『野口整体 病むことは力』 読後感

Kさん(静岡市在住 70代男性)

※Kさんは、元中学教師(社会科)、現在、少年院でカウンセラーをされています。
4月より静岡朝日テレビカルチャーの講座に参加されています。

 大変ありがたく読ませていただきました。はじめから一読、二読、三読ぐらいと考えていましたので、どんちんかんな感想になってしまうおそれなきにしもあらずですが、お許しください。

1,金井流「野口整体」のたちあげ、はじまりはじまりという感じということです。

野口整体の否定ということでは全くなく、野口整体の発展といったらいいのか、野口整体の新しい道の切り開きのはじまりといっていいのか、文中にもありましたが「君は君の整体指導をやればいいんだよ」という野口先生の言葉の見事な実践がこの本でなされつつある。そのことは、これからも更に続けられるということをこの本全体ではっきり示してくれている。特に終章の「日本の身体文化を取り戻す」で中途ではあるが新しい意気込みを感じることができた。
 又、本の各所で野口先生の含蓄のある言葉、文章を引用して、たしかめふまえて、金井流の考えを初心者、入門者にも分かるように(といっても言葉のもつ文章の表している、とてもとても深いところから云っていることの意味を体でとらえるということは―頭の先ではわかっても―ないと思うが)平易な適確な表現されていることからも「金井流野口整体」を創意しつつあると感じた次第です。

2、久しぶりに読み応えある本に出会えたという感じで、読んだあとに何回かそう快な気分を味あわせてもらっているということ。

 読んでいて、思わず本にひきこまれてしまい、途中まで読み込んで、ほっと一息いれて、時計をみると「あれ、もうこんな時間たったのか」と思う。
なぜ最後まで一息でとしないかは、いっきに読んで根気がなくなってきていることもあるが、それ以上に、いっきに読み終ってしまうことが惜しい気がするし、恐ろしいという思いがある。
書かれていることが−金井先生のおっしゃっていること、コメント、体験者(というよりは、じっくりと自己をみつめて新しい自分を創造しようとしている求道者という方がいいのかもしれない)のそれこそ、すごい「気と気のぶつかりあい」で迫力を感じさせられるからです。それが行間から伝わってくる。読んでいる方としては、これがたまらない。大事に大事に読んでいます。いいかげんな読み方はもったいなくてできないですね。だからといって固くならず肩の力をぬいて夏の暑さの一瞬の清涼剤という感じで二度、三度と読ませていただきます。

3、金井先生と求道者の方々との間に会話ではなく対話がなされている。

 金井先生が本の中で「人間というのは対話をしたい生き物」とか「対話の要求は大事な基本的欲求」という事を書かれていますが、まさにその通りで、そのことが実際に行われている。
だから言葉のひとつ、ひとつ文章の一節、一節が生きて迫ってくる。金井先生の求道者への気持ちの配慮、これは求道者だけでなく、あらゆる金井先生の周りにいるかかわりのある人への何気ない気くばりは、たとえお会いしていなくても感じとれる―ちょっと横道にそれた感じですが―
私自身が対話の中にひっぱりこまれて、「うん、うん」「そう!そうだよな」「それ、それ、それだ」「う〜ん了解、納得」「そうか!そうだったんだ」「がんばったなー(この言葉はつかいたくないが)」「ご苦労様でした、やったネ」とか、自分の腹の中や頭の中で応えている自分がいることに、ふと気づく。そして治る力がぐんぐん湧いてくる。
「自分がこうなったのは、自分がこういうわけでこうなったのかと理解する」ということの意味を理解することができそうです。

4、対話のもとに信頼がある

 このことはすべての心理療法の基本中の基本ですが、金井流野口整体でも、それは終始貫いている。それは金井先生の一つ、一つの言葉が「受け答え」でなく、人間信頼をもとにして、ていねいな「受け応え」がなされている。それが信頼感を根づかせ育んでいる。
だから深いところでの対話が続き、それがより深められ気づきが得られ、次から次へと発展していく。
従って、その人の人生を物語っているという背骨がゆるみ、心身がしなやかになり、それらが求道者の言葉や行動にあらわれていることが体験の記録にはっきり読みとることができる。そして「自分だけのゆるみでなく周りもゆるんで変ってゆく」全くそのとおりだと思う。

5、整体指導の中で最も大切とされる「愉気」ということ

「愉気の心」というところを無造作にちょっと聞いただけで
「愉気とはやわらかいもので、与え合うもの」
「愉気に始まって愉気に終る」
「愉気は祈りです」等等、私の黄色のマークづけの個処が次々とあらわれ、そのつど読み返させられる。そして全くそのとおりの感を強くする。言葉の一つ、一つの重みをこれでもか、ひしひし感じ腹の底へしまう。当にこの本を通して愉気してもらっている感じである。

6、終章「日本の身体文化を取り戻す」で感ずることを一つ

 それは心理療法についてです。
金井先生は素人目にみても、実に見事な本物の、これだと思える心理療法(野口整体はこれこそ心理療法だという心理療法のあり方をしめしてくれていると思う)を展開されている。
そこで心一辺倒の心理療法も見なおすべき時期に来ているのではと思う。
身体文化のところでふれられている「腰・肚文化」という日本的な立場からみなおして、純日本な心理療法が考えられていいのではないか
そういう観点から考えると、腰・肚の育成と共に「愉気」ということも、どんどん生活の中に根をおろし、利用されていくべきと思う。

 半分呂律のまわらない年寄が書かせていただきました。
以上感じたまま書かせていただきました。
失礼にあたることが多々おありのことと思いますがお許しください。
終りの方はなにか尻切トンボのような感じになってしまいました。
編集のたずさわっていただいた「さのさん」一面識もありませんがご苦労様でした。すごい本ができあがりました。
座右において読ませていただきます。
金井先生、ありがとうございます。只管 合掌