『野口整体 病むことは力』を読んで

藤田俊介
(袋井市在住 二十七才)

はじめに

 『病むことは力』を読ませていただきました。率直に言って、とても良かったです。このような良書はめったにお目にかかることはないと私は思っています。
 私は書物という物体そのものも好きなので、その点でカバーの挿絵とか、本の厚さとか、タイトルの「病む」が赤色で「力」が青色とかの色合いも絶妙でとても嬉しいです。
 私は良書の条件の一つに、読みやすい、ということがあげられると思っています。この著作はとても読みやすいです。しかも、それは内容が浅いということを決して意味しているわけでなく、読みやすく、わかりやすく、しかも内容は果てしなく深い文章というのはなかなか書けるものではないと思います。読むたびに新しい意味が自分の中に見出していけるような本。それは本にとって栄光なことだと思います。

言葉一つ一つが生きている

 私の印象として、この著作のスタイルもとても新鮮なものでした。よくあるパターンだと、ただ単純に、気功やヨガの体験談を羅列してあるだけのものが多いです。しかし、この著作は金井先生と整体指導を受けられている方々との対話形式です。この点で金井先生が人の言葉ひとつひとつをじっくりと観ているのだなと思いました。文章の間に金井先生のコメントを入れることによって、文章の受け取り方が深くなるような気がしました。
 聞くところによると、この著作は二年くらい製作に時間がかかったらしいです。どこかの教授や小説家がさらりと短時間で本を執筆してしまうのとは、全然違います。金井先生とは面識があるからそう言えるのかもしれませんが、本当に言葉一つ一つが生きていて、肉声が活字を通して読者に伝わってきます。他の本にはない温もりや、いろいろな想いが詰まっている気がしました。これも野口整体に携わっている方々の身体感覚が高いせいなのでしょうか。

自然治癒力、それは身体感覚の向上

 この著作の中に数名の手記がありますが、すべて女性の方です。野口整体を受けられている方々にはもちろん男性もたくさんいると思いますが、女性のほうが全体の比率として高いのかもしれません。現代社会のあり方が感受性豊かな女性の「自然性」を阻害しているという気もします。一章の谷山さんの手記を読んで、私が大きく共感したのが、感情を押さえ込んではいけない、ということでした。
 精神的な世界を扱った本はたくさんありますが、人間が普通に日常を生き、喜怒哀楽のある生身の感情をもっているという「身体性」を無視したものがとても多いのです。嫌なことを嫌なことと感じることよりもプラス思考ですぐ忘れるようにしようとか、それらは様々です。しかも、肩こりが慢性的にあると肩こりだと感じられなくなるように、頭で感情を押さえつけているあまり良くはない身体の状態で、それはそれなりに秩序を保ってしまうという怖さも感じました。そのような状態での身体の自然治癒力や身体感覚の向上へのアプローチとして、野口整体以外の方法が世の中にあるのかなと思いました。
 悪い感情や他人に対する要求が身体の中に溜まり、身体を硬くしている場合、いくら揉んでも、押しても、叩いてもどうにもなりません。気功やマッサージのように、それを受けて「身体が心地がよい」で終わるのでは本当にその人は変わっていきません。しかし、金井先生が愉気しただけで、身体が変わってくる場合もあるのです。愉気というものの持つ深さと広がりに圧倒されました。愉気や活元運動では心地よいときは心地よいけれど、谷山さんの手記を読んで、身体がゆるもうとする時の過敏反応期などは、直接的な痛みもあるし、とても大変だなと思いました。しかし、最後には乗り越えられたので良かったです。

自分らしく生きる道

 野口整体は整体指導者が身体や心の問題を解決してくれるのではないのですね。あくまで、自分自身が身体を通して、自分自身と格闘しなければならないのです。それは厳しいことでもあり、当たり前のことでもあると感じました。谷山さんや川井さんなど様々な人生問題を抱えながらも、なおも、より良く生きようとする気概を失っていないというところに感動がありました。野口整体に縁がある人と無い人がいます。自分の「本当の」人生を生きようと欲するとき、その人は野口整体の門を叩くのではないかという想念がよぎりました。
 金井先生と人々との対話を追っていくと、不思議な驚きがありました。「身体と心には関係性がある」ということは知っていましたが、まさかこんなにも密接に絡んでいたのか、と痛切に感じました。それに伴い病気に対する認識が変わりました。病気とは心のエネルギーでもある、というのはとても興味深い事実です。自分が自分らしく生きられていないと病気が起こる、自分が自分らしく生きていれば病気が起こる「必要」がない。その人が気づくまで病気は起こりつづける。だから、病気を根本的に治していくにはその人の人生や生活や人間関係や感情などの心の面を観ていかなければならないのかなと私は思いました。
 西洋医学でも東洋医学でもない独自の野口整体の世界は、初めは違和感がありましたが、今思えば、心身の見方としてそれが一番「自然」だと私は思います。

無・空・天心

 野口整体の魅力の一つに無に対する認識があるのではないでしょうか。もともと東洋的な考え方に興味があって、「禅の思想」などといったものをわかりやすい漫画で読んだりしていました。無とか空とかいう概念はとても抽象的でわかりにくく、難解で普通の人には理解しがたいものであり、かつ観念的で非日常的なものだと思っていました。しかし、その見解がいつのまにか、具体的で日常的なものであり、実際の人生や生活に活かすことができるものに変化していきました。無、なにも無いということ、ということですけど、これはとても大切なことだとこの著作を読んで思いました。
 過去の悪い感情を引きずったままの状態は心身に良くない影響を与えることもあるのでしょう。心の中に怒りや憎しみや悲しみが無いということ。「無いということが在るということ」。空はなにも無いのにもかかわらず、美しく、快く、安らぎを感じます。そのようなイメージが良き心の在り方なのかなと思います。野口整体では「天心」といいますけど、あの雲ひとつ無い空のように人生を生きることができたら、どんなに人々は愉快だろうか、と私は思いました。

野口整体とは、その人がその人になること

 最後の金井先生の半生の部分は、私はとても感動しました。個人的な感想ですが、私はその部分が一番面白かったです。野口先生の人生や生活については野口昭子の著作、『朴歯の下駄』でほんの少し知っていましたが、金井先生から見た野口先生像がとてもよく伝わってきました。やはり、野口先生という人物はとてつもなく凄い人だったのだなと思いました。野口先生は金井先生に「君は、君のをやればいいんだよ」とある日おっしゃったそうです。野口先生は若い頃、物凄い読書をしたそうです。ですから、言葉というものの効用についてよく知っていたのではないでしょうか。
 野口整体とはその人がその人になるための学問ではないかと、私は考えています。野口先生は金井先生が金井先生になるために必要な言葉をかけられたのだと思います。言葉というものが、どれほどの威力を持ってその人の人生を励ましていくかということは、読書人ではないとわからない、と私は勝手に思い込んでいます。そして数十年後、金井先生は独自の世界を確立されて、私達はその著作を読むことができます。私はこの二人の魂の絆みたいなものを感じました。

日本固有の文化は身体性

 私は旅行が好きで、世界のあちこちへ学生時代からコツコツとお金をためては行っていました。帰国する度に、私は日本という国は、なにか軸になるようなものが揺らいでいると思っていました。ただ、その原因は長い間わかりませんでした。最近になって、私はそれが日本人の身体性に関係があるというところに行き着きました。近代化しつつもギリシャにはギリシャ正教の文化があり、ペルーにはインカの文化が生き生きとしてあります。だから、様々な問題を抱えながらも、人々は元気で生き生きとしています。その国の固有の文化が生き生きと根付いている時、人間も元気なのではないでしょうか。日本の社会が病んでいるのは、日本人がその「固有の文化である身体性」を喪失してしまったというのは斎藤孝さんやこの著作でわかりました。近代化という波の中で、世界中で一番文化に打撃を受けたのはおそらく日本だと私はあちこち旅行してきた実感からして思います。

気のあり方は精神性の高さ

 私は漫画が好きでよく読むのですが、ストーリー上、気というものは、相手をふっとばすだけだと思っていました。しかし、日本の伝統文化や野口整体では気を配る、気を澄ます、気を練る、などといった生活の中での気のあり方を大切にしています。昔の日本人は日常的に感じていたからこそ、このような気の使い方や体を使った言葉などが残ったのではないかと思います。風の存在を信じるか、信じないかという話にはなりません。風は目に見えなくても、誰でも感じるからです。気の存在を昔の人は風のように感じていたに違いないです。日本人の身体性や感受性、気の在り方は世界にもまれな精神性高い文化です。日本の社会が今はどれほど不幸でも日本人には帰るべきところがあるのではないでしょうか!

虚構と真実の関係性

 社会学者見田宗介さんによれば、現代は虚構の時代だといいます。虚構とは人間が嘘の関係性を求めている、ということです。最近のニュースやテレビや小説の文学などを見れば容易にわかります。都市化や産業化や合理化などという近代化によって、人間の感覚が虚構を求めるように知らず知らずに方向付けられているからです。しかし、本当は人間には自然(本来的、普遍的)な状態があり、真実の関係性を求めているということは野口整体や金井先生の著作で確信をもつことができました。現代社会はこの虚構に向かう動きと自然に向かう動きがせめぎあっています。この著作はその社会の自然性を求める流れの一端として出された、と私の中で位置付けています。
 人々がまっすぐに通じ合い、自分らしく生き生きとした人生をおくれる時代を私は夢見ています。私はこの『病むことは力』という本がもっともっと多くの方々に読まれればいいな、と思っています。

(2004年8月13日)