長野県北佐久郡軽井沢町は、標高約1,000mの高原の町。避暑地として有名です。国道18号線沿いに東から軽井沢、沓掛(現在は改名して中軽井沢)、追分という宿場町がその原点でした。西の端に位置する追分は軽井沢駅から離れているため、商店なども少ない静かな別荘地です。「偽ビレッジ・シンガーズ」が出たことで有名な御代田町から旧中山道の長い坂道(笑坂という)を上り詰め、北国街道とぶつかる所が追分であり、宿場町の雰囲気がよく残っています。二つの街道の分岐点が現在の国道18号線沿いにあたり、そこには「分去れ」と呼ばれる史跡があります。旅の道標ですので、「分去れ」から数メートル北国街道方向に進んだところには、庚申塚や馬頭観音が奉られた緑地があります。その中に、何を思ったのかシャーロック・ホームズさんが立っているのです。この銅像の事は随分前から私も知っており、10年ほど前に一度見たこともあるのですが、今年はこのHPに載せるべく、写真を撮ってきました。

 まず、なぜ軽井沢にホームズの銅像なのか?
 銅像脇の説明書きによると、「翻訳家の延原謙が追分でシャーロック・ホームズの物語を全訳したのにちなんでこの地を選び、ホームズ登場100周年を記念して有志一同が建てた」との事。1988年に完成したようです「追分で全訳した」というのは、やや疑問なのですが、日本のどこかにどうしてもホームズ像を建てなければならない!…としたら、妥当な選択と思われます。
 さて、いざホームズの銅像を見ようとやってきますと、まず絵に描いたような公衆トイレが出迎えてくれます。緑地の入り口に鎮座まします公衆トイレ。まずここで脱力。10年前にもあっただろうかと思いつつ気を取り直して先に進みますと、古めかしく霊験あらたかそうな庚申塚や、馬頭観音の向こうに我らがシャーロックの姿を認め、思わず笑ってしまいました。なにやら女子寮、もしくは埼京線の女性専用車両ににまぎれこんでしまったオヤジのような、妙な気恥ずかしさがあるのです。どうしてでしょう?いや、大好きなホームズのためです、へこたれてはいけません。とにかく露を踏みながら奥に進み、ホームズとご対面です。
 銅像その物は立派なものでした。身長は実寸大の183cm。台座もありますので、なかなか堂々たるものです。ディアストーカーにインバネスという、「いわゆる古風なホームズ・スタイル」で、手にはパイプを持っています。グラナダ・ファンとしては「フロックコートにトップハット、屋外なら紙巻煙草だろう」と突っ込んでしまうのですが、インバネスもさほど野暮ったくなく、スマートで悪くありません。顔つきもシドニー・パジェットの挿絵から写したのか、精悍な感じでした。
 国道に近いので完全な「森の静けさ」とは言い切れないのですが、標高1,000mの緑の中でホームズを眺めていると、女子寮の違和感もやがて薄れ、すがすがしい気持ちがしてきました。
 
 さて、ホームズの像から離れて東へ。国道から1本北寄りの道に入ると、そこが追分の宿です。昔大名が泊まった本陣跡や、浅間神社、堀辰雄記念館(元々堀辰雄の居住地でした。私も昔、この辺りで彼の未亡人を見かけたことがあります)、堀の作品に登場する泉洞寺、軽井沢測候所、郷土資料館などがあります。そしてひときわ存在感を見せているのが、油屋旅館です。江戸時代からある老舗の旅館で、著名な文筆家なども滞在したそうです。大名が食した膳の再現などもしていたと思います。延原謙は、この油屋旅館の離れでホームズの翻訳に取り組んだそうです。泊り客ではないので、ここは表側だけを写真に撮って、失礼しました。 

 ホームズの銅像に話を戻します。私の前には親子連れが見に来ていましたし、私が立ち去ろうとした頃には三脚とカメラを持ったお兄さんがやってきました。せいぜい前述の宿場程度しか観光的なもの(しかもかなり地味)がないこの追分ですが、その中でもホームズの銅像はそれなりの見所になっているようです。軽井沢に来た際、もし時間があったら、庚申塚の向こうのホームズに会いに来て見てください。交通はちょっと不便です。最寄の信濃追分駅から歩くと30分位あると思います。軽井沢駅からのバスも数時間に1本というノリですので、車があった方が良いですね。

 
 

庚申塔と仏像の向こうにホームズ。
みうらじゅん&いとうせいこうが見たら激しく突っ込まれそう。

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Sherlock Holmeshe   シャーロック・ホームズ


  軽井沢のシャーロック・ホームズ像
  

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