私のオリジナル小説「ハル&デイヴィッド」を読んでくださってありがとうございます。
 ここでは、この作品を更に楽しんでいただくために、「ハル&デイヴィッド」をめぐる史実とシェイクスピア作品について解説していますが、今回は第三作「戻れば三度市長になれる」に登場したシティとリチャード・ウィッティントンについて解説してみようと思います。


 ザ・シティ ― ロンドンの始まり

 本文中にも書きましたが、シティというと、この場合はThe Cityというロンドンの一地域の事を指し示します。
 テムズ川の北岸ロンドン塔の西からセント・ポール寺院までの狭い地域で、かつては城壁がその周囲をめぐっていました。古代から中世にかけて形成されたヨーロッパの都市の多くがそうであったように、外敵から街を守るために城壁をめぐらしたわけですが、ロンドンのようにより大きな都市になると、その城壁内だけでは機能をまかなうことが適わなくなります。
 そのため、中世の頃から市街地はシティの外側に広がっていたのですが、城壁その物は依然として存在していたのですから、内側の自治権が発生するのは自然な流れだったのでしょう。

 ヘンリー四世の以前から ― それこそノルマン王家初代のウィリアム一世の頃からイングランド国王はロンドンを首都に定めていましたが、王宮をロンドンの中心街たるシティに作ることは、もちろん適いませんでした。本作にも登場したロンドン塔は、王宮であると同時に軍事要塞であり(実際、見た目も要塞然としている)― そして牢獄でもありました。純然たる王宮としての機能はウェストミンスター宮殿に託されるわけですが、それはシティよりも大分西側へ入ったところに作らざるを得ませんでした。
 こうして、ロンドンはテムズ川の北岸の東にシティ,西にウェストミンスターがあり、その間にまた街が形成されていったようです。
 この中間の町のひとつがストランドの繁華街であり、私が創作した下町レッド・ホロウも、ウェストミンスターとシティの間に存在しています。

 城壁に囲まれたザ・シティは王権からの独立を保ち、政治的干渉を拒否できました。国王でさえも、シティの長の許可なしにシティに立ち入ることは出来ないほど、その自治権は徹底していました。治安保持の権限も独立しており、スコットランド・ヤード(ロンドン警視庁,ホームズ物に頻繁に登場)が設立されてからも、シティだけは特別扱いされました。

 シティはギルドホールを中心として、商人たちが活躍した場だったため、「ロンドン市長」と呼ばれるLord Mayor of Londonもその商人たちの代表が務めました。具体的には年に一度、聖ミカエルの祝日(9月29日)に各ギルド(同業者組合)の代表による、選挙が行われて市長が選出されました。シティの組織そのものは1189年ごろにはあったというのですから、その歴史は立派なものです。実はLord Mayor of Londonという名称が明確に使われた事が分かっているのは1414年からなので、「戻れば三度市長になれる」の1406年はどうなのか分からないのですが、作品中ではこの名称を使わせていただきました。
 市長の職務はシティの政治を司ると言って良いでしょう。基本的に市長の任期は一年ですが、例外的に数人複数年務めた人物もあります。その一人が、今回登場した“ディック”ことリチャード・ウィッティントンです。
 
 
 
ロンドン市長 リチャード・ウィッティントン

 本文中にも挿話として登場した「ディック・ウィッティントンと猫」の話は、イギリスでは誰でも知っている昔話ですが、ウィッティントン自身は実在の人物です。恐らく1358年ごろにグロースターの地主の家の子として生まれたという説が有力です。十代のころにロンドンに出てきて商人となり、三十代半ばにして同業者たちの代表にまでなっていたのですから、かなりのものです。又シティの治安担当も勤め、1397年に前任バム市長の死去に伴って急遽市長に就任しました。
 翌年1398年の選挙で改めて市長に選出されたのですから、リチャード二世からヘンリー・ボリンブログ(ハルの父)が王位を奪った1399年夏から秋にかけて、市長だった ― と私は解釈しています。この辺りの細かい年代は資料によって微妙に異なるので、正確な所は良く分かりませんが ― しかも市長選挙の聖ミカエルの祝日が9月の末という微妙な時期ときている! ― ともかくウィッティントンが政変時にシティの要職にあったのは間違いなさそうです。

 その後、ウィッティントンは1406年と1419年に市長に選出されています。「戻れば三度市長になれる」は1406年クリスマス前のお話ですから、ウィッティントンが二回目の市長に選出された直後となります。結局彼は生涯に三度市長に選出されています。
 これは私の憶測なのですが、シティは王権からは独立しているとは言えそれは建前で、実は様々な面において時の権力者と手を結び、政治的,経済的な協力関係を持っていたのではないかと思うのです。ヘンリー五世はその在位中にフランス遠征という大事を起こしていますが、これはイングランドという小国にしては随分大胆な行動でした。一体彼はどこからその費用を捻出したのか ― 利権を守ろうとする教会を味方に付けた,というのはシェイクスピアの「ヘンリー五世」の冒頭にも登場します。
 そしてまた、ウィッティントンは私財から国王に戦費を貸し付けていたという資料もあります。その真偽や額はともかくとして、ウィッティントンに代表されるシティと、王権は協力関係を持っており、特に国王と密接な関係を持っていたからこそ、ウィッティントンは三度も市長に選出されたのではないか ― と、私は解釈しました。
 そこから発展して、ランカスター王朝時代(ヘンリー四世,五世,六世の三代の王朝)の実力者であるボーフォート一族,そして将来の国王であるプリンス・ハルが、ウィッティントンと親交を深めるお話を創作したのが、この第三作だったというわけです。

 本文の付記にも書きましたが、ウィッティントンはギルドホールの再建や母子家庭のための施設を聖トマス病院に設立するなど、公共事業にも熱心な人物でした。彼が猫好きだったかどうかは史料には見出すことは出来ませんが、後世に描かれた彼の肖像には大方猫が一緒に描かれています。現在、ロンドンには彼の名前を冠したウィッティントン病院がありますが、ここにも小さな猫の像があるそうです。
 リチャード・ウィッティントンは1423年に亡くなりました。1358年生まれだとすると、65年の生涯となります。ちなみに、国王ヘンリー五世はウィッティントンより一年先に亡くなっています。


 逞しきかな、商人魂!

 ヘンリー五世のフランス遠征は、一時休戦状態だった百年戦争の再開であり、イングランドの圧倒的勝利を呼び込みます。しかし、結局百年戦争がフランスの勝利に終わったことはご存知の通りです。
 確かにイングランド国王が大陸の領地を取得し、フランス国王として君臨するという夢は絶たれました。しかしそれまで大陸から離れた島国で小さな王国を営んでいたイングランド王国は、ヨーロッパ史に大々的に参加するきっかけともなったのが百年戦争だったのです。
 この戦争によってイングランドの商人たちは積極的大陸との交易を行って、実力を増していきました。その後イングランドの王冠は薔薇戦争の泥沼にはまりましたが、商人たちはどこ吹く風で富と実力を伸ばし続けたのです。つまりチューダー朝の王権繁栄の前に、庶民レベルでの繁栄がイングランドにもたらされていたのでしょう。
 ウィッティントンに代表されるたくましい商人たちは、どんな時代も ― 古代も、中世も、近代も ― 知恵と努力で生き生きと活動していた ― 私はそんな風に思っています。


 ところで…
 今回のこのハルデヴィの史実のコーナーは、商人リチャード・ウィッティントンについて書きましたが、実は他にも色々解説したい事柄はあったのです。
 ハルの叔父たち ― ボーフォート三兄弟や、ハルの弟たち、羊皮紙と本の話、それからロンドンの町の賑わいなど。第三作「戻れば三度市長になれる」が凄い長さになったのは、こういう要素を沢山詰め込んだからだと、あらためて実感しております。

                                   31st July 2005



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