正しく座すべし

    

野口晴哉(昭和六年)

(現代語訳 気・自然健康保持会 不許複製)

          

正座は日本固有の美風なり。
正座すれば心気自づから丹田に凝り、我、神と偕
(とも)に在るの念起る。
正座は正心
(しょうしん)の現はれなり。
正座とは下半身に力を集め、腹腰の力、中心に一致するを云ふ。
下半身屈する時は上半身は伸ぶ。
上半身柔らげば五臓六腑は正しく働くなり。
正座せば頭寒にして足熱なり。
正座する時は腰強く、腹太くなるなり。

正坐は日本固有の美しい習慣である。
正坐すると、心や気が自ずと丹田に集まり、「私は神とともにある」という気持ちが起こる。
正坐は正しい心が現れる。
正坐とは下半身に力を集めることで、腹と腰の力が体の中心に一致していることを言う。
下半身を折り曲げる時は上半身は伸びる。
上半身が柔らかくなれば、内臓は正しく働くようになる。
正坐をすれば、頭が落ち着き、足は温かくなる。
正坐をする時は腰が強く、腹が太くなるものだ。

    

婦人にして倚座を為すものは難産となり、青年にして倚座を為すものは、
智進みて意弱く、智能
(よく)腹に入らず頭に止まるのみ。
頭で考へ、行ふ時は思考皮相
(ひそう)となり、軽佻(けいちょう)となるべし。
倚座は腰冷ゆるなり。脳に上気充血し易し。
正座して学ばざれば学問身につかず、脳の活動鈍くして早く疲るるなり。
(すべか)らく倚座を排して正座すべし。
倚座は腰高くし且つ浮かすを以て、腹腰共に力籠らず。
上半身屈み易く、内臓機関圧迫さるゝなり。

女性で椅子に座る者は難産となり、青年で椅子に座る者は、
知的にのみ発達して意志が弱く、知識が腹に入らず頭に止まっている。
頭で考え、行動する時は考えることが表面的で、浮つくものだ。
椅子に座るというのは腰が冷える。脳に気が上って、血液が過剰に集まり易い。
正坐して学ぶのでなければ学問は身につかず、脳の活動が鈍くなって早く疲れてしまう。
当然、椅子に座るのを止めて正坐するべきである。
椅子座は腰の位置を高くし浮かせることで、腹、腰ともに力が入らない。
上半身が屈みやすく内臓器官が圧迫されてしまう。

    

アグラをかくべからず。アグラは胡座(こざ)と書き、
胡人即ち「えびす」の座り方なり。
日本固有の座り方に非ず。平安朝時代の公卿
(くげ)の座姿(ざし)を見よ。
何とその胡座に似たることよ、これ彼等の腰の弱かりし所以
(ゆえん)なり。
横座りはゴマカシなり、胡座は横着なり。

アグラをかいてはいけない。アグラは「胡座」と書き、
胡人つまり「外国人」の座り方である。
日本固有の座り方ではない。平安朝時代の公家の座っている姿を見なさい。
何とアグラに似ていることか、これは彼らの腰が弱かった理由である。
横座りはゴマカシで、あぐらは横着なものだ。

     

正座は正心(しょうしん)正体(しょうたい)を作る、正しく座すべし。
中心力自づから充実し、健康現はれ、全生の道開かる。
日本人にして正座を忘るゝもの頗
(すこぶ)る多し。
思想の日に日に浅薄軽佻
(せんぱくけいちょう)となり行くは、
腹腰に力入らざるが故なり。

正坐は正しい心と、体の正しいあり方を作る、正しく座るべきである。
中心力が自ずと充実し、健康となり、全生の道が開かれる。
日本人で正座を忘れている者が非常に多い。
思想が日に日に信念がなく他に動かされ易い(軽はずみで浮ついている)ものとなって行くのは、
腹と腰に力が入らないためである。

    

物質文明上、西洋を追及すること急にして、
知らず識らず精神的文明上、固有の美を失いつゝあり。
兎角
(とかく)、一般に自堕落となり、浮調子(うわぢょうし)に傾きつゝあり。
これ腹力無きが故なり、腰弱きが故なり。
(こ)の時、吾(ごじん)の正座を説き、正座を勧むるは、
事小に似て実は決して小なるものに非
(あら)ざるなり。

物質文明において、西洋に追いつこうとするのを急いだために、
知らず識らず精神文明における固有の美を失いつつある。
ともすれば、一般にだらしがなくなり、落ち着きがなくなってきている。
これは腹に力がないためである、腰が弱いためである。
このような時に、私が人々に正座の効用を説き、正座を勧めるのは、
小さなことのようであるが、実は決して小さなことではないのである。

    

腹、力充実せず、頭脳のみ発達するも如何(いかが)すべき。
理屈を云ひつゝ罹病
(りびょう)して苦悩せるもの頗(すこぶ)る多し。
智に捉はれ情正しからず、意弱くして、
(もっぱ)ら名奔利走せるものの如何(いか)に多きぞ。
先進文明国の糟粕
(そうはく)を嘗(な)め、余毒(よどく)を啜(すす)りて、
知らず識らず亡国の域に近づきつゝあるを悟らざるか。
危い哉、今や日本の危機なり。
始めは一寸
(ちょっと)の流れも、終ひに江海(こうかい)(い)るべし、
病膏肓
(こうこう)に入らば如何ともすべからず。
(さ)れども、道は近きにあり。
諸君が正しく座することによって危機自づから去るべし。
語を寄す、日本人諸君、正しく座すべし。
これ容易にしてその意義頗
(すこぶ)る重大なる修養の法なり。

腹に力が充実せず、頭脳ばかりが発達してしまうのもどうであろうか。
理屈を言いながら、病気になって苦悩している者が非常に多い。
知識に捉われて気持ちが正しくなく、意志が弱く、
名誉や利益を求めて走り回ってばかりいる者の何と多いことだろう。
先進文明国の真似をするだけで独創性がなく、後にまで残る害毒を啜って、
知らず識らずに国が滅ぶ段階に近づいているのを悟らないのか。
危険が迫っている、今、まさに日本の危機である。
はじめはちょっとの流れであっても、最後には大きな川や、海にまで至るものだ。
病気が救い難い程深くなればどうしようもなくなってしまう。
しかし、道は近くにある。
諸君が正しく座ることによって、危機は自ずと去って行くのだ。
この言葉を届けよう、日本人諸君、正しく座るべきである。
これは簡単でありながら、その意義は非常に重大な修養の方法なのである。

   

              

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