Sherlock Holmes  シャーロック・ホームズ  Pastiche  パスティーシュ

 
         フィールズ校の初夏 
  

フィールズ校の初夏 5

 マイクロフトは、ゆっくりと葉巻の煙を吐き出した。そして私の顔をみて微笑んでいる。一方、ホームズは相変わらず化学実験道具の満載された机にかじりつき、薬品を測ったり、振ったりしていた。
「それで…どうなったのです?」
 私はマイクロフトに話の続きを促した。すると、マイクロフトは、腹を揺らして笑った。
「私の『調査』はここまでさ。私には、ヘンダーソンのレポートを持ち去った犯人が分かっていたからね。無論、証拠もないし、私の推理の域を出ないが、とにかく犯人本人を問い詰めれば、簡単に分かるだろう。そこでだ、ワトスン君。きみは誰が犯人だと思うね?」
「犯人ですか…。」
 私は来たぞ、と思いつつ少し困ってしまった。良いところまで散々話し聞かせておいて、大事なところになると急にもったいぶる。このホームズ兄弟は本当に良く似ている。そうやって私を困らせる時の、瞳の輝きなど、同一の人間なのではないかと思うくらい、そっくりだった。
「そうですね…」
 私は椅子に座りなおしながら言った。
「事件には大抵動機がありますけど、この事件の場合、それがどうもはっきりしない。若い学生達の悪ふざけとしては、仲間のレポートを隠すくらい、良くある事ですが…それにしては被害が大きいし、二回も連続しては、悪ふざけでは済みませんね。そこで、動機はさておくとして…マイクロフト、あなたの説明を聞いた感じでは、どうやらグラウンド脇の焚き火場が怪しいということになりそうです。」
「いいぞ、ワトスン。」
マイクロフトはにっこり笑った。
「話して聞かせる以上、重要なところは重要に聞こえるように話すのだから、当然だ。続けてみたまえ。」
「ええ…つまり、焚き火が事件と関連するとすれば、当然レポートを燃やしたという事になります。今回なくなった二つのレポートのうち、二つ目の方は、コーク先生の落ちた落とし穴で見つかっているから、当然一つ目のレポートが燃やされると考えられる。一つ目のレポートは、提出日前日にヘンダーソンが自習室の机にしまったっきり消えてしまっているので、自習室にこっそり入る事が出来た人物なら、誰にでも盗めます。
 と、なると…やはり焚き火が決め手すね。対抗戦直前の時期に、フィールズ校の生徒が誰にも怪しまれずに盗んだレポートを燃やすにはグラウンド脇の焚き火が最適だ。学校や寮の暖炉やかまどでは、誰かに見られる危険が高いし、第一目立つから。そこで当然、浮かんでくるのが、ヘンダーソンと同室で二年生のワイドストリートということになる。」
「そのとおり!」
マイクロフトは大きな声で言うと、嬉しそうにブランデーを一口ふくんだ。
「そのとおりだよ、ワトスン君。良いかね、私が一連のレポート紛失の話で気になったのは、第一の紛失と、第二の紛失は非常に性格が違うという事だ。第一の盗難の場合、レポートを自習室の机から盗み出すのは、ヘンダーソンの身近に居て、レポート提出の話を知っていれば、誰にでも簡単に出来たという事だ。一方、第二の盗難は、人が居たり、施錠されたりしていた数学教官室に入らなければ実行不可能だ。
 君の言う通り、第一の盗難の犯人はワイドストリートであり、彼は同室,同自習室のヘンダーソンが、レポート提出を控えていた事を知るのは至極簡単だろうし、夜中に生徒達が寝入った隙に自習室に忍び込み、レポートを盗む事も可能だ。そして、彼の場合グラウンドキーパーと仲がよく、しばしば焚き火を起こす手伝いをしている。そうだ、彼だ。彼なら証拠の始末も簡単だ。」
 私もマイクロフトと同意見だが、やや腑に落ちない面もあった。
「しかしマイクロフト、動機は何です?」
「ワトスン君、第一の盗難の結果、ヘンダーソンはどうなった?」
「対抗戦のラグビーに出場できず。」
「それから?」
「レポートの再提出を指示された。」
「それから?」
 私は目をしばたいて、マイクロフトに見入った。彼は相変わらずニヤニヤしながら言った。
「そう、それからが大事なのだよ。レポートが盗難に遭い、ラグビーに出場できなかったヘンダーソンは、代わりにサッカーに出場することになった。」
「ワイドストリートは、サッカーが得意で、次期主将候補…」
「それだ!」
 マイクロフトは大声で言うと、バシンと手を打ち鳴らした。
「ワイドストリートはサッカー選手としては優秀だが、いかんせんフィールズ校のチームは弱い。そこで、スポーツ万能で活躍が非常に期待できる、ヘンダーソンをサッカーに出場させようと、画策したのだよ。アンドリュー・クロス寮でヘンダーソンが、同級生のカークやネイと話している内容によれば、レポート提出を妨害すると、必然的にラグビーは出場できなくなり、再提出となればサッカーになら出場できる事になる。ワイドストリートはこれを利用したんだ。
 盗んだレポートの処分だって、グラウンド脇の焚き火場の常連であるワイドストリートには造作もなかっただろう。」
「でも、それは推測ですよね。」
「まぁな。でも、当人が白状してしまえば、話は別だ。」
「白状しましたか。」
「したとも。実のところ…」
マイクロフトは葉巻をもう一本切ると、悠然と火を点けた。
「状況把握が完了して、第一の盗難の犯人がワイドストリートだと分かった時点で、私はもう面倒臭くなってしまった。どうせ犯人はまだ十四,五歳の子供だし、動機も他愛もない。このまま放っておきたい気分だったが、コーク先生がそうはさせなかった。何せ、コーク先生も私が焚き火場の確認をしたことで、ワイドストリートに疑いを持ったのだから。
 こうなっては仕方が無い。ワイドストリートを呼び出し、ヘンダーソンのレポート盗難について、改めて問い詰めた。あっさり認めたよ。」
「あっさり?」
「あっさり。焚き火場で始末しただろうとまで言われて、否定しつづけるほど肝は据わっていなかったんだな。動機はやはり対抗戦だ。弱小フィールズ校のチームにおいて、一人気を吐くワイドストリートは、ヘンダーソンを参加させて、少しでも試合を有利に運ぼうとしたんだ。しかも、例の年上の婚約者が試合を見に来るというのだから、良心に逆らい、危険を冒してでもレポートを盗み出すような大胆な行動に駆り立てられたのだ。」
「それは分かりますが…」
 私は首をかしげて、マイクロフトに疑問を投げかけた。
「しかし、結局ワイドストリートの目的は達成できませんでしたよね。二回目のレポート盗難が起こり、ヘンダーソンはサッカーの試合にも出られなかった。」
「その通り。だから、ワイドストリートは二度目の盗難は絶対に自分ではないと、強く主張した。」
「では誰が…?」
「さっきと同じ会話だよ、ワトスン。第二の盗難の結果、ヘンダーソンはどうなった?」
「学校の理事会に掛けられた。」
「それから?」
「対抗戦のサッカーに出場できず。」
「それから?」
「フェンシングの試合に…ええ?」
 私は思わず、大きな声でマイクロフトに訊き返してしまった。嬉しくてたまらないという表情のマイクロフトが何か言おうとしたその時 ―

ブシュゥーッ!

 奇妙な音が上がった。振り返ると、シャーロック・ホームズ君が持った試験管から、何やら不吉な緑色の霧が沸き上ったのだ。続いて起こった現象は、まずむせ返るような夏草の臭いが凄い勢いで居間にたちこめ、ホームズを中心とした、様々なものが薄緑色に染まり始めた。
「ホームズ!きみ、何やっているんだ?!」
 私は頓狂な声を上げたが、ホームズは真面目腐った顔で、試験管の中を眺めている。
「実験成功。」
 私は呆れて物も言えない。マイクロフトは動じるどころか、悠々とソーサーでカップに蓋をしている。私としては、笑い事ではない。新しく買ったばかりのノートや本が緑色になってしまったし、第一ひどい臭いだ。たまらず、私は窓を開けに走った。ホームズ兄弟はそれを手伝いもしない。マイクロフトなど、平気な顔をしてお茶の残りを飲んで、暢気に言った。
「ワトスン、窓も良いがドアの鍵は閉めたほうが良いぞ。ハドソン夫人が乗り込む前にな。」
 ああ、気の毒なハドソンさん。またもや店子に部屋を駄目にされてしまった。
 私はため息をつきながら、その場凌ぎと理解しつつ、マイクロフトの言う通りにした。そして起こってしまったことは諦めるとして、またマイクロフトの向かいの椅子について、話を戻した。
「つまり、シャーロック・ホームズが第二の盗難の犯人だと?」
「そうだよ。」
マイクロフトはウフフと笑いながら、また腹をゆすった。
「シャーロックは第一の盗難には無関係だが、私と同じように犯人がワイドストリートであることに気付いたんだろう。だからグラウンド脇の焚き火場の跡を調べていたんだ。」
「グラウンドキーパーが見たのは、一年生のシャーロック・ホームズだったのですね?」
「そう。だからグラウンドキーパーは、私の顔を見て少し怪訝な顔をしたのだよ。焚き火場の跡を調べていた生徒に、似ていると思ったんだろうな。
 シャーロックは当初、犯人はワイドストリートだと看破して、また波風を立てるのは好ましく思わず、黙っていたのだと思う。」
 マイクロフトが話している間も、ホームズは無表情に実験台の上のものをガチャガチャいじったり、試験紙を図録と見比べたりしている。マイクロフトも側に居る弟を気にする様子も無く、説明を続けた。
「しかし、第二の盗難のチャンスは、シャーロックにとって偶然訪れた。三角測量の実習のために数学教官室に出向いたとき、偶然用具を持つ十人の生徒の中に入っていた。シャーロックがウィックス先生の机上に、ヘンダーソンのレポートを見たのは、この時だ。もし、このヘンダーソンのレポート提出を阻めば、今度はサッカーへの出場も出来ず、対抗戦最後の日程に組まれた、フェンシングの試合にヘンダーソンを出す事が出来るではないか!おお!何たる悪魔的な打算と閃き!」
 そうは言っても、マイクロフトの顔は笑っている。
「シャーロックは機を逃さなかった。数学教官室を出る前に、ウィックス先生の机からレポートとメモを失敬し、そのまま部屋を後にしたのだ。なぁに、ウィックス先生はニ限目も授業、ローガン先生は測量実習でしばらく戻らない、グラスマン先生はオックスフォードだ。今こそ、チャンス!」
「でも、そんな余裕がありましたか?」
「あったのだよ、ワトスン君。数学教官達の話を思い出してみたまえ。『測量用具を持ちました』とシャーロックを含む一年生十人が言ったので、ローガン先生は部屋を出るように指示し、『扉とは反対側の窓際にある、キーボックスから鍵を取り出した』。つまり一瞬、生徒達に背を向けていたのだ。シャーロックがレポートを失敬したのは、この一瞬だ。ほれ、こいつにはスリの才能があろう。」
「ああ…」
 私は思わず大きな声で言って、額を押さえてしまった。マイクロフトは構わずに続けた。
「かくして、ヘンダーソンのレポートは再度消えうせ、結局彼はフェンシングの試合に出る事になった。最初からフェンシングに出るつもりだったシャーロックにとっては、全てが上手く行った訳だ。そもそもフェンシングの名手であるヘンダーソンが加わって、フィールズ校は見事に大勝。観戦に来たホームズ家の人々も、大いに喜んだのだからな。」
「盗んだレポートはどうしたのですか?」
「発見された所に隠したのさ。」
「東棟の理化学備品室の地下ですか?」
「その通り。あの通り、シャーロックは化学実験好きだからな。フィールズ校でも化学のコーク先生と仲良くなって、よく実験室を使わせてもらっていた。その機会を狙って、レポートを隠したんだろう。」
「でも、よく地下室の存在を知っていましたね。すっかり塞がれていたのでしょう?」
「私が教えた。」
「何ですって?」
「そりゃワトスン君。七つ年上の兄が、学校から帰ってくるたびに、幼い弟に楽しい学校生活の話をしてやるのは、あたりまえだろう?当然、記念すべき落とし穴一号窟の話もしてあったさ。」
「だからホームズは地下室の存在を知っていて、かつての落とし穴を使ってレポートを隠したのですね?」
「そう言うことだ。まぁ、ただ一つ予想外だったのは、化学実験室の床が弱っていて、塞いだはずの落とし穴が復活してしまった事だな。みごとにコーク先生が落ちて、レポートが見つかったというわけだ。そして、キング先生が私に調査を依頼したというわけさ。」

 そろそろ、階下でハドソン夫人が騒ぎ始めた。これは何の臭いだと、メッセンジャーやボーイを捕まえて問いただしている。階上の店子が犯人だと分かるまでに、そう時間はかからないだろう。
 私はほんのりと緑色になった居間を、なげやりな気分で眺めながら、マイクロフトに先を促した。
「それで、どうしたのですか?先生方に、弟が第二の盗難の犯人だと報告したのですか?」
「まさか。するわけが無いだろう。」
「そうでしょうね。」
「第二の盗難については、好都合でね。ウィックス先生が数学教官室に戻ってきてから、ローガン先生に言われるまでの小一時間、小遣い,生徒数名、その上校長先生まで訪ねて来ている。疑うとしたら、この人々であって、卒業を控えた生徒や、校長先生を問いただすのも失礼だから、迷宮入りだと誤魔化しておいた。」
「ひどいなぁ、マイクロフト。あなたも共犯ですよ。」
「私も『溺愛の片棒担ぎだ』と言ったのはきみだろう、ワトスン。」
 犯罪の片棒担ぎは、そう言って悠然とお茶を飲んでいる。私はだんだん可笑しくなってきて、少し笑いながら尋ねた。
「それで、ワイドストリートはどうなったのです?何らかの処分が下ったのですが?」
「私だって、ワイドストリートに何らかの懲罰が下ったら、シャーロックを庇い切るのは潔しとしないさ。意外にも、レポートを持ち去ったワイドストリートにも、何の処分もなかった。ワイドストリートの犯罪については、キング先生の裁断で、キング先生自身と、コーク先生,そして私だけの秘密という事になった。
 ワイドストリートには、五つ年上の婚約者が居たろう。この婚約者の父親が、大陸にグランドツアーに出かけるとかで、娘も帯同したのだが、娘はワイドストリートと会えなくなるのは忍びないと主張してね。結局、ワイドストリートは私がフィールズ校を訪問して調査をした直後に、学校を中退して婚約者家族と共に大陸に旅立つことが決まっていたのだよ。
 彼はインド生まれだったからね、一行もインドまで行き、エジプトを経由し、しばらくパリに落ち着いたらしい。そこで結婚したとか、しないとか…まぁその辺りは伝聞だ。
 すぐにでも中退するワイドストリートを罰するのもなんだし、ヘンダーソンは忌々しい事はさっさと忘れて、楽しく学校生活を送っている。しかも私も事を蒸し返すこともあるまいと言ったので、キング先生もこの件はこれでおしまいという事にしたのさ。」

 私は、そろそろ暮れ始めた外の風景を見やりながら、ため息をついた。まだ臭気がひどくて、窓を閉めることが出来ない。
「やれやれ、マイクロフト。あなたは『フィールズ校でちょっとした事があった』と言いましたけど、聴いてみると、とんでもない話でしたね。」
「時効だよ、ワトスン。なぁ、シャーロック?」
 マイクロフトは陽気に言ってホームズに呼びかけたが、ホームズはフンと鼻をならして、無愛想に付け加えた。
「もう、帰ったらどうだい、マイクロフト。」
「いや、まだまだ。ハドソンさんの料理といただいて行こうと思うのだがね。」
 私は苦笑しながら、マイクロフトに向かって続けた。
「つまり、ホームズも負けず嫌いで、フェンシングの試合で無様に負けるのを、ご両親に見られたくなかったのですね。」
「そうだな。ああ見えて、実は親に良いところを見せたいだなんて、弟にも意外と可愛いところがあるだろう。」
「ご両親は、本当にシャーロックを可愛がっていたんですね。」
「そりゃもう。」
「お亡くなりになったのは、いつです?」
すると、マイクロフトは弾けるように笑い出した。
「なぁに!まだ生きとる!」
 私はびっくり仰天してしまった。マイクロフトの存在を知るまで、ホームズは天涯孤独の身だと思い込んでいた私である。よもや両親が健在だとは思いもしなかった。マイクロフトもそれを察したようで、ゲラゲラ笑った。
「くにで、二人ともピンピンしているよ!そうだ、今度ワトスン君を実家に招待して、会ってもらおう!」
「マイクロフト、もう帰れよ!」
 とうとう弟が実験台から喚き始めた。しかし、兄は知らん顔だ。
「シャーロック、お前は来んでいい。ワトスン君、クリスマス休暇の予定はもう立てたかね?」
 弟シャーロックはひどく不機嫌な様子で椅子を蹴り、実験台から離れると、素早く鍵を開けて居間から出て行ってしまった。マイクロフトと私が笑いながら顔を見合わせた。階下で異臭の原因を問い詰めるハドソン夫人と、ホームズの口論が始まっていた。


                          フィールズ校の初夏 完


あとがき

 私のホームズ・パスティーシュ「フィールズ校の初夏」を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
 ホームズは長編と短編を交互に書いています。短い作品は軽い読み物にしていますが、今回はホームズの兄マイクロフトを中心に書いて見ました。いかがでしょうか?
 私は最近、"Sweet"というイギリスの短編映画を見て、その展開が気に入ってしまいました。主役が右往左往する中、その親友が無害な振りをして実は自分の目的のために親友を裏切る腹黒い男だった、という話。その影響を受けて、今回のお話の犯人を設定しました。
 また、ホームズの家庭環境については、ずっと以前から設定していた物を入れ込みました。私の想像では、家族総出でホームズを可愛がり、我侭一杯です。ついでに悪乗りして、両親は故郷に健在という事にしました。将来的には…どうでしょう?ホームズの両親が活躍する話となると、これはもうパスティーシュではありませんね。
 次回作はまた、少し大きめの作品にしたいと思います。
 最後にもう一度、最後まで読んでくださった皆さんにお礼を申し上げます。ご感想などいただけると、嬉しいです。



                                 17th July 2006
ホームズ・パスティーシュ
トップへ
ホームズ トップへ 掲示板,もしくはメールにて
ご感想などお寄せください。

No reproduction or republication without permission.無許可転載・再利用禁止
Copyright(c)2003-2006 Kei Yamakawa All Rights Reserved.