私のオリジナル小説「ハル&デイヴィッド」を読んでくださってありがとうございます。
 ここでは、この作品を更に楽しんでいただくために、「ハル&デイヴィッド」をめぐる史実やその周辺について書いています。今回は、第四作「ダンスタブルの忙しい降誕節」を取り巻くお話をしましょう。


 デイヴィッド・ヒューズのきっかけ

  デイヴィッド・G・ヒューズの「ヨーロッパ音楽の歴史 ―西洋文化における芸術音楽の伝統―」という本は、色々な意味で非常に思い出深いものです。上下巻あわせて9000円もするこの本は私の学生時代、音楽史の教科書でした。
 音楽史の先生は学生達に、「ここまで読んできなさい」と宿題を課すのですが、私を含む多くの学生がそれをしませんでした。―いや、できなかったのです。とにかく読むのが苦痛なのですから!
 私にもそれなりに「音楽史に詳しい」という自負があったのですが、まずこの本はその自負を粉々に打ち砕きました。知らない時代,名前,曲,様式の数々、しかも面白くない文章(失礼)!読んでも音楽が聞こえる訳でもなく、背景となる歴史や社会文化についての記述はほんの少し。記述対象が「記録のある音楽」に限られているため、上巻のほとんどが宗教曲の類で占められ、その音楽的構造を言語で説明しようとするのです。
「トリプルムでは、モード的なリズムに代わって、セミブレヴィスによる様々な、しばしば速いリズムで、歌詞が歌われるようになっていた。(14世紀初頭フランスのモテットについて)」…などと書いて、私にどうしろと言うのでしょう?

 そんな訳で全然頭に入っていない「ヨーロッパ音楽の歴史」ですが、一箇所だけ角を折って、熱心に読んだらしき形跡のある所があります。それは「15世紀イギリス」の項目です。イングランドは西洋クラシック音楽界においては地味な存在で、「イギリスに名コック,大作曲家なし」と言われたものです。音楽においてイギリスが世界を征服するのは、20世紀後半になってからでした。
 しかし例外的に、15世紀初頭,中世からルネサンス期の掛け橋として、イギリスが先進的な役割を果たす時期があるのです。その代表者の名こそが、「ハル&デイヴィッド」第四作「ダンスタブルの忙しい降誕節」に登場した、ジョン・ダンスタブルです。
 そして「ヨーロッパ音楽の歴史」では、当時の宗教曲を集めた貴重な写本「オールド・ホール写本」にも触れています。ここには、「国王ヘンリー五世も曲を寄せている」と記述されており、私はニ重線を引き、四角で囲み、書き込みまでしていました。
 音楽史を勉強していた頃、「ハル&デイヴィッド」はまだ断片的な書き散らしや、私の頭の中にプロトタイプが存在していたに過ぎません。しかし、そのプロトタイプの中に、ダンスタブルというキャラクターは、しっかりと登場していました。


 
ジョン・ダンスタブル

 ジョン・ダンスタブル(John Dunstable)は1453年12月24日に没した事が、その墓碑銘からはっきりしています。生年についての記録はないのですが、彼の初期の作品年代から推定して、1390年ごろにベッドフォードシャーのダンスタブルで生まれとする説が有力です。王侯貴族ではありませんから、在所がそのまま苗字になったのでしょう。1390年生まれだとするとハルよりも3歳年下で、「ハルデヴィ」に登場させるにはうってつけの人物です。
 ダンスタブルは国王ヘンリー五世(ハル)の弟,ベッドフォード公爵(ジョン王子)に仕えていました。その肩書きは音楽家、外交官、天文学者、数学者。かなり多才な人物だったようです。
 ベッドフォード公爵は兄王の死後、甥の幼君ヘンリー六世の摂政としてフランスに滞在する期間が長かったため、ダンスタブルも大陸で活躍しました。彼はイングランドで独自に発展した三度,六度進行(これは音楽上の和声学の話)や、美しい旋律をを展開し、大陸に普及させています。フランス人やイタリア半島の人物がダンスタブルの仕事について言及している事からも、その功績を窺い知る事が出来ます。ベッドフォード公爵の死後は、その弟グロスター公爵(ハンフリー王子)に仕えたようです。

 現在までその姿を残すことができている当時の音楽は、どうしても宗教曲に限定されがちです。録音機器の無かった時代、音楽は記録が難しく、一般に愛好されていたポピュラー音楽などは、人気がなくなれば自然と消滅してしまいました。宗教曲はその点、神と教会の栄光をたたえる上で記録するに値するとして、権力者(聖俗双方)がお金を掛けて紙面に残し、教会で歌い継いだりして、現在までその存在を伝える事が出来たのです。
 ですから中世からルネサンス期にかけて、名を残した作曲家の多くは聖職者でした。しかし面白い事に、ダンスタブルは前述したように外交官であり、天文学者であり、しかも結婚して子も成したと言う、いわゆる「世俗の」人物だった事が、最近の研究で明らかになっています。
 現在に伝わっているダンスタブルの楽曲のほとんどはやはり宗教曲ですが、「世俗の」人物だったという事を発展させて、私は小説で「世俗の」音楽を演奏させました。リコルドという楽器が登場しましたが、これは現在のリコーダーにあたるもので、ヘンリー四世がリコルドを購入したという記録が残っています。

 いわゆるクラシック音楽は、バロック以前とそれ以降で大きく分けられ、私たちが日ごろ頻繁に耳にするのは、バロック以降の音楽です。バロックを含むそれ以前の音楽はまとめて「古楽」と呼ばれています(バッハやヘンデルも厳密には古楽)。
 最近はこの古楽に人気が出てきて、演奏会や録音も頻繁に行われるようになりました。それでもやはり人気の中心は「いかにも中世的な」グレゴリオ聖歌か、ルネッサンス期の音楽で、ダンスタブルの時代の音楽が沢山聞けるという状況にはありません。
 それでも、いくつかのCDが発売されていますので、ご紹介してみましょう。

Cathedral Sound, John Dunstable
(Arte Nova / 1995) 演奏者:Rene Clemencic Consort
 ダンスタブルの宗教曲のみを集めた、ドイツの録音。殆どが合唱形式です。雰囲気的には静謐で荘厳。眠い…かも?ダンスタブルに特化した貴重なアルバムです。

おお美しきバラよ ―15世紀イギリス世俗歌曲集― Mi verry joy, Songs of 15th Century Englishmen
(ポリドール / 1993) 演奏者:ロンドン中世アンサンブル
 いわゆる「世俗の」音楽を集めたアルバム。ダンスタブルの曲も3曲収められています。雰囲気的には宗教曲に近い感じです。日本版が出ている点が、非常にありがたい。

緑の森の木陰で ―森にまつわる世俗音楽集― Under the Greenwood Tree
(Naxos 1995) 演奏者:エスタンピ
 12世紀から16世紀にわたる、森に関する世俗音楽を集めたアルバム。時代的なまとまりはありませんが、中々面白い内容です。残念ならが14,15世紀の部分がすっぽり抜けており、ハルデヴィ,ダンスタブルの時代の曲は収められていません。しかし、13世紀ごろの世俗音楽の雰囲気は、ハルデヴィ作品中に登場した音楽のイメージとなっています。


 
オールド・ホール写本と、ロイ・ヘンリー

 「ヨーロッパ音楽の歴史」に、ダンスタブルの名前と共に登場したのが、「オールド・ホール写本 Old Hall Manuscript」です。これは14世紀後半から15世紀初頭に作られたイングランドの宗教曲をまとめたもので、当時の音楽を伝える貴重な資料です。
 英国におけるこの手の資料は、ヘンリー八世の時代に大量に廃棄されたという経緯があます。「オールド・ホール写本」の場合は、人知れず密かに保管されていたため、19世紀になって初めて、その存在が知られるようになりました。
 「オールド・ホール写本」には、ダンスタブルの作品は一つしか収録されていません。一番多いのは、ライオネル・パワー(Lionel Power)の作品で、彼はダンスタブルより20歳ほど年上の人物です。

 さて、この「オールド・ホール写本」には、ロイ・ヘンリー(Roy Henry)という人物の作品が収められています。Royとは、Royal,即ち国王ヘンリーです。では、どの「国王ヘンリー」なのか?
 「オールド・ホール写本」の原本となる曲集の成立は、1420年頃が下限と見られています。すると、1421年生まれのヘンリー六世は除外され、ヘンリー四世か、五世がロイ・ヘンリーであると考えられます。
 この「四世か五世か」については、はっきりした結論は出ていません。双方共に年代的に可能な人物ですし、音楽の素養もあったとされています。しかし、イギリス人を中心とした多くの研究家は「ヘンリー五世説」を支持しているようです。冒頭でも書いたように、デイヴィッド・ヒューズも「ヨーロッパ音楽の歴史」で、「ヘンリー五世説」を採用しました。
 その根拠については様々なものがあると思いますが、私はそこにヘンリー五世という国王の「人気」も、作用していると思います。多少の過大評価はあるものの、ヘンリー五世は有能で栄光に包まれた王として、イングランド人に認識されています。政治的にも軍事的にも優れた若き王が、音楽にも造詣が深いと「良いな」と思う気持ちは、よく分かります。

 音楽史の教科書で、ハルの作品が「オールド・ホール写本」に含まれていると知った当時の私は、ちょっぴり調べてみようかと資料をめくってみました。
 ところが、出てきた資料はなんとドイツ語!昔、音楽学論文の言語はドイツ語で統一されていたのです…!(今では英語が主流。)
 英語さえアヤシゲな私が、ドイツ語なぞ出来るはずもありません。しかも、目指す人物の名前は―
「はいんりっひ・であ・ふゅんふて Heinrich der Funfte」などと書いてあるではありませんか!
「そんな奴は知らん!」と、私は「オールド・ホール写本」研究を早々に諦めたのでした。

                                          28th May 2006

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  「ハル&デイヴィッド」の史実 4 / ジョン・ダンスタブルとオールド・ホール写本
                           
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