Sherlock Holmes シャーロック・ホームズ

  
2002年 BBC製作 バスカヴィル家の犬 その3 

Caution!
 以下は、全て
ネタバレです。犯人や、ストーリー構成、ネタなどすべてネタバレ前提で感想などを書いていますので、これから鑑賞するという方は、ご注意ください。

 ジョン・H・ワトスンの冒険

 グラナダ以前のホームズ影像作品には、「頭が悪く、マヌケなワトスン」がしばしば登場しました。原作ではホームズの天才的な才能との対比物としてのワトスンが存在しており、また読者と同位置の視点を持つ存在としての役割も、ワトスンが果たしていました。映像作品は原作を誇張する傾向にあるため、原作のワトスンの「普通さ」が、ホームズの「非凡な才能」を誇張する為に「愚鈍さ」に調整されたと考えられます。それに伴なって、原作にはほとんど描写のないワトスンの容姿も、ホームズの長身痩躯の対照として「太っている」と描写される事もよくありました。

 グラナダの画期的な点は、ワトスンという人物の再現でした。「ホームズの引き立て役」ではなく、「ホームズの友人,パートナー,そして記録者」のワトスンは、どんな人物か?読者の視線を作中で代行するというワトスンの役割上、彼はヴィクトリア朝の典型的な紳士であるという解釈がされました。そしてホームズが信頼する友人として相応しく、教養があり、常識的で、温厚で包容力のある人物 ― これが、グラナダのワトスンだったと思います。
 そして、今回のBBCです。BBCでは、更に一歩進んで新たなワトスン像を創造しました。原作に忠実であればグラナダ止まりですが、原作における矛盾点に着目したのが、BBCなのではないでしょうか。

 「バスカヴィル家の犬」で顕著なのは、ホームズに対して厳しい態度を獲るワトスンです。ホームズがロンドンにとどまるといっておきながら、実はダートムーアに来ていたという事を知ったワトスンは、相当頭に来てホームズに噛み付きます。その後も、本星やベリルの正体について後になって喋るホームズを咎めているし、レストレード来訪を黙っていた事にも「また秘密か」と一言。
 グラナダのように「しょうがないなぁ」という態度で流すのではなく、ワトスンが本当に怒っているので、鑑賞者の中でにはこのワトスンを受け入れられない人も居たと思います。よりによって、ホームズと喧嘩をする、無愛想なワトスンなんて!ワトスンはホームズの理解者でなきゃ! ― と。
 しかし、現実的に考えてみると、このワトスンの態度は妥当なのかもしれません。ワトスンはホームズの同居人であり、親友であり、仕事上のパートナーでもあります。これは一言で言えば信頼関係です。その「ワトスンにとって信頼すべきパートナー」であるホームズが、ワトスンを「騙して」、自分が行動しやすく仕向けたとしたら普通 ― 怒ります。少なくとも私は怒ります。しかもホームズが「いい気」になっているのなら、なおさらです。
 ここで露見するのが、原作の「矛盾」です。現実的に考えればワトスンはホームズに対してもっと怒りを感じても良いのに、原作のワトスンは苛立ち少々、失望一瞬、怒りはほとんど無く、圧倒的にホームズの才能に対する賛辞を書いているのです。
 小説なんだから当たり前だし、ワトスンの役割からも当り前の事ですが、現実的には少し奇異なこの「矛盾」は、「コケにされても平気なワトスン ― 愚鈍でホームズの引き立て役でしかないワトスン」というワトスン像を引出すきっかけになっていたのではないでしょうか。一人称の小説であるがゆえの矛盾を解消するとしたら、今回のBBCの試みは、一つの解答となり得ると思います。
 しかも、今回のBBCによるドラマ化はホームズとワトスンの年齢を、40歳かもう少し若いくらいに設定しています。その位の年齢の、しかも冒険好きで好奇心旺盛な男が二人つるんでいるとしたら、妙に仲良しなばかりのベタベタした関係より、多少のとげとげしさもある今回のホームズとワトスンの方が、自然ではないかとも、思えるのです(これは好みの問題でもありますが)。

 重要なのは、今回のBBCのワトスンに関する試みは、「原作から一歩踏み出した冒険」であり、決して原作に忠実ではないという事です。私のようにこの冒険を歓迎する人も居れば、原作やグラナダのような雰囲気を壊されたくない人も居るでしょう。意見の分れる所です。

 ここで私がもう一つ思うのは、BBCが大胆な冒険をするに至る因子として、ワトスンを演じたイアン・ハートという俳優の存在があったのではないかと言う事です。とりあえずキャスティングをしてから、脚本の読み合わせや衣裳合せ、カメラテスト、リハーサルをしているうちに、脚本や演出に変更が加わるというのは、良くある事です。私の想像ですが、BBCが冒険して創造しようとしたワトスンに、イアンがばっちりハマり、その冒険を更に推し進めたのかも知れません。それほど、イアンのワトスンは魅力的でした。


 イアン・ハートという俳優

 イアン・ハートと言うと、なんと言っても映画「バックビート」(1994)で演じた、ジョン・レノン役が有名です。ビートルズがメジャー・デビューする前,下積み時代の物語で、主役は画家でベースを担当していたスチュアート・サトクリフ(byスティーブン・ドーフ)でしたが、完全に主役を食ってしまったのが、イアン・ハートです。
 イアンの顔立ちは特にジョンに似ていると言う訳ではないのですが、強度の近眼っぽい目つきや、強ばった笑顔、仕種や歌い方などがそっくりでした。その上、イアンがジョンと同じリヴァプール出身のため、強烈な訛りの喋り方もそっくり。しかもワルガキ体質で天才的な才能、感情コントロールに難があり、ナイーブで傷つきやすいジョン・レノンっぽさが、びっくりするほど再現されていたのです。
 映画そのものは、まぁまぁと言った所 ― 「ジョージ、ママのスコーンを出せ!」とか、「ポール、そっくりすぎるぞ」とか、小ネタは楽しみつつ ― でしたが、とにかくイアンの圧倒的な演技が光っていました。
 ここまでジョンの演技が上手だと、イアンはこの先役者としてはどうなのだろうかと心配したものですが、漏れ聞こえる所によると、中々渋い映画で味のある脇役や、テレビなどでも活躍。その上、「ハリー・ポッターと賢者の石」というメジャーな映画で、重要な脇役を務めるなど、私も安心しておりました。

 そこに来て、このBBC「バスカヴィル家の犬」において、ワトスンを演じるという情報が!私はこの時点で、「かなり良いのでは…?!」という予感がしていたのですが、結果は期待通りでした。
 これまでのワトスン像を打ち壊す ― というより、喧嘩を売っている ― ワトスン@イアン・ハートの魅力を、出来る限り語ってみたいと思います。したがって、主観のみのミーハーな感想文となります。なにとぞご容赦を。


 イアン・ハート演じるワトスンの格好良さを語る

 ホームズとワトスンが最初に登場した時、やおら脱いでいるのでまず度肝を抜かれた私ですが、同時に「若いって、良いわね〜」と、下らない感想を漏らした事も事実です。そんな話はうっちゃって、舞台がベーカー街に移ると、きちんとフロック・コートを着込んでいました(当たり前だ)。
 ホームズが依頼人から話を聞く合間合間に、短く質問を差し挟むタイミングなど、中々キビキビして格好良い物があります。ホームズに「Bのファイルを取ってくれ」といわれて、少しムっとしていますが、これは「いつもは自分で取るのに、依頼人が居ると見栄を張ってワトスンを使うホームズ」に対して、「またかよ」と、ムっとしたと解釈しております。
 このシーンで注目なのは、何と言ってもファイルを開けて、書類を渡すイアンの手です!指の関節を立てての仕種に弱いのです…。手首から指先まで凄く綺麗でした。ホームズに切り抜きを渡す時も、中指と親指で挟むという形が何とも…。男っぽいのに色っぽくて惚れました。
 手の仕種に関連して、もう一つ格好良かったのが、ホテルでの食事シーン。話の合間に、ワトスンが紙巻煙草をくわえるのですが、そのイアンの仕種も素敵でした。煙草は害なり。しかし、しばしばその仕種が格好良くて困ります。

 食事のシーンでは、ホテルとバスカヴィル館などがありますが、口の中でかみながら視線を動かします。飲む仕種は無造作なのですが、この辺りの対比も良かったです。
 細かい動きに対し、走り回る所では大変です。イアンはイギリス人の中では小柄な方で、広大なデヴォンシャーの荒野のなかでチビッコ走りする姿は、微笑ましい物があります。それを陰でホームズが眺めていたと思うと、こっちまで腹が立ちますが。
 そんなチビッコ・イアンも、決める時は決めます。セルデンの侵入に驚いたサー・ヘンリーの元に駆けつけるシーン。とっさに拳銃を取って銃口を空に向け、駆け出す寸前の姿は、刑事ドラマも真っ青の格好良さ!
 その上お茶目さもある。交霊会の最中に窓の外に巨大な犬が出現した時、咄嗟にワトスンは椅子を掴んで外へ。犬の姿の消えた屋外で、サー・ヘンリーに「何やっているんです?」と尋ねられ、ワトスンは自分が椅子なんぞ持っている事に気付き、「ライオンの調教の真似事です!」と答えます。これは完全にモンティ・パイソンです。マイケル・ペイリン演じる公認会計士アンチョビ氏が、職業紹介所を訪ね、ジョン・クリーズ演じる職員に「何がしたいのですか?」と尋ねられて、「ライオンの調教です!」というスケッチがあるのです。この時のアンチョビ氏とイアン演じるワトスンはまるっきり同じポーズです。イギリス人はここで大笑いするのでしょうね。
 ダートムーアでのワトスンは調査に余念がなく、聞き込みも欠かしません。ベリルに会った時、彼女に好印象を持ちつつも、サー・ヘンリーに関する秘密を握っていると知っているや、恐いくらい真剣な面持ちで、彼女の腕を掴んで問い詰めます。原作のとおり、フランクランド老人が登場したら、そのやり取りも面白そうでしたね。

 さて、BBCのイアン・ワトスンの最大の特徴は、ホームズに対して無愛想でつっけんどんであるという点。私は男が二人つるんだら、一方は調子良く、一方は無愛想になるという関係が結構好きなのです。ベーカー街からホームズに向かって笑っているシーンはありません。ホームズがコカインをやろうと、わざとらしくワトスンの鼻先でドアをバタンと閉めた時も、ワトスンは表情を変えませんでした。あの無表情は、台詞や動きよりも、雄弁だったと思います。
 荒野でホームズと再会した時は、勿論怒りモード。私は「いいぞ、イアン!もっと言ってやれ!」と応援したものです。
しかし、イアン・ワトスンが無愛想なのは、ホームズに対してのみという所がツボです。バスカヴィル館での晩餐の席では、たのしくお喋りをして笑顔が絶えないし、第一サー・ヘンリーに対してはとても優しい。一見笑わない様に見えて、タイを結ぶのに苦心するサー・ヘンリーに「私が結びましょう」と申し出て、向かい合ってタイを結んであげるのは…反則なくらい素敵です。ずるいです。ホームズが見たら何と言うか。いや、ホームズだったら首を絞めるのでしょう(酷い)。

 そもそもホームズとワトスンは、阿吽の呼吸で接する仲と解釈しています。今回のお話ではホームズがそんな関係を踏み台に、ワトスンに隠し事をするから喧嘩が絶えない訳で、基本的には仲良しなのでしょう。ビリヤードのシーンは、格好良い上に呼吸が合ってて素敵でした。黙ってコイン・トス、さっさとプレイ開始…ビリヤードの腕は、ワトスンの方が上である方に賭けます。
 肖像画からステープルトンがバスカヴィル一族である事を突き止めるシーンで、イアン・ワトスンはやっと笑います。馬鹿笑いするホームズに釣られた形ですが、やっぱり大発見をして喜ぶホームズを、「その場で」見るのは、好きなのでしょう。

 物語も大詰め。サー・ヘンリーが荒野を徒歩で帰る段になって、ワトスンはサー・ヘンリーの身を案じて中止を提案。やっぱり優しいワトスンなのであります。サー・ヘンリーを助けるために、走る走る!更に小柄なのにサー・ヘンリーを担いでバスカヴィル館へ。更に馬を駈ってメルピット荘に駆け込むと、ベリルを探してこれまた走る。
 ベリルの死体を発見するや、怒りで逆上!やおらステープルトンに怒りの拳をお見舞いします。凄いぞイアン・ワトスン!断言しますが、イアン・ワトスンはリヴァプール出身です!リヴァプールの男は熱い気質で喧嘩っ早い。Liverpool Kissと言ったら「口元への一撃」の事。フーリガンがリヴァプール発祥なら、イアンもリヴァプール出身、ワトスンもリヴァプール出身に違いありません!
 そうは言っても犯人を殺す訳にも行くまいに、ご丁寧に銃口までステープルトンに向けるワトスン。そこで咄嗟にホームズはワトスンを取り押さえに掛かるのですが、逆だホームズ!レストレードから銃を奪ったステープルトンが発砲。ワトスンの左肩に当たり、壁に叩き付けられてしまいました。画面の前で悲鳴を上げる私。「撃たれた!」というより、撃たれたイアンが格好良かったから…。この時のホームズは、“Oh, God ! Watson!”と言うのですが、オリジナル音声の方がオロオロ感が出ていて良いです。
 底無し沼にはまったホームズに、ステープルトンが余裕綽々で銃口を向け、絶体絶命になったその時、ステープルトンの額に一撃!ホームズが振り返ると、銃口から煙をあげるワトスンが立っている…格好良すぎるぞイアン、スティーブ・マックィーン並みだ!(誉め過ぎ)
 撃たれて重傷の上に、ホームズを間一髪の所で助け、底無し沼から引き上げなければならないのですから、ご苦労様です。片手で全身の力を使ってファイト一発!まじめにイアン、死にそうな声で喘いでおります。やっとの思いで助けあげたホームズが一言「仕立て屋に万歳だな」イアンは「うへぇ〜」と喘いでバッタリ倒れてしまいました。

 事件は(死体が余計なものの)一件落着しますが、ワトスンは相変わらず怒っています。二人でロンドンに戻る豪華な食堂車でもワトスンは無愛想怒りモード持続中。どうやら、まともに口もきいてくれないようです。
 黙々と食事を続けるワトスンに、ホームズが恐る恐る「レ・ユグノーのチケットがあるのだが…」と持ちかけます。しかしワトスンは無視。「その前にマルチーニで食事でも…して…」と言ってみたものの、ワトスンはまた無視。ホームズはやや意気消沈して新聞に目を戻しますが、突然、ワトスンが言います。
「だめだぞ。そうはいかない。」
「何が?」(ホームズ、脈絡が掴めていない。)
「君を信用しない(No, I don’t trust you.)」
これ、すごいやり取りですね。いつか書いてみたいです。このすぐ後にワトスンは表情を変えないまま、
「でも、マルチーニはいい。」
と、付け加えます。
 グラナダのキャスティングだったら、最後の一言は微笑みながら言うのでしょうが、イアンの場合は仏頂面のまま。これがまた良いのです。ホームズはやっと許してもらえそうだと安堵の表情。でも、こちらも強情なのでそれが気取られないように取り繕って、また新聞に目を戻します。しかしやっぱり顔に出ている。
 このシーンは、まさに最高でした。格好良くて仏頂面なワトスンのご機嫌を伺うホームズなんて、他ではお目にかかれません。結局、このコンビではワトスンの方が上手という事でしょうか。

 結局、私が今回のBBC版「バスカヴィル家の犬」を評価する要素の九割は、イアン・ハートのワトスンという事のようです。最初から最後まで、まるっきりイアン・ワトスンに目が釘付けでしたから。これでは、「ホームズ物」を製作する側としては良いのか悪いのか分かりませんが。
 少なくとも私が確信したのは、このワトスン像で「空家の冒険」を作ったら、気絶をするのはワトスンではなく、ホームズだろうという事です。怒り心頭に発したワトスンが、ホームズにリヴァプール・キスを見舞って、倒れるのはホームズという訳。

 今作品ではこのようになったワトスン像ですが、今後の作品ではどうなのでしょうか。既に第二作が去年のクリスマスに放映されましたが、これにお目にかかれる日が楽しみのような、怖いような気がします。

                                                18th March 2005

 

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