「キーリング曲線」を比較しようがないように思える。


―― 《その2》 気温上昇と CO2 濃度上昇 ――

根本順吉の『超異常気象』を読んでいて、強く印象づけられることは、根本は常に堂々としていて、じつに自由闊達に事実に基づいて議論を展開していく、ということである。風通しのよいすがすがしい読後感を得る。
1980年代以降の温暖化について、根本の論ずるところを、ちょっと読んでみて欲しい。
すなわち地球全体を平均した場合の温暖化は、80年代の後半になって特に著しく、実測値の使える過去およそ160年間において、もっとも気温の高いのは80年代に集中する。(中略)
そこでこの温暖化の原因が問われることになるのだが、ここで承知しておかねばならぬことは大気中のCO2の増加と、温暖化による気温の上昇は必ずしも並行していないことである。IPCCの報告によって、大気中に放出されるCO2の経年変化は明らかにされているが、気温上昇の著しい80年代には、その増加は横ばいになっている。そして気温上昇がほとんど認められぬ1965〜75年頃に、反対に著しいCO2の増加が認められる。(根本p148)
間違わないで欲しいが、ここで根本が「気温の上昇と並行しない」といっているのは、CO2放出量である。濃度ではない。そして、根本は次の図を示している。下の解説文は根本によるもの。
1年に大気中に放出される二酸化炭素の経年変化(単位はギガトン)。1900〜40年の気温の著しい上昇時にCO2は横ばい、1940〜60の気温の上昇が停止したときCO2は増加している。このようにCO2の増加は気温の上昇とそのまま対応していない。(p151)
根本はだめ押しのように、キーリングが1989年に示していて世界中で注目されていなかった次のグラフを引用している。このグラフは、前節の終わりで、変動の激しい気温とノッペリとした増加曲線である「キーリング曲線」を比較しようがないように思えると書いておいたことの、キーリングの解答である。これについての議論は後述。
『超異常気象』では、2回同じグラフが示してあるのだが、ここでは、より大きいグラフに根本が矢印を書き込んでいる方を示す(図の下の説明は、根本による)。
気温の変化と二酸化炭素の変化の対応。CO2は気温の上昇よりは遅れて変化していることがわかる。
わたしはキーリングの原論文を見ることができないので、推測しているのだが、気温も、CO2も、この約30年間に増加している。気温は約0.3℃ほど、CO2は約40ppmほど。これらを比較するために、増加分を1次関数で表して、それを引き去って、一次関数からの偏差の分を示しているのだろう。
根本は「この図は上昇傾向は取りのぞいた残りの変化についてである」(p214)と解説している。

数十年分の増加分を取りのぞいて、残りの変動分をみると、気温の変動の山−谷が、CO2の変動の山−谷に1年程度先行しているように見える、というのである。とすると、気温の変化が原因で、CO2の変化が結果として引き起こされているということになりそうである。つまり、通説とは原因−結果の関係が逆転している。

根本がどのように説明しているか、見ておく。彼が非常にフェアな書き方をしていることが分かる。
私を含めて、数多くの本が、異常気象の解説を目的として書かれているが、その内容のほとんどが気候変動論であり、温暖化の解説であって、異常気象の原因にふれた内容のものはたいへん少ないのである。
たとえば人為的な二酸化炭素(CO2)の温室効果による温暖化の説明だが、これはそんなにまちがいなく、正しいことなのか。CO2の温室効果は物理現象であるから、これを否定する人はあるまいが、問題はさまざまなフィードバック機構が働く自然の大気中でどのように発現するかである。放出されるCO2のおよそ半分が海洋に吸収されるとすれば(これは、キーリングが別の論文で、人類が放出したCO2の約半分が大気中に残る、と考えると説明がつくと主張したことを受けている)、大気中にCO2がどう増加するかは海洋の表面水温に依存するのは当然で、だとすればCO2の温室効果は、海水温の変化に伴われた気温の変化を増幅しているとも見られるのである。
海水温が上昇すれば、ガスの溶解度が減ってCO2が大気中に放出され、CO2濃度が上がる。それによって、温室効果が強く効くとすれば“正のフィードバック”として「気温の変化を増幅している」という推論である。
そして、上図が示される。
これはハワイにおけるCO2の長期観測者として知られたキーリングの論文から引用したものであるが、CO2は気温の変化を後追いをして変化しているのであって、CO2が変化したからそれによって気温が変わったとはとても思われないのである。
たしかに気温の変化が先で、CO2は後からこれを追うように変化はしているが、この図は上昇傾向は取りのぞいた残りの変化についてであるから、そのような長い傾向に対してはCO2による温室効果が先行し、気温はあとから上昇していると言われるかもしれないが、キーリングの論文にはそのような結果は見られない。
いずれにせよ、ここで取り上げているのは気候の変化ではなく、もっと短期の変化なのであるから、その場合は気温の変化が先行していると見なければなるまい。通説とは因果関係がまるで逆なのである。(p213)
長期的な変化についての議論はさておいて、短期的な変化については「気温の変化が先行している」ことは否定できない。それが、根本のフェアーな判定である。
この本『超異常気象』の別の所で、根本は次のように言っている。
ハワイで永年にわたりCO2を測定しているので有名な、キーリングの書いた長い報告によると、数年程度の変化においても、気温の変化は、およそ1年程度CO2の変化に先行して変化しており、CO2が原因で気温が変化しているとはとても考えられない。(p142)
短期的な変動が積みかさなって長期的な変動になると考えれば(そう考えるのには、合理性がある。すくなくとも、不合理ではない)、長期的な変動についても、温度の上昇が原因でCO2の濃度上昇が結果であるという可能性がある。もちろん、それは証明されたわけではないので、別に証拠を示す必要はある。また、長期的な変動には、まったく異なる原因が働いている可能性もありうる。



―― 《その3》 気温上昇の原因 ――

仮に、気温上昇が原因となって大気中のCO2濃度の上昇が結果しているのだとすると、すぐさま、地球平均気温の変動の原因は何か、という疑問が生じる。根本順吉は、この点について、たいへん明解である。彼は太陽活動を重視するとはっきり言っているのである。
最近、田舎の友人から、今どき太陽黒点などを持ち出し、気温の変動を論ずるのは、もやは時代遅れではないか、というコメントをいただいた。異常気象について考えはじめて以来、終始、太陽活動をその原因の一つとして重視してきた私にとって、これはたいへんな誤解のように思われた。(p43)
太陽活動の変動と地球の気温の変動を結びつける議論を理解するためには、太陽−地球の基本的な関係を知っていないといけない。太陽と地球の関係の一般論をまず要点だけ押さえておこう。

地球は、太陽系の第3惑星であり、ほとんど円にちかい楕円軌道をまわりつつ、太陽からの放射エネルギー(可視光・赤外線・紫外線・X線などの電磁波と、太陽風と呼ばれている陽子や強い磁場などのプラズマ)を受けている。一方、地球は46億年前に誕生したと考えられているが、太陽周辺の宇宙塵・ガスが万有引力によって集まって、渦をなし、その中から金属や岩石を核とする惑星(水星・金星・地球・火星)が生まれ、これを、地球型惑星とよんでいる。以遠の木星・土星・天王星などは液体を主体とする惑星である。
地球は、無数の宇宙塵(隕石や砂粒のようなもの)が集合したものであり、集合する段階で運動エネルギーが熱に変わり徐々に温度が上がってきたと考えられる。最終的には非常な高温となり、すべてが融解し、結局は、巨大な「マグマ液滴」のようなものになったであろう。発生したガスのうち拡散できるものは宇宙へ拡散し、重力でつなぎ止められて宇宙へ拡散できないガスがが原初地球の大気となった。高温の「マグマ液滴」からは、熱が強く放射エネルギーとして宇宙空間へ出されるので、どんどん、冷却していき、原初大気のなかの水蒸気が雲となり雨となって降り、海ができはじめる。
原初大気の主成分は、窒素とCO2だったと考えられている。生物が発生して以後、炭素Cが地上・海に移動し、代わりに酸素が増えていった。炭酸同化作用は、現在の地球大気をつくるのに大きな役割を果たしている。

上の短い議論で、2つのことを確認しておこう。
  1. 地球は太陽から放射エネルギーを照射されることを主たる原因として、気温はもとより他のすべての自然条件のおおよそが決まっている。
  2. 地球の内部には熱源があり、地熱が存在する。また磁力をもつ電気活性体でもある。これらは、火山・海流などへの強い影響にとどまらず、大陸移動をもたらす底知れぬ力を持っている。
《1》太陽からの放射エネルギーが重要であることは、論を待たない。しかも、それがほとんど変動しないことが地球の自然環境の安定の基本である。それを象徴するのが太陽定数=1366W/m2であって、地球軌道で太陽から受ける熱エネルギーのこと。もちろんこれは多少の変動はあるわけで、0.1%程度である。つまり、太陽から地球が受ける熱は千分の1の変動で安定している、というのである。
《2》地球の活性について、従来の温暖化議論ではほとんど考慮されていないようである。熱エネルギーの収支では微小であっても、地球の核がもっている力は無視できないとわたしは考えている。海の膨大な水を支え直接接しているのは地殻であり、無数回生じている地磁気の反転は地球内部の問題である(その原因は不明とされている)。

上の「田舎の友人」が出てくる根本の引用のすぐ後に、次のように書いている。可視光線は変化が少ないが、紫外線やX線の領域では大きな変動がある、という内容である。
多量のエネルギーはになうが、変化の少ない可視光線の部分に適応して、生物を含む地球の存続は可能なのであって、これはむしろ当然なことかもしれない。しかし紫外部の高いエネルギーをになう部分に限っていえば、それは太陽活動のサイクルに対応し、およそ2倍の桁で変化しているので、これは超高層の熱圏にはっきりとその影響があらわれている(根本p44)。
「2倍の桁で変化している」という言い方が、不明瞭で、よく分からない。この部分は、あまり知られていないことで、大事なところだと思うので、伊藤公紀『地球温暖化』(日本評論社2003)から補っておく。
次の図は、『地球温暖化』(p102)にあるグラフで、太陽からの放射(太陽光)の変動幅が、波長の長い方(可視光線など)では小さく、波長の短い方(図の左の方で、X線)では大きいことを示している。
太陽光スペクトルの変動幅と、太陽光エネルギー分布。Reid,G.C.,Rev.Geophys.,Supplement,535(1995)を改変(伊藤によるグラフ説明
横軸は波長で、単位はnm(ナノメータ、10-9m)。縦軸は変動幅で、左の目盛は絶対値、右の目盛は%表示。重ねて描いてある太陽光エネルギー分布に関しては、単位は略してある。

可視光のあたりでは、変動幅が0.1%ぐらいであるが、X線の領域になると、変動幅が100%を超えている。つまり、X線放射は数倍になることがある、ということである。
『地球温暖化』は〈私〉と訪問者の問答形式になっている、とても、読みやすいものである(ただし、レベルは高い)。このグラフに関連したところを抜いてみる。
太陽の黒点は11年くらいの周期で増減しますが、そのときに太陽からの放射がどのくらい変動するかといいますと、可視光では約0.1%です。波長の短い紫外線は地上にはあまり届きませんけれど、変動は1%くらいと大きいのです。X線なんか100倍も変わるらしいのです。むしろ可視光の変化が少ないというのが驚異的です。

今の地球の気温が絶対温度で約300K、つまり摂氏27℃としますとね、全部太陽光のおかげですから、太陽光がなくなれば絶対0度です。だから、太陽光が0.1%変わると大雑把に言って、0.3Kつまり0.3℃の変化になります。正確な理論では0.13℃になるそうです。(伊藤p101、102)
太陽活動の活発−不活発は、黒点数が目安になる。黒点数が多いときに活動が活発、少ないときに不活発である。黒点は太陽の表面温度の低いところであるが、強い磁力線や粒子が吐き出されたりしている。黒点のちかくには白斑と呼ばれる高温部分ができたりして、太陽の放射するエネルギーは総体としては増えるという。また、黒点は肉眼でも認められるので、有史以来知られていた。中国の、太陽に住んでいる三足烏の神話は、黒点をみて想像したものと考えられている。ガリレオの黒点観察の詳細なノートは有名。
太陽の黒点がなぜ出来て、それが変動するのか。その変動の周期についてもさまざまな数値が出されている。そういうことについて、ほとんどは、まだ謎である。太陽は、人類のいちばん身近にある恒星であるのだが、太陽を研究することは、恒星を研究することでもある。逆に、恒星を研究することは太陽の研究に結びつく。そういう研究の最前線をうかがうと、自然科学の出発点である“現象論の重要さ”をとりわけ、覚える。

太陽黒点の数は(「ウォルフの黒点数」という数え方の方式がある)11年前後周期で増減している。詳しく調べると9.7〜11.8年の変動があり、短いサイクルのときの方がより活動が活発であるという(その理由も、謎である)。
太陽活動の活発さと、地球の気温との間に強い相関があるというデータがいくつか得られているが(伊藤公紀『地球温暖化』の第3章にたくさんの例が出ている)、根本順吉はフリス・クリステンセンとラッセンの結果(1991)を示している(根本p45)。
太陽黒点周期の長さの変化(実線)と北半球気温偏差(点線)との相関。1861〜1989(Friis-Christensen and Lassen,1991による)(根本によるグラフの説明
「実に見事な相関であって、これを見る限り、気温の経年変化は太陽活動のサイクルに対応して変化していることがわかる」(p45)と根本は述べている。まったくその通りだと思う。
「太陽活動の活発化」というが、それが具体的にどのような現象であって(X線や紫外線の問題なのか、それとも可視光線や赤外線なのか。太陽磁場や太陽風の問題なのか)、その現象がどのような物理過程によって地球表面の平均気温に変動を生じるのか。これらについては、いくつかの考えが出されている。たとえば、
太陽風が強くなる⇒宇宙線が地球に到達しにくくなる⇒宇宙線が大気に飛び込んで大気をイオン化させてそれが核となって雲ができる⇒雲は太陽光をさえぎる⇒気温低下につながる
・・・・・・と、まるで、“風が吹けば桶屋が儲かる”ような話。名古屋大の太陽地球研究所がつくっているサイトにある太陽−地球系の気候と天気という一般向けの解説記事には、次のようなくだりもある。筆者は村木綏。
反対意見の多くは、「こんなわずかな宇宙線の変動が全地球的な雲量に影響を及ぼすとは信じられない。観測データの一致(上図のこと)は偶然にすぎない。」と主張する。

2001 年1 月にセルンの元実験物理部門のリーダーであったG.コッコーニ先生と久しぶりに会い、この話(宇宙線が雲を増やすという話)を紹介した。因みに彼はノーベル賞選考委員会の委員であったという噂の持ち主である。彼曰く、宇宙線のエネルギーは60 平方キロメートルあたり10 ワットにしかすぎない。裸電球1 個のスイッチのオン/オフが地球環境に影響を及ぼすとは信じられないという見解であった。
ただ、この解説記事は取り付きやすく、賛否両論併記で及び腰であるが、お勧めです。このコッコーニ先生の「信じられない」という言も面白いのだが、いうまでもなく、太陽活動の活発さと地球気温に強い相関があるという事実は、何よりも先行するし、先行すべきである。それが、自然科学の出発点である“現象論”というものだ。“理屈はつかないのだが、現象はある”という事実をなによりも尊重するのである。



―― 《その4》 ヤマセのこと、など ――

根本順吉は『超異常気象』の「はじめに」で、“超−異常気象”という人目を引くような題名は出版社からの要請によるものだと断った上で、気象学者らしい議論をし、「超異常気象」の定義をしている。
異常気象は30年以上に一回の稀な気象と定義されているが、この30年という下限を桁違いに超えて、何百年、何千年、ものによっては何万年以上に一回の稀な気象を超異常気象とする。統計的には正規分布を仮定したとき、平均値より標準偏差のおよそ3倍以上偏った場合をいう。
自然現象を取り扱っていて、このような大きな偏りに遭遇することははなはだ稀であり、そのような現場に出合った時は、何か変だ、何かそこには特殊な事情があるのではないか、と考えるのが超異常気象の問題意識なのである。(p@)
したがって、「超異常気象」の「超」は super ではなくて、extra である。「超異常気象」は extra unusual weather が良い(pA)。

『超異常気象』が最初に取り上げているのが、1963年1月の(東京の)平均気圧が1004.2hPaだったという事実である(原論文が雑誌「自然」に発表されたのは63年4月号であり、まさに、現場にあってものを言うという態度の論文であった)。平年値は1016.3hPa。これは標準偏差σの5倍の偏りだという(3σで300年に一度、4σが1万年に一度ぐらいの稀な出来事)。分析は、北半球全体の天気図、海水温の状況、前年からの気象の異常など多岐にわたるのだが、省略。
「自然」の同年6月号で、異常気象に関する座談会がもたれていて、根本がその間北半球で世界的に起こっていた異常気象をザッとおさらいしている。ヨーロッパでの異常低温、アラスカ・カナダの異常高温など。また、海水潮位の以上変動など。その中で飯島重孝(東京天文台)が、地球自転軸の変動について報告しているのが、目を引いた。偏西風がもっている角運動量がおおきく、偏西風に異常が生じると、地球自転に影響があり平均太陽時が変動するという(飯島は根元に質問に答えて、1万分の4,5秒/日くらいと言っている)。次図は、それが地球自転軸の変動として現れる様子を示したものである。±5mぐらいの範囲で“瞬間の北極”が動いていることを表している。
平均北極の移動。この軌跡は1962年の1月から始まって、左まわりに、その瞬間の北極の位置を示したものである。62年末までのこと軌跡の平均の曲率中心をとってみると、大体中心の×印のところに来る。これが平均極位置といわれるもので、理論的には慣性主軸が地表を貫く地点に当たる。ところが、63年の1〜2月あたりの曲率中心を推定してみると、図の左上の×印のところへ来る。つまり、平均極の位置が、ほぼハワイの方向へ約4m移動したことになる(根本の図の説明)。
わたしは63年当時力学好きの物理学生だったが、ある力学の教科書にあった極位置の変動を示す図に感動した覚えがある。水沢の緯度観測所の観測値も使われているとか、木村栄のZ項の発見だとか。(なお、(奥州市)水沢では、木村栄を讃えて、水沢小学校の校章にZが入っていたり、文化会館がZホールだったり、コミュニティ・バスをZバスと言ったり、やや、悪乗りの感があるそうだ。

根本順吉『超異常気象』では、「ヤマセ」について興味深い議論を深めているので、紹介しておきたい。
ヤマセは「山背」と書かれることが多かったが、原義は“山の背を越えて吹きおりてくる、強い風”のことである。江戸末期の使用例としては、菅江真澄[すがえますみ 宝暦四年(1754)〜 文政十二年(1829)]にあることを根本の本は指摘している(二部浜雄『あおもりの天気』の引用として)。津軽半島の北西端・宇鉄[うてつ]での、日記『菅江真澄遊覧記』の現代訳から。
やませが吹かないのでといって、いかりをおろしていた。やませとは山の背などから吹く風なのでいいはじめたのであろう。(中略)やがて子供がきて、やませが吹きはじめたから支度をなさいと告げていった。(中略、以後松前の向かってこぎ出す)月もくらくみえて、海の上も静かにないで、ふきわたる潮風は寒かった。中の潮瀬のあたりでは風が吹きおこり、波も高く荒れだしたが、船頭たちは平気で「いやな男とやませの風は、そよとふけども身にさはる」と(中略)歌をうたった。(根本p71 強調は原文傍点)
蝦夷地へ渡る船の船頭たちは、むしろ都合のよい風として、うたっている。
引用は省略するが、日本海沿岸では「やまじ」という場合もあることを、菅江真澄は記しているそうだ。根本は、船頭たちが順風として「やませ」を考えていることに注目して、そのような意味あいの民謡をさらに引いている。
  松前追分

やませ風
別れの風だよあきらめしゃんせ
いつまた逢うやら逢わぬやら


  下北半島大間地方

やませ吹かせて函館わたる
あとは野となれ山となれ(p73)
風の名前については、有名な柳田国男『風位考資料』(1935)があり、おなじく関口武「風の地方名の研究」を収めた『増補風位考資料』(1942)があるとして、根本は柳田説と関口説をそれぞれ紹介している(面白いことに、この両説は多くの点で対立している)。この両説の紹介はここでは省略する。が、昭和十年代までの「やませ」や「やまじ」の使用例について、つぎの、2点は確かなようだ。
  • 中国地方から東北地方にかけて、広く、日本海沿岸に分布して使用されていた。また、瀬戸内海にも使用例がある。
  • 順風を意味することもあるが、たいへんな悪風を意味する場合もある。
「悪風」としてのヤマセがむしろ普通の理解である。東北地方の冷害を引き起こすのが、オホーツク海高気圧からの夏の冷たい北東風で、それこそがヤマセである。

左図は、1993年の冷害の、際の信じがたいような低い作況指数と、気象学者らしく根本が書き込んだヤマセの流線である。根本の、図の説明「ヤマセの流線(1993年8月8日)。数字は9月15日の作況指数(毎日新聞1993年10月2日)」。このような、北東風が典型的なヤマセであって、海を渡って吹きつける冷たい雨交じりの風である。そして、たいてい何日も継続する。柳田によると「七日ヤマセ」という言葉があるという。

ところが、困ったことに、このヤマセに「山背」という字を宛てると、東北地方に海を渡ってくる冷たい風の方向とは逆向きになってしまう。したがって、「山背」という字の宛方が間違っていると考えるか、本来、「山背」という書き方でピッタリだった地方で生まれた語が、東北地方へ運ばれた、と考えるかになる。
この考え方は、おそらく、どちらも正しいのであって、ヤマセという語には時代変遷があった、のであろう。当初は日本海岸で山を下ろす強い持続する風のことで、それを順風として航行する船頭たちの言葉であった。その特徴ある強い東風の呼び名が農民に伝わり、東北地方も三陸側まで広まった。冷害をもたらす悪風としてのヤマセに変わるのは昭和10年代であって、その変貌の間、しばらくはヤマセがあまり使われなかった。戦後になると、オホーツク海からの冷夏の強い風としてもっぱら使われるようになったが、そうなると「山背」という字はまったくふさわしくなくなったのである。

根本は、ヤマセの「セ」や、ヤマジの「ジ」が風のことだというのは柳田説が正しいだろうとして、ヤマセの語源は闇風[やみかぜ]ではないかと考える。愛媛県に、台風前の「陰曇[いんどん]な南風」をヤミゼという例があるのをヒントにして、
はじめヤミゼ、ヤミカゼという名称で陰曇な天気をもたらす風を呼ぶこと画日本各地で行われていたものが、使われているうちに、それぞれの地域に陰曇な天気をもたらす風の固有名として、次第に定着していったのではないかと考える。(p68)
闇風説が正しいかどうかは、わたしには判定がつかないし、また、正しくなくてもかまわないようにも思う。
根本は、昭和8年(1933)に没した宮澤賢治がヤマセという語を一度も使っていないことを指摘し(朝日新聞1992)、東北地方の冷害にあれほど深い関心を持ち、大気圏の運動に興味を持っていた賢治は、ヤマセの語に違和感を覚えていたのだろうとしている。つまり、ちょうど賢治がイーハトーブについて盛んに書いたころがヤマセの変貌期だったのではないか、と推察している。
順風としてのこの山背は、一体いつ頃から悪風としての闇風(やませ)に変わったのだろうか。それは割合と遅く、昭和の始め頃からではないかと思う。その一つの根拠として『グスコーブドリの伝記』等の童話によって東北地方の冷害について深い関心を示した宮澤賢治が、作品のどこを探してもヤマセのヤの字も使っていないことを、私はあげたい。
 言語表現についてあれほど深い関心を示した賢治の、この沈黙はヤマセの意味の転化と深いかかわりを持つように私には思われてならない。(強調は引用者 p74)
「ヤマセの意味の転化」の証人に宮澤賢治を呼んでくる、根本順吉のこのやり方に、わたしは根本の賢治に対する深い尊敬の思いを感じる。

根本は、ヤマセ現象の背後に北極圏の気団の動きがあることを考えており、ヤマセ現象の継続的な研究はやがてグローバルな気候変動の研究と結びつくはずだという予想を抱いていた。
はじめは局地的な現象として注目されたエル・ニーニョ(EN)の研究に負けずに、局地的なヤマセの研究を進めるべきではないか。エル・ニーニョの場合、さらに大規模な南方循環(SO)と結びつけ、エンソー(ENSO)が大きな問題になっているが、ヤマセもこれにならいYSPCということを考えてみたらどうか。YSはヤマセの略、PCはPacific Cycle(太平洋循環)の略。
(中略)ヤマセがオホーツク海高気圧よりはさらに奥深くベーリング海方面の低気圧と結びつくとすれば、これはビヤークネスのテレコネクションに関する初期の成果と結びつく可能性が大きい。ヤマセの根は深いのである。(p81)
ビヤークネスはデンマークの気象学者。「テレコネクション」は気象学上の大規模な振動が遠隔地にあるものについて連動している現象をさす。
18世紀後半、あるデンマーク人の日記に、デンマークの冬が例年より寒いとグリーンランドは例年より暖かく、その逆もあり得る、ということが記されていた。10世紀後半から15世紀ごろには、北欧に点在したヴァイキングの間でこのことが知られていたと考えられている。20世紀に入ってヤコブ・ビヤークネスは、現在でいう「テレコネクション」の大まかなメカニズムを示した。(ウィキペディア「テレコネクション」による)
根本は、南極観測も重要だが、日本にとっては北極研究のほうがより重要ではないかと、述べている。
日本では海に関連した現象として、北日本の冷害にも関連したヤマセがある。地域性を生かした独自の問題として、日本はエル・ニーニョ以上に身近なヤマセに組織的に取り組むべきではないか。国際協力の一つの行動して南極観測を続けることが悪いとは思わないが、日本の気候にとってはより直接的な北極の研究が日本でほとんど行われていない。これは、世界的流行のエル・ニーニョには注目するが、身近なヤマセについてはそれほどの関心が寄せられていないのとたいへん似ている。(強調は引用者 p47)
宮澤賢治が20世紀後半まで生きていたら、“私も同意見だ”と言っただろうことはまちがいない。


―― 根本順吉『超異常気象』を読む ――   おわり (2/3−2009)

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