QアンドA43

「疑問文解析Decomposing Questions」が解く
日本語とシンハラ語の疑問接辞の一致




 「疑問文解析Decomposing Questions」はポール・アラン・ハグストロムPaul Alan Hagstromがマサチューセッツ工科大の言語哲学博士号を取得するために1998年に書いた論文です。202ページの本論で直接のテーマとされたのは日本語とシンハラ語の疑問接辞-日本語の「か?」とシンハラ語の「ダ?」の関係。P・A・ハグストロムはHagstrom両者が対応関係にあることをこの論文の中で検証しています。


No-43 2005-Sep-02 / 2006-11-20 2015-July-09

日本語の「か?」、シンハラ語の? /ダ?


    ハグストロムが「疑問文解析」で検証するのは、なんら系統的に関係を持たない二つの言語においても普遍的に存在する言語法則があると言うことです。言語に普遍性を見出すハグストロムの手法はチョムスキー理論の実証研究の流れに乗っています。
 ハグストロムはその検証実験のためにシンハラ語と日本語を選びました。言語系統ではシンハラがインド・アーリア語族に属し、日本語は系統不明のあおりで日本語族とされています。何らつながりのないふたつの言語に普遍性はあるのか。あるなら、それは何か。
 疑問文をつくる疑問接辞(シンハラ語の「ダ?」、日本語の「か」に特に集中してハグストロムは共通性をさぐります。そして、ふたつの疑問接辞の文中での位置、その移動という現象から、日本語とシンハラ語に内在する普遍性を指摘します。
 この論文は、しかし、その普遍性の実証があまりに見事だったために、別の意味合いを持った視点から読むこともできます。実は、ハグストロム自身が感嘆してしまっているのですが、日本語とシンハラ語はあまりに似ているのです。すべての言語は普遍的universalな原理grammarを備えて生じるチョムスキー理論Noam Chomsky's UG theoryを実証的に検証しようとしたら、日本語とシンハラ語という個別の二言語が、なぜか普遍を超える次元で瓜二つだったのです。

 この論文が発表される前から日本語とシンハラ語の疑問接辞Question marker(日本語の「か?」、シンハラ語の「? /ダ?」のこと。以降、Qと表記) を比較する作業は行われていました。「疑問文解析」が発表される前は、例えば岸本秀樹の「シンハラ疑問文におけるWh-in-situとその移動」Wh-In-Situ and Movement in Sinhala Questions/1998や「シンハラ語におけるパイド・パイピング」LF pied piping;Evidence from Sinhala/1992に見られるように、米国で言語研究をする日本人研究者による日本語=シンハラ語の比較論考が多かったのです。いくつかのシンハラ語と日本語の比較研究がこの「疑問文解析」によって集大成される形になりました。
 「疑問文解析」はそれまでの諸研究の剽窃をしているともみられたようです。ハグストロムの「成果」を日本人研究者のシンハラ語研究業績の横取りと捉え、引用ばかりで目新しい成果はないとされることも少なくありません。
 そこには視野の広さと着想の斬新さが確かにありました。言語を捉える視点は独創的です。最小に評価しても論文の読み易さ、説得力が他を凌いでいることは間違いありません。
 「疑問文解析」のテーマの一つは次の指摘に集約されます。

  ---疑問文においてQが節の内部から節の外部へ移行するという統語論上の移動が起こることがある。この現象は日本語(古語を含む)、シンハラ語、沖縄主里方言などのwh-in-situ言語に特徴的に現れる。

論文を検証する

 具体的に論文を見てゆきましょう。「疑問文解析」は日本語の「か?」とシンハラ語の「ダ?」の特性を次のように記述しています。

 日本語の「か?」とシンハラ語の「ダ?」は文の中で同じ位置に置かれ、基本的には文末に位置する。また、シンハラ語では疑問詞「ダ?」と連携する動詞との関係で、つぎのような意味の違いが生じる。
※ダの表記はd

mokak d waetuna
  何か  落ちた。

mokak d waetune?
  何か  落ちた?      
 (
シンハラ例文は Decomposing Questions 20a 20b / Paul Alan Hagstrom)
      ※日本語文は「かしゃぐら通信」の訳

 落ちた」という動詞の活用語尾の音節がnaかneかに変化することで平常文-na、疑問文-neの違いが生じます。動詞語尾の母音がAなら終止形、Eであれば打消しを作る未然形を作ります。
 
 シンハラ語ではQ が文の中に置かれると、これに呼応する動詞語尾は二通りに変化する。上の文例でwaetuna waetuneとあるように、平常文ではA形、疑問文ではE形を取ります。
 ハグストロムが注目するのは疑問文に現れるE形の動詞語尾です。この語尾の母音変化を首里方言、古語日本語に現れる「かかり結び」の語法に沿って解析したのです。シンハラ語の疑問文は「かかり結び」で作られる。「かかり結び」の動詞はE形で終わる。それがシンハラ語の係り結びのルールだとハグストロムは言うのです。

 この解析は菅原真理子の「沖縄首里方言に見られる係り結びの研究」Shuri Okinawan kakari-musubi and movement / 1996にヒントを得たようで、それまでシンハラ語のWh移動を調べていた日本人研究者たちには思いもよらない捉え方だったはずです。シンハラ語の動詞語尾変化を「係り結び」という江戸時代の和文法で解いたのがアメリカ人である。いやがうえにも印象に残ります。日本人研究者の誰もがこのシンハラ語動詞の疑問文におけるE形現象を指摘していましたが、それを「係り結び」に結びつけるとは奇想天外だったのです。


シンハラ語の係り結び

 「疑問文解析」で興味を引くのはQ(疑問の助詞)と疑問代名詞の位置関係に触れた部分です。
 例えば、「あなたが読んだのは誰が書いた本だ?」と聞く場合、シンハラ文では

    oyaa kieuwee kauru liyaapu pota da?
  オヤ   キヤウエー   カウル   リヤープ   ポタ ダ?
 
あなたが 読んだのは が 書いた 本 だ?

 となります。シンハラ文は日本語文のように文の随意の場所に単語を移動できますから、これは、

    oyaa kieuwee kauru liyaapu pota da?
    oyaa kauru liyaapu pota da kieuwee?
 オヤ   カウル   リヤープ   ポタ   ダ  キヤウエー?
 あなた、が  書いた  本 、 読んだのは?

 とも言えます。シンハラ文では単語が自由に文の中を移動しますが、ここで「kauru liyaapu pota da 誰が書いた本だ?」という句は語順を変化させません。修飾語は非修飾語の前に位置するという原則があるからです。
 でも、主語のoyaa(あなた)と述語のkieuwee(言ったのは)は入れ替わることができます。また、シンハラ語は日本語のように主語を省ける言語ですからoyaa(あなた)はなくても良い。だから、

 kieuwee kauru liyaapu pota da、(oyaa)?
 キヤウエー  カウル   リヤープ   ポタ   ダ 、(オヤー) 
 
読んだのは  が 書いた  本  だ(?)、あなた

 でも良いのです。
 この文では kauru と da のあいだに liyaapu pota が入っていますが、シンハラ語では本来 kau-da のように言って「誰か?」を表します。疑問代名詞とQは直接に接触するよう配置されます。「誰が来たか?Kau aawa da?」ではなく「誰だ?来たのはKau-da aawe」のように「誰Kau」と「だda?」が必ず隣り合わせに置かれます。それで、上の文は次のようになるかとも思えます。

oyaa  [ kau d  liyaapu pota ] kieuwe?
 あなた [だれ  書いた本]を   読んだのは?

   でも、これではシンハラ文として成り立ちません。例文のように「あなたが読んだ」という句が入るとkauruとda が、どうしてか、分かれてしまのです。

 この引用シンハラ文は岸本秀樹の論文を出典としています。これに対して、宮岸哲也は‘埋め込み文‘がない場合でもQ(疑問の接辞)が文末に置かれる例を次のように示しています。‘埋め込み文‘とは「疑問文解析」がislandと呼ぶ文のまとまりのことです。

  ebandu aayittam paelandiimaTa  maTa  kawadaa iDa  laebee da?(mw.29
   
こんなドレスを      着ることに  私(にあって)は いつ   機会を 得る か?
           
 (語順から見た目本語とシンハラ語の対照  宮岸哲也) 
                 ※太字・訳文は「かしゃぐら通信」による

  [dha --- 動詞語尾e形]のkawadaadha iDa laebee?ではなく、[動詞e形+dha]のkawadaa iDa laebee da?となっているのでこの疑問詞疑問文に係り結びの法則は適用できません。


Qを拡大解釈する

 「疑問文解析」のQは、こんな風にも展開します。

 誰-が 来る の?
 誰-が 来る んだい?  
   (Decomposing Questions p16 3a.b) ※アルファベット表記を日本文字に転換

 どこにQがあるのでしょう。
 「の?」「んだい?」がQなのです。このような新しい「疑問の助詞」の発見が論文に登場します。これは日本人研究者による先行論文の文例からの引用です。この文例を紹介しながら、「の?」「んだい?」をQとすることに対してハグストロムは慎重なスタンスを取っています。「の」は「のですか?」が省略された形である、と言っています。
 割と頑固なようです。その頑固な研究者が、はるかにすっ飛んでいるとしか思えないシンハラ語の「かかり結び」を懇切丁寧に証明しています。

 しかし、「来るの?」は、その内、本当にQとなる日が現れるかもしれません。
 それは日本語の間投助詞の「ね」が、そのままシンハラ語で使えて、

 Oba  enava  ne?
 あなた、 来る   ね?

 のように並べることができる事例があるからです。シンハラ語の「ネ?」は付加疑問を表します。日本語も「ね」は念を押すばかり(強調)ではなく付加疑問のように使う場合があります。話者が相手に同意を求める疑問文のQはシンハラ語も日本語も-ne?なのです。
 日本語の「ね」は語尾上がり、語尾下がり、どちらで発話しても使えますが、シンハラ語の「ネ?」は必ず語尾上がりです。

【補足】
 仮説として「疑問文解析」は次の諸点を挙げています。
p.38 / Decomposing Questions / 1971 Paul Alan Hagstrom
 1 日本語の「か?」、シンハラ語の「ダ?」、沖縄語の「が?」は同様のQ(疑問マーカー)である。
 2 Q(疑問マーカー)は節の内部から節の周辺に移動する。
 3 Q(疑問マーカー)の移動は三つの言語
(日本語、シンハラ語、沖縄語)で同様に生じる。
 4 日本語の「か?」移動は明白に起こり、シンハラ語の「ダ?」、沖縄語の「が?」では条件によって明白である場合とそうでない場合とがある。