ハルとデイヴィッドはレミントンに戻りたい気分だったが、ウィンチェスター司教がそれを許さなかった。曰く、早くロンドンに戻ってきて、事情を説明しろ、何かとんでもないことを勝手にやっているのではあるまいな ― さすが、ウィンチェスター司教だと感心していると、今度は司教の密偵のリーダーである、ジュリアン・ケイニスまでサウサンプトンによこして、無理やりにでもつれて帰ろうとする。司教は昔から、ハルとデイヴィッドを連れ戻す決め手として、ケイニスを派遣するのが通例だった。
 仕方なくジョンが連れてきた一個師団とともにロンドンへ向かうと、その手前,ウィンチェスター ― まさに司教のお膝元で、捕捉された。そして、二人揃って衣服を替える間もなく、司教の執務室に出頭させられた。

 ハルがレミントンでの騒ぎの多くは端折りながら、簡潔に説明したが、『セウタの地図』の名前が出た時点で、ウィンチェスター司教の顔がだんだんと赤くなってきた。そして、サウサンプトンから、地図を持った「使者」をポルトガルへと送り出したところまでくると、椅子から飛び上がるのを、机にしがみつくことでやっとこらえているような有様だった。
 「それで、二人ともまさか何もしないまま、セウタの地図をポルトガルにやったわけじゃあるまいな。」
 ウィンチェスター司教は今にも噛み付きそうな形相で尋ねた。
「何もって、何です?」
 ハルが尋ねると、司教はこぶしで机を叩いた。
「写しだ!その地図に記載されていた情報を、まさか写し取っていないとは言わせないぞ。」
「写していません。」
 今度こそ、司教は大きな口をあけて叫び出しそうになっていた。しかし、その前にハルが手を上げてそれを制した。
「この世にたった一つだからこそ、貴重な『セウタの地図』じゃないですか。写しなんて取ったら、ポルトガル国王夫妻への贈り物になりませんよ。」
「セウタだぞ、ハリー!セウタの地図だ!ヨーロッパじゅうの全ての国々が、いくら金を積み上げてでも手に入れたいに決まっている。それをみすみす…」
「私に所有権があるわけでもありませんから。」
「とぼけるな、イングランドのプリンス・ヘンリー!そんな白々しい言い訳が効くとでも思うのか。」
「今は亡き、サー・ジョージから親友のポルトガル国王夫妻への贈り物。感動的だと思いますけどね。」
「一介の騎士のすることならとにかく、お前がそれに付き合ってどうする!」
 司教とハルの言い合いを黙って見ていたデイヴィッドが、初めて口を開けた。
「イングランドがセウタの地図を持っていても、役に立ちますかね。」
「いくらでもあるだろう。取引でもいいし、情報を売ってもいい。フランスだって、カスティーリャにセウタを取られるとやっかいだ。興味を持つに違いない、それに…」
「もっと、実際的な使い方ですよ。地図本来の。」
「なんだと?」
「あの地図を用いて、セウタを攻め落とすという話ですよ。そうなると、イングランドは地理的にもそれにはふさわしくないでしょう。でも、ポルトガルなら…」
「ポルトガルなら、セウタを攻略できると?」
 デイヴィッドは肩をすくめた。
「さぁ。どうでしょうね。少なくとも、イングランドよりは機会があるのではありませんか。」
 すると、ハルも笑いながら同調した。
「いつか、ポルトガルがセウタを攻略したら、同盟国イングランドにとっても、喜ばしいことじゃありませんか。もう百年も続いている同盟関係ですよ。ポルトガル国王妃陛下は、叔父上にとっては姉上。両国の友好をさらに強固にする贈り物とお考えになれば、きっと納得も行きますよ。」
 司教は机にひじをつき、手で額をおさえながら唸った。
「そんな事を言って、どうせお前たちは、サー・ジョージと未亡人の意思を優先したのだろうが。」
「結果は同じことですよ。」
 はからずも、ハルとデイヴィッドが同時に同じ言葉を発した。さらに、ハルが続けた。
「私がわざわざ一個師団と、ジョン王子まで動員した意味も考慮に入れて欲しいですね。イングランドとしては、黙って『セウタの地図』を渡すわけじゃない。イングランドは王子が地図を接収することも可能だったが、敢えてそれをしなかったという意思表示です。王子と一個師団が動員されるほど重要な地図を、ポルトガルへやったという事実は、ポルトガル国王夫妻にも何事かを考えさせるでしょう。
 イングランドに恩義を感じ、イングランドとの同盟関係に忠実であろうとする心をさらに強くするでしょうね。実際に地図を運んだ『使者』も、そのことを伝えてくれると思いますよ。」
 ウィンチェスター司教は、がっくりと肩を落とし、椅子の背もたれに倒れこんだ。どうせ、手遅れなのだ。彼が怒ったりわめいたりしても、もうどうにもならなかった。司教は大きくため息をつくと、しぶしぶ言った。
「わかった、もういい。高名なサー・ジョージの遺志を継いでのことと思われる贈り物は、私的なもので、我々にはもう関係ない。それより気になるのは、カスティーリャだ。そろそろ、昔のエンリケ一派は駆逐されたかと思ったが、どうやらそうではないらしい。その密偵どもの始末はつけたが、カスティーリャの姉(王母,現摂政)へは、あらためて気をつけるよう、使者を出しておこう。」
「ついでに、密偵の数も増やすのですね。」
 そう笑いながら、ハルが立ち上がった。
「さて、さすがに疲れました。失礼させていただきますよ、叔父上。」
「好きにしろ。私も、お前の話を聞いただけで、どっと疲れた。国王陛下には、内々にご説明しておく。」
 ハルはまた笑うと、司教に会釈して、執務室から出て行った。デイヴィッドも立ち上がってハルを追おうとしたが、司教が引きとめた。
「おい、デイヴィッド。お前、ハリーと喧嘩したって?」
「いったい、どこからそういう情報が出てくるのです。」
「喧嘩の原因を探らせたのだが…」
「あなたの密偵は、そんな下らない事を調べるために訓練されているのではないでしょう。」
「私の密偵だ。私の趣味に使って何が悪い。」
司教はいたずらっぽく笑って見せた。
「どうやら、レミントンの辺りでは、サー・ジョージが囚われのリチャード二世を救い出したと言われているらしいな。喧嘩のきっかけはそんなところか?」
 デイヴィッドは小さくため息をついた。ウィンチェスター司教は鋭い。
「もちろん、信じていませんよ、そんな話。」
「そりゃそうだろう。でも、そんな話を聞いた後で、ハリーとお前の間で、ちょっとした喧嘩があってもおかしくはないな。お前達は、四六時中一緒に居る割には、喧嘩をしない。えらいものだと感心していたところだ。それでも、別個の人間だからな。考えの違いもあるだろう。時には喧嘩もやむを得ないさ。気に病むな。」
「別に、気に病んでなどいません。」
「やっぱり喧嘩したんだな。」
「…嬉しそうですね。」
「ジョンじゃあるまいし。ただ、お前達も普通の青年らしくて結構と思ったのさ。」
「司教様らしくもありませんね。」
 デイヴィッドはそう言い捨てて、執務室から出て行った。
 ダンスタブルに一日も早く、例の笛を渡してやりたかった。

 レミントン城の執事ラリーが完全に回復するには、三日しかかからなかった。その間、ハルとデイヴィッドがロンドンから連れてきた輸送隊はレミントン城での快適な生活を送り、農作業や水路整備の手伝いなどに勤しんでいた。
 やがてラリーが回復すると、やっと荷物の受け渡し作業がうまく流れるようになり、帰りの荷物を満載した輸送隊がロンドンに向けて出発した。ロンドンから数人の兵士がジョン王子とともにレミントンに向かい、帰りの護衛を任された。
 ジョンは『セウタの地図』や、カスティーリャの密偵の話を全く知らされていなかったので、無邪気にレミントンでダニエルとの交流を楽しんだ。
 ネッドは、快適なレミントンでの生活を惜しんで、ロンドンへの帰還を嫌がっていた。

 レミントンからの荷物がロンドンに戻ってきて、まずはロンドン塔で荷解きをするという話になった。デイヴィッドは偶然ロンドン塔に居たので、壁に寄りかかってその荷解きを眺めていた。そこに、ジェーン・フェンダーが現れたので、少し驚いた。
 「ご機嫌よう、サー・デイヴィッド。」
 挨拶をするジェーンに、デイヴィッドはぼんやりと挨拶を返した。
 ロンドン塔の中庭は、柔らかい日の光に照らされ、もうすぐ春であることを思い知らせた。しかし気温は低く、だれもがマントで体を包んでいる。ジェーンも、マントの裾をひるがえして、デイヴィッドの前にやってきた。
「こんな所に、何しに来たんだい?」
「決まっているじゃない。荷物を受け取りに来たのよ。予定より遅くなって、心待ちにしていたのだから。」
「何もわざわざ取りに来なくても、ウェストミンスターに運んだだろうに。」
「ここの薬草庫や、医務室に保管するものもあるから。」
 ジェーンは中庭の方へ振り返った。四つの木箱を前にして、小姓を数人引き連れたジェーンの侍女デイが、荷物を運ぶ従僕たちにあれやこれやと喚いている。ジェーンはデイヴィッドと並んで立った。
「聞いたわよ。レミントンじゃ、荷解きや配送処理に苦労したんですって?」
「そもそも、俺にあんな難しいことの指揮なんかできるもんか。」
 デイヴィッドは低い声で答えた。
「どうやら、皇太子殿下と喧嘩した以外にも、色々あったみたいじゃない。あなたらしくもないわね。」
「たまには、調子の出ないこともあるさ。」
 デイヴィッドはぼんやりとしてつぶやくように言った。ウィンザーでも、ロンドンでも、デイヴィッドの顔を見た全員が同じことを言うので、否定する気も失せている。ジェーンはその横顔をしばらく眺めていたが、やがてまた口を開いた。
「どうかした?」
「え?」
 デイヴィッドは眉を寄せて振り返った。
「何か、考え込んでいるみたいな顔しているわよ。」
「べつに。」
 デイヴィッドは、また中庭の作業の方に視線を戻した。荷物の仕分けに苦労しているようで、デイや小姓、従僕たちは右往左往し始めている。
「ただ、なんとなく難しいものだと思って。」
「荷物の仕分けが?」
「違う。ハルと俺が出かけることさ。」
 ジェーンはきょとんとした表情になったが、デイヴィッドはそのまま続けた。
「レミントンには、本当に遊びに行っただけなのに。ハルと俺が来ると聞いただけで、色々な人間があれこれ想像を働かせて要らぬ行動に出た。ハルと俺にとっては予想外で、そりゃ調子も崩すさ。」
「イングランドの有名なハリー王子だもの。そのまた有名な親友サー・デイヴィッドが、ただ遊びに来るとは、たいていの人は思わないでしょ。」
「遊びなんぞあってたまるか…か。」
「なにそれ。」
「レミントンへ立つ前に、ウィンチェスター司教様が言ったのさ。それより、きみ…」
 デイヴィッドは、中庭の騒ぎにあごをしゃくって見せた。
「そろそろ、助けに行ったほうが良いんじゃないか?」
 デイと小姓、従僕たちは箱の中身とリストをつきあわせて、わぁわぁ喚いている。
「本当だわ。」
 ジェーンは、デイヴィッドに軽く会釈をすると、広場の方へ歩き出した。そして、デイの手からリストを奪い取ると、てきぱきと箱の中身の分類と行き先を指示し始めた。配送指揮の才能があるらしい。

 春には、ポルトガルからカザル伯爵の次女マリアがイングランドにやってきて、レミントンのダニエルとめでたく結婚した。
 マリアの一行はポルトガル王室から大量の贈り物を携えており、その一部はイングランド王家の人々宛であった。これもまた高価で貴重なものばかりだった。ハルとウィンチェスター司教は、この贈り物の数々は、例の『セウタの地図』の返礼と解釈した。
 ちょうどその頃、ダニエルからハルとデイヴィッド宛に手紙が来た。ポルトガル人学者で、パリの大学に留学していたリベイラという人物について、ダニエルの方が先に調べがついたというのだ。
 やはりレミントンに来ていたリベイラは偽者だった。実際はカスティーリャ人だったのだろう。ポルトガル王家の紹介状のためだけに、カスティーリャの密偵たちが接触した本物のリベイラは、当初殺されたのではないかと思われたが、実際は違った。
 ボローニャの大学に留学していたのだ。どうやら、カスティーリャの密偵たちが手配し、費用も負担したらしい。つまり、リベイラは紹介状さえ手に入れば用済みなので、体良く追いやられたとのだ。
 本物のリベイラは、パリで懇意にしていたカスティーリャ人たちが実は反王母,反イングランドの密偵であったことなど全く知らず、ボローニャで快適な生活を謳歌していた。やがて資金が尽きるはずだが、そこはダニエルが気の毒がって、出資するとのことだった。
 デイヴィッドは、のんきな学者もいたものだと呆れつつ、美しく気持ちの良いダニエルの笑顔が、また見たくなった。


付記

 1415年、ポルトガル国王ジョアン一世は、王子エンリケ(航海王子)とともにモロッコへ遠征し、八月にセウタを攻略した。これにより、セウタは1580年にスペイン国王がポルトガル王位を継承するまで、ポルトガル領であった。以降、セウタは今日まで、スペインが領有している。
 ポルトガルとイングランドの同盟は、13世紀以来幾多の政変、革命などを経つつも継続され、今日に至っている。1982年のフォークランド紛争において、ポルトガル領アゾレス諸島の基地を、英国軍が使用したのは、この古い同盟に基づいている。


                     サー・ジョージの贈り物 完


あとがき

 ハル&デイヴィッドの第六作を最後まで読んで下さり、ありがとうございました。ハルデヴィをアップするのは非常に久しぶりになりましたが、いかがでしたか?
 今回の作品は、最初にサー・ジョージというキャラクターを登場させたいと思ったところから始まりました。このサー・ジョージは、もちろんミュージシャンのジョージ・ハリスンがモデルです。そしてその夫人のオリヴィアと、息子のダーニも、おなじくモデルになっています。ダーニというのはインド風の名前なので、「ダニエル」に変更しました
 ポルトガル王家出身の有名なエンリケ航海王子が、ハルの従兄弟であることは以前から知っていたので、それをネタにした小説を書きたいとずっと思っていたこともあり、サー・ジョージとポルトガル王家の人々を結びつけることにしました。
 登場する旅楽師、リックとバックにも、もちろんモデルが居ます。アメリカのロックスター、トム・ペティとその相棒,マイク・キャンベルです。彼らの名字は、彼らが愛用しているエレキメーカー,リッケンバッカーを二つに分けたものです。ギターメーカーが名前の由来になっているキャラクターは、デイヴィッド・ギブスンと、ジェーン・フェンダー、そして彼らと、三例目になりました。
 ハルとデイヴィッドが小さな口論をしたあと、別行動を取ることにしたのですが、物語の構成上非常に苦労しました。二つに分散した物語をもう一度つなげるまでに、とても時間がかかったのです。やはりハルデヴィは、二人を一緒に行動させる方が楽だと思い知りました。

 感想などございましたら、掲示板や、メールで遠慮無お寄せ下さい。次回作への糧にもなります。
 最後にもう一度、読んで下さった皆さまに、お礼を申し上げます。

                        16th July 2013 山川 慧

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15.ジェーン・フェンダーが、意外な才能を発揮する事
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  サー・ジョージの贈り物