Sherlock Holmes  シャーロック・ホームズ  Pastiche  パスティーシュ

 
         チェスナット荘の殺人 
  

12. もう一つの真相

 ベーカー街に戻った翌日から、私はいつもの診療所での仕事に戻った。ホームズは事件を解決した後の常として、一日じゅう自室に引きこもっていたと思われる。
 だから、午後になって彼からの電報が届いた時は、少し驚いた。電報は、夕食を外で一緒にとろうという誘いで、しかもそれが、かなり高級なクラブのフランス料理なのだ。こういう時はだいたい、行きつけのイタリア料理屋に行くのだが。
 こんな高級な店に予約をとるくらいだから、ホームズも意気込んでいるのだろう。遅れては悪いので、仕事を早めに片付け、馬車で時間どおりに店へ駆けつけた。

 ボーイに案内されて席に向かうと、既にホームズは到着していた。随分早く来たらしく、すでに灰皿が一杯になっていた。
 「やぁ、ワトスン。時間どおりだね。」
 ホームズはニコニコしながら、座るように促した。よく見ると、テーブルは三人分の準備がされている。ホームズが続けた。
「ああ、そこはホプキンズ君の席だ。彼も呼んだのだよ。事件解決のお祝いも兼ねているからね。」
「なるほど、それでこんなに良い店にしたのか。しかし、ホプキンズ君は時間通りには来られまい。今日は書類作成と起訴手続きで忙しいはずだ。」
「その方が好都合だ。何せ、今晩の主眼は謝恩だからね。ウェイター!」
 ホームズは上機嫌でウェイターを呼び止めると、二人分のシャンパンを注文した。
「つまりね、ワトスン。きみへの感謝の気持ちを表したくて、招待したのさ。ホプキンズ君はついでだ。」
「感謝の気持ち?」
 私は驚いて、ホームズの顔に見入った。するとホームズは静かに微笑みながら言った。
「そうさ。きみがバリーズベリーへ、ぼくを助けに来てくれたお礼だ。」
「ホームズ…」
 私があきれていると、シャンパンが運ばれてきた。私たち二人の前に、きらきらと黄金に輝くシャンパンのグラスが置かれる。ホームズはそれを手にとった。
「さぁ、ワトスン。君への感謝と、友情に乾杯しよう。」
 ホームズがあまりにも深い情愛にあふれた顔をしているので、私は言葉を失い、ホームズに釣られてグラスをあげた。ホームズは心のこもった仕草でグラスを口に運んだが、私はグラスを持ったまま、呆然とそれを眺めていた。
 ホームズはひとまずグラスを置くと、「さてと」と言って、私を改めて見た。
「ワトスン、感謝の印に、受け取ってもらいたい物があるんだ。」
 彼は上着のポケットに手を入れると、濃紺のビロード張りになった小さな箱を取り出した。そしてそれを、まだグラスを手にもっている私の目の前にそっと置いた。
「あけてみてくれたまえ。ぼく自らボンド・ストリートに赴いて、選んできたんだ。きみに良く似合うと思うよ。」
 私は嫌な予感がしつつ、グラスをテーブルにもどすと、そっと箱の蓋を開けてみた。箱の中には、やはり濃紺のビロード・クッションがあり、その上に金のピンが輝いていた。しかもピンの先端には、深い緑色の光を放つエメラルドが洒落た台座に支えられている。私が箱を少し動かすと、レストランの部屋を明るく照らすガス灯の光を反射して、きらきらとその存在を誇示した。
 「どうだい?気に入ったかい?」
 ホームズは嬉しそうに私の顔を見つめている。
「ホームズ、これは一体…」
「言ったろう?感謝の気持ちだよ。きみにはどれほど感謝の気持ちを言っても足りないくらいだ。たまには贈り物という形で、ぼくの気持ちを伝えたいんだよ。どうか受け取ってくれ。」
 私はそっと蓋をしめた。
「ホームズ、だめだよ。こんな値の張るものを、受け取るわけには行かない。」
「驚くのは無理もない。もちろん、物がぼくの気持ちを代弁する事はできないし、ぼくらの友情は宝石なんかよりもっと、もっと価値のあるものだ。ただ、こうでもしないと、ぼくの気持ちがおさまらない。どうか、ぼくの我がままを聞くと思って、受け取ってくれ。」
「ホームズ、悪いけど私はそれほどの事をしていないよ。」
 私は真面目に言ったが、ホームズは相変わらず幸せそうに微笑んでいる。
「きみは、バリーズベリーに来てくれたじゃないか。牢につながれたぼくの元に、きみは駆けつけてくれた。」
「大英帝国には、汽車という便利な乗り物がある。」
「そうじゃないよ、ワトスン。ぼくが言いたいのは、きみがぼくの思いを受け止めてくれた事に感謝しているということなんだ。」
「思いを受け止めた?」
「そうだよ。ねぇ、ワトスン。ぼくは今まで、科学で説明のつかないことはまったく信じなかった。だから、牢に入れられたとき、どれほど心の中できみに助けを求めても、無駄だと思っていた。」
「心の中で?」
 私はいちいち、聴き返す事しか出来なかった。ホームズは、声を感動で震わせ、目にはうっすら涙まで浮かべている。
「そうだよ。バリーズベリーの牢に入れられたとき、ぼくは何度も何度も、心の中できみの名を呼んだ。『ワトスン、いますぐ来てくれ。ぼくにはきみが必要だ』ってね。今でも信じられない気持ちだが、きみはその心の叫びを、遠く離れたコーンウォールで聞き取り、ぼくを助けるべく、バリーズベリーへ駆けつけてくれた。」
「それは…」
「そう、心の中で、何度も、何度もきみを呼んだぼくの声を、きみは感じ取っていたのだね。ああ、ワトスン。きみにとっては当たり前なのだろうけど、ぼくにとってこれは奇跡なんだ。友情という形のない ― そう、情緒的な、 ― 魂という漠然とした強い思いが、きみに届き、きみはぼくの元に駆けつけてくれた。ぼくは今まで、愚かにもそれほどにも強いきみとの友情を、本当の意味で理解していなかったんだ。この贈り物は、ぼくが真にきみとの友情を理解した記念品として、受け取って欲しい。」
 「ちょっと待てよ、ホームズ。」
 私は身を乗り出した。
「ホームズ。きみ、『心の中で呼んだ』って言ったな。」
「言ったよ。」
「でも、電報を打ったろう?」
「電報?」
 こんどはホームズがオウム返しにする番だった。
「電報って?」
「私にバリーズベリーに来いと言う電報さ。」
 ホームズは口の両端を上げたまま、引っ張られるように首を僅かに傾げた。
「電報なんて打ってない。」
「忘れたのかい?きみからの電報をもらったから、私はバリーズベリーに行ったんじゃないか。」
 ホームズは首を真っ直ぐになおすと、か細い声で訊き返した。
 「じゃぁ…ぼくの心の声が聞こえたわけじゃないのかい?」
「聞こえなかったよ。」
 ホームズの顔の筋肉から、上向きの力が全て失われてしまった。彼はダランとした表情になって、私の顔をぼんやり見ている。私はポケットから手帳を取り出し、挟んであった紙片を取り出した。
「ほら、この電報。記録のために取ってある。
 『シキュウ バリーズベリー ニ コラレタシ。 タスケヲ モトム。 SH 』
 これを受け取ったから、私はバリーズベリーに行ったのさ。きみが打ったのだろう?」
 ホームズは手を震わせながら小さな電報文の紙片を受け取り、ゆっくりと視線を落としてそれを読んだ。そしてまたゆっくりと顔を上げると、真っ白な顔で私を見た。電報文を私に返しながらも、表情というものが消えうせている。
 「ぼくは打ってない。」
「ええ?」
「ぼくが打った電報じゃない。あの田舎巡査に逮捕されて、すぐに牢にぶち込まれたから、電報局に行く暇もなかった。」
 私は驚いて目をみはった。どうやら、バリーズベリーで、私に対する彼の態度がおかしかった理由が分かってきた。
 「きみが打ったのでなければ、どこの『SH』が打ったんだ?それとも誰かがホームズの名を騙って…」
 その時、私たちの背後から、聞きなれた、張りのある若々しい声がした。
 「すみません、先生がた!遅くなってしまって…。」
 ホームズと私が振り返ると、そこにはスコットランド・ヤードの優秀な若手警部が立っている。
 ホームズはゆらゆらと立ち上がると、ひどく緩慢な仕草で、頭を上下させながら相手の頭のてっぺんからつま先までを見た。そしてすさまじく恐ろしい声で唸ったのだ。
タンリー…プキンズ…!」
「いきなりなんです、ホームズさん。あれ、お顔の色がすぐれませんね。ご気分でも悪いんですか?」
「電報を打ったのは、おまえだな…!」
「電報?」
 ホプキンズは私が手に持ってヒラヒラさせた電報を覗き込み、「ああ」と言って朗らかに答えた。
 「そうですよ。ホームズ先生逮捕だなんて一大事ですから、すぐにワトスン先生に来ていただこうと思いまして。ハドソン夫人に問い合わせたら、連絡先を教えてくださいましたから、ぼくが打ちました。気が利くでしょう?それがどうかしましたか?」
 次の瞬間、ホームズは私の目の前からすごい勢いでビロードの小箱をひったくり、上着のポケットにねじ込んだ。
「ホプキンズくん、逃げたほうがいい。」
 私が言い終わる前に、ホームズはホプキンズへ向かって一歩踏み出していた。
 機敏なホプキンズはすぐに踵を返すと、出入り口に向かってスタスタと歩き始めた。ホームズはそれを逃すまいと、やはり大股で歩を進めて追う。最低限は紳士らしく振舞おうとしていた二人も、店を出たら全速力で走り出した事は、想像に難くなかった。


                       チェスナット荘の殺人 完



 私のシャーロック・ホームズ・パスティーシュの6作目、「チェスナット荘の殺人」を最後まで読んでくださり、ありがとうございました。サイト的にもずいぶん長いブランクをおいての作品発表となりましたが、いかがでしたでしょうか?

 この作品は、まず冒頭の電報と、最後のレストランのシーンが先に、しかも完璧に出来上がっていました。この二箇所を書きたいがために殺人事件を起こしたようなものです。その事件も、11章にあたる最終シーンが先にできていました。このシーンや、犯人像に関しては、某大物推理作家の、某大作に多大な影響を受けていますが、ミステリー,およびその映像化ファンならお分かりになったと思います。
 電報とレストラン、殺人事件、両方ともまぁまぁ書けた方かなぁ、と思います。10章あたりのホームズとワトスンのやりとりは、ややBBC[SHERLOCK] の影響が出ているような気がします。

 いくつか、ネタもありますので、解説しておきます。まず、殺人の舞台となった「チェスナット荘」という名前は、アメリカのロックバンド,The Byrdsの楽曲 "Chestnut Mare"から取っています。ホームズが使った偽名,ショーン・ヒープスは、「ひつじのショーン」から。10章に登場した鳥類学者アスピノールは、ビートルズのマネージャーだったニール・アスピノールから。
 登場する女性二人の名前を花の名前にしたのは、コニー・ウィリスの小説「犬は勘定にいれません」の影響です。マグノリアという名前は、やはりアメリカのロックバンドTom Petty & The Heartbreakers の楽曲 "Magnolia" から取っています。

 さて、次回作はどうなるでしょうか。順番からすれば短く軽めの作品ということになりますが。BBC[SHERLOCK]のパスティーシュもそそられますが…さぁどうでしょう。
 再度、読んでくださった皆さんにお礼を申し上げます。感想などありましたら、掲示板やメールなどでお寄せください。次回作への糧となりますので。
 
                         9th November 2011 山川 慧


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