刑事裁判傍聴レポート

 

(場所)大阪地方裁判所 第504号法廷

(罪名)業務上過失致死

 

 第504号法廷へ向かって行くと、廊下の椅子に腰掛けている一人の青年とその両親の姿が目に映った。そのとき私は、以前裁判を傍聴しに訪れたときと同じ光景であることに気づき、同世代の人間の犯した罪を再び目の当たりにすることに心が締め付けられた。

 去年の11月 私が傍聴した裁判は、罪名窃盗・建造物侵入だった。証人尋問を傍聴することができたので、犯罪に至るまでの被告人の生い立ちや犯行時の気持ちなど細かい情 報が得られた。被告人は私立高校に通っていたが、父親の会社が倒産したことによって経済的に苦しい状況になったことを悟り、テストを白紙で出し高校を中退 した。それから、被告人は次第に悪の道へ入り、更生の機会を与えられたにもかかわらず、三度の罪を犯したのである。法廷では、被告人と証人である母親のす すりなく声が響き渡っていた。

 今回傍聴した裁判は新件だったので、詳しい状況を聞くことができなかった。しかしながら、罪名を見たときに前回と大きく異なる点が胸に突き刺さった。目の前にいる被告人は、故意であろうとなかろうと、一人の人間の命を奪ってしまったのである。

 被告人は、○○大学の4回生である。ピザ配達のアルバイトをしながら大学生活を送っていた普通の大学生だった。しかし、この青年の人生は、平成17年×月××日一転した。被告人は原動機付自転車で走行中、JR△△駅へ向かって歩行中の61歳の女性と衝突し、転倒させ、目撃者によって通報され、現行犯逮捕された。その後、被害者の女性は病院で死亡した。被害者の要求と保険会社の言い分に差があり、示談はまだ成立していないようである。

 あの日事故が起きていなけれ ば、今この瞬間も私たちと同じように平凡な大学生活を送っているはずの一人の大学生が、これから一生抱えていかなければならない苦しみは計り知れないと感 じるとともに、私たちはあらゆる可能性と隣り合わせの中で生きていることを改めて考えさせられた。事故の被害者・加害者、事件の被害者、突然の病、身体障 害など、気を付けていれば免れることができるとは言い切れないことは大いにある。最近では、罪のない幼い子供たちが被害にあう事件が多発していることもそ の一例である。

 それぞれの心の痛みは、時間が 戻らなければ、解決しがたいかもしれない。けれど、彼らはそれらを背負ってこれからも生きていかなければならない。そうすると、奇跡的に生きている私たち は、彼らの心の痛みを理解し、彼らが苦しみを抱えながらも懸命に生きていくことのできる社会を築いていかなければならないのである。self labeling(内側からレッテルをはり、自らのアイデンティティを変えてしまう)という言葉を知ったとき、社会を構成している私たち一人ひとりに、他の人々を支える責任があると感じた。そして何より、彼ら自身が苦しみや悲しみによって道を踏み外すことなく、真っ直ぐ歩んでいくことが大切であると思う。

 一方、交通ルールを守り、普段通りの道を歩いていた女性が突然命を奪われたこと、遺族の深い悲しみを忘れてはならない。加害者だけが苦しいのではないのである。

 前述の心の痛みを持つ者とし て、私は事件の加害者を含めないことに躊躇したが、やはり含めなかった。前回傍聴した事件では、高校を辞めると決心した被告人には両親を気遣う優しさがう かがえたが、どうしてその後犯罪に手をそめたのかは理解できない。少年犯罪の原因は家庭内の問題が大きいと言われている。しかし、一概に家庭に問題がある から、罪を犯してしまうとはいえない。両親の離婚や虐待など同じ状況におかれていても、自分をしっかり持っている人間は罪など犯さないはずである。犯罪の 抑止要因として、attachment(愛着) commitment(義務) involvement (巻き込む)belief(信念)が挙げられるが、犯罪を抑止できないのは心の弱さにあるとしか考えられない。どんなに自分が辛い立場であっても、他人の権利を奪う自由はどこにもない。そう思う反面、その心の弱さを生み出してしまった環境にも問題があり、改善しなければならないことも頭に過ぎる。

 裁判所に足を踏み入れることで、様々な思いに直面した。どうすれば、苦しみや悲しみを抱えなくてもよいような社会を生み出すことができるのだろうか。これは今後も私たちが抱えていかなければならない永遠の課題である。