加賀・能登の基点として金沢駅には、旅人、通い人、送る人、迎える人たちがたくさん行き交います。
その傍らで、この人々の「情」と「縁」の交錯を、静かに見守ってきた神々がいます。
■ 場 所 ■
JR金沢駅西口の左手の森の中にあり、このあたりでは一番駅に近い神社です。
■ 由 来 ■
平岡野神社は古来、山王の杜または山王明神と称されていました。祭神は、
伊弉冉尊 (いざなみのみこと)、
大山昨神(おおやまくいのかみ)、
大国主尊(おおくにぬしのみこと)、
の三柱(下記参照)とされています。
「山王社略記」によれば当時は七堂伽藍がそびえ立ち、その美を極めていたようです。
しかし、「源平盛衰記」や「大日本史」に記されているように、
ここも戦場の地となり、数度の兵火を受け
やがて荒廃してしまいました。
その後、加賀の国主富樫氏による累代の崇拝、また元応元年に足利尊氏が、
「愛染明王図絵塔婆(下記参照)」を奉納し息災延命、武運長久を祈願したこと、
さらに前田利家や桃井直和、佐久間盛政らの武将達も戦勝を祈願し、
社料や刀剣を奉納した記録などが多く残されています。
これらによって郷民の崇敬も高くなり、「金府産神祭礼記」には
旧暦九月七日の山王祭の当社神輿は、金沢城下はもとより郡地を渡御し、
城下一体の総祭のようで、大変な賑わいを極めていたと記録されています。
明治維新の頃「日吉社」、その後 平岡野木立林の地名にちなんで「平岡野社」となり、
さらに明治7年に石川県通達によって「平岡野神社」となり現在に至っています。
平岡野神社に祀られている神々たち
◆大山咋神(おおやまくいのかみ)◆
京都の「松尾大社」に祀られ、山の頂にいて麓に広がる田畑を守る神とされていますが、
この松尾の神は酒造家の尊信が篤く、「お酒の神」として祀られています。
◆伊弉冉尊(いざなみのみこと)◆
夫婦和合の神。世の中の万物は、男女の正式な婚姻により、
お互いの意志に基づいて創造されるべきものとされています。
◆大国主尊(おおくにぬしのみこと)◆
出雲大社の主神で、多様な才能を持つ国作りの神であり、
また「誰と誰との縁をどのように結ぶのか」を
「縁結びの最終決定」するのが大国主尊。
つまり、この神を祭って神前結婚するのが夫婦円満の道とされ、
あるいは縁に恵まれない者が、この神に願うと良い縁談がやってくるといわれています。
当平岡野神社の、宝物である「愛染明王図絵塔婆(下記参照)」の愛染明王も、
「恩愛」「愛のほとけ」として信仰されており、恋愛や縁結びの祈願成就の神社とされております。
金沢市指定文化財
愛染明王は、不思議な「仏教尊」といわれています。全国でもこの明王の信仰は盛んで、
密教において不動明王についで数多く重要文化財があります。
しかし、その起源はきわめて不明瞭で、インド、中国でも確かな造形遺品を確認することができません。
この明王は平安末期から突如脚光を浴び、以後日本で独自の展開をすることになっていきます。
愛染明王は、愛欲貧染、愛欲をむさぼる心を、清浄な悟りに至らしめるほとけであるといわれています。
激しい形相をしているにもかかわらず、「恩愛」「愛のほとけ」として広く信仰され、
ことに「男女の愛」にかかわるイメージが強く、また息災、調伏、天変地災に対する祈祷にも愛染法が用いられていました。
神秘的で周囲を覆われている雰囲気もありますが、新しいところでは 手に矢を持っている姿から、
「ローマ神話のキューピットを模したもの」→「求愛縁結びの神では?」
という解釈もあるそうです!?さらに、矢口大獅子舞(下記参照)の衣装にも、大きく「矢」の字が入っており、
なにか因縁があるのかもしれません・・・・・・・・。
宝暦9年(1759)四月十日、金沢市内に発生した大火は、目抜き通りのほとんどを焼き尽くし、 その時、「矢口の火消し」が御殿の塀を乗り越え、必死の消火に尽くしたので、
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