※Kさんは、元中学教師(社会科)、現在、少年院でカウンセラーをされています。
4月より静岡朝日テレビカルチャーの講座に参加されています。
大変ありがたく読ませていただきました。はじめから一読、二読、三読ぐらいと考えていましたので、どんちんかんな感想になってしまうおそれなきにしもあらずですが、お許しください。
1,金井流「野口整体」のたちあげ、はじまりはじまりという感じということです。
野口整体の否定ということでは全くなく、野口整体の発展といったらいいのか、野口整体の新しい道の切り開きのはじまりといっていいのか、文中にもありましたが「君は君の整体指導をやればいいんだよ」という野口先生の言葉の見事な実践がこの本でなされつつある。そのことは、これからも更に続けられるということをこの本全体ではっきり示してくれている。特に終章の「日本の身体文化を取り戻す」で中途ではあるが新しい意気込みを感じることができた。
又、本の各所で野口先生の含蓄のある言葉、文章を引用して、たしかめふまえて、金井流の考えを初心者、入門者にも分かるように(といっても言葉のもつ文章の表している、とてもとても深いところから云っていることの意味を体でとらえるということは―頭の先ではわかっても―ないと思うが)平易な適確な表現されていることからも「金井流野口整体」を創意しつつあると感じた次第です。
2、久しぶりに読み応えある本に出会えたという感じで、読んだあとに何回かそう快な気分を味あわせてもらっているということ。
読んでいて、思わず本にひきこまれてしまい、途中まで読み込んで、ほっと一息いれて、時計をみると「あれ、もうこんな時間たったのか」と思う。
なぜ最後まで一息でとしないかは、いっきに読んで根気がなくなってきていることもあるが、それ以上に、いっきに読み終ってしまうことが惜しい気がするし、恐ろしいという思いがある。
書かれていることが−金井先生のおっしゃっていること、コメント、体験者(というよりは、じっくりと自己をみつめて新しい自分を創造しようとしている求道者という方がいいのかもしれない)のそれこそ、すごい「気と気のぶつかりあい」で迫力を感じさせられるからです。それが行間から伝わってくる。読んでいる方としては、これがたまらない。大事に大事に読んでいます。いいかげんな読み方はもったいなくてできないですね。だからといって固くならず肩の力をぬいて夏の暑さの一瞬の清涼剤という感じで二度、三度と読ませていただきます。
3、金井先生と求道者の方々との間に会話ではなく対話がなされている。
金井先生が本の中で「人間というのは対話をしたい生き物」とか「対話の要求は大事な基本的欲求」という事を書かれていますが、まさにその通りで、そのことが実際に行われている。
だから言葉のひとつ、ひとつ文章の一節、一節が生きて迫ってくる。金井先生の求道者への気持ちの配慮、これは求道者だけでなく、あらゆる金井先生の周りにいるかかわりのある人への何気ない気くばりは、たとえお会いしていなくても感じとれる―ちょっと横道にそれた感じですが―
私自身が対話の中にひっぱりこまれて、「うん、うん」「そう!そうだよな」「それ、それ、それだ」「う〜ん了解、納得」「そうか!そうだったんだ」「がんばったなー(この言葉はつかいたくないが)」「ご苦労様でした、やったネ」とか、自分の腹の中や頭の中で応えている自分がいることに、ふと気づく。そして治る力がぐんぐん湧いてくる。
「自分がこうなったのは、自分がこういうわけでこうなったのかと理解する」ということの意味を理解することができそうです。