近藤(啓哲塾塾生) 色々なものの時間の速度というのが、人間の生命の速度とは全く違う時代なので、ヨーガも野口整体もゆっくりなのは、生命のリズムでやるからなんですね。
金井 そうですね。判りやすく言えば、東京から熱海まで東海道線で乗ってきますと、平塚あたりから風景が違ってきますね。東海道線の各駅停車で来るとですね、人間らしさを感じるのですが、新幹線で半分の時間で来ると感覚が違いますね。要するに、「ひかり」さらに「のぞみ」という速度は、やはり自然から離れるんですね
近藤 ですから、そうなってくると、普段の現実で生きている自分と野口整体やヨーガをやって生きる自分と、統合していくのがとても難しいんですね。
だから、ヨーガをやっているときはヨーガで、会社に戻ると、それは打ち捨てて、会社の生活をする。そうすると、生活全体が自分として一つの統合性が取れていかない難しさというか。
友永 せめて自覚して、そういう時間を持つことによって心身の統合を計ることが大切かと。
――「この時間はこれだけど、この時間はこれ」と、本来はヨーガも野口整体も現実との連続性を持った根本の部分なのですが、現実との折り合いのなかでクラスが終わったら、「終わった。楽しかった」ということで処理してしまっている。
金井 そうですね。そこら辺が難しいですね。私なんかは、二十四時間野口整体の指導者の生活をしていると思うんですね。
寝る時も、ちゃんと明日の為に、体を弛めて、出来れば脊髄行気法が出来る状態で寝ようと心掛けています。休むことも、働くことも、考えることも一日中、仕事の為にある。それは考えてみれば、昔の職人さんはそういう生活をしていたと思うんです。
友永 そういう中に安らぎがあったと思うんですね。
金井 昔の大工さんは、家を建てる途中に、ずっと腕組をして考えている。施主からすれば、「もうどんどんやってくれないかな」と。だけど、遊んでいるのではなく、設計図で説明したりはしないけど、自分の中でずっと考えていて、良いものを造ることができたんです。そういうのが職人の生活で、私もそれをやっています。
友永 私も、そういう意味では、一日中瞑想状態です。ほんとそうですよね。寝てるあいだだけ。
金井 ヨーガ漬物(笑)。
友永 寝てる時もその状態(笑)。
――生徒さんがヨーガや野口整体の学びをうまく社会にフィードバックできる方法論というのはどうでしょう。
友永 そうですね、そういう教えは一杯あるんですね。例えばどういう仕事であっても、それに没頭してる、専心してる状態というのは、時間の流れは随分違うと思います。ゆっくりな呼吸をしていれば、どんなに忙しい時間を過ごしていても、意識はゆったりといられるのです。実質的には分刻みに動いていても中身は全然違ったものになります。そういう時の流れの質の変化というのがあると思うんですね。
そういうことをヨーガは教えているんだと思います。
金井 野口整体の「全生思想」という意味は、全力の発揮なんですけど、統一体を以て、本気でやるということですね。
やはり戦後、アメリカ的な考えが入ってきたと思うんですけど、自分の労力を時間で切り売りするような考え方ではなくて、全身全霊で物事に向き合うという。禅では「随処作主」と言いますけど、そういうことがかえって仕事や人生に喜びをもたらすんだというかね。