グラナダテレビ製作ドラマシリーズ / 各エピソード別感想

 マスグレーブ家の儀式書 / 修道院屋敷 / もう一つの顔

Sherlock Holmes

 マスグレーブ家の儀式書

 原作ではホームズが昔解決した事件をワトスンに語って聞かせる構成だが、このテレビドラマ化では現在進行形になっている。これは非常にうまく言った変更点だろう。

 サー・レジナルド・マスグレーブの招待

 原作で有名な冒頭のスラム化したベイカー街の部屋の様子は諦めねばならないが、マスグレーブ家への道でそれを匂わせる会話がある。
 この作品で特に重要な役割を果たす執事のブラントン。学があり、それを鮮やかに披露するように、屋敷と一族の歴史を語る。その流れで様々な歴史絡みの話題が続く。この辺りもこのエピソードの特徴になっている。
 食後の会話での、「あの才能で執事の職に長く甘んじているのが不思議だ」というワトスンの台詞が、実はこのエピソードのキーとなっている。
 感心するのは、ブラントンがフルートを吹くシーン。ブラントンの構えも指の動きもほぼ完璧。

 遅ればせながら事件に参入

 翌朝のレイチェルの取り乱しようから、ブラントンに何かが起こったことを知るサー・レジナルドと、ホームズたち。普段のホームズなら、この時点で「警察に連絡したまえ」などと、事件性をい嗅ぎ付けそうだが、今回は少々ノンビリ気味。レジナルドとワトスンが猟に出かけて帰宅してから、夜中に何かがあったことに話が至る。
 ここから、マスグレーブ家の儀式所に関わる宝探しが始まる。途中にレイチェルの失踪が挿入されるが、こういう時必ず見張りが寝ているのは何故だろう。
 かつては存在した楡の木と、子供の頃に測量した記憶、そして風見の飾り。そこまれでは中々上手く説明がついているし、釣竿を使った実地測量も納得が行くが…しかし、「歩数」というものがどれほど当てになるか怪しい。季節の問題を完全に無視したのは、ブラントンが実際に測量した日付と、ホームズたちが測量した日付の違いに、構成上の矛盾が生じるからだろう。
 それにしても、旧家の当主と、良い年した紳士が道具をそろえて、どたどたと敷地内を駆け回るのは中々楽しげな光景。極めつけは、当主を漕ぎ手にしての堀渡り。大人の宝探しもここに極まれり。王政復古時代を思わせる、大仰な音楽も効果的。

 この後の展開は、ホームズの頭の中で事件の構成がされなおさせる。レイチェルが結局池から発見されるに至るのは、このドラマ独特の構成と演出の産物で、なかなか強烈だった。
 この作品の面白さは、チャールズ一世から、チャールズ二世に至る清教徒革命と、王政復古という歴史的事件と、それを伝える古文書、失われた本来の意味 ― そして、それがまさに「復活」するという展開であり、それを古い屋敷を舞台にしているところに、良さがある。改めて見直すと、なかなか味わいのある作品だ。
 最後のシーンに、ミレイの「オフィーリア」を模したショットが来るのは、とても素晴らしい演出だった。歴史とシェイクスピア、いかにもイギリス的。

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修道院屋敷

 推理小説に時々登場する、「関係者が犯人を庇う」パターンの作品。捜査する側も一度はその「作られた状況」に納得するが…そこからホームズの活躍が始まる。

 いつもの起し方

 ホームズは自分の身支度を完璧に終わらせてから、ワトスンを起しに来る。確か、「入院患者」以来、二回目か?
 原作に出てくる警察の中で、若いホプキンズは私のお気に入りなのだが、グラナダでは地方の中年以上の刑事ということになっているのが残念。
 現地に到着したホームズに、ブラッケンストール夫人は、どう言うわけだか長々と夫と自分について語る。ホームズが言葉を引き出すのを待たずに話す様子は、後から思えば少々不自然と言えるだろう。
 ロンドンに戻る途中で下車した時も、自分は既に車外に出ている。朝、ワトスンを起した時と同じパターン。イギリスのドラマは大抵そうだが、機関車の本物が堂々と登場して、目を楽しませてくれる。

 形勢逆転

 再び修道院屋敷に戻ったホームズとワトスン。機械の墓場にペットの墓を見つけ、人の家の壁によじ登って事件の見当をつける。検討はついても、証人が真相を隠すのだから、探偵にとっては至極やりにくい。噴水の前での、夫人,テリーザとの会話が、それを如実に語っている。池に沈んでいるであろう、食器の件は、ホームズの観察眼がよく表れている。

 船会社のビビアーニ氏が中々良いキャラクター。ワトスンの著作を読んで、推理力を磨いたなどと得意げに語るところが良い。私はこの手の血の巡りの良い脇役が好きだ。お茶を持ってきた女性職員も良い味を出している。

 真犯人にあたりをつけ、ベイカー街に呼び出す。クローカー船長は既に語られるようなハンサムな好人物。ザ・バンド(60年代から70年代にかけて活躍したカナダ&アメリカのバンド)の、リック・ダンコに似ているような気がする。
 結局、クローカー船長の犯行を明るみにし、夫人とテリーザが犯人を庇ったという複雑な構造がはっきりする。夫人をベイカー街に呼び出したのは中々気の利いた演出。夫人の赤いフカーフの結び方がお洒落。
 最後に、ワトスンはホームズが判事と弁護士を兼務した事に異論を唱えた。「青い紅玉」でも同様だったが、ワトスンはホームズが犯人を逃がす事をあまり好ましく思っていないのかもしれない。無論、逃がすという行為自体は、ワトスンでも同じ事をするかもしれない。ただ、ワトスンはホームズがあまり重い物を背負い込みすぎるのが心配なのかも知れない。

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もう一つの顔

 「こんなに上手く行くはずが無い」と思いつつも、話の展開の面白さから、私が好きなエピソードの一つになっている。シェイクスピアの台詞などを挟む楽しさも良い。

 Without a trace

 ロンドンのビジネス街から、元気なビジネスマンが飛び出してくる。「ボートの三人男」の一人がその中に居そうな雰囲気だ。
 夜のベイカー街に友人の夫人がやってきて、ワトスンが友人をアヘン窟から「回収」することになる。ホームズとワトスンがクラブで会食をする約束をしておきながら、ホームズがその約束をすっぽかし、一方でワトスンも友人の問題を解決する為に出かけることになる。二人の日常が見え隠れするようで楽しい。

 アヘン窟に居たホームズと鉢合わせ、「吸ってはいないんだな?」「雰囲気に溶け込むために、ちょっと…」という会話がお気に入り。

 ホイットニー夫人は美しく、立ち居振る舞いも毅然としていて、しかも脅しには屈しない強い態度が格好良い。ホームズもその点は名言している。現場では自ら家捜しをして、積木や服を見つけ出し、ブーンたちを詰問する。
 登場する警部、ブラッド・ストリートは容姿も堂々としているし、吹き替えの声も格好良い。

 さらば、愛しの…

 そして例によって身支度が終わってから、ワトスンをたたき起こすホームズ。バカ丁寧に「起きてください」と言っている割に、要求はかなり強引。前夜の話し合いや、警察署に向かう途中の馬車での会話など、丁々発止の掛け合いが多いのも、私が好きな点。
 すっかり衣服を改め、身奇麗になったホイットニー。その姿を見る巡査の僅かにビックリした顔が笑える。
 被害者が実は容疑者だったという構成を、うまく作り上げており、それを導く小さな事象も非常に良く出来ている。結局誰も死ななかったエピソードであり、演出的にはもうすこし明るくても良いのではないかと思う。

 最後に、ホイットニーがブーンの扮装道具を燃やすシーン。これまでにシェイクスピアや、テニスン、チョーサーなどで楽しませてくれたが、最後はシェイクスピアの「ハムレット」。ホレーシオがハムレットのなきがらに語りかける台詞で締めてくれた。

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