グラナダテレビ製作ドラマシリーズ / 各エピソード別感想
赤毛連盟 / 最後の事件
Sherlock Holmes
赤毛連盟
原作の出来も良いだけに、ドラマの仕上がりにも満足。ただ、モリアーティ教授の一件は、無かったことにしてください!
赤毛の成人男子求む
ドラマの冒頭、質屋と銀行の位置関係が説明されるのだが、辻馬車と荷馬車の「交通事故」が興味深い。自動車はまだないが、石畳に馬車がやたらと走り回る騒々しさ。それにしてもこのドラマ、随分馬をふんだんに使っているのが嬉しい。
実はこの冒頭シーン,すっとぼけた事件の始まりとは対照的な大事件の暗示になっており、これは賛否が分かれるだろう。…なかった事にしたいけど、登場してしまったのだから仕方がない。教授、もうすこし爪を短くしなさい。
場面転じてベイカー街。日光が差し込む室内は気持ちが良い。いい大人がワァワァ言いながら、事件のあらましを追う。ホームズは詳細が説明される前に、いきなり「半額の従業員」に興味を示すが、これは構成上に問題があるという気もするし、「ある奇妙な事に巻き込まれた人は、そうなるべき条件があるのだから当然」ともいえるか。
私が特に好きなのは、赤毛連盟に応募して出かけていくシーン。集まりも集まったり、赤毛の男ばかり!「赤毛の男募集!6月3日グラナダテレビ撮影所に来られたし」
「順番守れ!」―「欠員は補充された」「何ーッ!?」…階段,廊下で繰り広げられた騒ぎは、漫画的。乱闘から逃れて、背後でドアを閉めるロス氏の「ふぅ〜ッ!」という演技が中々コミカル。
エンサイクロペディア・ブリタニカを書き写す仕事について、ウィルソン氏は「面白かった」という辺りに彼のお人好しな面が出ている。「Aの項」についての豊富な語彙を語り、「ハンニバル」は、英語では「アンニバル」と発音することを教えてくれる。
ロス氏の行方を尋ねられた紳士は、中々格好良い。解散した連盟を求めてウィルソン氏が行くと、遠景にセント・ポール。「セント・ポールの近くですよ」と言われた割には、やや遠景過ぎるか?
一通りの説明に爆笑した後、ホームズは従業員について確認をする。この時、ワトスンが「半額でしたね」と言うので、彼もホームズが従業員に興味を引かれていると、気づいているのだろう。「今日は土曜日で、月曜日には解決。費用は他が負担する」という所まで、既に見当をつけているホームズ。ただ、「ピアス」をしている特定の個人までたどり着くのは無理があるか。ともあれ、「パイプ3服分の問題か。50分は黙っていてくれよ。」
モリアーティが出てくるたびに思うのだが、…教授の事は無かったことに!
現地へ偵察へ出かけるホームズとワトスン。天気が良くてヴィクトリア朝の紳士がよく映える。ホームズの細長いシルエットと、ワトスンのお洒落な姿が美しい。「サラサーテにお茶とサンドイッチ」「赤毛の依頼人に悩まされずにね。」というやり取に続いて、サラサーテ登場。ホームズはご満悦の表情だが、私は演奏会でこういう人の隣りに座りたくない。そうは言っても、この演奏会シーンの挿入はこのドラマの良さを引き立てている。これだからホームズ物って面白い。
サラサーテ(1844〜1908年)は実在のスペイン人ヴァイオリニスト。パガニーニの再来と言っても良いだろう。作曲家としては「ツィゴイネル・ワイゼン」が有名。ホームズとワトスンが訪れたこの演奏会の曲目は、バッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータNo.3 E-dur(演奏シーンの曲),サラサーテ作曲のカプリチオ・バスコOp,24,ツィゴイネル・ワイゼン(オケが無いので、ピアノ伴奏バージョンだろう),そしてショパンのノクターンOp,9-2。最後の曲は、非常に有名なピアノ曲なので、恐らくヴァイオリン編曲版と思われる。
演奏しているのは、ブルース・デュヴォクという本職のヴァイオリニスト。クラシックから映画音楽,ポピュラーのセッションまで、幅広く活躍している。バッハのパルティータの演奏速度はかなり速い。いつも思うのだが、この曲の出だしは、メンデルスゾーンの「ロンド・カプリチオーソ」に似ている。
しつこいようだが、教授のことは無かったことに…!
泰山鳴動してねずみ一匹
今夜の大捕り物に備えて、ジョーンズ警部,銀行のメリーウェザー氏もベイカー街に集合。メリーウェザー氏の”I hope a wild goose may not prove to be the end of our chase. ” という台詞が、字幕では「ムダ足にならねば良いが」。吹き替えでは「泰山鳴動してねずみ一匹にならねば良いが」になっている。「餅は餅屋だなぁ!」に次ぐ名訳。
一同銀行の地下金庫に移動してその時を待つ。無かったことにして欲しいのだが、モリアーティ教授の説明を挿入。そしていよいよトンネルを抜けて夜盗登場。ジョン・クレイは抜けぬけと「自分には王室の血が流れているのでね」と言うが、イギリス人にはこの手のジョークも多い。「俺の先祖は貴族だぞ!何せ断頭台で処刑されているからな!」質屋での派手な立ち回りはオマケにて。もう一度言います。教授の件は無かったことに…!
週があけて、ウィルソン氏が質屋に帰ってくる。「あー、派手にやったなぁ…」という感じのワトスンの表情が人ごとっぽくて良い。今日も天気が良い。本屋の前で種明かし。ワトスンも言っているが、全ての要素と、そこから導き出される推理がきれいに繋がっている。この作品の良さはこのシーンに集約されている。セットの完璧さと、完璧なヴィクトリア朝紳士の衣装,煙草,煙草入れ,ステッキ、仕草,歯切れの良いやり取り― この明るさがとても気に入っている。
「人生はむなしく、仕事こそすべて。」 ―フローベールがジョルジュ・サンドとの往復書簡で語った言葉だが、私はこのホームズの引用で初めて知った。フローベールと言えば「ボヴァリー夫人」,ジョルジュ・サンドと言えばなんと言ってもショパンとの恋愛が有名。
最後に一言。…教授の件は無かったことに!
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最後の事件
この作品を語るのは難しい。正直言って語りたくない作品でもある。嫌いな作品ではないのだが、「笑ってしまう」作品だからだ。赤毛連盟のモリアーティ教授と同じく、「無かったことにしてください!」と懇願したくなる。
原作自体、ドイルがホームズ創作を止めたいがために作った作品なだけに、無理がある,大袈裟すぎる。結局、ドイルはホームズを「生き返らせてしまう」事を知っている私は、この「最後の事件」をどうしてもまともには見ることが出来ないのだ。
時間が余るという事情もあるが、前半に「モナリザ盗難事件」を持ってきたところで、既にやり過ぎの観がある。ともあれ、エリック・ポーターのモリアーティ教授は、パジェットが描いた挿絵の雰囲気を良く再現している。
身を隠すためにホームズはワトスンと共に大陸へ向かうが、この駅や汽車の風景,時刻表を見ての旅程相談などが楽しい。
スイスに到着すると、柄にも無く空撮まで繰り出した。ホームズは基本的にロンドン,もしくはイングランドのとある地方に納まったドラマとしてよく出来ているのであり、この手の大陸的な大自然の風景が今一しっくり来ないような気がする。
帰国を勧めるホームズに、「君を残していくわけには行かないよ。」と、良い会話もあるが、私はこの作品に感情移入できないだけに空々しく感じて、しまいには笑ってしまうのが悲しい。
その後有名な立ち回りになるのだが、…多くは語るまい。百歩譲って「とにかく、こういう事になったのだ!」と理解するにしても、「天才で学者で理論的思索家で、第一級の優れた頭脳の持ち主」が、何故これまた天才的頭脳と推理力を持った探偵と「つかみ合い」で勝負をつけねばならないのか、納得が行かない。
原作を「聖典」として、その記述に対して忠実な態度を取るシャーロッキアンには、私はきっとなれないのだろう。私もパスティーシュを書く上で、一応は「ホームズは二年間死を装った」という設定は採用しているが、この「最後の事件」の顛末を、別角度で描いたり、再考したりは、きっとしないだろう。
むしろ、次の「空家の冒険」のフォローの上手さに、感心している。
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