「孤立のアフガン」講演録
中村哲さん(ペシャワール会)

 

930日 福岡の河合塾福岡校にておこなわれた講演会

 

 

以下はamlというメーリングリストに投稿されたものです

http://www1.jca.apc.org/aml/200110/index.shtml

 
一人でも多くの人に中村氏の講演内容(知られざるアフガニスタンの内情)を伝えたい

今から22年前のカンボジア難民救援活動を思い出します。カンボジアでは他
国の侵略による難民でした。今回も平穏を取り戻しつつあったアフガニスタンが
再び他国の侵略・恫喝によって難民が急増しようとしています。干ばつで疲弊し
100万人も死者が出ているとされるアフガニスタン国民に対し、アメリカはテ
ロ対策の大義名分によって報復戦争を仕掛けようとしています。私たちに何かで
きないものでしょうか。
下記の講演録は、読みやすいようにまとめればよかったのですが、一刻も早
く、まわりの方に伝えたく、話し言葉をそのまま書いた状態になっています。で
すから、読みにくいところが多いと思いますが、新聞報道では見えてこないアフ
ガニスタンの内情、タリバンに対する評価、テロがなぜ発生するのかなど理解す
ることができます。中村氏の話は非常に貴重な話だと思います。要旨を理解して
いだければ幸いです。(永松)

 

 

 普通の人々がこの内戦の中をどういう暮らしをしてきたか。どういうことで怒
り、どういうことで楽しんできたのかを紹介しまして、質疑応答を受けたいと思
います。


 私たちは、ペシャワールというパキスタン北部の国境の町に基地病院を持って
いまして、この基地病院を基地としまして、アフガニスタンに8カ所、パキスタ
ン側に2カ所合計10カ所の診療所を運営しています。年間の診療者数は約25
〜6万人くらいでしょう。まず最初にお伝えしたいのは、一年以上アフガニスタ
ンはもう何世紀に一度あるかないかという大干ばつでして、去年の5月WHO発
表では1,200万人が被災していて、そのうち飢餓状態にあるのは約400万
人、死ぬであろうと言われたのは約100万人。確かにこの一年振り返ってみま
すと、おおざっぱな印象ですけれども100万人は死んだだろうと思います。し
かしこのことはほとんど日本では話題にならない。決して犠牲者の数で悲惨さが
分かれるわけではないですけれど、現地では、何千人アメリカで死んだっていっ
たって、みんなはそういう数字に麻痺しているという状態ですね。特に子どもお
年より弱い人たちですね女性、こういう人たちが(干ばつの?)犠牲になってき
たわけですね。

 私たちが、去年アフガニスタン国内の診療所建て直しを本格的に始めたりして
いる。よくもまた患者が多い。しかも下痢で子どもがどんどん死んでいく。聞い
てみると、どうも水がない。水がないために何時間もかけ離れた遠くから運んで
くる。食べ物がないだけですとよそから食べ物を運んできて食いつなげばいいわ
けですが、水がない所の生活です。食器が汚れるため赤痢がはやる。コレラがは
やる。ばたばたと子ども達を中心に犠牲者が出ていたんですね。私たちは、お医
者さんがこんなことを言っちゃいけませんけれど、病気は後で治せると、先に生
き延びてもらうという状態で、死んだ家畜を売り飛ばして難民化する。廃村が次
から次へと広がっていったという状態であった。私たちペシャワール会にとって
過去最大の活動になるということで腹をくくりまして、去年の七月から現在に至
るまで約660カ所で水源確保の作業を進めているわけです。そのうち8月末時
点で550カ所で水を確保しました。何とか20数万人の流民化といいますか、
村を捨て難民化する以外ないわけですね。その難民化もパキスタン国境で阻止さ
れるという状態で、ともかくも難民を出さない事業が先だということで、最大の
事業を干ばつ対策においてきたわけです。地域によりましては、伝統的な水路の
復旧によって、いったん難民化した1万数千名が再び村に戻ってくると、小麦畑
が復活するということも起きております。こういう中で今度の事件が発生したわ
けですね。

(スライド次)住民総動員で復旧作業というか飲料水の確保が行われていまし
て、これを年内にちょうど、、、これではかったるいと我々の作業というのはせ
いぜい福岡県を2つ3つあわせた程度の地域でアフガニスタンの東部の一部の地
域でありますが、1000カ所を目指して、・・・・診療施設、・・・全体が現
在難民キャンプと化している状態で、元からいた・・・・市民はほとんど残って
いない。せいぜい2〜3割が残って細々と暮らしている程度で、ほとんど・・・
の市民は場末に生活しておる貧民あるいは干ばつで逃れてきた避難民で埋め尽く
されている。しかもまともな医療活動が全くない、あっても事務所だけがあって
まともな診療が行われていないというのが実態でありまして、我々としてもこれ
は何とかしなくてはならないということで、今年の二月から臨時診療所を五箇所
開設しまして、それでも足りないということでさらに五カ所合計10カ所を開設
する予定にして帰ってきたところにこの事件が起きたわけですね。
 こうして、アフガニスタンは瀕死の状態のところに又この戦争に巻き込まれる
いう可能性が出てきまして、我々ペシャワール会としてはここが最大の山場であ
るということで腹をくくっておるわけでございます。


(スライド次)この18年の動きを簡単に紹介することが、アフガニスタンの理
解を深めることになるのではないか。まあ人口が何人だとか、政治の動きがどう
だとかは全部新聞とかに紹介されておりますので、伝えられない普通の人々の現
実を伝えたいと思います。ペシャワール会は、18年前の今頃結成されまして、
ずっと活動を続けておるわけですが、これは全部かボランティアの団体でありま
して、現在、年間一億円規模で運営されていますが、一億円というとODAに比
べて、随分少ないように思われますけれども、私たちの特徴というのは、組織維
持に金をかけないと、という方針でありまして、設備投資を入れますと、96%
以上が現地に送られます。当たり前じゃないかとみなさん思われるでしょうが、
名前を挙げませんけれども、大きなNGOだとか国連団体になりますと、組織維
持にお金がかかるわけですね。たとえばある国連のプロジェクト、ペシャワール
のユニセフパキスタンは、募金の9割が国連職員の給与に充てられて、残りの一
割でプロジェクトがされている。それから又現地の職員の給与、彼らがジュネー
ブに行く費用を引きますと、わずか、みなさん100円募金したとして、これが
2円か3円が届けばいい方で、これが普通なんですね。これは何も国連だけでは
なくて、大きなNGOがそうで、組織維持に莫大なお金を持ってくるということ
で、ペシャワール会は確かに事業額は決して大きいとは言えないけれど、数十倍
する・・・があるということで、私たちとしてもこのボランティアの力がです
ね、これだけみんなの力を寄せればこれだけのことができるんだということで、
一つの支えでもあるわけです。


(スライド次)現地のことでなかなか日本人が理解しにくいことを多少お伝えし
ますと、現地はですね。地図で見ますと、日本の面積の1.7倍で広いようです
が、大半が・・・・山岳地帯ですね。パミール高原から東にのびるアラル山脈?
西にのびる・・・・ヒンズークシ山脈、世界の屋根の西の翼を形成していまし
て、大半がヒンズークシ山脈6千メートル5千メートル、7千メートル級の山が
国土全体の大半を覆っている。空から見ると美しゅうございますけれど、私たち
の活動は、山間の谷をカニが這うように少しずつ診療範囲を拡大していっている
んですね。一番遠い診療地域で、片道一時間かかるくらいのは決してまれではな
い。自動車が通るところは恵まれたところでして、電気もない、タリバンがテレ
ビを禁止していて、みんなテレビも見ていないといいますが、だいたい電気の恩
恵にあずかる地域というののがアフガニスタンのわずか数%でございます。ほと
んどの人は電気電力が使えないんですね。この間の報道を見ていましたら、タリ
バンという悪い政権があって、みんなを抑圧して報道管制をしていると、曲がり
なりにも国家組織が整備されているところはいいですけども、こういうところ
で、報道管制ができるほどの・・・住民がどうやってニュースを知るかといいま
すと、BBCニュースの現地語放送パシュトゥ語を聞くわけですね。それでかな
り正確な情報を持っていまして、決して報道管制ができるわけではないというこ
となんですね。


(スライド次)ご存知のように100%がイスラム教徒でして、みんなの生活が
モスク(キリスト教でいう教会に相当する)を中心に地域の共同体があるという
社会でありまして、イスラム教を抜きにして、アフガニスタンを語れないだろ
う。イスラム教徒といえば、悪いイメージばかり新聞に載りますから、事件が
あったときだけが内乱テロ事件そういうことばかり載りますから、何か血なまぐ
さいイメージを持っていますけれども、現地に17おりまして、イスラム教徒と
いえども普通のおじさん、おばさんなんですね。ただ彼らにとってイスラム教と
いうのは、一つの精神的な伝統的な支えでありまして、これを抜きにして彼らの
ことを考えることはできないですね。イスラム教というのは国際的な宗教であり
まして、大部分の住民にとっては、地域を超えて、国家的な価値よりも宗教的な
価値の方が優先される社会なんですね。私たちの活動でいいますと、ハンセン病
の患者が地域で迫害されているというときにどうするかといいますと、人権団体
に訴えたり、政府を告発したりすることは、まず考えられない。・・・・・・
我々が考えるのは、近代国家があって、みんなが国民投票をしてという社会では
ないわけです。

(スライド次)いまは遊牧民が壊滅状態にありまして、こういう光景は少なく
なってきたわけです。つい一、二年前、アフガニスタンの農村で普通に見られる
風景なわけです。地域によっては、どう考えても人々の考えは10世紀は変わっ
ていないのではないか思われるところがある。シルクロードの昔からこの流通機
構を握っているのは、依然として、このラクダの隊商遊牧民でありまして、何が
言いたいかというと、この人達にとっては、この人達の生活、ものの考え方、喜
びとか悲しみとあるんですね。私は曲がりなりにもお医者さんですから、患者を
相手にするわけでして、患者というのはその地域の人間なんですね。みんなが地
域の人々が、どういうことで怒るのか、どういうことが悲しいのか、どういうこ
とが喜ぶのか、ということを知らないと、臨床医学というのは成り立たない。患
者とお医者さんとの関係が成り立たない、その理解に非常に時間がかかるという
ことなんですね。

(スライド次)貧富の差が非常に甚だしい。たとえば、うちの病院を見ても
210数名の現地スタッフの中で日本円にしてわずか5、6千円程度でございま
す。これもいい方だという話です。物価が安いですから、そのまま貧困指数には
なりませんが、上は日本のお金持ちがびっくりするくらいお金を持っていてこの
差がどんどか広 がっていく、一握りのお金を持っている人々は、ちょっと風邪を
引いただけで、ロンドンやニューヨークに簡単にいける、ところが、一般の民衆
というのは、わずか何百円あれば助かるという人が、ほとんど死んでいく。とい
う中で、私たちが、・・・・するのは、いかに少ない金でいかに多くの人に恩恵
を及ぼすか、現地流の医療を考えざるをえないという地域です。

(スライド次)アフガニスタンは多民族国家と。主な言語集団だけで130あ
る。だからコミニュケーションが外国人にとっては、非常に難しい。英語をしゃ
べれる人はほとんどいない。という中で、外国人が接することができるのは、ご
く限られた一部の有産階級、お金持ち非常に恵まれた一部のエリート層としか接
することができない。それで、何かあると外国に・・・・ていく、こういう人た
ちがアフガン・・・というパターンが定着していまして、マスコミの取材攻勢と
いうのは決まっていて、だいたいこういう人たちの意見を中心とするアフガニス
タンの見方は日本側にも定着しています、ということが言えるわけです。アフガ
ニスタンは多民族国家でありますが、アフガニスタンという同一性は非常に強固
なものがあります。長い目で見た国際環境というのが日本とよく似ていて、日本
は明治維新で北からやってくるロシア、南からやってくる英米、オランダ、フラ
ンス・・・サンドイッチの中で、国が潰されるかどうかというときに明治維新を
行って何とか独立を保ってきた。という経緯はアフガニスタンも同じなわけです
ね。北からロシアが陸路で攻めてくる、南からは、三度にわたってイギリスか
ら・・・その中で山間部によりまして、これを撃退すると、・・・・アフガニス
タンというと住民は誇りを持って民族超えてアフガニスタンという同一性は非常
に強いものがあります。なにせ多民族国家で部族同士の争いがある。これは内輪
もめでありまして、外国人がとやかく言うものではありません。私たちはあらゆ
る勢力と距離を置いて、まず患者のことに専念すると、いうことに力を尽くして
きましたが、言葉の壁というのが外国人の現地理解の非常に大きな障害になって
いるわけですね。パシュトゥ語ペルシャ語・・・・語最低3つは知っていないと
現地でコミニュケーションができない。私たちの活動はハンセン病の根絶計
画・・・7年前のハンセン病治療センターを・・・当時2400名の患者が現在
7000名に膨れておりまして、最終的にはどんどん増えていまして、・・・・
治療センターという代物ではない。ある程度の物療は大切だということでペシャ
ワール会の活動がにわかに活発化してきたわけです。

(スライド次)現在、少なくともハンセン病に関しては、私たちの所に送ってく
れれば、パキスタン北部アフガニスタン全土で、合併症で、ハンセン病というの
はですね、末梢神経とか、目や皮膚をおかす、どういうことかといいますと、麻
痺の回復する手術、失明する人のために単に薬をやれば収まるということではな
く、整形外科、形成外科、神経病科、皮膚科だとかで・・・・うちに来れば何と
かなるというところまできました。確かに医療活動しているなということにはわ
かりますけれど、実際、私たちの活動は氷山の一角でありまして、大部分は医療
とは関係のないことに注がれてきたわけでございます。一つは現地の習慣をいか
に理解するか、現地でどういうことが、人々にとって幸せなのか、ということを
一緒に考えていく・・・・どうしても私たちは見慣れぬものに対して、異物感を
持ってしまう。ハンセン病コントロールの立場からいいますと、女性がベール
(グルカ)を・・・・聴診器をまともに当てられないんですね、女性の肌を見た
り、女性にいたずらをすると(日本でいう痴漢ですね、)こういう行為というの
は、不道徳な行為とと見られるわけです。殺傷事件に発展するというのは、普通
なわけです。私たちも気を使わざるをえない。現在西欧の人権家が盛んにこのグ
ルカ着用をたたいていますが、私にいわせると、現地の一つの慣習で、特に農村
部では、保守的な慣習がありまして、私たちの基本的なものの見方は、現地の慣
習や文化を我々の物差しで見ない、いい悪いのカテゴリーで判断しないというこ
とでありまして、私たちの医療関係者の配慮としては、限られた中で、患者さん
達が最大限幸せに生きていく道は何かという視点で治療を続けるということでご
ざいます。

 これについて、私の現地で見聞きした一般的なやり方というのは、外国人が
入ってくると、「これは許すべからざるセクハラの最たるものである」というこ
とで外国人の人権活動家が騒ぐ、もちろん現地で衝突しますから国外追放にな
る、ニューヨークかロンドンに帰れば、ヒーローで迎えられますけれど、私にい
わせますと、「あなた達は自分の国に帰って人権の騎手としてヒーローに成り得
るだろうけれど、この患者さん達をどうしてくれますか」といいたいですね。た
いてい外国人が、自分たちの主義主張を通すと、そのためにはトラブルも辞さな
いと、自分たちののの考え方、主義、主張、価値観、文化観、これを現地に押し
つけるということを、私たち医療関係者としては、こういう人々をどうしてくれ
るんだ、どうして救うんだ、自分の主義が大事なのか、ほんとに現地の女性が大
事なのか、ということをいいたい。・・・こればかりは、外人部隊に頼らざるを
えないということで、現在10年前から延べ20名の女性が現地に赴きました。

(スライド次)それまで、女性の患者というのは、かわいそうでして、入院して
もまともな治療は受けられない、というのは、お医者さんであっても男性である
私が女性の下腹部をさわったり、胸を聴診器を当ててみたりというのは非常に悪
い行為だとして、彼女ら自身が拒絶する。特に・・・・・・これも目立ちません
し、人権というものを声高に叫びませんでしたが、地域の人に喜ばれるいい仕事
の一つではなかったかと思っております。

(スライド次)私たちの活動はパキスタン北部ということでございましたが、
1979年12月、私が赴任する数年前、当時最強の陸軍といわれたソ連軍の大
部隊約10万人が時の共産政権を助けると名目で侵攻いたします。それ以後なん
と今に至るまで、アフガニスタンは内戦の余韻を引きずっていまして、ソ連軍の
撤退までに死亡したものは戦闘員だけで70万だとか80万だとかいう数字が出
ていますが、非戦闘員を入れますと200万人から300万人は軽く死んでいる
と、実際私が目撃したことは国境地帯で、数百家族が流れてくると、冬ですと高
地で寒いですね、そのまま数百家族が凍死するということがありふれたことでま
れではない光景でありました。私たちとしては、いくらパキスタン側でコント
ロール計画を実施しましても、荒手の患者がアフガニスタンからやってくるとい
うことで、しぜんと医療関係者の立場からこのアフガン問題に巻き込まれていっ
たわけでございます。

(スライド次)当時ペシャワール周辺に流れてきた難民が、UNHCR国連の発
表で270万人実質は300万人を超えると思いますが、ペシャワールを中心と
してパキスタン北部に流れてきておりました、細々と難民キャンプで治療してい
ましたが、ここで私たちペシャワール会は方針を大転換いたしまして現在に至っ
ています。一つはですね、ハンセン病だけを見る診療活動というのは成り立たな
い。ハンセン病以外でもたくさんの病気がある。マラリア、コレラ、腸チフス、
結核、アメーバ赤痢といわゆるうつる病気感染症の巣窟なんですね。ハンセン病
の多いところには、こういう感染症も多い、私たち医療関係の良心からしても、
マラリアでふるえている人を後目にして、あなたはハンセン病ではないから診ま
せんというわけにはいかないわけですね。ということが一つと。難民はやがて
帰っていく存在であろうハンセン病は非常に時間のかかる治療に時間のかかる病
気であると、コントロール計画となると数10年は覚悟しなくちゃいけない、こ
れは先が長いと彼らが帰った後のことも射程に入れて計画を立てる、しかも患者
達の出身地が大半がお医者さんのいない山の中の山岳地帯が多いということで、
将来的には無医地区の山間部貧しい地域を対象にしまして一般診療施設を開い
た、そしてハンセン病の患者もさりげなく診ると、いろんな感染症の一つとして
特別視しないという方針を打ち出したわけでございます。・・・・アフガニスタ
ンの開設予定地域を視察し一体何人人口がいるのかわからないどういう病気が多
いのかがわからない、ということで、実情を密かにさぐっていました。といって
も、のこのこ入っていける状態ではなかったわけです、当時85年86年87年
88年というのは最も内戦が激烈な時期でありまして、それも農村部が主な主戦
場だった、それで私たちはまず自主調査を数年かけてもソ連軍が撤退するまで待
つと、そして、一方で数年後の活動を準備するという体制を整えていったわけで
す。

(スライド次)・・・・・から空爆が激しい時期でありまして人口密集地帯の農
村をそのままやってしまう、それに対して、抵抗するのは決して日本で報道され
たように何派何派という党派ではなくて、住民そのものなんですね。これも誤解
されていますが、アフガニスタンという国は決してアフガニスタン国民という個
人がいて、それがアフガニスタンの政権を選んで、成り立っている近代国家とは
ちょっと違う、地域の権力というのは、地域地域に委ねられていまして、たとえ
ば、この河合校が代々木ゼミナールから攻撃されたとすると、普通であればお巡
りさんに言ったりしますれけど、この河合塾に通う学生諸君が立ち上がって代々
木ゼミナールと闘うこういう社会で、決してお巡りさんや軍隊が出てきて治安を
守ると違う、こういう中で地域共同体そのものが一つの軍自体、一つの生産単位
であるわけですね。この中で当時青年団、壮年団が残って敵と戦う、そして女性
や子どもお年より弱い人たちを難民キャンプにおくって闘い続けると時期であり
ましたけれど、われわれはのこのこと出かけていって、彼らと少しずつ親交を深
めていったわけです。

(スライド次)その当時道路網が封鎖されて、ここは通れませんでしたので山越
えをしていくことが多かったんですね、今回の事件で、国境は封鎖されましたけ
れど、だいたい2,400キロの国境を封鎖できるものではない。我々はいざと
いう時は、リュックサックに薬を担いでちょうど10年前したのと同じようにい
つでも補給ができると状態にして、時に3,000mの峠を越えたりという苦し
いときもありましたけれど、こうして少しずつ住民と親交を深めていったわけで
ございます。

(スライド次)中には外国人を初めてみるという地域もありまして、バスを見た
ことがないという人たち、ヘリコプターは時々見ると、爆撃していく、ここはヘ
リコプターを初めてみてロープで引っかけて落とした(笑)それくらい我々の感
覚とほど遠い、たぶん村落がそれぞれが独立して生きているところでありますか
ら、ある政権をばさっとやれば、後全部降伏してそれになびくという組織された
日本みたいな国家とちょっと違うんですね、私がはじめてこのムーリスタンに
行ったときに、あなたはフランス人ですか聞かれて、今まで中国人ですか韓国人
ですかといわれたことはありましたけれど、フランス人といわれたのははじめて
でありまして(笑)そんなにおれ顔立ちがよかったかな、どうも日本というのは
みんな知っているんですね、しかし、日本人と会うのはまったくはじめてで、日
本というのは現地で最も知名度が最も高い国でして、いちばん有名なのは英国で
アングレイズといって敵の代名詞なんですね、アングレイズというと鬼畜とみん
な思っている。しかし、日本人というとアフガニスタンにとっては最も友好的な
国だとみんな信じているわけです。だから対日感情は非常によい、ただし、正確
な知識はあまりなくて、オランダの隣にありますaA歩いて何日かかりますか
(笑)しかし、日露戦争はみんな知っていますね。それから広島・長崎というの
はどんな山の中に行っても知ってる、日本というのはアフガニスタンの人々に
とっては身近な親密感を持っていて、おそらく、世界一親日的な国民ではないで
しょうか、そういうことで、幸い片言の言葉ができますので、少しずつ親交を深
めていったわけです、

(スライド次)そうこうするうちに、ソ連軍は帰っていってしまった、ソ連その
ものがつぶしてしまう、共産政権が倒れると、政治党派ですね、日本で言えば自
民党だとか社会党だとかの政党が京の都・・・・・を目指してどんどん集中する
と、戦況が農村から都市に移ると、人々は実に正確にその動きを読んでおりまし
て、ソ連軍が帰った直後に押し寄せた難民帰還計画がこれもばかばかしい騒ぎ
で、数百億ドルを費やして行われましたけれども、湾岸戦争が始まる頃みんな
(外国団体?)撤退してしまうと、それでこの帰った難民は一人もいなかった、
一人くらいいたかもしれないけれど、なんと皮肉なことに外国団体が引き上げて
帰れる状態が整ったところ難民は一斉に1992年の5月から12月にかけて、
300万人の難民のうち、200万人が誰の力も借りずに、・・・・帰ったんで
すね、これは、報道されませんでしたけれども、これは実態であります。じゃ
200億ドルはどこに行ったのかと私聞きたくなりますけれども、それはみんな
言いたくないと国際社会では言いたくないとそれが実情です。

(スライド次)・・・家はくずれて家の補修から始めなくてはならない。田んぼ
は荒れ果てて、10数年ほったらかしという中で、我々としては農村の復興が先
だと、もちろん東の限られた地域ではありますが、我々としてはまずは農村の復
興を助けることでアフガニスタンの復興を助けるということで側面から・・・・
を大規模に開始したわけです。

(スライド次)外国の医療団体が危険地帯ということで帰った後で、実質的に機
能している医療機関はほとんどなかったわけです。であれば我々の出番であると
いうことと、我々はこの時期を待っていたわけでありまして、帰ってくる難民を
迎えるようにして、東の三つの山岳部の診療所は次々と建てられたわけです。難
民にしてみれば、帰ってみると今までほとんど無医地区なわけですね。帰ってみ
るとちゃんと診療所があるではないか、お医者さんはいる検査技師はいる、我々
は一ヶ月交代で運営していまして、まがりなりにもちゃんとした診療所ができる
と画期的なことだと、安心して村の復興に励めるということで私たちもうれし
かったですね。思い出されるのは、・・・・・マラリアの大流行があった。難民
が帰ってきて水田が復旧する、水田が復旧すると発生するのは蚊でありまして、
蚊が発せしますとマラリアが大流行する。しかも免疫がない状態で大発生します
と、犠牲者が大きいわけです。しかも悪性マラリアというやつでありまして、大
人も倒れると、最も生産に必要とされる青年達、壮年達が次々と倒れる、私たち
死亡を確認しただけで、私たちがカバーしている地域というのはせいぜい70万
人から80万人の地域でありますけれども。死亡を確認しただけで6千名が死亡
すると、そのために地域がパニック状態に陥りまして、診療所まで何日も歩いて
くる人たちもたくさんいるんですね。・・・次々と死んでいく家族があれば、不
安に駆られるのは当然でありまして、何とか薬を求めて遠くからやってくる。し
かし、朝から日没まで働き通しても一つの診療所でみ診れるのは200人から
300人程度なんですね。そのために待ちきれない住民が不安に駆られて投石を
始める。投石ならいいですけれど、その当時は内戦直後でして、みんな武器を取
り扱うのに驚かなくなっていて、飛び道具が打ち込まれる、ライフルが診療所を
かすめただけですけれども、ロケットも打ち込まれて、幸い診療所は爆破されま
せんでしたけれども、弾に当たって職員が2名殉職しました。北部からの調査か
ら帰ってきたところで17、8名人がいたと思いますが、現地の習慣として復讐
とお客さんをもてなすというこの二つが人間関係の基調であるわけです。それに
よって地域の人間関係がバランスをとっている社会なわけです。二人殺されたな
ら、こちらも二人殺さないと恥になるこういう社会ですね。職員はドクター中村
が反撃すると期待していたわけです。私が「殺しちゃいかん」と言ったものです
から、みんな耳を疑いまして、それが当たり前の習慣ですね、「先生、本当です
か」「本当だ、殺しちゃいかん。」「皆殺しになっても発砲しちゃいかんのです
か」「皆殺しになっても発砲しちゃいかん。我々十数名が死んだとて、ペシャ
ワールに控えているではないか、今、彼が興奮しているけれども、さめたとき
は、きっと後悔する、その時に次の隊が我々の事業を引き継いですることができ
る、今我々が武力対決すれば、我々の計画そのものが分解してしまう。」さすが
にみんなは私の意気込みに圧倒されて、それ以上犠牲者は出ませんでした。翌
日、村長会議を開きまして、席上、私は人を怒鳴ったりすることはありません
が、「私たちは朝から晩まで何の政治的下心もなくただ働いておる、でその仕打
ちは何だ」と言いますと、みんな謝りまして、「まず治安を守れ、各部落から若
い者を出して武装した護衛を出せ、君たちの診療所であるから、それくらいのこ
とをしなさい、薬の方は私が何と持ってくるから。」

 山を越えてペシャワールに戻って福岡の事務局に電話をしまして、「ありった
けの銭を全部送ってくれ」というと、「先生30万円しかない」(笑)ペシャ
ワール会というのは不思議な団体でして、自転車操業で続いてきた団体ですけれ
ど、「30万円でいいから早く送れ」といいかけて、私がぞっとしたのは、30
万円でいったい何人人が助かるであろうか、当時、マラリアに対して・・・とい
う薬が効かない、耐性の悪性マラリアでキニーネという薬を使わざるをえない、
一人当たりの治療費は220円、30万割る220は助かる人の数だ。つまり
1700くらいですか、1700人くらいしか助からない、人の命は平等だとい
うけれど、本当だろうか疑問を私は持ちましたけれど、ともかくあの当時は緊迫
いたしまして、あのときばかりはマスコミの方に感謝しますけれども、2ヶ月の
間に約2000万円が集まりまして、これを持って次々とマラリアをつぶして
いったということで地域住民から圧倒的な支持を得たわけでございます。

(スライド次)まだ車で行けるところは恵まれたところでありまして、アフガニ
スタンの大半というのは、車も通らない、バスも見たことがない、という地域が
たくさんあるわけです。アフガニスタンだけでなく、パキスタン北部もそうで
す。我々としては、人の行かないところに行く。人がしないことをする、へそ曲
がりだという人がいますけれど、そうではなくて、みんなが我も我もと押し掛け
るところは誰かがするだろう、・・・・我々としては、誰も行かないところを
我々は選んでいく、ハンセン病にしましても、だれも・・・・からやっていくん
ですね。少しずつ活動を拡大していったところでございます。

(スライド次)アフガニスタンのいちばん高地のムーリスタンというところであ
りますけれども、我々医療関係者として地域の保健医療とか国際保健医療学会と
か議論がいっぱいあるわけです。インターネットを見ると捨てきらない・・・・
が中で、・・・見ながら空しいんですね、ああいう議論は何だと、あまりきれい
事が多いんですね、地域でどうしたら住民のためになるかという方法論を持って
いるわけではありませんけれども、ともかく私たちはこの地域に張り付いて、こ
ういう人たちにとっていちばんいいものを何かということを一緒に探っていくこ
とが大事なのではないかという気がするんですね。どうしてもかわいそうにと
か、あんなとこに住まなくてもと・・、彼らは好きこのんで住んでいるのではな
くて、昔からここを故郷として、彼らの間で喜びや悲しみがあるわけですね。そ
の中で生きているわけでありまして、私たちとしては、・・・いちばんいいもの
は何かということを探っている

(スライド次)そうこうするうちに、15年が立ちまして、ペシャワールに基地
を立ち上げまして、ここを中心に現在10カ所ある診療所を基点として、運営し
ておるところでございます。(スライド終わり)



 アフガニスタンをおそう大干ばつは鬼気迫るものがあります。先ほどお見せし
たヒンズークシの山の雪、現地は乾燥地帯でありますけれど現地の生命、農業を
支えておるのは、冬につもる白い雪が夏に解けだして地下水や川となって灌漑用
水を提供するわけですね。ところが私が危機的に思うのは、年々この雪が少なく
なってきておる、つまりこの白い雪がだてにあるわけではなく、この冬につもる
水ですね、雪を貯える巨大な貯水槽の役割を果たしている、日本列島がすっぽり
入るくらいの広い山脈ですね、この巨大な貯水槽の水もなくなってきた、この地
球の温暖化と明らかに関係がある、山岳会の人に問い合わせても、年々雪が減っ
ておると現在私が行った20数年前、真夏の雪線といいますか3500m程度で
ありましたが、それが今では4000mになる。雪がないんですね、しかも地下
水がどんどん下がっている、このまま温暖化が進むとアフガニスタンのほとんど
が砂漠化するだろう、アフガニスタンだけでなくこのヒンズークシを取り巻く周
辺の国々に大規模な干ばつだけでなく砂漠化が進行するであろうというのが私の
確実な予想で、だからといって、・・・・・・・・・・

 

 

質疑応答

 

報復は報復を生む


アフガニスタンにやってくる人たちは特別な人間だと思っている。それは、日
本からいきなりあんなところにいって生活しろといってもこれは不可能なわけで
すね、しかし、優越感を持つ理由はないと思いますね。ただ、おるだけで行って
来ましたと新聞で言えば、ジェララバードに半年いましたとか、カーブルに1年
いましたとか、発言力持つわけです。私は全体的にいって・・・・国連内部でも
残念なことですけれども人種意識があるのは歴然たる事実ですね、湾岸戦争の時
でも、すべて逃げ出したけれどもアジア系のスタッフを残留部隊にして欧米人は
真っ先に逃げていくと。一連の動きを見て私が思うのは、西部劇の続きである。
勇敢な白人が、バッタバッタとインディアンをなぎ倒していく、そういう感覚で
すね、自分の目は針でつつかれてとっても痛がるのに、人の目は槍で突き殺すこ
とができるという感覚は、おそらく・・・・の根底にあるのではないか。はっき
り言って公衆の前で人の悪口を言うのは嫌いですが、私はあの人達は嫌いですね
(笑)

まったくそのとおりだとおもうんですね。なぜかというと私よくわかりません
が、今おっしゃったように、報道管制があるというのは、むしろ日本ではないか
という気がします。結果的にそうであっても情報量が少ないと・・・・正義のア
メリカと悪の固まりタリバンという対決の中で動いておるというのが実情ではな
いでしょうか。ただ、そういうと先生はタリバンに近い考え方ですかとかいわれ
ますが、それも又不本意なんです。

 我々の世界観も洗い直してみる必要があるのではないか、アフガニスタンだけ
ではなくて、こんなことは、世界中であっているのではないですかね。そういう
ニュースに惑わされない、ジャーナリズムにも問題があると思いますね。話題が
あるときだけわぁーと先駆けのようにして、新しいニュースを追う。


治安は、あまり知られていませんが、私がいる間は世界でいちばん治安のいい
国というのはアフガニスタンではなかろうか、戦闘地はもちろん別として、泥棒
がいない、見せしめの刑が厳しいというのもありうるのかもしれないけれど、戦
争前の状態が少なくとも農村部ではよみがえっていたと思いますね。タリバンの
評価された大きな理由ですけれど、タリバンが何もかも取り仕切って人々を締め
付けているのかというと、そうではなくて、それまでありました慣習法を守らせ
るように復活させたというほうが、正しいと思いますね、タリバンのやっている
のは農村の慣習法であるというのは、慣習的に行われているわけですから、ほと
んど警察が何をしているかというと、町をパトロールして、ひげの短い人を・・
(笑)笑いながら、おふれですからと言う、この程度で、お巡りさんが出てくる
場面というのは交通整理くらいであまりない、復讐法、客人歓待の二つの慣習法
がアフガン社会の大きな要素をなしていて、それによって抑止力になっている。
強盗が入ってくる場合、塀を越えて入ってくるのを確認したら撃ち殺しても過剰
防衛にはならない。・・・・・・お巡りさんではなく、地域住民が犯罪を防止し
ているのが実態でして、その基礎にあるのが慣習法、それを保障したのがタリバ
ンということ、診療所が襲撃を受けたときは、マスードの軍隊とハザラドの軍隊
とパシュトゥの軍隊と三つどもえの闘いをやっている、北部同盟の一部をなして
いますが、ハザラドがパシュトウに対して、非常に残虐的なことをしている、通
行人を捕まえて、頭に釘を打って殺すとかそういうことをやったんですよ。ハザ
ラド族に対する怒りが盛り上がって、現地服を着ているとハザラド族と間違えら
れますから、・・・・シートベルトをしていると、彼らはシートベルトを見たこ
とがありませんので、隣の運転手によくぞ一人捕まえたなと・・・・・・。
 タリバンに対して、おおむね・・を維持するという意味でみんなが歓迎したた
のが現実です。マスードの軍隊はひどかった。マスードの軍隊は英雄になってい
ますが、・・・・側にいた我々はたまったものではない。ハザラド族の地域を無
差別に攻撃して、破壊してしまう。しかし、そういうことは載らないんです
ね。・・・・・

 

 

(テロが生まれる要因としては)貧しいということでしょうね。お医者さんで
すからテロ大反対なんですが、貧しい人が、政治的に何か発言しようとすれば、
訴えようとすれば、テロ以外にない、英語もしゃべれない、記者団が来ても会見
できない、こういう人たちが焦燥感を募らせ何かするとすればテロしかない。私
は、貧乏人で英語をしゃべれなくて国連の職員も相手にせず、偉い人ばっかりの
発言が宙で待っているとすれば、そうします。しかし、それと同時にこれをあた
かも宗教戦争みたいに・・・これもおかしいですね。テロの生まれる土壌という
のは、先進国側にある、一つの物差しで自分たちの物差しでその地域の・・・・
自由と民主主義・・・弱い国を滅びかけた国をよってかかってアメリカだの日本
だのNATO諸国がよってたかって、・・何を一体守るのか、守ろうとしている
のものは何かということを考えますと、テロの発生する土壌というのは両方にあ
る。・・・・・現地のあの貧しさ・・・・口を封じられてきた燥感が土壌を作っ
ていく、さらに報復をすれば、さらに大きな憎しみを生んでいくということ
が・・・・現地にもありますし、報復を叫んでおる人たち、報復で何かを守らざ
るをえない人たちをしっかり見ていくことではないでしょうか。現地の側から言
うと貧困、自分たちが、まるで虫けらのように扱われているそのことなんです
ね。

日本が協力するとなると、おそらく対日感情は変化が起きてくるでしょうね。
国のおきては平和であるというのは、かなり説得力があった、・・・対日感情は
下がっていく・・・・、イスラム諸国がタリバン支援しているというのは事実で
して、アラブ系の人たちが・・・

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811教室にて

 今正直言って情報が一方的でありまして、日本全体が巻き込まれているのが、
私の正直な感じなんです。現地は非常に静かです。そして、報道管制があるだろ
うと口の悪い人は言っていますが、アフガニスタンというのは報道管制すらでき
ないような、コントロールができない、みんなが拠り所にしているのはBBC
ニュースで現地のパシュトゥ語放送がみんなが信頼性を持って聞くわけですね。
印象的だったのは、非常に静かだった、しかも正確なニュースもアメリカから
入ってくるという中で自分たちの立場というのを人々は把握している、決意に似
た静けさだったと、英米憎しというヒステリックなものではなく、20何年も内
戦が続いているところで・・・・がいやだとというのが一般的な国民の感情で、
そして・・・・日本で伝えられるのは、正義のアメリカと悪の根源タリバンこう
いう図式がすべてこの筋書きにのっとって報道される、私が伝えてくださいとテ
レビに出てもその筋書きの中の一コマでしか伝えられないというもどかし
さ、・・・人権活動家、西洋の人々が価値観の相違であるということははっきり
言って我々は人類の敵だともうしますけれど、タリバンの政策というのは大半が
慣習法なんですね、これを都市の人に強制したというのは問題があるかもしれな
いけれど、西洋の自由と民主主義からみるととんでもない人権侵害だということ
で、これが又、意図的な映像で・・・をあおるという形でどうも正義の米国対悪
の権化タリバンという形で筋書きができている、報道管制に近いような感じがす
るんですね、特にみなさんに訴えたいのは、冷静であること、本当にそういう図
式があるのか、私はこれはフィクションに近いと・・・現地にいまして、タリバ
ンは確かに田舎ものでありまして、農村を基盤とする政権ですね。だから我々の
井戸掘りの中でも・・・・タリバンは出現する過程におきましてはみんなから支
持されて・・・いう経緯があります。わずか2、3万の軍隊であの広大な地域を
92%支配できるんです。それは、私たちが活動している東部地区でもそうで
す。随分イメージが違うなあということで、・・・

 人権活動家、ヒステリックに報復主義の拳をあげる政治家達の意見には、まゆ
つばで聞いて欲しい、ということなんですね。・・


医療の高度技術の場合、心臓外科だとか脳外科だとかの場合、一般人がとても
払えないような医療ですから、これはごく一部の特権階級の・・にすぎない。そ
れが国内でやられればまだしも、腕を磨いたドクター達は国外へ逃げていくのが
現実です。しかも薬も次々と新しいものが出てきますから、庶民はジャンプして
も届かない、何百円かの抗生物質が買えないために死んでいく人が数知れない、
たかが扁桃腺ができたくらいでロンドンやニューヨークで治療を受けるという人
がいるという社会・・・・

 教育の目標は何かと、完璧に食えるようにしておく、子どもが将来生活できる
ようにしてやる技術を身につける、人間としての修養、人間らしい知識・教養を
身につけてかみ合わせると・・土着の教育というのがある、家の手伝いをするこ
とが、一つの教育である、宗教・道徳教育であれば、コーランを通して人がしな
ければならないこと、してはならないこと、私たちが考える教育というのは都市
生活のものである、日本が考える教育をああいうところに行きわたらせると、農
村離れを促進して、失業者を増やすことになる、地元の人にあう教育、なるべく
伝統社会が培ってきた何千年も続いてきたものがあるわけですから、これを損な
わないようにする妥協点を見つけていく、こういうことに気を使う。
 西洋の人権家が目の敵にしているのは、女性のかぶりものです、「これは、セ
クハラの最たるものではないか」といいますけれども、実は農村の慣習法であり
まして、もちろん働いているときはうるさいからとるわけですね、よそ行きの時
にあれをかぶってモスクに行ったり、買い物に行ったりするのが、現地の女性の
一般的な田舎の女性の貧困層の女性の楽しみであろう、まず、ソ連が入ってきた
ときにグルカを取ろうとして女将さん達が反対して、・・・・
 地元の文化を大切にしていく、西欧的なものの見方・・・自分たちの見方がそ
のまま違った国に当てはめない、文化的な相違を意識すると同時にそれでもって
言い悪いを判断しないということが大事だと思います。

 ・・・・・・地元の慣習というのはそれなりのものがある、・・・・・



タリバンをみんなが受け入れたのは、日本と違って投票権があって、国連はあ
の国民投票なんて馬鹿なことを言ってますけど、各部族の最小単位がファミリー
家族ですけれども家族の間でさらにその上を構成する(ジルガ)長老会という単
位があってタリバンを受け入れるか受け入れないか、自分たちのためになれば受
け入れる、ためにならなければ受け入れない。地域地域がそれを決定するわけで
すけれど、タリバンはこの地域の人から受け入れられて、政権についた権力とい
うことはですね。安全、国家統一、ずっと分裂戦国時代が続いているわけです
ね、しかも幕末の日本のように幕府をフランスが援助し、薩摩をイギリスが援助
する。すでに外国の干渉する内戦になった、昔からアフガニスタンは誇り高い国
でありまして、外敵を日本と同じように退けてきたということで、誇りを持って
いる、彼らが望むのは国家統一、分裂したアフガニスタンを誰でもいいから統
一・・・それから治安を安心してみんな暮らせる社会にしてくれということであ
りまして、それが続く限りタリバンは支持されるであろうと思います。それがな
くなるとみんなの支持を失って自己崩壊しますけれども。

タリバンと一般農民の区別はなかなか付きにくい・・・・井戸を掘っていた人
がパトロールの時間だと・・・地域の住民と区別がつかなかった、・・・・
 アフガニスタンは農業国でありまして、9割以上が農民あるいは遊牧民・・・