金光明最勝王経 メモ





わたしがこの経典について調べはじめる前に知っていたことは、聖武天皇が「国分寺・国分尼寺の建立の詔」を発した(741年)とき、全国の国分寺に、金字で書いたこの経典を分け与えそれを奉持することで、仏教思想による国家建設をなさんとした、というぐらいのことがすべてだった。それで、国分寺の正式名称を「金光明四天王護国之寺」という。(国分尼寺のほうは、正式名称を「法華滅罪之寺」というように、「法華経」を根本経典としている)

それで、辞典類(「平凡百科事典」、『仏教辞典』(東方書院編集部)など)、ネット上の有益サイトなどを利用して、基礎的知識を集めてみた。
この経典はいうまでもなく大乗仏典の一つで、サンスクリット本『Suvarl aprabh sa(黄金の輝き)』が存在しており、それの成立は4世紀ぐらいと考えられているようだ。それの漢訳が数種あるが、最古のものが曇無讖[どんむせん]訳『金光明経』4巻(5世紀初め)である。義浄訳『金光明最勝王経』10巻(長安3年703)が、「最勝王経」という語句の入った、わたしが追及したい経典である。
漢訳以外に、チベット訳、ウイグル語・満州語・蒙古語などに訳されて東アジアに広く普及したことが知られる。
内容は、仏の寿命の永遠であること、大乗的空論、四天王ら天部が紹介され活躍すること、王法正論など国家護持をのべるところ、有名な捨身飼虎の話などいろいろあり、親しみやすいが、雑多だとも言える。大乗経典としての理論的な独自性は乏しいが難解ではなく、世俗的な話題が多く分かりやすい。天部が活躍することがおおく、多彩なイメージが展開し退屈させない。国家護持が注目され、仏教立国の経典としてもてはやされた。

義浄訳の『金光明最勝王経』が日本に舶載されたのは、漢訳ができたわずか15年後だという。そして、国分寺の七重塔に納めて、仏教による律令国家の精神的支柱にしようと聖武が詔を発したのは、その後20余年後のことである。
ただ、日本の文献資料に最初に出る「金光明経」は、『日本書紀』の天武天皇5年(677)11月に
甲申[きのえさる 20日]に、使ひを四方の国につかはして、金光明経・仁王経を説かしむ。
と述べられているものである。これは、曇無讖訳『金光明経』がすでに日本に入っていたことの証拠になる。
『続日本紀』の聖武天皇神亀2年(725)7月17日条には、七道諸国に詔して、神祇の社内を清浄に清掃すべきことを言って、国家平安のために
僧尼に、金光明経を読ましめ、もしこの経が無ければ、最勝王経を転ぜしめよ
と述べている。「金光明経」と「最勝王経」が併記されていることが注目されるわけだが、この頃から、旧訳「金光明経」に対して、新訳「金光明最勝王経」が普及しはじめたと考えられている。

国分寺建設、総国分寺・東大寺の大仏の完成(749)(ただし、盧舎那[るしやな]大仏は、「華厳経」教理に基づくもの)などの後、宮廷や大寺で「最勝会」や「最勝講」がさかんに行われた。宮中で毎年正月8日から7日間で行われるのを、宮中最勝会とか御斎会[みさいえ]といい、天平神護2年(766)より恒例化し,宮中での年中行事中,第一の大会[だいえ]といわれた。

華厳経のような深遠・高度な理論的世界をもたない金光明経であるが、四天王など天部の怪神が仏の手足となって護法のためにその怪力・異彩を発揮する面白さがある。造形的にも注目され、仏教美術の重要な部門をつくっている。そういう観点からの関心も持って読んでみるつもり。
「法華経」と「仁王般若経」とともに、護国三部経などともいわれた。

「最勝」の語が印象されるのは、義浄訳『金光明最勝王経』によると考えていいのではないか。「最勝会」、「最勝講」などで親しまれた語を、以仁王はその「令旨」のなかに、主語「最勝王」として使うのである。ただし、「最勝王経」は「最勝・王経」(最も優れた、経典の王)の意味であり、「経王」という語も登場するが、“最も優れた王”という意味の「最勝王」という語は『金光明最勝王経』にはない。


奈良博物館のサイトによると
正倉院文書によれば、金字の経典を書写するために官立の「写金字経所」が設けられ、天平18年(746)10月には、71部710巻の紫紙金字金光明最勝王経が完成した。
としている。これは、膨大な量である。
ある熱心な国分寺研究のサイトでは、全国に国分寺(の遺跡が)68寺あって、それをすべて訪問・踏破してきたという。大林組プロジェクトチームは国分寺の復元作業を行ったが、そのサイトでは、「諸国64ヵ所に建立されたといわれる国分寺」と述べている。日本を66ヶ国としたのは天長元年(824)という。
つまり、この71部の紫紙金字金光明最勝王経を、全国の国分寺(正しくは「金光明四天王護国之寺」)に配布・護持したのである。




以下は、この経の内容のかいつまんだメモである。ただし、まじめにメモったところと、そうでなく、ごく一部の語句を抜いただけのところと、精度に差があるのでそのつもりで。


金光明最勝王経

【巻第1】

序品第1
 大乗仏典の冒頭の例のとおり、「如是我聞」[かくのごとくわれ聞けり]から始まり、王舎城の鷲峯山[じゅぶせん]の頂に座る世尊(簿伽梵[ぼぎゃぼん])をとり囲んで無数の諸仏、諸天神地祇が座る。その諸仏らの紹介がある。
 紹介が終わって、世尊(簿伽梵)が立ち上がって述べる。その頌[じゅ]の冒頭に
金光明の妙法、最勝諸法の王は
甚深にして得て聞きがたき諸仏の境界なり
我まさに大衆[だいしゅ]のために、かくのごときの経を宣説すべし
とある。諸法[真理]のなかの最も力強い法、という意味で「最勝王経」といっている。 すなわち最勝・王経である。最勝王という王の名前ではない。

如来寿量品第2
 妙幢菩薩が、「如来の寿命は無限だというのに、釈迦の寿命がただの80歳である、というのはどうしてなのだ」という疑問を提出する。妙幢菩薩[みょうどう、Ruciraketu ルチラケーツ]というのは、この金光明最勝王経を通しての主要な役目を負う菩薩である。ここだけでなく、何度も登場し、第28は「妙幢菩薩讃歎品」である。
 さて、まず4如来(「東方に不動、南方に寶相、西方に無量寿、北方に天鼓音」)が、釈迦牟尼仏の寿命が限りないことを説く。その上で、釈迦がこの世に生まれる際に、「人の寿百年」であることを考えて、釈迦の寿命も「短促」にした、そうすることで衆生に涅槃を教えようとしたのだ、と説明する。
 釈迦も頌をもって、4如来の説明を肯定する。
凡夫は邪見を起こし、我が説く所を信ぜず
彼を成就する為の故に、般涅槃[はつねはん 涅槃に同じ]を示現す
 婆羅門[バラモン]が、妙幢と類似の質問をする。芥子粒ほどの舎利を求め、それを供養すれば大きな功徳があるというが、「仏舎利」は実在するのか、と。釈迦の80歳の寿命と同じ論法で舎利の存在を否定する。
妙幢の重ねての問に対して、釈尊は次のように言う。
汝ら、まさに知るべし
般涅槃して舎利ありと云うは、これ密意の説なり。(p325)
として、「大般涅槃」を説く。その論法は10箇条を挙げることを、4回繰り返す。つまり40箇条挙げるのだが、内容はわたしにはよく理解できない。この箇条で内容を理解することは無理で、大乗仏教のエッセンスを短句にしてまとめて言うことで、“ありがたや、ありがたや”と思わしめるということのように、わたしには思える。


【巻第2】

分別三身品第3
 虚空蔵菩薩の質問、「如何が菩薩摩訶薩、諸々の如来甚深の秘密において、如法に修業するや」に対する答え。化身−応身−法身の三身[さんじん]。如如智。
 この難しい説法が終わったとき、虚空蔵菩薩、梵、釈、四天王ら全員が座から立って、 礼拝して、つぎのように、説法の功徳をほめたたえて言う。
世尊、もし所在のところに、かくのごとき金光明王微妙の経典を講説せば、その国 土において、4種の利益あり。如何が4となす。1には国王の軍衆強盛にして、諸々の 怨敵なく、疾病を離れ、寿命延長に、吉祥安楽にして、正法興顕せん。2には中宮、 妃后、王子、諸臣和悦して争うことなく、奸佞をはなれて、王に愛重せられん。3に は沙門、婆羅門および諸々の国人、正法を修業して、病なく安楽にして枉死者なく、諸 々の福田において、ことごとくみな修立せん。4には三時の中において、四大調適し、 つねに諸天に増加守護せられ、慈悲平等にして、傷害の心なく、諸々の衆生をして、三 宝に帰敬し、みな願って菩提の行を修習せしめん。これを4種利益のこととなす。( p341)
夢見金鼓懺悔品第4
 妙幢菩薩は、この説法を聞いて喜んで帰宅し、夢に「大金鼓」を見る。
夜夢中において、大金鼓を見たり。光明晃曜として猶し日輪のごとし。この光のなかにおいて、十方無量の諸仏、寶樹の下において瑠璃座に坐して、無量百千の大衆に囲繞せられて、説法をなすを見るを得たり。一の婆羅門ありて桴[フ ばち]もて金鼓[こんく]を撃ち大音声をいだすを見たり。
こういところの、映像的で派手で動きのあるところに金光明最勝王経の特徴がでている。
 それを翌日、世尊の前で、頌をもって報告する。それは大変長いもので、「金鼓」の功徳をほめたたえるだけでなく、自分の汚辱の生活を懺悔し、「甚深の経、最勝金光明」を「演説」して罪業を除く、云々と(頌のなかで)のべる。


【巻第3】

滅業障品第5
 帝釈(インドラ)が、「過去につくった業障罪[ごっしょうざい]をどのようにして懺悔除 滅できるか」と質問する。仏(世尊)はそれに答える。その答の内容は複雑で難しく、し かも長いもの。最後に、この「妙経典を講読する」功徳を、その国中に、大臣輔相に4 種の益あり、としてその説明をする。沙門婆羅門にも4種の勝利がある、としてその説 明をする。
もし国土ありて、この経を宣説せば、一切の人民皆豊楽を得、諸々の疾疫なく、商估は往還におおくの宝貨を得て、勝福を具足せん。(p369)
現世利益的な言い方で、分かりやすい。


【巻第4】

最浄地陀羅尼品第6
 無礙光焔菩薩が菩提心について問う。釈迦は長大な段階論を説いたあとで、菩薩を守る 陀羅尼を教える。無礙光焔菩薩が頌をもって、釈迦をほめたたえる。大自在梵天王が 金光妙最勝王経は計りがたいとのべると、釈迦はこの経を聴聞・受持・読誦すべきこと を述べる。


【巻第5】

蓮華喩讃品第7
 仏が、菩提樹神善女天に、妙幢が見たという金鼓の夢について教える、という。過去世 に存在していた金龍王についての頌をはじめる。その終わりのほうで国王金龍王は妙幢 であるという。そして、金龍と金光の二子があったという。

金勝陀羅尼品第8
 世尊は善住菩薩摩訶薩に対して、「金勝」という陀羅尼を教える。この陀羅尼は「過 現未来の諸仏の母」である、という。
ナモ、アラタナトラヤヤ、タニヤタ、クンテイ、クンテイ、クシャレイ、クシャレイ、 イチリ、ミチリ、ソハカ
重顕空性品第9
 空性に関する頌。

依空満願品第10
 如意宝光耀天女が世尊に対して、修業の法を質問した。この天女の質問は、
我世界を照らす、両足の最勝尊に問いたてまつる 菩薩正行の法、ただ願わくば慈をもて聴許したまえ
というもの。「最勝尊」という表現があることに注目したい。わたしは「最勝王」を探 しているのであるから。
 質問に対する答えは、空論を展開するもので難解。たとえば「菩提行」をどのように行 ずるか、という梵王の問いに如意宝光耀菩薩は、
梵王、水中の月の菩提行を行ずるごとく、我また菩提行を行ずる。夢中菩提行を行 ずるがごとく、我また菩提行を行ずる。陽炎菩提行を行ずるごとく、我また菩提行 を行ずる。谷響菩提行を行ずるごとく、我また菩提行を行ずる。
と答える。梵王はこの説明を聞いて、如意宝光耀菩薩に「その心は?」と重ねて訊く。 答えて曰く。
梵王、一法としてこれ実相あるものなし。ただ因縁によりて成ずることを得るがゆ えに。
つまり、経典の実質を形づくる大乗仏教の思想・方法論の展開はとくに他の経典と違い があるのではない。この「金光明最勝王経」が鎮護国家の経典といわれるのは、こうい う経文の実質の展開が終わった後で、それを賞賛するのに、「金光明最勝王経」の功徳は国王をはじめ人民・国土の安寧・発展にある、とするからである。
いま読んでいる「依空満願品第10」では、次のような文句になっている。上で登場し てきた梵王が、「無量の梵衆、帝釈、四王、諸々の薬叉」といっしょに立ち上がってこの経典を褒め讃える。自分たちで「この金光明微妙の経典を守護流通[るずう]」しよう。
所在の国土にもし飢饉、怨賊、非人に悩害せらるるものあらば、我ら天衆みな擁護 をなし、その人民をして、安隠豊楽にして、諸々の枉横なからしめん。(p406)
四天王観察人天品第11
 ここで四天王が登場し、この経典が護国の経典であることを述べる。多聞天王・持国天王・増長天王・廣目天王の四天王が、世尊に対してこの経典を護持する国の国王や人民を守ることを誓う、という形式である。
 一例だけ、引用する。
世尊、もしこの経典を受持し読誦するものあらんに、人王これにおいて供養し恭敬 し尊重し、賛歎せば、我らまさにかの王をして、諸王の中において、恭敬し尊重し 最第一となし、諸々の余の国王にともに称歎せしめん。(p408)
 この四天王観察人天品第11は、金光妙最勝王経の讃歎のみで成り立っているもので、 大乗仏教の難解な展開はなく、それだけ短い。こういう品はこれが初めて。


【巻第6】

四天王護国品第12
 前の四天王観察人天品第11を受けて、世尊が四天王の決意を讃える。さらに四天王も それに応えて、一層詳細に、誓う。いわば、国王の現世利益的な功徳がだんだん強調さ れてくる。
 そして、次に、王がこの「最勝の経王」を聴受する方式規矩を述べる。
香水を地にそそぎ、もろもの名華を散じ、師子殊勝の法座を安置し、もろもろの珍宝をもって飾り、種々の寶蓋、幢、幡をはりほどこし、無価の香をたき、もろもろの音楽を奏すべし
このあとは、法師を迎える儀式の法式を細かく述べる。(p413)
 人王の儀式から立ちのぼる香の煙が、「諸天の宮殿に至り」香蓋となる。(p415)
 この経が国土にあっても、それを供養・尊重しない場合、見捨てられ、滅びる。 「このゆえに名づけて最勝経王という」(p420)
このようにして、金銀や香料やで荘厳に飾り付け、音楽が奏でられ、豪華な宮殿で財宝を贅沢に使って行う儀式が素晴らしい儀式なのだ、という展開となる。

 多聞天王が呪を授ける。薜室羅未拏大王(多聞天王)を称名頂礼する。するとその場に薜 室羅未拏王子が現出し、財宝を授けてくれた。(“羅”は正しくは、“口偏に羅”)つ まり、この呪は貧窮を除くもの。
 最後に世尊の頌があり、この金光明最勝王経を四天王およびその眷属が守護することを 讃めたたえる。

辻善之助『日本仏教史』は、この経典中で「四天王護国品第12」が「奈良時代前後に於て最も強く思想界を支配したもの」と評価して、3頁にわたって、経文読み下し文をを引用している。(第1巻上世編p192以下)


【巻第7】

無染著陀羅尼品第13
 具寿舎利子が世尊に「陀羅尼とはなんの句義ぞや」と質問する。それに対する答え。 この品は短い。

如意宝珠品第14
 世尊が阿難陀に如意宝珠という陀羅尼を授けようといって、紹介する。「一切を擁護し、安楽を得しめん
 観自在菩薩が「如意宝珠神呪」を説こうといって、呪を紹介する。「求むるところ意の如くならん
 執金剛秘密主菩薩が立って「無勝擁護」という陀羅尼を説く。「一切の恐怖を」遠離するという。
 索訶世界梵天王が「梵治」という陀羅尼を紹介する。「憂悩を離れる
 帝釈天主「跋折羅扇爾」(正しくは“爾”は“人偏に爾”)を紹介する。「一切の恐怖と 厄難を除く

大弁才天女品第15の1
 弁才天が「洗浴の法」を説く。まず32の香薬を混ぜ搗いて香抹をつくる。その香薬の第一が菖蒲である。菖蒲湯を連想する。壇を築き、荘厳し、「前の香抹を用いて湯に和し」呪をとなえながら「身を洗浴せよ」。
 この品も非常に具体的で、分かりやすく、親しみやすい。
 橋陳如[正しくは、“橋”でなく、りっしん偏]婆羅門による、弁才天の賛嘆。それに応えて弁才天の頌。再び婆羅門の頌。この頌のなかに「天女は最勝にして過ぐるものなし」がある。再々、婆羅門の頌。このなかには「われ、いま、最勝者を讃歎す」という語句がある(p445)


【巻第8】

大弁才天女品第15の2
 先の婆羅門・橋陳如[正しくは、“橋”でなく、りっしん偏]が、前品のつづきで、大衆 に向かって、弁才天女の讃歎を続ける。能弁でありたいことを祈る。その一部。
我が語、滞りなく、速やかに身口の内に入りて、聡明弁才たらしめよ。 願わくば、我が舌根をして、如来の弁を得しめよ。(p449)
というぐあい。この「請」をうけて、弁才天が三宝に帰敬すればよいというのだが、そ のなかに
この金光明経微妙の経典を読誦せば、願求することろのもの果遂せざるなく、速や かに成就することを得ん。(p451)
というところがある。

大吉祥天女品第16
 大吉祥天女が立って、次のように言う。「人のためにこの金光明最勝王経を解説する」 ものがあれば、その法師を恭敬する。飲食、衣服などが乏しいことのないようにする、 云々。そのあと頌もある。
 仏は「功徳、尽くるなからん」と、吉祥天女を讃める。

大吉祥天女増長財物品第17
 吉祥天女像を掲げ、荘厳した浄室で、仏名とこの経の名号を称える。すると、「その宅中の財穀をして増長せしめんとす」このことを、吉祥天女自身がのべる。
 この露骨な「増長」法はすごい。現世利益そのもといっていい。増長天など、「増長」という語を時に見かけるが、その意味を初めて知った。富や財宝を増長する、という意味なのだ。
 「像」を掲げる、とはっきり言っているところは、「まさに我が像を画き、種々の瓔珞もて周匝荘厳すべし」となっている。

堅牢地神品第18
 堅牢地神が金光明最勝王経が流布されるところ(城邑、聚落、王宮、楼観、および阿蘭 若、山、澤、空林)を守護することを述べる。「衆生皆安楽を受けん」。「顔容端正」 とも言っている(p458)。
 寺の方から言って、都合のいい、次のようなところもある。
もし衆生ありて、この経王を供養せんと欲するためのゆえに、宅宇を荘厳し、ないし一傘蓋を張り、一ゾウ幡を懸くれば、この因縁によりて六天の上に、念の如くに生を受け、七宝の妙宮意にしたがいて受用し、各々自然に七千の天女ありて、ともに相娯楽して、日夜常に不可思議殊勝の楽しみを受けん。(p459)
寺院にたいして物的な寄付、財宝・荘厳を布施すればするほど、「七千の天女」が来て楽しくしてくれるという。
 さらに、神呪を3つ教えてくれる。

僧慎爾耶薬叉大将品第19
 僧慎爾耶薬叉大将と二十八部薬叉らが、「正了知」について仏に質問する。また一つの 呪を紹介し、この呪を「よく受持すれば、われまさに資生の楽具、飲食衣服、華果珍異 を給與すべし」という。(仏はそれを讃歎するが、「正了知」を答えてはいない。)

王法正論品第20
 堅牢という大地神女(第18品が「堅牢大地神」だった)が、「正法正論、治国の要を説き、諸々の人王をして法を聞くことを」得さしめよ、とお願いする。世尊が、語り はじめる。
 力尊幢という王があり、その王子が妙幢であった。力尊幢が妙幢に、自分がその父・智 力尊幢から教えを授かって国王となった「王法正論」をこれから教えようという。
生まれて人世に在りといえども、尊勝のゆえに天となづく
諸天護持するによりて、また天子と名づくることを得
これは頌のなかの語句であるが。国王に対して、人のなかでもっとも尊いから天子というと言っている。国家支配の立場にとって、こんなに都合のいい経典はない。
三十三天の主、力を分かちて人王を助け
および一切の諸天もまた自在力を資[たす]く
諸天が力を合わせて人王を守っているということだ。
 ただし王は「正法」を行わないと、三十三天主に「憤怒の心」を生じ、国政を損じ、国 土が破壊する。「国人の皆破散すること、象の蓮池を踏むがごとし
つまり王は正論を実践しないと、諸天に守られることはないどころか、逆に諸天の怒りを受けて亡ぼされることになる。そこで、詳細に、王としてなしてはならないことをのべる。
 このような経典の論理を、正法正論とか王法正論といわれている。この「品第20」が、「金光明最勝王経」の国家鎮護的性格を表す中心的な部分と考えることができる。
 最後は仏が「人王の治国の要法」を説き給うをききて、みな「歓喜信受」したと。


【巻第9】

善生王品第21
 まえの品第20で「王法正論」を説き、世尊はその続きとして「奉法」[ぶほう]を説く。 この王法を「奉持」する法ということ。
 ただ、中身は、過去生の釈迦自身の体験を語る形になっている。善生という王がいて天 輪王となった。ある夜、夢に、宝積という法師が「金光微妙の典」を説くのを聞いた。
 王宮をでて、宝積大法師の居所をさがし、「金光微妙の法を説きたまえ」と請う。さまざまな儀規を整えて、宝積大法師は「かの請主善生のためのゆえに、微妙の金光明を演説す」。(p476)
 国主善生王は、願をたて、「もろもろの衆生のために、あまねく七宝の瓔珞具をあめふらせる」ことを誓う。「この四州に珍宝のあめふる」をみて、善生王はあらゆる教えと比丘僧を供養したと。ここでも、この金光明経がきわめて現世的で、具体的で、分かりやすいイメージをもって語られている。露骨すぎて、ちょっとうんざりだけれど。
 この過去世の善生は現在は「すなわち我れ釈迦牟尼なり」(p477)

   この金光明最勝王経に限らないが、経典の素晴らしさを述べるのに、その経典を読誦・護持することによって奇跡が生じる話を、その経典の中で述べるという自己言及構造は普通のことである。単純化して言うと、「この経典はなぜ素晴らしいか。それは、この経典がどんなに素晴らしいかをこの経典の中で述べているから」という自己撞着的言及になっていることも多い。
 しかし、過去世の物語を延々と展開して、実はそれが現在の釈迦牟尼自身だ、というような複雑な構造を取っているので、その物語の展開の中に巻き込まれてしまって、「自己撞着的」であることを忘れてしまう。


諸天薬叉護持品第22
 大吉祥天女に世尊が声をかけ、この経を敷演流布すべきことを述べる。梵天帝釈を初め として、多数の諸天の名を挙げて、この経の奉持者を擁護することを述べる。
 この経を奉持することによって、地味が肥え、作物が豊饒であることをのべるところ。
この南州の内において、林、果、苗稼の神
この経の威力によりて、心常に歓喜を得
苗実みな成就して、処々に妙華あり
果実ならびに滋繁して、大地に充満す(p486)

この経の威力により、日月の照らす処
星辰度を失わず、風雨みな時にしたがい
この贍部州にあまねし、国土ことごとく豊楽にして
この経のある処にしたがいて、殊勝なること余方に倍す(p487)


授記品第23
 「授記」とは、梵語で和伽羅といい、仏陀が菩薩らに未来世で仏となることを予言して 証明することをいう。
 妙幢菩薩とその2子、銀幢・銀光に授記をさずける。そのあと、「十千の天子」と「菩提樹神」に「未来世において、阿耨多羅三藐三菩提を成ずべし」と授記をさずける。

除病品第24
 菩提樹神善女天へむかって仏が述べる。
 天自在光王の世に、持水という長者は医方をよく心得ていた。その子に流水という者が いた。流水は父・持水に医方を問う。持水は、季節、三薬、八術(アーユルベーダの八術)などを教える。流水はその教えを以て、衆生の病苦を救った。

長者子流水品第25
 仏の菩提樹神への話が続く。
 長者子流水の妻を水肩蔵という。2子あり、水満と水蔵。野生という大池があり、水が 干上がってきて、多数の魚が死にそうである。流水は王・持水に頼んで、大象20頭を借り出し、水生(ジャラーガマー)という大河から水を汲んで、野生大池に入れる。つぎには持水に頼んで、食べ物を大象に積んで池に入れ、魚たちに与えた。最後に池に入って、十二縁起と宝髻仏の名とを演説した。
 この池の魚たちの寿命が尽き、三十三天に往生して「十千の天子」となった。琉水に感 謝して「天妙蓮華」など財宝をあめふらせ、膝の深さにまで積みかさなった。
 仏は話し終わって、菩提樹神に次のように言う。流水は仏自身、持水長者は妙幢、水満 は銀幢、水蔵は銀光である。天自在光王はなんじ菩提樹神である。十千の魚は十千の天子である、と。
 そして、仏はつぎのような複雑なことを言う。
われ往昔水をもって魚をすくい、食をあたえて飽かしめ、ために甚深の十二縁起ならびにこの相応陀羅尼呪を説き、またためにかの宝髻仏の名を称するにより、この善根によりて、天上に生ずることを得た。今わがところに来たりて、歓喜して法を聴く。われ皆まさにために阿耨多羅三藐三菩提の記を授け、その名号を説くべし。(p504)
 過去世において流水としてなした善根によって自分は仏として天上に生じた。その過去世での登場人物たちであった者たち、とくに、菩提樹神がいまこうして自分のところに来て「歓喜して法を」聴いている。そのゆえに、あなたち皆は未来世で仏となることは間違いないので、「阿耨多羅三藐三菩提の記を授け」ると。


【巻第10】

捨身品第26
 過去世において、世尊は虎に身を投げて捨身行をおこなった。かなり長文の物語になっ ていて、地の文と頌で同じ内容が繰りされる。
 世尊が自分から、過去世で水と餌で魚を救ったというだけではない。「愛するところの 身」を捨てたこともあるとその経験を語る。まず、阿難陀に命じて、自分のすわる座をつくらせる。そこに座って、地をなでると地が裂けて衆宝で荘厳されたところが現出する。阿難陀にその戸を開けさせると、七宝で飾られた函がある。そのなかに「苦行の菩薩の遺身の舎利」が入っていた。
 過去世に大車王の国があった。その富裕な王に3王子があった。3王子が大竹林で7子を生んだばかりの飢えた虎を発見する。末弟はサッタ王子という。兄の2王子は虎から離れるが、サッタ王子は、自ら横たわる。虎は、飢えで衰えていて、身を投げ出した王子を食べることができなかった。王子は、「乾竹をもって頸を刺し、血をいだして、ようやく虎辺にちかずく」。
 兄2王子が心配になってもどってくると、弟サッタの衣服があり、骸骨と髪の毛が散乱  して、血が流れていた。
 母の夫人は不吉な夢を見、「夫人の両乳、忽然として流出」した。王子たちがいないこ とに気付き、探す。竹林で王子捨身の現場に至る。サッタの遺身の舎利を収め供養した。
 サッタは今のわれ牟尼であり、大車王は父の浄飯、后は母の摩耶である。王子は慈氏(弥勒菩薩)と曼殊室利(文殊菩薩)で、虎は大世主。

十方菩薩讃歎品第27
 菩薩衆が声をそろえて、仏の偉大な姿と働きを讃歎する。

妙幢菩薩讃歎品第28
 妙幢菩薩が立って、仏を讃歎する。そのなかに、世尊の「頭髪柔軟にして紺青色なり」 とある。

菩提樹神讃歎品第29
 菩提樹神が頌をもって仏を讃歎する。この神は「善女人」と世尊から呼びかけられてい る。

大弁才天女讃歎品第30
 大弁才天女が立って、世尊を讃歎する。

付属品第31
 世尊が、自分が涅槃に入った後「この法門において廣宣流布し、よく正法をして久し く世間に住せしめん」と、自分の涅槃後のことを依頼する。これに対して60億の菩薩 と60億の諸天大衆とが、世尊の教えの護持を誓う。
 その後、つぎつぎに、主要登場人物が立って、誓いをのべる。



金光明最勝王経  メモ終わり