「野口整体とは何か?」について V2

  

金井省蒼先生

塾生 : 徳田一、五輪祐次、伏島多佳子

    勝俣勇、権上一男、近藤佐和子

(2010年2月16日 編集会議、18日 啓哲塾において)

    

 これは、金井先生が、「野口整体とは何か」を人に伝えていく時、
どのように話をするのか? を塾生に質問した時の記録です。

  

◆ 徳田 「自分の心と体を自由にする方法である」

金井 野口整体を新しく始める人に「野口整体とは何ですか」と訊かれたらどのように答えていますか。

徳田 「野口整体」という名称だけを聞いていたり、本を少しだけ読んで来た人では、「整体」という言葉の捉え方が、一般的な整体と思っておられるのです。

金井 「整体になる」じゃなくて、「整体する」、してもらう整体と思っているんだね。自分が「なる整体」との違いということだね。

徳田 ですから、「そういうことではないよ」と、先ず最初に言わなくてはなりません。「してもらう」というところから活元運動を始めてしまうと、活元運動も違うものになっていきます。初めが肝心なのです。

金井 普通の整体と野口整体の違い。してもらう整体ではなく、自分が「整体になる」という意識。これは、大きく言うと、してもらう整体は、西洋医学にかかる気持ちとなんら変わらないんですよと。つまり「お任せ医療」ということです。科学文明による機械論的生命観、というのに対して、主体的な生命観を形成することが大切です。
 自分が生きている、ということです。

徳田 「してもらう整体」という意識(機械論的生命観)のままでは、マッサージを受けるのと変わらなくなってしまうのです。
 活元指導の会で話をするときには、自分のマッサージ師時代の経験
(野口整体入門当時は、針灸専門学校に通いながら、マッサージのアルバイトをしていました。)を生かし、「私もかつてはその世界におりまして、その頃は野口整体とマッサージの違いが分からずにおりました。金井先生には『二束の草鞋は駄目だよ』と、よくそのことを叱られましたが、初めはよくわかりませんでした。」という話をしながら、「野口整体とは何か?」ということを説明していきます。

金井 それは野口整体とマッサージでは、「押さえ方が違う」とか、なんとか、という些末なことでなく…。

徳田 はい、方法ではなく、そこにある「心」ということが大切だと思うのです。
 「自分の心と体を自由にする方法である」という野口先生の言葉がありますが、「積極的に、主体的に、自分の心と体に向き合っていく道筋を学んでいく方法なのです」ということを伝えるのを心掛けています。
 一言で言えば、「禅」であり、宗教である、ということ、つまり、「いかに生きていくか」ということです。

   

野口晴哉          
『月刊全生』昭和40年5月号
広島講習伝授会記録    
「技術を使う心」      

 人間の心や体は自由に出来ないということのうしろには、自由にする方法を知らないということがあります。「胃袋よ働け」といったって、胃袋は働かない。だけども愉快だったらお腹が空いてくる。自分の好きな人のにぎってくれたにぎり飯なら美味い。御飯の中に蠅が一匹入っていたって食欲がなくなる。食欲がなくなるということは、胃袋の働きを抑えたことになる。

 だから意志では自由にできないが、空想とか感情とかいうものを使えば自由に働かせることができる。とすると、自由に動かせるはずの心や体を、今迄は意識というものにだけ、あるいは意志とか努力とかいうものだけ求めていたから、自由にできなかったのだということができる。だから方法さえ得れば、体も心も自由になるはずである。つまり方法を知らなかった為に、無知であった為に、自分の心や体をマスター出来なかっただけで、自由に出来ないと思い込んでいること自体が違う。

 こういう心や体をつかう筋道を知らせるつもりで、私は整体指導ということを掲げてやっているのであります。

  

◆ 五輪 「内側を感じる」

金井 五輪君はどう話しますか。

五輪 自分の中に、あるもの、を正していく、というように。

金井 あるもの、とは?

五輪 自分の働き、体の働き、自身の中にちゃんと正常であろうとする働きがある。それを、何が崩しているのか。
 他所から入ってくるもの。育った環境、生活環境、など。特に、自分でまだ意識できないころに入ったもの。それに因って、自分がちゃんとした働きになっていない。これにより、自分の想い、考えが偏っているという。
 自分の体は単純なもので、そんなに複雑なものが体に影響しているわけではなく、もうちょっと単純と思われるものが原因になっている。

金井 原理が分かれば処すこともできる。

五輪 指導を受けられた方も話されていましたが、「不調の原因は、嫌な上司が問題ではなく、兄弟のちょっとしたこと、と思っていたことが影響していた。」と。
 自分が「ちょっとしたこと」と思っていたことに、大きく影響されていた。そこが解消されないと、正常であろうとする働きに悪影響を及ぼしてしまう。
 そういう、自分の働きに悪影響を与えてしまうものを正していくために、「内側を感じる」働きを高めることができる、と話します。

  

◆ 伏島 「日々の心の使い方、体の使い方を、客観的に眺めることができる」

金井 伏島さんはどのように話していますか。

伏島 私は、先ず「自分の健康を自分で保っていくためのもの」と話します。った身になっていれば、それは実現できるのです、と。
 「整体」という言葉は、一般に「真直ぐな体」というようなイメージがあり、誤解が生じ易いのですが、「外から正していく姿勢のことではない」と。身体の中
(裡)にある勢い、生命力を整える、本来人間の持っている自然、野生を取り戻していくという深い意味を伝えようと思っています。
 単に病気をしない体になる、薬を飲むといったことに重きを置いている現代の医療を受診しているだけでは、残念ながらそのような力を自分の中に感じ取っていくことはできないからです。
 活元運動、愉気法を習得していくことは、長い時間を要しますが、私自身、続けてきたことで、「日々の心の使い方、体の使い方を、客観的に眺めることができる」ようになってきたと思えます。
(→身体感覚)
 その中には、本来の自分が持っている自然からかけ離れて身についてしまったもの
(感情を圧し込めてきた)もあるのです。こんなことをきちんと意識化することで、日々の生活の有り様が変わってきたと思います。
 こういったことが「自分の健康を保つ」ことに繋がっていくというように話しています。

    

野口晴哉           
『月刊全生』増刊号     
晴風抄           

整体とは姿勢を正すことだと言った人がいた。

外から見ればそう見えるかもしれないが、

外から正された姿勢は、

どんな形をしていても整体ではない。

  

姿勢の姿は形のことである。

勢いは、その形のもとである。

勢いの現われとして形がある。

整体というのは、形を正すことではなく、

勢いを正すことである。

勢いに拠らない形は生きものの形ではない。

   

◆ 勝俣 「自分で整っていける道がある」

金井 勝俣君はどのように話しますか。

勝俣 はい。私も伏島さんと一緒で、「自分の健康は自分で保っていく」、「自分の体は自分で整えていく」、「他に頼らず自らが整っていける道がある」、そういうところが大きく違うと思います。

金井 何と違うのですか?

勝俣 巷(ちまた)の整体というか…。

金井 一般の整体と違うところということですね。

勝俣 はい、そうです。そういうところに魅力がありました。「自分で整っていける道がある」というところが大きかったです。

   

◆ 権上 「心を、体を整えていくことによって調える」

金井 権上君は?

権上 自分としては、最初に入ったのが『健康生活の原理』からで、「自分の健康は自分で保つ」ということを話します。
 そして、「心を、体を整えていくことによって調える」という…。
 それまでは、心の問題を頭で考えていたというか、そういうような面が大きかったんです。それでよく分からないなあと思っていて、過去に瞑想とかちょっとやってみたりしても、落着かないし、全然続きませんでした。
 野口整体は、体から入っていくという行き方が、僕にはすごく向いているなあと思いましたし、これならできるなと思いました。
 「心」のことを「頭で考える」という発想しかなかったものが、体から入っていけるというのが、僕にとっては衝撃的であったので、そういう風な整え方をしていくものだよ、ということが一番自分としては話しやすいと思います。

   

◆ 近藤 「生きる力を高める」

金井 近藤さんはどう話しますか。

近藤 何も知らない人に言うのであれば、基本的な「生きる力」というか、生きていく力を底上げするためにやる、と言います。
 例えば何故、風邪を引いた時に薬を飲まないかということだったり、そういう質問に対しても、そういう風に答えると思います。

金井 具体的には?

近藤 生きていると、いろんな出来事があって、いろんな経験をします。そういう時、経験から学ぶためには「何を感じるか」ということが、一番大事なことだと思います。
 「体調を崩す」ということ一つにしても、それが偶然のように起こるわけではなく、その時の自分の心、人間関係、さまざまなつながりの中で「体調を崩す」という事がある。
 その一連のことが、体調を崩した時の「痛み」や「寂しさ」から呼び起こされると、なるべくして、そうなった、ということに気付く。すると、もう一度自分というものが確かなものに感じられるようになります。
 でも、薬を飲むことで、「不快感」から「それが消えた」というだけの体験に終ることになるのではないかと思います。「もう、大丈夫な自分」を感じる、という経験が、薬を飲むことでできなくなってしまう。でも、何より、この「自分を信じられる」ということが、「生きる力」になると思うのです。
 そういった生きる力のボトムアップというか、勉強するとか、何か技術を身に付けるといった以前の、消化力だったり、受け取る力そのものを上げていく、ということを話します。

金井 受け取るとは?

近藤 色々な人の話だったり、物の美しさだったり。「感じる」力です。

金井 人の心や、自然を受け取る力を養うという…。

近藤 受け取る力もそうだし、やりたいことを現実にしていくことも「生きる力」だと思います。そして行き詰っても、折れてしまわないでもう一回立つ力、弾力、そういうものを総合した、「生きる力」を上げていくため、と言おうと思います。