野口整体とは健康の自然法

        

人間のいのちは自然のものなのだから、自然にかえれば自ら健やかになる。
心を静かにし、裡の生命の声をきいて動作することが健康の自然法である。

野口晴哉 『健康の自然法』より

■自分の健康は自分で保つ。

    

その為には鋭敏な状態を保たなくてはいけない。異常が生じているのにそれを異常と感ぜず、異常を正す働きの生じないような鈍い状態は良いことではない。無病が健康のつもりで、体に異常があるのに、感じだけを鈍らせて無病を保ち、突然引繰り返るような人が時々あるが、鈍い体の状態での無病は健康の象徴ではなく、無病病とでも言う可き安全弁の故障状態と見做す可きである。

(中略)

体に異常があって異常を感じ、感じたらすぐ正常にもどすはたらきを発揮することが健康なのである。これを一々病気になったと慌て、自分の体は弱いと思い込む人もあるが間違いである。若い頃しばしば患った人が反って長生きしている事実を見る可きであり、無病が連続して短命の人の多いことも注視すべきだろう。

だから触手療法(註)を、痛みを止めたり、痒みをとめたり、熱を下げる為に用いようとすることは間違っている。その身体の正常さを維持する為に行われる可きであることを心すべきだ。だから風邪をひいても、傷口から血が出ても、膿んでも、熱が出ても病気じゃ無い。

野口晴哉 『健康の自然法』より

(註)「触手療法」とは愉気法のことです。

      

■医薬によらないで健康を保っていく生き方。

・極力、外用薬によらず「内医」を大切にする。
・症状の自然経過=自分の裡の力を使う。

体の偏りを感じられるという「身体感覚を養う」ことこそ「養生」なのです。
そのため先ずは頭に上がった気が下がること、つまりポカンが必要です。
理屈でものを考えている状態では感覚がはたらきません。
心を鎮めて体を感じることで身体を感じることが出来ます。

      

■「体の自然」とは何か。

・「風邪の効用」といった、一般の健康に対する考え方との相違を理解。
・あるがままの姿 → 健全さ、美しさ(真善美)。

一般に現代の人は、風邪引いて辛いからと、熱が出かかったときに解熱剤を飲んで症状を無くしてしまおうとします。
風邪を引いて、特に熱の出る前は苦しい。しかし熱が出て、汗が出る、そうするとサッパリとして、元気な体を取り戻すことができます。自然経過するからこそ、快活な体と心を取り戻すことができるのです。「自然治癒力」ということですね。
これは山登りに喩えるとわかりやすい。途中が苦しいからこそ頂上に登ったときの喜びがあり、下りるときには「また来よう」と思えるわけです。「苦楽別ならず」ということです。
「廃用萎縮の原理」により、外用薬に頼り、持てる力、とりわけ病症を経過する力を使わないでいると健全な心身とはなり得ません。
鼻水が出たり、下痢をしたりということにおいても同じです。鼻水が出ているときに、出すだけ出せば頭もスッキリする。下痢もそうです。出してしまえば体も頭もスッキリするのです。
鼻水が出たら「鼻炎だ」、下痢をしたら「お腹を毀した」と、そういう方面にのみ症状を理解してきて、症状の「体を調整するはたらき」、これによって全体を保とうとする、いわば新陳代謝、こういった方面が充分に理解されていません。
「体が鈍くなっての重い病い」というものと「新陳代謝のための症状」というものを分けて考えます。
野口先生は「病症が体を治す」と言われ、「風邪を引けば癌も治る」とまで言われました。愉気法や活元運動により「敏感な体を保持」することが「整体生活」なのです。
そして整体生活に入るということは、知識ではなく、身体感覚で、体で理解していく世界なのです。

      

■「健康生活の原理」を理解する。