The Three Musketeers  三銃士

  原作「三銃士」 日本語訳 岩波文庫版について

 三銃士の日本語訳の始まりは、古く明治20年頃まで溯るそうです。デュマによる新聞連載が1844年ですから、およそ40年後に日本語で紹介されたと言う事になります。1844年と言えば日本にペリーが来航する前、つまりは江戸時代。それを思えば意外と早い翻訳と紹介なのかもしれません。
 そもそも日本では新聞や貸し本などの「大衆文芸文学」が発達しており、なおかつ当時としては驚異的な識字率という要素も手伝い、「三銃士」のような作品が大変もてはやされました。その後、大人向けの完訳や、子供向け、漫画やアニメなど、様々な形で日本語で楽しむ三銃士が発表されています。。
 さて、今現在読む事が出来る翻訳の「三銃士」と言えば、岩波文庫,講談社文庫,角川文庫がポピュラーな所だと思います。ここでは、私が所有している岩波文庫について幾つか書き連ねてみようと思います。


お世話になるもの ― 岩波文庫

 「海外の文学と言えば岩波!」という、妙な安心感を持っている方もいらっしゃるのではないでしょうか?私にも多少そういう所がありあます。大抵の海外ものは、岩波の翻訳があるに違いないと思って、まず間違い無いでしょう。しかし、残念ながら「絶版」というケースもままあります。私の場合、ヘンリー・フィールディングの「トム・ジョウンズ」がそうでした。散々ネットサーフィンをした挙げ句に、やっと古本屋さんサイトで手に入れた時は、それはもう嬉しかった物です。
 では、「三銃士」はどうかと言いますと、恐らく今でも版を重ねていると思われます。新刊の本屋さんでもよく見掛けます。もちろんデュマ原作「三銃士」の完訳。訳者の生島遼一氏はフローベルやスタンダールなど、フランス文学の翻訳を多く手がけています。初版は1970年です。


岩波文庫の古風さ

 初版の1970年というのは、意外な感じがしました。なぜなら、岩波文庫における生島氏の日本語は多少古風な所があるからです。一人称は「おれ」なので違和感はないのですが、四銃士間の二人称が「貴公」。これには最初面食らいました。先に講談社を読んでいた私の認識では、四銃士(特にダルタニアン)は「子供っぽい大人」というイメージがついていました。そしてレスター監督の映画では、二人称は当然ながら You で、「きみ」とか「あんた」もしくは「おまえ」という字幕がついていました(ちなみに「あんた」は、ダルタニアンがアトスに向かって使用。よくよく考えてみると凄い事だ)。ですから、いかにも「おさむらい」という感じのする「貴公」という呼称は当初、多少の戸惑いがありました。
 しかし、慣れというのは恐ろしい。「貴公」は如何にも武人らしい言葉遣いで、それなりの説得力を持ち始めます。それに、物語の舞台は17世紀。日本で言えば江戸時代初頭です。その辺りも考慮し、故意に「古風な」日本語を使ったのではないかと思われるのです。他に目立つ所では、ポケットを「衣嚢(かくし)」と表記しています。新明解国語辞典によると、「ポケットの意,老人語」だそうです。ポケットというのは、いかにも英語的な表現(実際に英語なのだが)なので避けたのでしょうか?もしくは、今日使うような「ポケット」をイメージしてはいけないからかもしれません。当時のポケットは、本のような大きな物も入れたので、「衣嚢」は良い表現だと思います。
 この岩波文庫の「古風さ」はさほどのものではありませんし、第一私は好きなので、大変お勧めできると思います。古風ではあっても、四銃士の時として悪餓鬼っぽく、子供っぽく、ホノボノとして、軽妙な会話も非常に良く表現されています。注釈も多すぎず、少なすぎず、丁度良くて…更に自分で調べてみたくなる微妙加減も、なかなかの物です。
 惜しいのは、岩波文庫の完訳は「三銃士」のみだという事です。続編「二十年後」「ブラジェロンヌ子爵」は発刊されていません。もちろん同じ人の翻訳が良い訳ですから、今後の「新完訳」に期待したいと思います。


妙なおまけ

 ところで。私が持っている岩波文庫は1999年の第41版なのですが。下巻の「アンジューの葡萄酒」において、ダルタニアンと三銃士が「
うで卵と水で食事をした。」とあります。
 「
うで卵」を食べるのは、私の本だけでしょうか…?!

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