12.「ナイルに死す」考   About “Death on the Nile”

警告!!

 このページでは、アガサ・クリスティの「ナイルに死す」について、原作、映画(ユスチノフ版),ドラマ(スーシェ版)について、
かなり詳細に記述しています。
 つまり、
ネタバレです犯人,経緯,ストーリー展開について遠慮なく語りまくっていますので、知りたくない方は絶対に読まないで下さい!
 「ドラマは見たけど、原作や映画はまだで、後者の情報はまだ控えたい」という方もしかりです!
 用心の為に、今回はネタバレに関する箇所を白字で掲載しました。「ネタバレ大丈夫です」という方のみ、反転させてお読みください。


ドラマ版の出来の良さ

 
デビッド・スーシェが演じるエルキュール・ポワロは、登場したときから「原作のイメージそのもののポワロ」という評価を受け、絶賛されました。私もその魅力に取り付かれた一人です。何せ、私がミステリーに興味を持つきっかけになったドラマなのですから。
 スーシェ版のポワロを、ここでは「ドラマ」と呼ぶことにしますが、この「ドラマ」の制作はどこなのでしょう?グラナダと書いてあったり、ITVとか(ITVとグラナダは同じメディア?)、はたまたLTWとか。その辺りの詳細は簡単には分かりそうに無いので、ここでは置いておくことにします。

 「ナイルに死す」は、クリスティの作品の中でも最高傑作に挙げる人も多いことでしょう。トリックや犯人そのものはさほどビックリするほどのものではないのですが、何と言っても沢山の登場人物が非常によく描けているのです。
 この原作の良さを、ドラマでは素晴らしく再現できていました。殺人そのものの実行可能,不可能に関しては色々と突っ込むべきところがあるのですが、それを差し引いても仕上がりが良かったのです。余りの出来の良さは複数回の鑑賞を可能にしました。私は日本語吹き替えで2回、英語の勉強もかねてオリジナル音声で6回ほど鑑賞しました。まだまだ見たいくらいです。

 こうなると、ピーター・ユスチノフがポワロを演じた映画も見たくなり、中古でビデオを入手しました。結論から言うと「全然駄目」でした。ドラマを先に何度も見てしまったせいだと思いますが、映画は原作の良さを再現し切れていませんでしたし、あらゆる点でドラマと比べて劣っているように感じました。
 本来なら英語で読むべきなのですが、時間が無くて原作は日本語で読みました。やはり原典は素晴らしいです。しかし、何箇所かにおいてはドラマのアレンジの方が良いと思われる点もありました。そしてもちろん、原作にあってドラマで再現できなかった良い点も沢山。
 その辺りの違いなど、ネタバレ全開にしながら、以下に書き記したいと思います。



登場人物 
ネタ、バレバレ注意!!!

 
原作にはその正体がアジテーター(反政府活動扇動者)の考古学者と、富豪リネットのイギリス側の弁護士、リネットの元メイドの元彼が、舞台となる船に乗り込んでいますが、ドラマでは三人とも省きました。映画にも登場しませんが、弁護士の役割はレイス大佐に兼務させました。
 この登場人物カットはおおむね良かったと思います。ドラマの場合都合よく大佐が船に乗るところが不自然ですが、ポワロが行く先々で事件に遭遇することに比べれば大した事無いでしょう。
 むしろ、この三人に関しては原作における「無駄」にも思えます。特にアジテーターは、殺人とはほとんど関係がありません。そう、宝石泥棒よりもずっと「無関係」なのです。ドラマ化,映画化においてのカットは妥当でしょう。

 映画の不満点と言えば、何と言ってもそのほかにも沢山の人を削ったことです。ロザリーにコーネリアの役どころを兼務させたので、この二人の持つ魅力が皆無になってしまいました。ただ、可愛いだけの女の子になり下がった感じです。
 ロザリーの限界に近い意地を張る姿は、原作でもドラマでも素晴らしい存在でした。ポワロがそんなロザリーに苛立ちながらも、好意を持っていることも重要です。コーネリアも最初はドン臭い印象でしたが、実は根性があって言うべき事は言う、素直で魅力的な女性です。ドラマの中で私が一番気に入った登場人物は、コーネリアでした。

 映画はアラートン親子も削っています。これはいただけません。宝石泥棒の一見は、たしかにリネット殺害とは直接関係ありませんが、それぞれの登場人物を描く上では、必要な要素です。
 アラートン夫人は、クリスティの作品に良く出てくる「全体を俯瞰する観察者」です。彼女の的確な人間観察は表現が難しいので、ドラマでも生かしきれませんでした。特に、夫人のロザリー評は欲しかったですね。
 ティム・アラートンは原作とドラマではややキャラクターが違いました。原作では憂いを持った文学青年みたいな風情で、やさぐれた気分でけちな宝石泥棒をしていますが、ドラマではいかにもインチキ臭いコミカルな役どころになっていました。ドラマの明るさを保たせるためには、悪くない変更点だと思います。私はドラマのティムもお気に入りです。ただ、この変更も影響して、ロザリーの気持ちは物悲しい結末を迎えますが。それでも、立ち去るティムのを見つめるロザリーの毅然とした態度も、素敵でした。

 ドラマも映画と同じく、原作の弁護士の役どころをファーガスンに担わせました。それは良いのですが、映画のファーガスンは全然ファーガスンではありませんでした。ただ、若者同士(映画の場合なのでロザリーとファーガスン)がくっつくためだけに居ると言う感じです。しかもドーリッシュ卿という正体は、設定自体カットされています。
 ドラマではほぼ原作どおりのファーガスンなので、サイモン銃撃の時もしっかりしていました。原作のファーガスンは根がお坊ちゃまなので、共産主義者っぽく格好つけても無邪気な雰囲気です。ドラマのファーガスンもその辺りが良く出ていました。特に彼がコーネリアに求婚する下りは良かったです。

 映画の登場人物で一番まずかったのは、ベスナー医師でした。映画ではインチキ臭くて信用できない医者ですが、それでは推理物としての構造が崩壊します。いないほうがマシです。ドラマのベスナーは非常に良かったです。更に言えば、原作のベスナーよりも良かったような気がします。原作では「疑っているのか?!」と本気で怒るシーンがありますが、これは無い方が良いと思いますので。

 リネットもドラマのように金髪の輝くばかりの存在感を知ってしまうと、映画のはピンと来ません。サイモンも、彼が「子供っぽい」という要素が物語りにおいて重要なだけに、ドラマの方が数段サイモンっぽく、魅力的でした。原作のジャクリーンは、「エキセントリックに見えて実は、すごくまともで冷静沈着,理路整然」という女性です。ですから、映画の「本当にエキセントリック」なジャクリーンでは、やはり成り立たないと思うのです(演技は上手いですが)。ドラマのジャクリーンは凄く良かったです。彼女は恐らく、演技力を買われたのでしょう。ジャクリーンとポワロの会話のシーンは特に名場面でした。

 今更言うことでもありませんが、映画,ユスチノフのポワロはほとんどポワロには見えませんでした。映画「オリエント急行」のアルバート・フィニーは、十分ポワロでしたが。ユスチノフは「本当に探偵みたい」な感じで、クリスティのポワロという特異な探偵とは違うと思います。



構成と脚本 
引き続きネタバレ警報発令中!!

 
「ナイルに死す」という作品は、実は「犯人は誰か?」という点にはあまり重点を置いていないのではないかと思います。もちろん、他のクリスティ作品と同じように「誰もが怪しい」という筋は一応踏襲していますが、やはり重点は登場人物たちの人間としての存在感なのです。彼らが殺人をしようとしまいと、その魅力が褪せないのが原作であり、それを再現したのがドラマでした。
 映画はその辺りの再現を放棄し、かわりに「この人も犯人かも知れない」という疑いが強調されました。そのため、ジャクリーンとサイモン以外の全ての人物に、「銃を回収してリネットを殺した」という「仮定シーン」が作られました。これがうるさいことこの上ないのです。そんな無粋なシーンは、「ナイル」には不要なのです。しかも、無理に動機を作ったため、オッタボーン夫人,ベスナー教授のキャラクターが崩壊してしまいました。ヴァン・シュワイラー夫人も、立ち回り過ぎです。唯一良かったのはヴァン・シュワイラー夫人とバワーズの掛け合いですが、これは原作にはありませんでした。掛け合いをするくらいなら、コーネリアを登場させた方が良いのですが…。

 「ポワロである以上、必要」とでも思ったのか、映画では関係者を全員サロンに集めてポワロの種明かしが行われます。その末窮地に追い込まれたジャクリーンがサイモンを撃ち、自らも死んでしまうのですが、このドタバタは原作にあった「あじわい」が台無しでした。
 ドラマでの種明かしは、サイモンが同席していますが、やはり原作のようにサイモン無しの方が良かったかもしれません。原作ではポワロ,大佐,ベスナー,コーネリアだけが種明かしの場に居ました。ドラマではサイモンが最後に「よよと泣き崩れる」のですが、ちょっと野暮ったい感じがします。
 その後に、ポワロがジャクリーンに会いに行くところは本当に素晴らしいシーンでした。ジャクリーンは覚悟を決めて落ち着き、静かに、穏やかにポワロに対します。そんな彼女にポワロは複雑な思いを持つのです。「ナイルに死す」の良さは、この最後のジャクリーンとポワロの会見で頂点を迎えると思います。映画はそれを全く採用しませんでした。

 もう一つ、映画でいただけないと思ったのは、殺人の翌日にジャクリーンが「サイモンに会わせて」という所です。これは有り得ません。綿密に計画を立てたジャクリーン本人が、そんな事をするはずがないのです。メイドに見られたことを知ったサイモンが、緊急事態と判断して「ジャクリーンに会わせてくれ」と言わないといけないのです。ドラマはその点、抜かりがありませんでした。
 ただ、ドラマにもまずい点はあります。メイドのルイーズが殺されるシーン。ルイーズが金を数えている所に、「ジャクリーンがドアを開けて入ってきて、ルイーズを刺す」となっていましたが、本来は「ジャクリーンが室内で金を渡し、ルイーズが数えている間に刺す」でなくてはいけません。そうでなくては、一体ルイーズは誰から金を受け取ったのかという事になりますから。


 
もう一つ、原作以上に良かったドラマのシーンを挙げましょう。最後の最後に、ジャクリーンがサイモンを撃つシーンです。原作では「馬鹿な勝負をして、負けただけよ」とだけ言ったジャクリーンが、サイモンを撃ちます。ドラマでは上陸した時に「最後に、キスをさせて。もう会えなくなるのだから。」とジャクリーンが言うのです。ポワロはジャクリーンの真意を知って、頷きます。ジャクリーンは跪いてサイモンに別れのキスをして、「さようなら、ダーリン…」と伝え、そしてサイモンを撃ち、続いて自らも撃ち抜くのです。
 原作ではアラートン夫人が,ドラマでは大佐が「知っていて?」とたずねます。ポワロはジャクリーンがそうすることを知っていました。「ナイルに死す」はジャクリーンとサイモンの愛こそが全ての動機であり、作品全体を貫くテーマだったのです。ドラマが創造したこのラストシーンは、「ナイルに死す」で一番重要な、その一点を究極的に再現したのではないでしょうか。



原作にも落とし穴はある 
まだまだネタバレ警報発令!!注意!

 
構成上の欠陥は、実は原作から大量にあります。
 サイモン銃撃の場に誰が居るかは偶然にゆだねられており、おそらく実行不可能でしょう。銃撃されたと見せかけたサイモンが、誰にも見られずにリネットを殺すことも成功率が非常に低いものですし、騒ぎで誰かが起きだしてしまう恐れもあります。リネットがまだ寝ていないとも限りません。客室の左舷,右舷も画策することは出来ません。サイモンが自分の足を撃ってなお、やるべきことをやるのも可能とは思えませんし、最初の一発目の銃弾の回収は不可能でしょう(空砲でも良かったかもしれませんね)。
 それから、ドラマでも強調された「犯人はなぜ銃をナイル川に捨てたのか」という重要な点の説明が、中途半端に終わっています。
 「リネット殺しの弾を発射した銃は、旋条痕の分析でジャクリーンの銃であると確定される。もし、サイモンが銃を川に捨てずに、弁護士(ドラマではファーガスン)が12時半ごろにサロンの長椅子の下から回収していたら、脚を怪我していたとは言え、サイモンにリネット殺しの容疑がかかってしまう。だから、銃をナイル川に捨てた」
 これだけの説明が必要だったはずです。だからこそ、「第三の弾丸の発射」を証明する肩掛けと共に隠滅しなければ無かったのです。

 オッタボーン夫人殺害に用いられた銃の持ち主が、ペニントンというのも無理があります。
 そもそも怪しい人物であるペニントンを更に怪しくする為でもありますが、ジャクリーンはもう一丁自分の銃を持っていますし、ロザリーのバッグからは回収してあるのです。オッタボーン夫人殺害は一瞬の勝負だったのですから、ジャクリーンは自分の銃を使うのが妥当でしょう。 


 
上げてみると色々と落ち度はあるのですが、それでも「ナイルに死す」は傑作だと思います。ドラマもボロがあると分かっていても、何度も鑑賞して、細かい点の出来の良さを感じずには居られないのです。
 逆に言うと、巧妙に作られすぎであり、説明がさほど細かくないがために、何度も見ないと理解しきれないドラマでもあります。
 映画は一度で十分という感じでした。すでに書いたように、登場人物や構成もあまり良くないですし、他にもドレスが今ひとつだったり、全体に暗かったり(照明不足?)、ホテルのセットが安っぽかったり。音楽もニーノ・ロータにしては全然印象に残りませんでした。コブラが出てきてしまう辺りは、もう最悪です。

 スーシェのドラマは、映画のまずい点をすべて改善した結果なのではないでしょうか。もちろん、ドラマとしての制約があって、原作にあった良さ(ロザリーとアラートン親子の結末等)は描ききれて居ませんでしたが。それでも、日本でのテレビ放映が同時期になった「杉の棺」「五匹の子豚」「ホロー荘」と比べても、ひと際出来が良かったと思います。

 スーシェのドラマは本数が多くてまだDVDをそろえる気にはなっていないのですが、「ナイルに死す」だけは早々にDVDが欲しくなりました。早く日本語吹き替え,字幕入りが出ると良いのですが。もちろん、英語の字幕も熱望しています。


                                                3rd October 2005

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